森の中でお姫様に会いました
説明回なので少し長いです。
光輝く神殿の中は、いつもの通り何もない。白い石で造られた儀式的な柱に祭壇。それがあるだけだ。最初に来た時から変わらない。
ジークは祭壇の前に伏せて前足に頭を乗せ、金色の双眸を閉じた。先ほどのベルンハルトとの会話が頭をよぎる。
アンナが森を出る? 彼女はオレと、ベルンハルトだけのお姫様なのに。出会った時から彼女はずっと森の小さな古城に幸せそうに暮らしていた。それなのに…。
***
レアトリア国という、山裾に広がる広大な森を有する土地の広い国がある。
豊かな土壌で作物は豊富、西の海では魚は取れるし、織物等も盛んだ。当然、欲しがる他国からの幾度とない侵攻を受けてきたが、それは長年退けられている。
理由は二つ。一つ目は立地にある。国土を北から東にかけてをぐるりと囲む険しく雪の降り積もる高い山々が天然の要塞となっている。西側は広い海が広がり、生活をする場は山々に囲まれた豊かな土壌という恵まれた国土だ。南の方に抜ける平野が一か所あるだけでとても守りやすく攻めにくい国と言える。国土の取り合い合戦となってきた近年では珍しくずっと平穏を保っている国と言えよう。
もう一つの理由は、この国の山裾に広がる不思議な森にある。ディオヌスの森という、通称“姿忘れの森”だ。ディオヌスというレアトリア国を守護する精霊が住まう聖域だ。この森は獣人をただの獣に変えてしまう、恐ろしく危険な森であり、レアトリア国にとっては豊かな水源と平和を約束してくれる大切な場所なのだ。
レアトリア国の王政はずっと銀狼族のレアトリア政で揺るぎ無い。ディオヌスが守護しているのは国土ではなく、レアトリア姓の人間だからだ。その理由は姓を持っている者でも、ディオヌスに選ばれた王族の中の限られた者にのみ口伝で伝えられている極秘事項なのだという。
そして、次の口伝者に選ばれたのは六歳の誕生日を迎えたばかりの第二王子、ジークヴァルト・ヴィ・レアトリアだった。選ばれたことが何故分かるのかの答えは簡単。六歳の誕生日の朝に、自室で眠りについたはずなのに聖域内の湖のほとりで目を覚ますことになるからだ。
ジークは六歳の誕生日前日の晩、落ち着かない心地で眠りについた。口伝者に選ばれるかは翌朝までは分からない。緊張で眠れるものかと思ったが、その晩に前倒しで行われた誕生パーティーでの疲れもあって殊の外早く眠ってしまった。
そして、翌朝。目を覚ますと湖のほとりに狼の姿をした自分の姿があった。いくら人間の姿にと願っても戻ることはできず、あらかじめ聞かされていた口伝者に選ばれてしまったのかと肩を落とした。
ジークは、出来ることならば選ばれたくはなかった。口伝者になるということは次の王になることが確実であり、帝王学の授業が本格化するということや定期的にこの恐ろしい森へ通わないといけないこと、そして何よりの嫌な理由は二つ年上の大好きな兄の立場を超えてしまうということになる。
精霊ディオヌスに会うでもなく、起きたら聖域の森に狼の姿で目覚める。これだけのことで王を選定しているのかと苦い気持ちが広がった。
しかし、いつまでもこうやって絶望的な気持ちで横たわっているわけにもいかない。ジークは体を起こし、あらかじめ言われていた森の番人に会いに行くことにする。確か、白い古城に住んでいるということだった。湖からはそう離れた場所には無く、日が昇っていれば容易に見つけられるとも。
しばらく歩いていると、時計塔が見えてきた。この森の中に建物など一つしかない。ジークは自然と足早になって歩みを進める。白い古城が段々と姿を現す。思っていたよりもこじんまりとしていた。レアトリアの城に比べたら遥かに小さい。
「んー、どこから入ればいいんだ」
大きな門の前まで来たが、扉は重たく開かない。考えあぐね、失礼かとは思ったが中庭の方へと歩みを進めた。ジークが誕生日を迎えることにより、選定がされるかもしれないということは、森の番人は分かっているはずだから入っても問題ないだろう。ただ、少々マナーに反するが。
「わあ、素敵な尻尾に綺麗な毛並み」
植え込みの横を歩いていると可愛らしい声をかけられ、ジークは驚いて歩みを止めた。
森の番人は、男性だと聞いていた。誰だと、視線を転じると、そこには……お姫様がいた。
髪の毛は薄い金髪で、ウェーブがかかる髪質なのだろう。長さが短いせいであちこちの方向へと流れていて微笑ましい。ぱっちりと大きな瞳は深い青色。先ほど見た湖のような色だと思った。その瞳を長いくるりと上を向いた金色のまつ毛が縁取っており、バラ色に上気した頬。
ちょっと、服装が赤すぎるような気もしたが、彼女にはよく似合っていると思った。
完全な人間だ。獣相が一つも出ていない。獣人が惹かれてやまない、人間。
しかし、ジークが何よりも魅力的に感じたのは、彼女の何の下心もなさそうな純粋な笑顔だった。
兄が選ばれなかったことにより、王宮の人間は媚を売るのをあからさまにやめた。そして自分へとすり寄ってくる大人たちとその娘たち。子どもだ、何もわかっていないのだと思っているのだろう。確かに子どもでよく分かってはいないが、何をしても手放しで大喜びをし褒め称える。その態度はとても…気持ち悪かった。
「ねえ、良かったら撫でさせてもらってもいいかしら」
お姫様は目を輝かせ、両手をそっと出してくる。白い指先の爪も獣のように尖ってはいない。彼女は本当に完璧な人間なのだ。この森で獣の姿じゃないことが証拠だろう。
「…ちょっとだけなら、いいぞ。尻尾と、頭の上はダメだからな!」
「ありがとう! わあ、つやつやの毛並み、ふかふかだねえ」
女の子は最初、恐る恐る触っていたが、途中から段々と興奮してきたらしく遠慮がなくなる。ギュムギュムとぬいぐるみのように抱きしめられ、子狼はうめき声を上げる。
「バカ、苦しいだろ。もっと力を緩めて…あ! 尻尾には触るなー!!」
我慢できずに尻尾に触れた女の子の細い腕の中から飛び出し、距離を取って警戒する。女の子はしゅんとした表情で、ぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい。あんまりにも素敵な尻尾だったから、つい」
「そ、そんなに落ち込むなよ…尻尾と、頭の上以外だったら触らせてやってもいいぞ」
「いいの? うん。尻尾と、頭の上は絶対に触らない」
「…特別に、お腹も触らせてやってもいいぞ」
数十分後。植え込みの近くで、仰向けになりお腹を撫で回され大喜びの王子と、素敵! かわいい! を連発して撫で回す女の子を発見した森の守護者はしばし呆然とし、無言で彼の大切なお姫様を抱き上げた。
「姫様、野良犬を手懐けてはなりませんよ。お手が汚れます」
その言葉にジークは我を取り戻し、狼だ! 犬じゃないぞ! と怒りながらも、聖域に飛ばされ、彼女と出会ったのが兄ではなくて自分で良かったと安堵したのだった。
***
満月の夜の度にこの場所へ訪れるジークは、その回数を追うごとに彼女をひとつ知り、どんどん惹かれていった。
小さな狼がこの地へ訪れた時には、この森の番人の大切な姫様はアンナだった。彼女の素性は彼女自身も不思議なことに覚えてはいないのだと言われた。お姫様なんかじゃないと言う彼女は、誰よりもお姫様みたいな見た目をしている。
ジークは神殿内で溜息をつく。結局考えても答えは出ないし、あの頑固者は考えを変えないのだから。アンナの答えを待とうと思って目を閉じた。
次に目が覚めたら、ここから遥か離れた王宮の自室に居るはずだ。媚を売る貴族たちと、帝王学、剣の勉強やその他諸々の現実が待っている。そしてまた月が満ちた晩に森に招かれる。湖のほとりで神殿が現れるまでじっとしておく必要などない。それまでの時間は、欲望の渦巻かない穏やかな小さな城で過ごすのだ。
それが、彼が選ばれてから幾度となく繰り返している満月の晩の儀式であり、密やかな逢瀬だ。
獣相の説明や、獣人が惹かれる理由についてはまた後の機会で。
次話、アンナ憤慨する。