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第二話《風と夢と群青》


 小鳥がさえずり、開けっ放しになっていた窓から風がやってきて、ふわりとカーテンを揺らした。その隙間からちらつく陽光に促されてわたしが目を開くと、目の前でリスのヴラジーミルが手を合わせて頼み込むような仕草をしていた。どうやら朝食を求めているらしかった。


「おはよう、ヴラジーミル」


 わたしが体を起こすと、ヴラジーミルはわたしの寝間着をよじ登って肩のあたりにたどり着く。そこでもやはり同じ仕草をするものだから、わたしはそんな彼の頭を人差し指で撫でながら、ぼんやりと叱ることにした。


「ねえ、ヴラジーミル? 食べ物をどこに隠したの?」


 彼は食いしん坊で忘れ物が多い。昨日は気分がよくて、カナリアシードと、トウモロコシを彼の餌箱へふんだんに入れておいたはずなのに、ヴラジーミルがこんなことをしているなら、きっとどこかに隠してしまったに違いない。質が悪いのはそれを忘れてしまったということ。しかし、その欠点が、ヴラジーミルの愛嬌でもある。


「またわたしの帽子の中でしょ? どう?」

 飼い主として、大体の予想はつく。

「はい、探してみて」


 わたしのお気に入り。風切り羽のついた、風が流れるような装飾の施された、青の帽子。それが置いてある机の上にヴラジーミルを放つと、彼はそそくさと帽子の中へもぐりこんだ。


 わたしはこの隙に着替えることにして、寝間着を脱ぎながら、どうして昨日のわたしは機嫌がよかったのだろうと、未だぼんやりと霞んでいる視界の中で考えた。お母さんが作ってくれたお洋服に袖を通し、襟に入り込んだ髪を外に出して、またカーテンが揺れるときには、昨日の晴れやかな気持ちが、ありのままわたしに蘇っていた。


 風と共に見た景色。つぶさに焼き付いたあの光景。マゼンタ、マルーン、シアン。記憶のキャンバスに描かれた色彩を思い浮かべるたびに、まだ描かないの? と、画家の魂とやらが、わたしに問いかける。


 弾む心を落ち着かせながら、わたしはとうとう、帽子を手に取った。そこにいたヴラジーミルは、どこか楽しそうに、カナリアシードにがっついていた。


「もう食べ物を隠したりしたら駄目だからね?」

 わたしがどれだけ釘を刺そうと、彼はまた隠すに違いないのだけれど。

「またあとでね」


 帽子を被り、わたしは部屋を出る。

 すると、朝を飾るにふさわしい香草とバターの豊かな匂いが、廊下にあふれているのを認めた。釣り餌に食いついた魚みたいに、わたしは匂いのする方へ歩く。


 食堂を営むわたしの家は、さまざまな調理器具が揃っていた。それらはどれも古いものだ。何度も何度も修理して、日々の手入れを欠かさなければ、物は長持ちするのだと、よくお父さんは言うけれど、その通りだと、わたしも思う。


「お父さん、おはよう。朝食はなあに?」


 厨房に立つお父さんは、屈強な海の男にふさわしい風体で、使い古した長靴に、これまたみすぼらしい、継ぎ接ぎだらけの藍色のエプロンを身に着けていた。


 わたしは好奇心をぶら下げて、だいたいどんなものかは想像がつくけれど、あえてまったく見当もつかないと云った風をして、お父さんの方へ近寄った。そんなわたしの姿を認めると、お父さんは作業を中断して、わたしの方へ体を向けた。


「ああ、白身魚のムニエルに、菜園でとれた野菜のサラダだ。代り映えしなくてがっかりしただろう?」

「ううん。そんなことない。魚は好きだし、朝にはちょうどいいよ」

「安上がりな子で良かった。さあ、もうすぐできるから、座っていなさい」


 お父さんに促されはしたものの、わたしはそのまま、お父さんのすることを眺めていた。


 ――さも羨ましいと云った顔をしながら。


 お父さんは、魔法が使える。火起こし程度の弱いものだけれど、あるのとないのとでは、天と地の差である。例えば、なにも持たないわたしが料理人を目指したとして、もう一人、お父さんのような魔法を持った人が、同じく料理人を目指したとして、どちらが資源の削減に相応しいかなんて、言われなくても分かる。近いようで遠く、目を逸らすには近すぎる資源の枯渇に備えるため、大陸全土で、魔法使いを優遇する傾向が出来上がりつつある。幼い子供がなにを思い描いたところで、魔法がなければ、現実は容赦なく首をはねる。おまえは必要ないと、耳元で呟くのである。


「ん? どうした、リライナ」


 お父さんは、行き場をなくしたように立ったままでいるわたしを、心配そうに見つめてくる。お父さんは大好きだけれど、魔法が絡むと、なんだか複雑なのであった。


「なんでもないよ、お父さん」


☆ ☆  ☆


「絵の勉強の方は、どんな具合なんだ?」


 朝食を食べ終え、わたしが厨房で食器を洗っていると、食堂の椅子に座ったままのお父さんがそんなことを訊いてきた。お父さんは、わたしに背を向けていた。なにか後ろめたいことでもあるかのように、わたしに同情でもしているかのように、寂しい口調だった。


「うん。順調だよ。昨日なんて、ようやく好きなものを描かせてもらえることになったんだ」


 わたしはまた、なにも知らないと云った風に平然を装いながら、悟られまいと、淡々と語った。


「……そうか。それは、良かったな」


 言いながら、やはりお父さんは、こちらを振り返ることはなかった。どこか上の方を眺めるものだから、わたしはつられて、そちらを見た。


 そこに大事に飾ってあるのは、お母さんの、いちばん新しい、生きていたころの、写真だった。



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