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第四十二話《Because of you》リライナ編Ⅵ



 誰彼問わず、万人に等しく与えられた自由があるとするならば、それは命題を背負う自由に他ならない。自らをこれから苦しめる苦痛を選ぶ自由が、リライナにも確かにあった。彼女はいよいよ、昨日まで無知な少女の夢でしかなかったものを命題の域に到達させようとしているのだったが、無論、最初の印象と同様に、メアリーに付き添ってコッツウォー地方の威容を誇る山々のあいだに伸びる険しい道を歩いている今も、それはぼんやりとしか姿を現さなかった。だが確かに、彼女の胸にそれは宿り、異国の花にあるような美しさがにわかに感じられる。これを育み、大いなる海の前、その浜辺で手を引くことをすぐには出来かねる要因を何か彼女が持っていたとするならば、それは信念の浅薄に限られた。これまで彼女が海原へ漕ぎだしていた船は師からの借り物だった。しかし一度も師を疑いはしなかったし、また師の問いかけや信念やが、彼女をここまで導いたことには違いなく、それがどんなに美しいかも、重々承知している。


 だが自分の船が欲しかった! 帆を広げ、風にその身を任せるに値する船が。……


「もう少し歩くし、そこの木陰で休もうか」リライナの疲労を見て取ったメアリーは自分も少し疲れたように言うのだったが、その実彼女の足はリライナほど震えてはいなかった。


「はい……そうしたいです」とナッツの小瓶を一つか二つ置いてくればよかったと思いながらリライナは答えた。


 彼女はいつも着ている服を珍しくズボンとシャツに着替えていて、歩く感触に違和感があり、それは仕方ないにしてもせめて帽子は被ってもよかったかもしれないと思うのだった。頭には相も変わらずヴラジーミルが張り付いていて――彼は平然としている――なんだかもわもわと暑かった。


 二人は木陰に座り込んだ。


 メアリーは竹筒を取りだしてリライナに渡す。中身は水だった。これを頭からかぶりたいほどに山道は熱く、虫のけたたましい叫び声やすぐそばからやってくる菌類のにおいには鼻がやられそうだった。が、これには故郷で慣れていたし、なにより彼女を驚かせたのは足がとてつもなく重く感じることだった。それだから彼女は、幌馬車での旅路を――これもけして楽の一点ではなかったけれど――どれだけ身体的にも怠けて過ごしていたか思い知りながら、反省でもするように水を舐めるのだった。


「東の生まれ?」


「いいえ、西です。なんなら一番西です」


「そっか。じゃあイスール・ベルだね。そこからハーケンと二人で旅しているの?」


「四人です。姉弟子のメリルと、吟遊詩人のセイディも一緒です」


「へえ、てっきり弟子は一人かと思ってた。アトリエに顔を出した時に見なかったし」


「サンルズに戻ったら紹介しますね」


「リライナちゃんってその子たちと仲いいでしょ」メアリーは彼女を指しながら言った。「実は何回リライナちゃんが道を振りかえるか数えてたのさ」


 メアリーが回数を口にする代わりに指を一本ずつ広げていくのを見ていると、四本目が伸びると同時にリライナは水をがぶがぶと飲みだした。


 身の回りのことだのこれから向かうメアリーの工房についての話題がしばらく続き、それが一区切りすると、また歩きはじめた。


 そうしてリライナは、メアリーの一歩か二歩ほど後ろを歩きながら、これより険しいような林の中を、自分を先頭に友人を引き連れて歩いた故郷での日を思い出した。それから浜辺へ出たときのメリルの息遣いまでも思い返しながら、あの時の彼女が、今の自分と似た辛さを味わったに違いないと反省し、また今の自分より辛くなかったにしても、こうして山道をこんなにも寂しく歩いているのが、何か罪滅ぼし的な形をとってくれるのを願った。彼女は辛抱強く歩いた。


 木々が少しひらけると、一面に薄の生い茂った草原があった。その縁をなぞるように道があり、その先に小屋があった。そこがどうやらメアリーの言う山の工房であるらしかった。道の中途にはため池がある。


「長旅だったね」そう労いながらメアリーは工房にリライナを招いた。


 工房には一通りの設備が整っていた。寝具やテーブル、調理器具や食器棚が壁際にあった――だが、どれもみな飾りつけのように思われた。というのも、一番にリライナの目を惹いたのは部屋の中央に置かれている、鳥の翼のようなものが側面に生えている船を思わせる彫刻だった。それはあまりに大きく、リライナは自分を三人並べても足りないと思った。


「船ですか?」驚きながらリライナは尋ねた。


「そう。大昔に空を飛んでいた飛空艇って乗り物。まあ、資源節約で姿を消したけどね」


 リライナはじっとしてどこかぼんやりと口をひらいていたが、疲れのために体が動かないだけだった。感動がひときわ大きく彼女の胸を高鳴らせた。脈打つのは首筋に感じられ、鎖骨の下のあたりにはいくらかくすぐったいものがある。それに彼女の背中へ薄の上を分けながら、穂先から音を引き連れてやってきた風などは、なんとも気持ちがよかった。


「私の信念。お師匠さんから名前と一緒に受け継いだ夢だよ」メアリーは誇らしそうに胸を張って言うのだったが、声は虚しそうに震えがちだった。


 リライナは諦めに似たものを感じとった。


「これを見せようと思ってさ。あなたなら、気に入りそうだから」


「どうして?」


「現実主義じゃないから」


 もう日暮れ近かった。小屋の外では薄が生き生きと頭を揺らし、風は茜色の空に、穹窿に漂う雲の縁がそれに染まったほうへ、帰っていく。……


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