第三十六話《溶けあわない友情》
あまりにも世の中が魔法主義であるために、人同士のあいだに本来あるはずの初見の大いなる壁とやらは見るかげも薄れて、彼女たちはいつの間にか互いに歩み寄らずにいなかった。だが、彼女たちの場合は、もっと単純に、年齢の近さや、親元を離れているという境遇が彼女たちにそうさせているのだったが。
朝と夜に親密な挨拶をかわすには至っていないにしても、そういうありふれた友情はいとも美しいものだった。しかし、彼女たちはふとした拍子に友人から他人に立ち返るときがしばしばあった。なぜといって、友人の関係を築いたところで、そこには汗や叙情的な水さえ染みていない麻縄のような繋がりがあるに過ぎず、これを絆と呼ぶのはまったく過言だった。
特にセイディには、たまたまメリルに見いだされて出会った以外に接点などなく、画家と詩人の道に、そちらにもこちらにも叙情的な赤土が混じっているのを漠然と信じて場違いの想念にそっぽを向くしか出来なかった。
それでもときどき彼女は、きっと私のギターが繋がりを保つに違いないと夢中になってかき鳴らした。たしかに、彼女の持っている曲は友人同士の関係を、もとより居心地の悪さを紛らわすのには役に立った。だがひとたび曲とは無縁の少女にかえってしまうと、いったいどうしてこれまで彼女たちと関わっていられたのだろうと訝しんだ。
彼女はいよいよギターを手放さなくなった。
メリルもまた然りで、画家として活動を始め実際にいくつかの依頼もこなしていたし、妹弟子の修行に付き合う必要は探したところで一つも見当たらなかった。それどころか彼女は、旅なら一人で行けるほどに勇敢でもあった。彼女は幌の下で揺られる日々の多くを読書に費やそうとした。道中の退屈をしのぐにはそうするしかなかった。だが彼女の集中力は乏しく、わけて茹だるような暑さと幌馬車の揺れがこれにさらなる打撃を与え、幻想は意識の崖に指をかけさえしない。
それだから彼女は、本よりも自分の感受性にこびてくるものを探そうと、本と前髪の隙間から辺りを見渡した。するとギターを抱えて荷台の奥にまどろんでいるらしいセイディと、荷台の縁に腰かけていかにも退屈そうなリライナの横顔を見いだした。こういう身近に人のいる環境で感じる孤独はどこまでも神経的感覚へと彼女を連れ込んだ。そうなると彼女は、なぜ彼女たちのそばにいることを望んだのかと思い出さずにいなかった。不思議に思うことはない。嫌気がさすこともない。代わりに彼女は自分に手足がついていることを面白がるような感覚で、それらの日々を過ごした。
だがこのように、彼女も彼女なりにリライナやセイディとの関りを持てずにいる。他愛ない会話を持ちかけられれば応じるだろう……夜にセイディがギターを爪弾くのならば、そっと耳を澄ませるだろう……また、だれかが泣いたならきっと、彼女はそばに歩み寄るに違いない。
しかしメリル・ヴォーティエには、能動的資質が欠けているというよりも、もっと別の欠陥があった。それは彼女がひた隠しにしている衝動であったが、奇しくも諦めの波紋が不可解な調和を生み、彼女の表面上ではあか抜けた印象として表れるばかり。彼女にとって、リライナやセイディは、まだ、自分の内なる衝動を打ち明けるのに、相応しくないと思われるのだった。
夏は、ますます燃えあがる。
もう七日近く、幌馬車は山道を進んでいた。
そんなある日に、幌馬車はウィールズ地方とコッツウォー地方の境目にある草原からその脇を流れる川の向かいで野宿をすることになった。
もう夜になり、星も見えて習慣になりつつある夕飯後のセイディの演奏が終わると、リライナがテントへ入って行った。こういうときに彼女がするようなはしゃぐ素振りはなく、いくらか表情にも影が差しているのが見出されるのに、そういう自分のしている顔など彼女自身気づいていないのだと思われるほど、ぼんやりしているらしかった。
メリルとセイディは顔を見合って、無言のうちに共通の不安を感じあった。メリルはふとハーケンの方に目をやったが、彼もまた無言で、含みのある微笑をしているのだった。彼女はそういう見透かしたような彼の顔が嫌いだった。目を細めて睨む。そして彼女は立ち上がった。
もちろんセイディも立ち上がって彼女の後ろに続いた。ためらいではなかったが、足音を自然に忍ばせて。
はっきりと彼女たちが自分の胸にあるものを表すのには、もっと互いに関わりあわなければならなかった。だが、二人の意識が巨壁を見ることはなかった。なぜといって、彼女たちが認め合ったのは鳥に何を呼びかけたものかと悩む感覚の方が近しく、そうしていま一羽のツグミのおもむくさまを眺めている最中であったから。
テントの中でリライナは寝袋に入りながら、まだ眠れないらしく、体を起こしてヴラジーミルを手のひらで弄んでいた。
「少し疲れた?」とメリルが当たり障りなく言った。
「ちょっとね」リライナはぐったりと首をもたげ、つとめて笑おうとするのだった。
それからメリルは何気ない仕草で服を着替えだして、あとに入ってきたセイディはいそいそとギターを片付けた。
「もうじきコッツウォー地方です。あそこにはいくつか町もありますし、退屈しなくてすむかもしれませんよ」
「退屈じゃないよ。いまだって楽しいから」と彼女は目を伏せながら言うのだった。
彼女の思いつめた表情に反論をする勇気など二人ともなく、どちらからどう切り出したものかとさりげない瞬間的な目配せを交わすにとどまる。そうして不自然な沈黙が起こると、リライナが顔をあげて二人を気づかわしそうに見た。
「二人してそんなに気を遣わなくてもいいのに」
「いいえ。ひょっとしたら、なにか不満でもあるんじゃないかって思っただけよ」メリルはきっぱりと言いながら寝袋に足を入れた。
セイディはもっと不安そうに唇を噛みしめて寝袋に入った。そうして二人はリライナを挟んで寝袋に入ったが、リライナはじっと、またヴラジーミルをもてあそぶのだった。
「二人に不満があるわけじゃないの。旅にも不満はないし、次の町はどんなだろうって考えるとすごく楽しみ。……でもね。ときどき冷静に、二人に会ったときのことを思い出すの。メリルと会ったときは友だちにならなきゃって思ったのに、いつの間にか一緒にいる方が多くなって、セイディは……気を悪くしないでね? わたしより小さいのに、馬に乗って、ギターを弾きながら旅をしていた。わたしがずっとお母さんのことで悩んでいるあいだに……。それが羨ましかったとかじゃなくて、そういう印象を受けたのって、全部、イスール・ベルでのことだったなって、思っちゃうんだ」
言葉を、一言一句の形を頭に描きながら他の二人は、彼女がいまとらわれている想念のなんたるかを掴むと、自然に、ほぼ同時に彼女の肩へ手を添えた。
「もう一人じゃ戻れないくらい遠くに来ちゃった」
リライナが迷子にでもなったような顔で言うので、メリルは添えていた手で背中をさすり、セイディは彼女の腕を優しく掴んだ。
「だいじょうぶ。二人がいてくれたら、どこへだって行けると思うから」彼女は目を閉じた。「そう思えるから」
このいかにも頼りない響きがいくらか精神的な呼びかけとなって二人の耳に届いた。これ以降の日々は、セイディは野暮ったくギターを弾くのを嫌って前よりも真剣かつ優雅に弾くことに喜びを見いだし、メリルはメリルで本を手放して無言でも良いからとリライナのそばにいるのを好み、そうしてゆっくりと、過ぎていった。……




