僕のドラマは始まらない。
辛い高校受験地獄を終え、ついに第一志望の高校に合格!
目指していた高校に受かった事はとても嬉しかった。
けれど、それは新たな地獄への始まりだった。
そう、朝の通学ラッシュ満員電車地獄!
僕はこの狭い空間に見知らぬ人間を押し込め、肉体と精神を圧迫する罰ゲームに耐える自信が無かった。
実際、一週間も満員電車通学を続けると、もう性も根も尽き果ててしまい、ヒョロヒョロのズタボロンボロンになってしまった。
これではイジメやら家庭の問題どうのこうのなんて関係なく、不登校学生が誕生してしまう。
この問題を打開するべく、いくつかの計画を立ててみた。
その1
2時間かけて自転車でファイト!
これは二日目には筋肉痛でダウンしてしまうという結果に終わる。
その2
親に頼み込んで車で送ってもらっちゃおう。
これは『おまえサラリーマンをなめんじゃねえ!』と言う素敵なお父様の一言により却下される。
その3
学校の近くにアパートを借りて一人暮らしをする。
これも『おまえサラリーマンの給料の額をなめんじゃねえ!』とのお父様の叫びにより却下される。
と言う訳で、その4を実行している訳だ。
その4とは、電車がラッシュじゃない時間に通学するという方法だ。
朝日が昇るかどうかくらいの時間。
さすがに朝6時前の電車はラッシュなどとは無縁の世界だ。
いつもなら一人当たり数十センチ辺りの面積しか与えられない苦痛の空間も、いまは一車両を一人で独占状態だ。
ふふふ、四畳半ワンルームに住んでいたのが、3LDkのマンションに引っ越したかのような、優越感、満足感、開放感。
この快感を味わうためならば、朝5時起きも悪くは無い。
無人の車両の中に、僕一人が存在する。
何も気にしないでいい、鼻くそほじっていようが、音楽に合わせながら声を出して歌っていようがなんでもあり――なはずだった。
しかし、そんな僕の独占空間はある一人の来訪者によって消え去った。
それは唐突に、それでいてごく自然にあらわれた。
僕はいつものように、お気に入りの音楽に合わせて鼻歌なんかを歌っていた。
自分の世界に没頭中だった。
そこに入り込む謎の影、それはなにか!
闇の世界からの刺客か?
それとも宇宙からの来訪者?
ファンタジー世界からの魔物の登場とあいなるか?
答えは全部『NO』だ。
そこにはごく自然な振る舞いで、一人の女性が乗り込んできた。
たしかに、その女性が宇宙人であり、闇の世界の刺客でもあり、魔物かもしれない。
しかし、今の僕にわかっている事は
その女性がまるで僕の好みのタイプを絵に描いたような存在だと言うことだ。
僕と彼女は対角線に座っている。
距離にして7.8メートル。
車窓から差し込む朝日が彼女の顔を照らす。
彼女は少し眩しそうに顔を背けた。
その背けた視線の先に僕は居た。
そして僕たちは目を合わる。
この車両には僕と彼女の二人きり。
まるで隔離されたような世界。
世界には二人しか存在しない、それ以外は意味を持たない。
そんな事を考えてしまうに足る1秒間。
僕らの視線が交差したのはほんの1秒間。
それだけが全て、それ以外は皆無。
僕も彼女も言葉を交わすどころか、そのあと視線を交わすことも無かった。
まるで意味の無いオブジェ。
僕にとってそれはとても美しく貴重な美術品。
チラチラと、気がつかれない様に彼女の顔を見ることが僕に出来る精一杯。
緊張、萎縮、鼓動、早く、大きく、赤い、熱い。
一駅一駅と電車は進む。
きっとどれかの駅で彼女は降りるだろう。
先に僕の降りる駅が来るかもしれない。
それで終わり、それでバイバイ。
僕らのドラマは始まらない。
ドラマは始まるんじゃなくて、始めるものだ。
きっとそうなんだろう。
そして今、目の前で一つの新番組のドラマが初放送を待たずして消えた。
彼女は電車を降りていった。
僕を残して降りていった。
僕も彼女の後を追ってこの何の関係も無い駅で降りてしまいたい、ついて行きたい。
そんな思いが胸に走った。
しかし、足はまるで石のように固まったままで動きはしなかった。
焦燥感に浸るまもなく、電車は僕の目的の駅に着く。
さようなら、ひと時の夢の空間。
変な期待をした僕の夢の残骸。
さて、頭の中を切り替えなくてはいけない。
そうは言うものの、今から学校に向かっても始業の2時間近く前についてしまう。
学校には直接向かわずに、僕の足は近所の公園へと向かう。
早朝の公園は、老人達の憩いの場になっているのが相場なのだが、この公園にはなぜか老人達はいやしない。
まぁ狭い公園ゆえにゲートボールをするスペースも無いからだろうか。
僕は公園のベンチに腰掛けると、鞄の中から一冊のノート取り出す。
これこそが秘密のノート!
これに書かれた人間は死ぬ!
なんて事があるわけはなく、ただの小説のアイデアノートだ。
ささやかな僕の趣味、それは小説を書くこと。
学校が始まるまでの2時間近く、僕はこの公園で小説のアイデアなんかを考えるようになった。
人気の無い静かな朝の公園と言うのは、アイデアを出すのになかなか適している。
部屋の中で考え事となんかしてると、息がつまってしまうことが多いけれど、ここならそんな感覚とはおさらばだ。
僕はシャーペンをノートに走らせる。
それはもう心のままに走らせる。
まるで腕がどこかからの電波を受信しているかのように。
そうするとあれよあれよと言う間に素敵なアイデアが湧き出て・・・・・・・来る時もある、ごくたまだけどね。
けれど今日はいつもとは違っていた。
年齢16歳。通う高校は女子高。
見た目大人しそうだけれど、話すと結構活発的。
部活は陸上部で走り幅跳びをしている。
彼氏はいない。
しかし、入学して一ヶ月ですでに2人から告白された事がある。
そして、彼女には隠された秘密が!
気がつけば僕はさっきの電車で見かけた彼女の設定を、ツラツラとノートに書き綴っていた。
しょうがないじゃないか!
今の僕の頭の中にはそればっかりなのだから。
想像を働かせて何が悪い。
健全な男子なら良くあることだろ!
僕は自分で自分を納得させた。
こうなるともう止まらない。
僕のノートが彼女の設定でいっぱいになった頃、始業を告げるベルの音が聞こえた。
「やばっ、遅刻だ」
まさか始業2時間前についていながら遅刻するとは・・・・・・。
暴走した妄想パワーってのは恐ろしいものだと実感するのだった。
僕はノートを鞄にしまうと学校に向かい走った。
次の日、奇跡は起こった。
同じ駅、同じ時間に昨日の彼女が電車に乗り込んできたのだ。
もしかしたらこれから毎日この電車に乗るのかもしれない。
それならば、いつの日か偶然の出来事からドラマがスタートする事もあるかもしれない。
よし、明日からは更に早起きをして髪型やら身だしなみを頑張ってみよう・・・・・・
僕の願いが天に届いたのか、彼女は次の日も、その次の日も、同じ電車に乗り込んできた。
僕は朝から頑張ってワックスで無造作カッコイイ系ヘアーを作ってきた。
正確には作ろうと頑張ったが、なれない事をしても上手く行くはずなどなく、途中で妥協してきたヘアーなのだけれども。
しかし、ドラマは起こらない。
女の子に大人気な曲を、わざとヘッドフォンから音が漏れるくらい大ボリュームで聞いてみたりもした。
『あっ、私この曲大好きなんです』
『あっ、そうなんですか? じゃあ、良かったら僕のヘッドフォンで二人一緒に聞きますか?』
もちろん、そんな出来事が起こるわけは無かった。
女の子に大人気な本をわざとブックカバーもつけずに読んでみたりもした。
『あっ、私この本前から読みたかったんです』
「あっ、そうなんですか? じゃあ、良かったら僕の隣の席で一緒に読みますか?」
言う必要も無いと思うが、そんな事があるわけなど無かった。
しかし、ドラマは前触れも無く突然にスタートする。
視聴者の予想を遥かに超える展開でスタートする。
キィキィーとけたたましい急ブレーキの音が車内に響き電車が急停車する。
僕の身体は右へ左へ大きく揺られる。
彼女は、彼女は大丈夫だろうか?
僕が彼女に視線を向かわすと、彼女は険しい表情で電車の窓の外を見つめていた。
一体窓の外に何があると言うのだろうか?
僕も窓の外を覗き込んだ。
いや、覗き込もうとした瞬間。
電車の車両に閃光が走る、その光は車両を真っ二つに引き裂いた。
これは比喩表現なんかじゃない、文字通り車両を真っ二つにしたのだ。
「な、なんなんだよ!」
僕の叫び声にこたえるかのように、更に閃光が光る。
「危ない! こっちに着て!」
彼女の呼び声に反応して、僕は座っていた座席から飛びのいた。
さっきまで座席であったものが、いまは目の前で無残な姿を晒していた。
「ごめんなさい、説明してる暇は無いの。こっちにきて」
彼女は僕の手を引っ張ると、走り出した。
なんて柔らかい手なんだろう。
そんな僕の幸せモードの思考をよそに、彼女は走り出す。
僕もよろめきながらも着いていく。
その後ろを続けて閃光が走る。
車両は瞬く間に細切れに刻み込んでいく。
次第に閃光はその速度は速めていく、今さっきなど僕の靴の踵をかすったほどだ。
「跳ぶよ! いい?」
彼女は僕の返事を待たずに跳んだ。
空を?
違う、時空をだ。
「巻き込んじゃってごめんね」
彼女は大きく両肩を揺らし荒々しく呼吸をしていた。
どうやら、この時空跳躍と言うのはかなり疲労をするようだ。
「こ、こっちこそ、助けてくれてありがとう・・・・・・・って言いたいところなんだけど、ここ一体どこなの?」
周りは見渡す限りの草原が広がっていた。
そして空を見上げると、そこにあるのは青い青い空じゃなく、青い青い海。
「ここは歌と魂の集う場所。繰り返される輪廻の世界、始まりも無く終わりの無い世界」
「は、はぁ、なるほど・・・・・・」
勿論何ひとつ理解など出来てはいない。
しかしここは『なるほど』と返すしかないのだ。
「巻き込んじゃってごめんなさい。あの電車の中は実世界とここを繋ぐ数すくないポイントだったから」
「はぁ、なるほど。で、ここはどこなんでしょうか・・・・・・?」
僕はポカーンとした表情のまま、無限の広がりすら思わせる草原を指差した。
「ここは『流詩原』魂の流れ着く果ての果て、心に吹く風の原なの」
確かに風が吹いた。
空の海が揺れた。
風に揺れて草と草がこすれあって嫌な音を出した。
「もう少し跳ばないと・・・・・・ここは輪廻の歯車からはぐれた物が形を求める場所だから、あなたのような人はとても危険なの」
「なるほど」
もう僕の口は『なるほど』以外の言葉を言えなくなったとしても問題ないくらいだった。
意味も無く、あちらこちらを指差しては『なるほど』『なるほど』とブツブツ呟いていた。
もうこれは夢に違いない。
夢ならばやりたいことがある、言いたいことがある、実行したいことがある。
「すみません、一言言ってもいいですか?」
「えっ、どうしたの?」
やっと呼吸も落ち着き、顔色も良くなりかけた彼女はこちらを振り向いた。
「突然ですが、あなたが好きです! 大好きです! 付き合ってください!」
「いいわよ」
・・・・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・。
あれ、僕今きっと耳がおかしくなったに違いない。
幻聴が聴こえた。うん、いま幻聴が聴こえた。
「えっと、今なんて言いました?」
「いいわよって言ったんだけど」
「いいわよって事は、もしかすると嫌だわよって事の反対ですよね」
「もしかしなくても普通そういう意味だと思うけど?」
「という事は、僕の告白に対してOKしてくれたと言うことでいいんですよね」
「そういう事になると思うけど?」
「抱きしめていいですかぁ!」
僕は唐突に彼女を思いっきり抱きしめた。
そこには夢とは思えない実感が、感触があった。
「イヤッホォー!」
僕の叫び声に呼応するように、空の海が水しぶきを上げた。
「そろそろ跳ぶわよ。律賢使に何とかして会わないと・・・・・・」
「ええもう何でもこいですよ! て言うかこれぞ恋ですよ!」
「じゃ、このまま跳ぶよ?」
「おうさ!」
僕と彼女は抱きしめあったまま跳んだ。
まだ見ぬ新しい世界へ
続く。
続くと描いたところで、ちょうど急がないと始業に間に合わない時間になった。
まさか、彼女の事をノートに書いているうちに、こんな超展開の冒険巨編小説になってしまうとは・・・・・・・
われながら自分自身の妄想力には恐れ入る。
ぐふふ、書いていながらドキドキしちまったぜ。
抱きしめた時の感触とか想像しちゃったぜ。
匂いとかまで感じてしまいそうだぜ。
しかし、あそこで告白していきなりOKされると言うのはやはりおかしいだろうな。
でも・・・・・・・まぁいいじゃん!
僕はノートを鞄につめこむと、スキップをしながら学校へと向かった。
次の日。
いつもの時間、いつもの電車。
そこに彼女はあらわれなかった。
そう、たった一日だけの出来事だったのだ。
きっと何かの用事でたまたまあんな早い時間に電車に乗ったに過ぎないのだ。
一人きりの車両で僕はぼんやりと窓の外を眺めた。
そこにはなんらかわりようのない風景が流れていた。
でも僕は待っている。
彼女がこの電車に乗り込んでくる日を。
そして、僕を輪廻と魂の世界へと導いてくれるのを・・・・・・
僕の小説の中で、彼女と僕は見知らぬ世界を旅しだしているのだから・・・・・・
おしまい☆