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プロローグ

 おっさんは尿意を感じ、目が覚めた。

 40になるに従って、若い頃とは違う事態が増えてきた気がする。

 寝る前の水分補給は控えているのだが、そういう歳という事だろうか。


 隣で寝ている彼女をそっと見る。

 熟睡しているのか、静かな寝息を立てている。

 いつもの様におっさんのパジャマの袖を握っているらしく、左手が自由に動かない。

 どうして寝ている間に離さないのか不思議だ。

 自分の場合、寝たらすぐに手を開いてしまうだろう。

 おっさんをそんなに離したくないのかと、その執着心に感心する様な、そこまで愛されて嬉しい様な、何とも言えない感覚に思わず顔がにやけてしまう。


 そんな彼女は自分には勿体ない程の美人さんで、寝顔もやっぱり可愛かった。

 未だに、自分の横に彼女がいる事が信じられない。

 時々は面倒さを感じるものの、これまでの孤独な人生では味わえなかった充足感を感じる。

 ま、恋人いない歴=年齢(40)だったと言う訳だ。

 ついこの間までその期間を延長していたのだが、彼女が現れた事で終了した。

 

 幸せそうに寝ている彼女を起こさない様、布団の中でそっと放尿する。

 股間に温かい液体が溢れ、何とも言い難い感覚が襲った。

 何度も経験しているが、いつになっても慣れない感覚だ。

 いい大人が着衣のまま、布団の中で意識的に放尿するなど、普通に生きていればおよそ考えられない事態だろう。

 どうしてこんな事になっているのか不思議だが、こんなおっさんに彼女が現れた事からも分かる様に、世の中には謎が溢れているという事だろうか。

 そして最後の一滴まで絞り出し、おっさんは布団の中でブルっと震えた。 


 おっと、心配しないでくれたまえ。

 大人用のオムツをしっかりと装着しているので、何の問題も無い。 

 とはいえ、尿を吸ったオムツは気持ち良いモノではないので、彼女を起こさない様に布団の中でパジャマを下ろす。

 素早くオムツを脱ぎ、枕元のティッシュで股間を拭い、新しいパンツに着替え、袋に入れて封をした。

 左手は使えないので、右手だけで行う。

 おっさんの身につけた、密かなる特技の一つである。

 随分と器用になったモノだ。

 我ながら感心する。

 携帯用のトイレを使う案もあるが、どうしようかな?

 

 どうして起きてトイレに行かないのか、誰もが疑問に思うだろう。

 おっさんもそう思うから当然だ。

 前にそうしたら、ベッドを抜け出した事に気づいた彼女が荒れに荒れ、大ごとになったのだ。

 トイレにいるだけなのに逃げたと勘違いして、包丁を持ち出す騒ぎとなった。

 包丁を突き付けられ必死で弁解するおっさんを、彼女はオムツを履く事で許してくれた。

 私を愛しているならオムツだよねと、彼女は笑って言ったのだった。  


 いわゆる、束縛大好きなメンヘラさんだったんだな。

 寝ている間に男に逃げられたトラウマがあるのかは推測するしかないが、逃げられる事に異常な程の恐怖を感じているみたいだ。

 それこそ、逃げそうなら刺してでも止めるくらいに……。 

 あの時は本当に、トイレの後だったから良かった。

 もしも前だったら、ちびっていたかもしれない。

 おっさんが小便を漏らした光景なんて、誰も見たくないよな……。


 だったら彼女を起こしてトイレに行けばいいじゃんと思うだろう。

 尤もな意見だ。

 だが、ちょっと待って欲しい。

 ホラー映画を見て怖いからトイレに付いてきてと言う様な子供でもあるまいし、40過ぎたおっさんが、ぐっすりと寝ている彼女を起こしてトイレに行く?

 馬鹿を言うのも大概にして欲しい。

 おっさんにも自尊心というモノがあるのだよ!

 

 それに、一回それを実行したら、彼女は嬉々として付いてきてくれたのだ。

 寝ぼけ眼をこすり、うっとりとした表情でトイレの中にまで付いてきた!

 トイレくらい一人にさせて欲しいではないか!


 彼女が喜ぶならそれでいいじゃん、だと?

 おっさんはそういうのが大嫌いなのだよ!

 出来るだけ彼女の好きな様にさせてあげたいし、彼女の要望は叶えてあげたいが、それとこれとは別の話だ。

 他人に迷惑を掛けないのが、おっさんのモットーなのだ。

 長年を独りで過ごして培われた、アイデンティティなんだな。

 

 それはたとえ同棲中の彼女でも同じである。

 己のプライドの問題なのだ!

 寝ている彼女を起こしてトイレに付いてきてもらう位なら、オムツを履く事を選ぶのだ。  

 それがおっさんの矜持である。


 目が覚めてしまったおっさんは、ベッドの中で一人考える。

 この関係は、これからどうなっていくのだろうかと。

 二人で寝る時にはオムツ装着となったし、敷地の中に取り付けられた監視カメラの数は片手では足りないくらいだ。

 玄関、廊下、居間、台所、寝室、トイレ、庭に至るまで、部屋と言う部屋にはカメラが付けられ、彼女のスマホと繋がっている。

 仕事で東京都心に出る必要のある彼女が、その間の不安を解消する為に取り付けたのだ。

 いつでもどこでもおっさんの姿を確認出来る様にと言う彼女の、その執着ぶりに驚いてしまう。

 

 そしておっさんは、そっとネックレスに手をやった。

 自分では外せない作りになっており、GPSがおっさんの位置を知らせる電波を発している筈だ。

 おっさんには彼女から貰ったスマホがあるので、その位置情報でおっさんの現在地は分かる筈なのだが、それでは足りないらしい。

 そもそも監視カメラに死角はないし、おっさんは外出しないので必ずカメラで姿を視認出来る筈なのだが、彼女には不満な様だ。

 もしも逃げたら、と考えているのかもしれないな。

 そうしたらよく刺さる包丁を持って、どこまでも追いかけるつもりなのかもしれない。


 その場面を想像するとトイレの前で起きた恐怖が蘇るが、まあ、おっさんに逃げる気なんてこれっぽちも無いから心配する必要は無いのだ。

 けれども、彼女におっさんの思いは伝わっていない。

 悲しい所だ。 

 言葉の無力さを感じる……。


 今の所は特に不満はないが、いつか刺されるのではないかと不安になるのも事実。

 おっさんに彼女を裏切る気はさらさらないのだが、なんせ彼女は誤解して思い込んで暴走するから厄介なんだな。

 勘違いで逆上させてしまったらと思うと、正直恐怖を感じる。

 どうやったら彼女を安心させられるのだろう?

 おっさんには難しい問題だ。 


 そんな事を考えていると、いつの間にか再び眠りについていた。

 部屋に鳴り響く目覚ましの音で目が覚めた。


 「おはよう」


 彼女が言った。

 寝起きは少しぼんやりしているので、メンヘラとは思えないあどけなさだ。

 日頃の束縛ぶりからは想像もつかない可愛さを発揮している。

 ずっとこの寝起き状態だとありがたいのだが……。 


 「今日という朝を君と迎えられて嬉しいよ。出会ってくれてありがとう」

 「うふ。ありがとう」


 朝晩の感謝の言葉が、おっさんが彼女にした約束だ。

 出会ってくれた事に感謝し、一日を一緒にいてくれた事に感謝する。

 書籍化など程遠いなろう作家でしかないが、これでも物語を紡いでいる者の端くれである。

 心にもない事を頭から捻り出すのは得意な方だ。


 いや、心にもない事というのは正確ではない。

 おっさんをヒモにしてくれた彼女には感謝しかないからだ。

 あんなエッセイを真に受けて、わざわざこんなおっさんに会いに来てくれたのが彼女である。

 

 彼女はおっさんにとって天使なんだな。

 天使は一方で残酷でもあるから、気分の変わりやすいメンヘラなのも天使である証拠なのだろう。

 天使は奉り、一切の誤解を与えない様に細心の注意を払わねばならないのだ。

 

 なんて事を思いながら、彼女の頭をナデナデし続ける。

 起きたら必ず30分はこうしてあげなければ彼女は満足しない。

 まあ、猫に撫でるのを求められる様なモノだ。


 さて、今日も彼女と過ごす一日が始まる。

 明後日には仕事に発つので、それまでの辛抱だ。

 

 ……おっと、つい本音が出てしまった。

 彼女には黙っていて欲しい。

 40年も独りでいたら、独りの方が当たり前なのだよ。

 彼女との生活は充実しているが、独りの生活も気楽なんだな。

 こんな事を考えているなど、彼女にはばれていない事を祈るしかない。


 ……大丈夫だよな?

 いきなり刺されるとか、無いよな?

 な、無いよね?

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