第十六話《涙のこぼし方》
数日後、約束は果たされた。
その日、アトリエにやってきたメリルとセイディは、このあいだ目にした馬と一緒に、今度は荷物をいくらかずつ持っていた。天気は晴れで、二人に町の中や森の中を案内するにはもってこいではあったけれど、二人がアトリエの中でわたしが置き去りにしていた絵の前に座り込んで、それから黙ったままじっと絵を眺めだしてしまったために、というより、そういう二人を見ているうちにわたし自身が投げ出してしまったために、計画は頓挫した。
「メリルさんから聞いて、私もリライナさんの絵が見たくなったのですよ」と言ったのはセイディだった。「この前は、挨拶を言ったきりでしたから」
わたしたちは、わたしの絵を囲んで椅子に座っていた。メリルは腕と足を組んで、セイディはお尻の下に手をはさんで座っている。わたしは二人のあいだで落ち着かないそわそわした格好だった。
「絵は言葉のない詩という考えを持ち出すのならば、リライナさんは詩人かもしれません」
彼女は楽しげにあの緑色の目を輝かせて言う。冗談のようには聞こえなかったわたしは、なにをこの絵に込めたのか真剣に悩みだした。動機は描きたかっただけに他ならなかった。そこに理由らしい理由はない。感情はささやか、行動はゆるやかだったのだ。たしかなことと言えば、この家族三人の絵を描いていた時間はわたしにとってきわめて短く感じられたということ、今になって三ヶ月近く過ぎてしまった時間やそれによりやってきた季節に多少の驚きをかくせないでいること――……わたしは、なにをこの絵にしまい込んだのだろう?
「詩と言われても、よく分からないよ」わたしは自分が思ったよりか細い声を出した。「なにも考えてなかった」
それだけ聞くと、セイディは満足したようだった。
「あまり唐突にそんなこと言わないの。少しはおとなしくしてなさい」とメリルが言った。
「いえいえ、はじめのうちは私も行儀良くしようと思いましたけど、絵というものにいざ触れてみると、なんだか心地がいいのです。ほら、ちょうどあたたかい飲み物を口にすると、胃の形に添って投網みたいに液体が広がっていくのがわかるじゃないですか」セイディは人差し指をくるくると振りながら「ですから、あたたかい絵に触れると、同じように広がっていくのです。そうして自分の心の在処が分かってしまう、知らされてしまうことは、実に心地よい体験です。くすぐったい……落ち着いてなんていられません」
セイディは本当になにか書き手であるわたしには感じられないものを受けとっている、それとも、わたしがなんとも日常的に感じているのであろう至極ありふれた感情が、彼女をそんなふうに楽しませているのだろうか? どちらにせよ、わたしはどこか他人事のようにセイディの話を聞いていた。そんなことを言われるような作品をいったいだれが――なんて言い方をすると、自分でもうぬぼれの強さに辟易するけれど、実際、わたしにはこの絵を本当に描き終えたのだという確信が持てないのだ。あれだけ躊躇していたお母さんの目も、しっかりと塗った。覚えている限りの、思い出せる限りの青で目を撫でた瞬間に、もう余白はなくなっている――それなのに、なぜわたしの心はいまだにこの絵に終わりを設けずにいるのだろう。……
「分からないでもないけど」
「ねえ」と、わたしはようやく声を出した。「わたし、なにを描いたの?」
そう口にしたのはいけないことだっただろうか。でも、わたしの言葉は、いまわたしの顔を右と左から覗き込んでいる二人に向けたのではなく、ひとりごとでも呟いたと思えるほどに小さく、自分でもなにかそのようなことを口にしたような気がしたくらいのものだった。
「私の知る限りでは――」とセイディが間を置いて言いだした。「詩人は、厳しい、過酷な、常人が耐えがたいと感じる環境の中で生まれます。そして、詩人は目の代わりに、口や手から涙をこぼすのです」
彼女の方へ目を向けることはなかった。わたしはずっと、家族三人の絵を端から端まで見つめていた。
「それじゃあ、やっぱりわたし、泣き虫みたいだよ」
わたしはようやくセイディの方へ視線を向けた。彼女が微笑んでいるのを見ると、わたしもつられて、微笑を浮かべずにはいられなかった。
「人の心を温めるというのは、魔法に等しい力なのですよ」




