時計塔のある小さなお城
ブクマ、アクセスありがとうございます。早速評価までして頂けて幸せです。
森を抜けると青い光が消える。そして幻のように漂っていた魚たちの姿も見えなくなった。ずっと漂っていた水中から陸に上がるような、この瞬間がアンナは大好きだった。
森を抜けた先は開けた場所で、薔薇の濃い香りが漂ってくる。その薔薇の生垣からはアンナが住んでいる小さなお城の最も高い時計塔が見える。
お城の屋根は濃い青色、壁は真っ白なこじんまりとしたお城だ。
しばらく歩くとさらに城が全体を現してきて、アンナの寝室であり、私室でもある部屋も見えてくる。右手に少しでっぱっている二番目に高い塔、そこが彼女の部屋だ。
「今日は少しだけ寒いね」
アンナの言葉にベルンハルトが慌てる。
「姫様、お寒いのですか? ああ、おみ足をそのままに出かけられたのですね。もう秋も深くなってまいりました。ちゃんと防寒をされませんと。私めがまた洗ってきちんと乾かして良い香りのポプリの匂いを…」
「あ、違うの、ごめんなさい。少し肌寒いけど、そこまで寒いわけじゃないよ」
ものすごーーーーく心配性な黒いクマにアンナは苦笑いを零す。このクマおじさんは一つ言ったら十返してくれるのだ。でも、なんだかんだ言ってアンナもクマおじさんが大好きなので強くは言えないわけで、だからこそこんな赤いフリルお化けみたいな恰好をしているわけだが。
「アンナ、寒いのか? オレの毛皮でぎゅーってしてやろうか」
「ジーク! ななななんてことを姫様におっしゃるんですか」
「クマおじさんのほうがいいもーん。おじさん、お洗濯のいい匂いするし」
ジークの申し出をすげなく断って、アンナはベルンハルトの丸い小さな耳の付いたふかふかの頭にぎゅう、と抱き着いた。ベルンハルトはとても幸せそうだが、それに反比例してジークの耳と尻尾がしゅんと垂れてしまう。
「…ふんだ。オレ、先に行ってるからな!」
拗ねた子狼は、太い足で地面を蹴り、あっという間に庭を抜けて行った。そのまま城へと伸びた石畳の階段を登って姿を消してしまう。
「急に怒って、変なジーク。クマおじさん、私たちも行こう」
「はい、姫様」
でれでれとベルンハルトは顔を緩めつつも、大事な姫様を決して落とさないように、しっかりとアンナに手を回して歩みを進める。
薔薇の生垣を抜けると芝生が途切れ、レンガの広場へと出る。そのまま噴水の横を通り過ぎて、先ほどジークが走り抜けて行った石畳の階段へと進む。
「クマおじさん、重たくない? 私降りるよ」
「いいえ。姫様。貴女の重さなどまったく感じませんよ。まるで羽のようです」
そんなわけないとアンナは思ったが、黙って運ばれることにした。少し寒いのは本当だし、こうやってクマおじさんに甘えるのはとても気持ちがいい。もこもこの黒い毛はきちんと手入れされていていつもきれいでいい匂いがするのだ。
女の子を肩に乗せたまま、黒いクマは二足歩行でゆっくりと石畳を登りきる。そして塀の上をのっしのっしと進む。
本来ならば、先ほどの石畳の階段を登らずにこの塀の下をくぐり、巨大な立派な門をくぐって入城するのだろう。しかし、今はアンナとベルンハルトの二人暮らしなのだ。いちいちそんな面倒臭いことはしていられない。普段は使用人が使うのであろう小さな扉から出入りしている。
その小さな木の扉はアンナには少し大きくて、クマおじさんにはちょっと小さい。
「さあ、姫様。到着いたしましたよ」
ベルンハルトはアンナを肩から優しく下ろした。離れると少し寒くて、アンナはぶるりと小さく身震いをした。幸いなことにベルンハルトは扉の方を見ていたので気付かなかった。
「まったく。ジークは閂をいつも投げ捨てる癖をどうにかしないといけませんね」
ぶつぶつ言いながら閂を拾い上げ、定位置に戻す。木製の扉に付いていた閂はジークが開けておいたのだろう。引き抜かれて床に落ちた状態だったのだ。
「仕方ないよ。ジークは狼だから、クマおじさんみたいに器用にはこなせないんだよ」
アンナはジークをかばったつもりだったが、ベルンハルトはいたく感動したように黒いつぶらな瞳を潤ませた。
「姫様、そんな…! 私が何でも器用にこなせて一番好きだなんて…照れてしまいますね!」
「え、うんと…おうちに入ろう?」
対するアンナは慣れたものだ。少し残念なものを見る目をしてベルンハルトをちらりと見てから木製の小さな扉を押し開ける。
入るとすぐに台所だ。使用人用の扉なのだから当然ともいえる。
台所は、クマおじさんの聖域なのだと、本人がいつも熱くアンナに語る通り、そこはベルンハルトにより綺麗に整えられている。カマドはすぐに使える状態にしてあるし、広い調理台は物を乗せて乱雑になりがちだが、その上には本当に何もない状態に保たれている。
壁にはピカピカに磨き上げられた調理器具が並ぶ。何も知らずに見たら宝石店かと勘違いするほどの輝きだ。
茶色の木で作られた質の良さそうな食器棚には、アンナの朝に飲むココアのカップが七種類並べて置いてある。そう、一週間先までカップの出番が決まっているということだ。
台所を出ると、赤い絨毯が引かれた長い廊下に出た。真っ暗で先は見えない。
「ああ、姫様お待ちを。すぐに灯りを付けましょうね」
ベルンハルトがその肉球のある両手を合わせてバフ、と音を立てると廊下に並べられたランタンの灯が一気に灯る。
「ありがとう、ベルンハルト」
「当然のことです、姫様。さあ、お手をどうぞ。明るいとはいえ、どこで絨毯に皺が寄ってしまっているかわかりません。お足下にご注意くださいね」
差し出されたふかふかの手をしっかりと握ってアンナは廊下を進んでいった。
ベルンハルト、本当はパンと優雅に手を鳴らして灯りを付けてるつもりなんですけどね。ぼふっ!!
次話、クマおじさんのおみやげ