第二十五話《悲しみは青いはずだった》前編
コルネリアが育った家は名もない町の山奥にあって、打ち捨てられた雰囲気の、指一本で持ち上げられるくらいの小さな家だった。そこに彼女は生まれてからずっと両親と共に暮らしていたが、生活はけして微笑ましい印象はなかった。両親もコルネリアにも魔法はなく、職を選べるほどの自由などもありはしなかった。両親にとって心苦しかったのは、最寄りの町が少し家から離れていて、コルネリアに十分な食事をさせるためには共働きをしなければならなかったことだった。はじめのうち、両親は職場である図書館にコルネリアを連れていったが、子どもは歓迎される存在ではなかった。くわえて、コルネリアを疲れさせれば食費がかさみ、わけて好奇心に満ちている幼少期の子どもは盛んに危険に挑む傾向があるので、大人ならまず起こらない衣服の破れを起こし、そこで衣服にも工面を巡らせねばならなくなった。
彼女が六歳になったある日まで両親はこの苦行に耐え、一度も彼女の奔放な有様に叱責の唾を吐きはしないのだけれど、次第にうんざりしかけた時、コルネリアがみずから、「わたしは家にいるから」と言いだした。
これは両親の不満を束の間であれ解消した。
そうして残されたコルネリアは、一日中、家の外壁にしがみついている蔦をちぎったり、蟻の行列に葉っぱを置いたりなどして暇をつぶすのだったが、とうとうそれに倦んでしまい、家の片隅で自分の声すら忘れてしまえるほど黙ったままじっとしていることが多くなった。晴れで、そのうえ風のない日は退屈だった。なぜなら、風がないと鳥の声がよく聞こえたし、日の傾きが分かるともうじき両親が帰ってくるのだと思わずにはいられなかったから。時間さえ忘れていられれば、彼女はそれでよかった。雨が降ったら、そういうしがらみがなく、家のあちこちで雨漏りが起きて、それに当たらぬように家中を動き回ることが出来たし、風の強い日であれば家の外壁の板がカタカタと音を立てるのを楽しめた。
やがて、彼女はこういった一人でできる行為に遊びの冠をかぶせるのにも倦んだので、部屋の片隅の籐の玉座に腰をおろし、目を閉じることを望んだ。というのも、こういう退屈な時には明るい光を好み、目を閉じた方がそうしていないよりも明るく感じられたのだった。
このような幼少期の環境が彼女の感情の形成を妨げることはなく、空腹が奔放を取りはらい、不満足な睡眠が気だるげな落ち着きを付与したので、彼女は知らないうちに、そうとは知らないうちに、感性を養うに至った。それは寂寥を口にしない者の最後の拠り所である。といって、彼女には感情の名前が分からず、鳴き声を聞いて鳥であることは分かるのに鳥の名前が分からないあの時のように、胸のざわめきに耳をすませることができるばかりで、それが何とは知れなかった……また、それを教える友が、彼女にはいなかったのである。
両親は家に帰ってきた。それから彼女が壁際で眠っているのを見ると、毎度かけよって彼女の息を確かめなければならず、そうして彼女が無理に微笑もうとでもするような仕草をすると、ちょっとでもうんざりしかけた自分たちの精神へ清めの毒を吐き出すのだった。
そして、その年の夏に、両親は二冊の本を買った。メヌエ語の教本と、メヌエ語の童話であった。なぜパルクト語でなかったのか? それは彼女が前に、町の本、両親の勤め先である図書館の本をすべて――嘘か本当か分からないが――読み切ってしまったと言ったのを覚えていたからである。
これならばきっと、ずいぶん長いこと楽しめるだろうと、両親は思った。
しかし、感情の揺らぎに繊細な時分のコルネリアにとって、この教本を読み解くのは至難の業だった。なぜならメヌエ語は先天的な解釈の才能を必要とする言語であり、伝えるための書物に用いるにはいくらか気性の荒い生物的言語であった。
だが、困難ばかりではなかった。親子は教本のもとに集い、この言語への挑戦という薄明に照らされながら寄り添ったのだったから。
両親はメヌエ語の発音や叙情的要素を知っていたので――これもまた家族がより絆を育む要因だった――コルネリアに教えることが出来た。これまでも自然的にコルネリアと両親とはパルクト語を使って同じように唇を動かしてきたけれど、無意識に属さない、非常の言語を口にするには、少なからず意識を向けなければならなかった。ゆえにコルネリアは、自分の唇と両親の唇の微妙な緊張や弛緩を見逃さなかったし、この不自然な意識で、彼女と両親とに架けられた繋がりを感じずにはいられなかった。
しばらくすると、彼女がそれまでに楽しんでいた風だの雨漏りだのは単に疎ましいものに変わっていった。風は彼女の集中力をさらって、雨漏りは本のシミになるだけだったから。そうなれば、彼女は風もない晴れの日が好きになり、それから目を開けているのが好きになった。
若い魂を本は拒まず、むしろ途方もない物語の中で、彼女が言葉の波に飲み込まれぬようにしっかりと手を掴んでくれていた。そう、言葉は彼女を置き去りにはしなかった。そして必要とあれば、彼女がポケットにしまっている、名前を知らないために大切に出来ずにいる感情がどういう名前なのか教えることさえ、珍しくなかった。だからコルネリアは、この本に出合う前の、あの胸の疼きを寂しさと名付けて、大切にすることが出来るようになった。
時としてしかし、彼女の知らない感情の名前が書かれていることもあった。なかんずく際立って理解の及ばないところにあったのは、恋であった。恋……これ自体、もしくは似たような体験も持ち合わせなかった。
若者に見られる答えに対する性急な姿勢でコルネリアもまた疑問を払おうと急いだ。だから解釈は頼りなくなり、茫漠になり、本にあてた指だけが汗ばむことになったが、そんな中にあってさえ、彼女の感性が彼女を呼び止める。そんな文章がそこにあった。
『ねえ、教えて? これまで悲しみは青いだけだった。綺麗で、澄んで、心地よくさえあったのに、いつからか黄緑色になって、やがて黄色に、最後には緋色になった。重苦しい、吐きそうなほどに暗い印象があるの。あなたの翅と同じ色だわ』
彼女が与えられた童話は、妖精の恋物語であったが、はじめのうち、なにがこうも自分を惹きつけているのかは知れなかった……分かることは、これを言った妖精は人間的感覚を有していて、恋なるものを抱きながら、一人の妖精の亡骸を眺めている、そんなことだけだった。……
名前を知ったところで、コルネリアに感情が色を持っているような感覚は一度もやってこなかったので、これもまた、かつての胸の疼きと同じように、意識下に置かれた名のない事物の一つとして数えられるようになった。
ある日、まだ胸の疼きが消えていない時分に、父親が病気にかかった。それは医師をしてその口に難病と言わしめるほどに重度で、父親はまもなく寝たきりになった。貧しかった生活は自然に元より以上に貧しくなって、一日に食べるパンが三つから二つに、最後には一つになった。体の飢えと比例して、不思議なことに、芸術的な感性は強まっていく場合がある。この時のコルネリアがそうだった。それはもう自然体になった後で、もう一度、メヌエ語への意識を初心へと戻していき、彼女の目を、父親の傍らで、その唇に向けさせた。
コルネリアはどうにかその唇を動かせようと努めて、メヌエ語で話しかけた。そして父親はそれに応えて、緊張と弛緩を繰りかえす。それから、彼女は父親のする苦しげな息や気づかわしげな視線で、初歩的な、いとも初歩的な恋の土台を築きあげた。だが、彼女が恋に求めていた激しいもの、疼きよりかもっと苦しい束縛的な苦痛が、この基礎にはなかったので、すぐに我へとかえり、父親の容態を案ずるただの子どもへと成り下がった。
もっと現実は深刻なものになっていった。
両親はコルネリアを、食糧難の子どもとして登録してもらえるよう、政府に手紙を出した。一年後になって、ようやく受け入れ先が見つかった。
コルネリアを受け入れたのはメレンスの町の町長ドーア氏で、彼女がもうじき8歳になる頃だった。冬のことで、彼女はひどく痩せていたので、ドーア氏はすぐに、慌てた調子で彼女に毛布をかけ、暖炉に薪をくべた後で、トウモロコシのスープを飲ませなければならなかった。
この時のコルネリアは当惑していたが、まだ捨てられたと感じるには至っておらず、いつか両親もこのドーア氏のところへやってくるのだと信じていた。
すぐにスープに口をつけることはしなかった。なぜといって、彼女は気だるさと空腹を結びつけなかったし、そうした肉体的疲弊のもたらす漠とした精神の快感、もとい、彼女のあこがれたあの童話の中に住まう妖精の感覚に、漸次、似通っていく無感覚を見いだし、喜ぼうとして、そうすることが人間であることを忘れさせたのだったから。
コルネリアはようやくスープに口をつけたが、味は残酷なものだった。もう手を止めることは出来ない。一口、もう一口、もっと、もっと……口にすればするだけ空腹を知り、死への意識が芽生える。そうして、自分がやはり人間だったのだから、両親もそうであるに違いないと思って、両親の身を案じるのだった。
彼女を一人にして、世界はゆっくりと動いていった。受け入れの日から幾月かが過ぎて、いくらか肉がつき、健康的に動き回れるようになったある日、父親の診察をした医師から、『両親』が亡くなったとの手紙が届いたのだった。
この時になって、胸がひどく苦しめられた。それは疑いから始まり、漠とした輪郭からゆっくりと太い線で描かれていった……自分は捨てられたのだ――彼女は、そう思った。それ以降彼女は、自分を言い表す言葉として捨て子と口にするようになった。
だが絶望するには至らなかった。なぜなら、思い出があまりにも美しく感じられて、また至極揺るぎないものであったから。しかし時間は肉体だけを未来に運び、精神は限りなく過去の遺物らしく、痛々しい、まざまざとしたものになっていく。肉体と精神のひどい隔たりは気に入らないものだった。
彼女は毎晩、ベッドで目を閉じるときになって、あの、家に置いてきてしまった童話の本の内容を思い出そうと努めるのだったが、全容はすっかり忘れてしまい、せっかく想起した一文も、わずかに変化したものになっていた。
「悲しみは青いはずだった……悲しみは……」
聞く者はいなかった。そして睡眠による明日への跳躍が恐ろしく感じられて、目を閉じるのが怖かった。




