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第五十八話《旅の仲間》



 木枯らしが吹く前に、一行はサンルズを出ることにした。提案したのはハーケンだった。彼はあれから自分にできる恩返しとはなんだろうかと考えた末に、リライナをなるべく時間をゆっくりかけながらできるだけ早く手紙の主に会わせることが、もっとも大きな恩返しになるのではと思ったのだった。


 彼は思いつきを口にするように提案したが、リライナが不審に思うことはなかった。彼女はこういう彼の言動にはいつも何かしらの意味があり、利他的でなくとも間違ったことは一度もないと信じ切っていた。彼女は自分自身の信念を見出した後でも、やはり彼にあこがれを見出すのだった。彼のあの寡黙な雰囲気が、彼女には彼を、何か壮大な知識を秘めていながら共有も理解も求めない奥ゆかしい存在に思わせるのだ。もっとも、彼女にはいささか人を信じすぎるきらいがありもしたが。……


 リライナがハーケンにそうしたように、セイディとメリルも彼女にこのようなことをして、一切出発について口を出さなかった。


 別れの挨拶はほどほどに、四人はサンルズを出発した。もっと東へ行かなければならないのだ。


 幌の下で、いつも着ている母親が作った服だけでは肌寒い思いをしたリライナは、寝袋に入って過ごすことにした。セイディはそれを面白がって真似て、メリルは本を読んでいる。メリルは先日、コルネリアのことを想ってから、彼女と交替で読んだ小説を手に取るだけでも心が躍った。他の二人は、何かお互いの知っている曲を鼻歌で楽しんでいるらしかった。


 しばらくはまた山を越える旅になる。そう全員が思ったが、ちょうど木々の隙間から幌馬車が進んでいる道のずっと下のほうに、ちらちらと小さい人影が見え、それらが何かを運んでいるらしいのが見えた。どうやらそれらは、東から西へ、食料や労働者や物資などを運ぶための鉄道整備をしているらしかった。リライナは鉄道や列車について仄聞さえ知らなかったので、あれはそれはと友人にたずねたものだった。


「じゃあ、これが大陸を横断するようになれば、もっと人同士が近くなるのかな」


 そうリライナが言ったのを、メリルは気づかわしそうに聞いていた。彼女は大陸の東側に行ったことはなかったが、魔法至上主義が根強いことは知っていた。彼女が故郷の人々が過去に受けたと言っている迫害を思い出さないわけはない。


『たとえリライナがどんなに優しかったにしても、世界が優しいわけじゃない』とメリルは口のうちで呟いた。それから、これから先どれほど嫌なことが起こるのだろうと、まったくリライナとは逆のことを考えた。


 幌馬車は何日かこのような不安や期待を一身に背負いながら進んでいくのである。


 いくらか道を進んでいると、ある建物が目に入った。それは立派な建物で、レンガで出来ていた。リライナたちは幌の下からその建物の前にあった立て看板をなんとか見てやろうと身を乗り出した。


『診療所』そこにはそう書かれていた。


 はじめ、リライナは単に言葉通りに納得するだけだったが、去り際、窓越しに室内が見え、二十がらみの男がベッドに身を横たえているのが見えた。そうしてメリルが同じように室内に目を向けていることまでを認めると、思いついたような口ぶりで、「だんだん肌寒くなるね!」と半ば強引に言った。


「そのうちリライナみたいにミノムシになるかもね」と言ってメリルは読書を再開したので、リライナは安心した。


 それからメリルは、小説が面白い下りに差し掛かったのかいっそう微笑むようになった。

リライナはそんな彼女の目と想像とを魂の影から借りようとした。そして自分のあまりの無知に気づいて、此度の一件による一足とびの関係の深まりが、ひょっとしてかなりに弱々しく、どれだけ彼女を信じていようと、ちょっとした歩調やモノの見方によっては、いともたやすく崩れてしまうのではないかと怯えもした。リライナはメリルが喜びをもって接するものを本以外に知らなかった。ようは、好みかそうでない食べ物、そういう些細なことを何一つ知らなかったのである。しかし先に述べたように彼女自身がこのようにくっきりと常に感じているのではなかった。あまりに感覚は曲的であったし、掴みどころのない形をしてもいる。


 だれかが人間には側面があり、裏もあると言ったとして、実際人間の本質は月のように丸に近い形をしている。それに海をもうけ、大陸に喜びの名を授ける――もっと人を知るには、類まれなる勇気と、大いなる執着が必要なのだ。


 むろんリライナの精神もきわめて無力な球体に近しい姿だった。時としてこれはちょうど彼女の肩でぶら下がっているヴラジーミルの姿を模する時もあるが、気ままな本質は変わらず、風の吹く場所に視線を投げるのと変わらぬ容易さで移り変わりがちだった。それだからリライナは、まだまだ自分は人並み以上に知識を得たなどと自惚れなかったし、メリルに対して無知であることにも、わずかに喜びを見出した。


 彼女の本質に深く根付いている純粋――純粋とはなんだ? 色ならば白か無色か、それとも黒か虹か……ひとえに純粋とは、事実はありのまま受け入れるのに、良からぬ気配や予感やを見出しておきながら、それに自らおびえ震え上がる人のことである。ここで彼女がいっときでも繊細と夢想の門をくぐり希望にすがりつこうとしたのであれば、その努力は無理もないことである。


 幌馬車は徐々に知らない場所へ進む。個人にとっては未知の世界、その深みに。


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