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第四十一話《Because of you》リライナ編Ⅴ



 あくる日にわたしがベッドの上に起き直って、ちょっと無抵抗にそのまま瞼をひらかずにいると、まずは湿っぽい風がやってきて、次に雨音がそれにしては妙な調子で届いてきた。この地方の雨と縁のなかったわたしは、コッツウォー地方の雨はやけに音楽がかった響きをするものだと考え出して、なんとはなしに手を合わせ人差し指だけ離し、そうして指の腹で両方の目頭を撫ではじめる。そこには粘りのある水気がありながら、それを引き延ばすのには何かしら背徳的な感覚があった。五、六回撫でた後で、やがて瞼が持ち上がり、意識的に閉じたり開いたりしていると、やはり目頭のあたりでくちゃくちゃと音がした。


 横目にメリルの寝姿が見える。今しがた寝返りを打った彼女は気だるそうな唸り声で寝間着とベッドを擦らせたりなどしていた。


 その奥で眠っているはずのセイディの姿はなかった。


 セイディの寝ていたベッドはシーツが整えられていて、ふちには彼女の寝間着がきちんと畳まれている。それを見ると途端に喪失的な気持ちになりだして、わたしは首をもたげた。


 さっきまで響いていた雨音が止んでいるのを部屋じゅうに見いだした。代わりに窓がかたかたと風に揺れるのを聴いたので、窓辺に視線を向けてみると、そこに陽だまりらしいものができているのを認める。わたしは人生でこれを見たのはまさしく今日が最初であるかのような、あの未知に対する恐る恐るの仕草でそこに歩み寄った。つま先を床に滑らせながら陽だまりへ踏み入れると、足の裏はやや熱っぽく、甲は日に照らされてちりちりと痛かった。


 さっきの音がよみがえってきた。紛れもなくセイディのギターの音だった。どうやら彼女は、わたしの起きる前からギターを持ち出して、屋根にのぼってギターを爪弾いているらしかった。


 梯子の上の木戸が開いているのを見いだして急に恥ずかしくなったわたしは、その場でくるくると回ったあとで、落ち着いて息を吸った。


 一日は晴れで始まった。


 朝食の前にヴラジーミルがいつものように、本当は隠しているのに、餌をまだもらっていませんのていで肩に居座ったものだから、少し意地悪をする気になったわたしは彼を伴って階下に降り、キャンバスの前で彼を椅子の上に置いた。わたしは紙切れと鉛筆を取りだした。


「じっとして。じーっと」そうしてわたしは彼の姿を紙切れに描こうと取り掛かるのだったが、じっとしているのは無理難題であるらしかった。


 ヴラジーミルはどこかにナッツがあるのだろうとでも思ったらしく、椅子の下を覗き込んだり身の回りに視線を巡らしたりしだした。でも、いよいよナッツがないのを認めると彼は、その場でぐったりと倒れ込んで、飢餓に直面した姿を見事にやってのけた。わたしは意気揚々と鉛筆を走らせる。


 だが、次第にこの姿には夢がないことを悟る。これはあまりに芸がない。何も口にしていないことを空っぽの空間に彼を写し込むことで形にするよりも、もっと、蓋の開いた小瓶から山とあふれ出したナッツに囲まれ、小脇に二つ……いや、四つか五つは抱えて口はこんもりと膨らみ、そして彼の腹がへこんでさえいれば、もっと、夢があるように思われるのだった。


「お腹すいたね」わたしは少し申し訳なさそうに言いながらナッツの小瓶を椅子に置いた。彼は倒れ込んだままわたしのすることを逐一見逃さなかった。いざ小瓶の蓋を開けてそれをひっくり返すと、彼は慌てたようにあとずさる。一瞬わたしの顔色をうかがって、それからナッツにありついた。わずかに目が細くなっているのを見いだすと、さらに申し訳なさそうに、頭を撫でてみたりする。


 午後には大きな鞄を携えたメアリーさんがアトリエにやってきた。あの奇抜な前髪や大仰な身振りにはもう慣れたけれど。……


「山にも一つ工房があってさ。そこにリライナちゃんを招待させてよ。一日の付き合いとか嫌だしさ」


 この申し出をわたしは受け入れ、すぐに荷物を整えた。


 もちろん、ナッツもたくさん鞄に詰めた。


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