「味噌汁というものは。」
「味噌汁というものは。」
味噌汁。それはおふくろの味、というけれど正確にはちょっと違うと私は思います。
おふくろ、つまり母親の母の味をそのまま継いでいる人は店でもやっているのではないかと思います。変化し続けているのが通常です。
まず、作るときにママの好みが入る。次にパパの好みが入る。最後に私の好みが入る。まぁ、最終的にはママの好みに戻るのだろうけれど。
つまり、味噌汁はおふくろの味ではなく、環境によって変化した妥協した味、ということです。
軟水か硬水か、だしは何でとるのか。具の中身、、量、値段、切り方。作る人のそのときの体調。味噌の色までこだわりがあります。
誰もが味噌汁がおふくろの味というのは、おそらくそういうものであると脳内に擦り込まれているせいでしょう。それとも、味噌汁のある家庭はみんなで食事をした温かい思い出の中の一部に紛れ込んでいるせいで分かりにくいものなのかもしれません。
あとは、ただ単にママが作ることが多い家庭料理の一つです。だからおふくろの味だと考えます。昔はそうかもしれませんが、いまならパパの味噌汁でもいいはずだと思います。
味噌汁、それはおふくろの味…ではなく、幻なのではないかと……。
「幻扱いかよ!」
「そんなもんよ。うちだって、あなたが白がいいって言うから、白にしてるけど、うちの母親の味噌汁は白と赤の合わせだし、大根だって銀杏切だし、さつまいもだって入ってるんだからね。」
「味噌は白に具は貝だろ。」
「貝は嫌いだから却下。味噌は譲って白にしてるでしょ。味噌汁に常識とかないから!普通とかないから!当たり前とかないからね!文句があるなら、おふくろの味じゃなくて、パパの味噌汁でもいいんだからね!作る?」
「作りません。それ、なにを読んでいるんだ?」
「これ?京子の夏休みの自由研究の一部。地域によって変わる味噌の色についてだって。おばあちゃん家に行ったときに、味噌汁が合わせだったのに、驚いたからだって。でもねぇ。」
「でも、なんだ?」
「味噌って地域じゃなくて、作る人が育った味に合わせて作る気がするのよねぇ…。ここだってうちは白だけど、周りは赤だしでしょうねぇ。」
「……別に赤でもいいぞ。たまになら。」
「よく言うわよ!赤で作ったら、お義母さんの味噌汁が一番だって文句言ったじゃない!」「……言ったか?」
「言った!絶対に言った、絶対に忘れないわよ。……ふんっ。」