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第五十一話《Because of you》メリル編Ⅰ


 あの赤い花の咲いている目をして真っ赤な巻き毛のなんとも美しいメリル・ヴォーティエが、なぜ画家の道に踏み入れておきながら、師匠であるハーケン・ボルステインをいつも毛嫌いでもするかのように「ボルステイン」と呼ぶのかについては彼女なりの理由があったが、誰にも打ち明けたことがなかった。幸いハーケンの機密主義も手伝って、セイディとリライナには須臾ほどの真相さえ伝わらずに今日に至る。


 ハーケンと出会った日に、彼女は彼に半ば懇願の形でしがみついた。やむを得ない手段だったし、彼女も彼女なりに自分の姿勢については決着しているのだが、ハーケンの特に理由もなくいつもしている微笑がいざこちらに向けられると、彼女は自らの姿勢を冷静に鑑みて、それから彼の表情の、君は泣きついて弟子になったのだと感じさせるような雰囲気を受け取らずにいなかったのである。確かに彼の表情には、自尊心を人並みに持っている人であれば腹の立つ含みがあった。もっとも、メリルと彼では反りが合わないと言ったほうが適当だった。


 さて、そんなメリルのこれまでひた隠しにしていた焦りがあこがれの形で現れる出来事が起きた。セイディが出会って以来、親しくしていて、自分のギターさえ託した娘のいるオブライエンの店に何の気なしに連れられておもむいた時のことだ。


 まだ教わって間もないらしいライカという娘のギターとその兄のピアノの演奏を聴きながら、もちろんお酒など飲めないので水を飲みながら、じっと微笑ましい兄妹の姿を見ていた。


 メリルにも兄がいた。だが、彼女の両親は彼女と兄を兄妹として育てようとせず、兄はメリルが知るまでずっと世話係として彼女に接してきた。そうして兄が島のしきたりで追い出されてパルクト大陸に半ば島流しされてようやく、彼女はあれが兄なのだと知った。メリルは一人っ子として育ちながら他の家の兄弟が仲良く遊び泥の投げ合いなどをするのをたいそう羨ましがって見ていた。もし兄と兄妹のようにありのまま接することができたならと思ったのも当然だったが、一番憎んだのは島のしきたりであった。それに従った両親も、島の住民も、すべてを彼女は嫌った。


 ここまで言わなくても、メリルがこの時にどのようなあこがれを思いながらオブライエン兄妹を眺めたかは想像に難くないはずである。


 彼女は、兄を探すために、彼女の名前をそのままの形で広めることの出来る画家という職を選んだ。しきたりを破り島を飛びだしたので、いつか島の誰かが連れ戻しに来るのではないかという意識が物音に敏感な反応を示させ、根底にいるのはいつも兄だった。


 しかし予期せぬことが起きた。セイディと出会い、リライナと出会ったのだ。わけて思い返してみると、いまリライナが離れている環境も手伝って、その存在の印象は顕著に表れた。衝迫の特徴は青かったし、彼女につられて暗くなったり笑ったりしている日のほうが多かった。メリルはそれらの日々を自ら楽しんでいた。本来の目的を忘れ、このままでも構わないと思うほどだった。だが、生まれ育った島での記憶が一瞬でも、物陰からちらっと服の袖が見えるような気配程度の微々たる力でやってくると、無性に腹が立つことに変わりがなかった。そうして、彼女は彼女自身に自ら課したはずの使命を思い出すのである。


 メリルは衝動に負けがちだった。だが同時に義理人情もそれなりにあったので、けして、リライナが居ない時に黙って出て行こうとは思わなかった。


 リライナが帰ってくるまで、彼女はこういった思いをセイディにすら伝えることをしなかった。これは彼女の自意識の強さが招いたことである。協力と共存はまったくの別物であり、彼女には協力の観念はあっても共存の字が下書きすらありはしなかったので、この旅はまさしく協力であった。炊事当番、幌の下での語らい、共にする食事のありとあらゆるものが。


 リライナが帰ってきた日は、雲一つなく晴れていた。彼女のそばにはメアリー・デシャネルがいて、メリルとセイディは初めてメアリーに出会った。


「よし、これでリライナちゃんの合宿も無事に終了だね」とメアリーが言った。「そっちの二人が、セイディちゃんとメリルちゃんね」


「はい、いい友だちです」とリライナが恥ずかしげもなく言った。


 セイディはお辞儀をし、メリルはぎこちなく頭を傾けた。


「その様子だと、かなり収穫はあったみたいね」


 メリルがこのように何気なく言った一言に着目する人がいた。それはメアリーだった。


「あなた、イースラの訛りがあるのね」


 イースラはメリルの育った島の名前だった。遥か昔の言葉で、そのまま島という意味らしかった。


「そうだけど、どうして知っているのかしら?」


 口調こそ落ち着いていたが、内心では驚きが絶えなかった。


「知り合いがいるの。あなたより訛りがきつい人だけど」続く言葉を聞くと、メリルは冷静でいられなかった。「あなたと同じ赤い髪よ」


「その人の名前は!」メリルは叫んだ。


 あまりの気迫に押され、その場にいた三人は固まった。メアリーより彼女を知っているはずの二人でさえ、これほど彼女に恐怖を抱いたことはなかった。


「えっと……ジェローム、ジェローム・ヴォーティエ」


 それは兄さんの名前だ! そうメリルは思いながら、衝動的にメアリーに詰め寄った。


「どこよ! どこにいるの!」


「こっ、ここから北に行った所。マレスって村だよ」


 これを聞いて、衝動に負けがちなメリルが走り出したのは当然のことである。リライナが後を追いかけたのも、必然だった。


「メリル!」リライナが叫んだ。


「ついてくるな!」


 そうメリルが言った時に、二人のあいだに火柱が現れた。予兆もなく、いきなりそれは現れた。リライナは立ち止まって、この猛々しい、いとも猛々しい火柱を見ていた。


 やがてそんな火柱がおさまると、その向こうで先ほどまで火柱のあった場所に手をかざしているメリルがいた。


 リライナの知っている限り、それは魔法以外の何でもなかった。


「メリル……どうして――」


「――分かったでしょ。あたしは画家をする必要もない。リライナと違って魔法がある。それでも画家をしたのは、ただ兄さんに見つけてほしかっただけ。あたしの両親、あたしの育った島は、兄さんが魔法を使えないからって追放した! だからあたしは両親が嫌いなんだ! あんたと違って――何もかも違って! 兄さんの居場所が分かった。あとはあたしが会いに行けばいい。その邪魔をしようとするな!」


 リライナは彼女のこれまで聞いたこともない感情に触れてもなお手を伸ばした。だがハーケンが現れ、リライナの肩を抑えた。


「師匠!」


「止めるべきじゃない」とハーケンは言った。


 リライナがもう一度メリルのほうへ目を向けると、そこに彼女はいなかった。代わりに耐えがたい暑さに包まれて、少々彼女はむせ返ってしまった。……


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