表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

競演シリーズ

【競演】薔薇と深紅

作者: 足利義光

この作品は第九回競演用の短編です。

お題は「薔薇」となっております。


異能探偵三度目の出番となっています。

あと、この作品には筆者の別作品である「世界シリーズ」とのクロスオーバー要素も入っております。

予めご理解の程を。

では、暫しお時間を頂戴致します。

 

 薔薇が咲く。

 そこに咲くのは無数の薔薇の花。

 鮮やかな真っ赤な薔薇が咲き乱れる。

 だが、ここは手入れをされた薔薇の花園ではない。


 巻き起こるのは爆発の様な轟音。

 激しい剣戟は止むことを知らず……矢は雨の如く間断無く降り注ぐ。

 そこで木霊するのは多くの名もなき兵士達の悲鳴怒号。

 そこは無数の死屍累々がうち捨てられた荒野。


 その場所は戦場だった。

 何故、こんな事態になったのだろうか?

 その契機はもうよく分からない。

 何故ならこの戦争は、もうかれこれおよそ百年もの長きに渡るから。

 開戦した当時の、当事者達もとうの昔に世を去った。

 いつしか、この戦いの大義も失われ、ただ国と国の意地が、エゴがぶつかり合う――そして、そこは歪んだカーニバル会場の様相を呈していた。

 今、この場で起きているのは最早戦争とすら言えぬ一方的な虐殺であり、殺戮。

 哀れな被害者達はその全身から鮮血を吹き上げながら絶命する。


 男がいた。その身に纏うには戦場にはおよそそぐわない真っ白なトーガの様な衣裳。

 金髪で碧眼の男からは得も言われぬ気品が漂い彼が尋常な身分の者ではない事を示している。

 誰もがその神々しさを漂わせる男から逃れうる事は叶わない。

 その手が動く都度、無数の茨が、棘が血の雨を降らせる。

 視界に映る全ての命が散り、そこに咲いたのは真っ赤な薔薇の花とその男だけであった。



 ◆◆◆



 パタン、とテーブルに一冊の本が置かれた。

まるで辞書の様な分厚い本だ。その上、かなり年季の入った物らしくページがすっかり変色し、下手に触れれば崩れてしまいそうだ。

 その本の表記は、明らかに外国語。

 英語ではない。かといって、フランス語やドイツ語等とも違う様に見える。かなり難解そうな本だった。

「やだーーー怖い話ですよ……真名しんなさん」

 その本を読み終えた少女はわざとらしく震える真似をしながら、傍らにいた男――真名の肩にしがみつこうと振り向く。

「ZZZ…………ん」

 だが、その肝心要の男はソファーで爆睡しており、彼女の目論みは無残に頓挫――勢い余ってそのまま床へとダイビング。ベッターン、と激突した。彼女は真っ赤になった顔を押さえながら起き上がると真名の耳元で、

「起きろ、こんの甲斐性なしーーーー」

 部屋に怒号を響かせた。

「どわっっっ……あいたっっっ」

 男は耳元での怒鳴り声に驚きのあまり、ソファーから転げ落ちて頭を打つ。ガツン、という鈍い音と悶絶する様が、その痛さをこれ以上なく物語っていた。


「な、何なんです史華しかさん?」

 真名は頭を押さえながら、仁王立ちで睨んでいる史華へ恐る恐る視線を向ける。

「何なんですか、じゃないよ。真名さん!!」

 史華は怒っていた。自分が甘えようとしたら寝てた事にもだが、いや、殆どはそれが原因ではあるが。

「いつになったら【お仕事】するのよ?」

 そう叫ぶとテーブルをバン、と叩く。

 そこにあるのはつい今まで史華が読んでいたある古書。

 ここは、京都駅のすぐ側にある雑居ビルの一室。

 ここの住人である真名は”探偵”をしている。

 ただし、彼が受けるのは浮気の調査や失踪した猫等の捜索ではない。彼が受けるのは表沙汰には出来ない類いの案件。

 所謂、”異形や怪異”に関わる案件だ。

 彼は一応、”防人”というそうした事態に対応する集団にも所属してはいるのだが、滅多に顔を出さず最近はもっぱら仲間外れ。半ば、部活動でいうところの幽霊部員状態だ。


 古来より、世界各地で数々の異形や異能者により、無数の惨事が引き起こされてきた。それらは表向きには何も無かったかのように痕跡を消され、または余りにも事態が大きくなった物については、それらを神話等に置き換え、人智を越える存在という者の存在を彼らは隠してきた。

 彼らには、守護者だの、防人だのと言った様々な呼び名があり、地域によってその成立に至った歴史も違う。また基本的には、他の集団の存在を認識はしていても、互いの領分を犯さぬ様に交流もせずそれぞれが孤立しながらも存続に腐心してきた。

 それはこの京都も同様で、この地には古来より、様々な魔物や怪異に見舞われ続けてきた歴史が脈々と紡がれていた。

 怪異に対抗する集団も複数あり、陰陽師等の退魔師と呼ばれる組織に、防人という集団がその主だった集団である。

 陰陽師が古来より、ある一族の末裔による一種の家業の様な存在であるなら、防人とはそれ以外の異質な力を持った者達の集団であり、真名もそうした異質な力を持っている。

 もっとも、この十数年で状況は大分変わった訳だが。今では日本のみならず世界中の異能者達が互いに手を取り合い、連携する組織が存在するのだ。名前は”WG”だったか。

 とは言え、ここ京都は昔ながらの体制が今も維持されているので、今の所は特に変化はない。


 何にせよ生きていく以上、日常生活を送るには一定の稼ぎも必要であり、それでこの場所で探偵を始めたのだ。

 最初は何も知らない一般の御客も来たのだが、今ではここを訪れるのは同業者や、もしくは腹に一物抱えた曲者ばかり。

 何でそうなったのかを、真名は全く気付かないのだが、史華には何となく分かる様な気がした。


 この真名という青年は一言で言えば、和装の青年。

 年がら年中着ているのは、着物ばかり。

 洋風なのは、常にかけているサングラスとハンガーにかかっているレザージャケットに、秋口から春先まで履くブーツ位の物だ。(最近は年中ブーツになりつつある)

 まるで大正から昭和初期のハイカラ青年の様な装いを目にした人は目を点にする。街中を歩くとコスプレをしていると思われる事も多々あり、写真を撮られる事もある。

「うん、だって期限はないんですよ? ……なら明日でいいじゃないですか。ふあーー」

 さらに言うなら、この青年は基本的に面倒くさがりだ。

 だから手間のかかりそうな案件は断る。そういう出来事が幾度も重なり、気が付けば一般のお客さんはこの探偵事務所を訪れなくなったのだ。

 お陰でくる案件はほぼ間違いなく、彼の異能が必要となる物ばかりとなり、それらを解決する内に評判が評判を呼び、今じゃ”異能探偵”というまるでマンガかラノベのタイトルみたいな渾名がついている始末だった。

 今、彼が受け持っている案件は、京都のとある大地主からの依頼だった。


 彼は京都の嵐山に大きな邸宅を持っているのだが、最近その敷地で妙な出来事が頻発しているらしいのだ。

 詳しい事情は、口で言うより見た方が早い、という事なのでどういう依頼なのかを二人はまだ知らない。

「何を言ってるんですか。期限が付いていないからって先送りしていい訳ないですよ」

 史華がプリプリ怒りながら、また寝ようとしていた真名の肩を掴んで何度も揺らす。

「う、吐きそうだ」

 すっかり脳内がシェイクされ、真名の顔色が真っ青に変わった。

 急いで起き上がると、超特急で流しへと直行。

「うえええええええ」


 数分後。

「ごめん、ね、謝ってるじゃないですかー」

 史華は、テヘ、と笑いかける。

 一方で胃の中が空になった真名はムスッ、とした表情で座っている。だが、史華には切り札があった。このものぐさ探偵を働かせる

 真名の表情が強張る。そう、この少女は探偵助手(自称)であり、現役女子高生であり、このビルのオーナーの娘でもあった。

 真名がこの少女を邪険に出来ないのは、一つは自分の住空間を握られているからだった。もう一つはここの財布を握られている事。

「お父さんが早く回収しとけって言うのよねぇ」

 取り立て人も真っ青な、不自然な満面の笑みで彼女は告げる。

「だからぁ、……働こうか?」

「……はい」

 最早、この無能探偵に断る権限は無かった。



 ◆◆◆



 二時間後。

「ようこそいらっしゃいました」

 ようやく依頼主の元を訪れた二人を入り口で待ち受けていたのは、一人の青年だった。

 年は史華と同年代だろうか、着ているのがどう見ても高級ブランドのスーツの為か、それともその手の角度に微笑み等の一つ一つの仕草が完璧の為なのか、妙に大人びて見える。

「私はこの屋敷で旦那様のお世話をさせて戴いております、夷隅いすみ称美しょうびと申します。お見知りおきを……ではご案内致します」

 二人は夷隅称美の案内でその敷地に入る。

 その瞬間、全身にビリ、と微かだが電気の様な物が駆け巡る。

 史華も同様だったのか、足が止まっていた。

「どうかなさいましたか?」

 夷隅は特に何も感じなかったらしく、庭先で立ち尽くす二人を首を傾げて見ている。

 それから敷地を歩き、多くの人を見た。どうやらこの広大な邸宅の手入れの為の業者と、使用人が大半だ。確かにこれだけの敷地を管理するのにはこれくらいの人手が必要だろう。

 そうして、辿り着いたのは山の麓。

 見えるのは、頂上まで一体どれだけあるのか数えるのも馬鹿馬鹿しくなる程の石造りの階段。それと、その階段の横に並列する様にあるロープウェイ。

「さ、旦那様はこの頂上にある別館にいらっしゃいます」

 夷隅に促され、二人はロープウェイに乗り込む。


 ロープウェイから降りると、そこからは京都の街が一望出来た。

 そして別館が目の前にそびえるように建っていた。

 下の洋風だった建築物とは違って、目の前にあるのはまるで何処かの寺社か仏閣の様だった。

「お待ちしていましたぞ」

 しわがれた声がかけられ、真名と史華はその声の主へと視線を向ける。

 老人が石造りの階段に腰掛けていた。

 その顔に深い皺が刻まれており、まるで枯れ木の様。

 手や足は痩せ細り、小枝の様ですらある。

 目は開く力もないのか、閉じている様だ。

 それは今にも、いつ死んでもおかしくはない、そう思わせる様相だった。

 夷隅称美が老人の元へと駆け寄る。

 そして手を差し出し、立ち上がるのを補助する。


「私が、この家の主である夷隅いすみしめです」

 枯れ木の様な老人は名乗る。

 その見た目よりも若いのか、歩みの速度は思いの外早く、テンポがいい。


「真名といいます、こちらは……」

「史華だよ、ヨロシクねお爺ちゃん」

「こ、こら。失礼ですよ……」

「かはははは、いいえ。気にされなさるな。実際この通りの爺ですのでな」


 締老人は、低く笑う。

 こちらへ、と言うと歩き出した。

「最近はこの老人等に会おうとしてくださる奇特な客人など滅多におりませぬでな、ついつい饒舌になってしまう。かはははは。称美はここで待ちなさい」

 乾いた声で精一杯笑う締老人は車椅子に腰かけると、レバーを巧みに操作して先導を始める。

「でもお爺ちゃん、ここに住んでいるのは何故なの?」

 質問したのは真名ではなく、史華だった。

 確かに当然の質問だと思える。

 これだけの広大な敷地を所有していて、何故麓の邸宅ではなく、山を登った先にあるこの別館に暮らしているのか。

 まして身体が不便であるなら、なおの事だ。

(それに……)

 真名には気がかりがあった。その事について聞こうと思っていた所に助手の少女がこの問いかけ。渡りに船だと思っていた。

「ふむ、確かに仰る通りですな、この別館は少々暮らし向きはよくはありません。特にこの老骨の身にはキツい」

「じゃあ、下で暮らせば……」

「そうは参りませぬのです。この山頂でなくてはならぬ。真名さんでしたか、もう薄々はお分かり頂けたかな?」

 その問いかけに真名は、そうですね、と答えた。

「恐らくですが、ここが何らかの存在を封じる為の場所……違いますか?」

 締老人は「まさしく」と、その回答を肯定する。

「この土地は古来より、土地神様が眠る場所だったそうです。土地神様は長い間地元の民草に崇められ、この一帯は大層豊かな実りに満たされて栄えたそうです」

「へぇ、いい神様だったんだね」

 史華が締老人の話に感心したのか、うんうん、と何度も相槌を打った。だが、枯れ木の様な老人の表情には影が差しているのを真名は見逃さなかった。

「長い間、この土地は歓喜の声に満ちたよい場所だったそうです。ですが、それが崩れた。きっかけは……」

「……戦乱ですね」

 真名は即答。その言葉に締老人も大きく頷いた。

 人々の暮らしが変わるキッカケには大きく分けて二種類ある。

 一つは天災、もう一つは人災、つまり戦乱だ。

 そしてこの二つは大抵連動している。

 天災によって環境が大きく変わり、人々の暮らし向きが激変する。生きる為に、人は他者から収奪、そして争いはいつしか国をあげての戦さにまで発展する。幾度となく繰り返されてきた歴史の必然。

 まして京都は一〇〇〇年以上もの歴史を持つ古都にして魔都。

 幾度もの大乱の中心で居続けた土地だ。

 得てしてそういう悲劇を経た土地には多くの”想い”が残る。

 想いとは人の様々な情念でもある。その多くは善意だったり、ただ安寧等の類い。しかし、その中で怨念等の黒い情念はその気持ちの強さ、深さ故に土地に宿る事がある。それは更に長い歳月を重ねる事で力を増し、やがて人の心の闇に付け込む”鬼”となる。

 そして古来より、世界には神聖な土地が無数に存在していた。

 そうした土地にはそもそも人智を越えた大いなる力が宿り、または宿るとされ、人々から畏敬の念を持たれてきた。

 ましてこの京都は成立の時から、風水的な思考に基づいた都。

 様々な神聖な力を持った土地が互いに影響しあい、その力を増幅させて発展してきたのだ。

 この土地にいたとされる土地神も、そうした恩恵を受ける事で人々の暮らしにいい影響を与えたのだろう。

 だが、それも戦乱となれば話は別だ。

 人々の心は荒み、乱れる。集落の中は餓えや戦さ、または荒くれ達による略奪に怯え、恨み、事切れていく。

 そうして無念の死を遂げた人々が抱えるのはこの世に対する”怨嗟”。それ続々と積み重なり、やがて土地をも犯していく。

 そして黒い情念に満たされた土地からもたらされるのは、更なる不幸の連鎖。


「京の都は荒廃し、人の心は乱れる。やがて泰平の世となってもそうした黒い情念は容易には失せたりはしない。そうですね?」

「ええ、よく知っておられる。やはり評判通りですな」

「じゃあ、どうしたら――」

「簡単ですよ史華さん、怒りを収める様に土地に祈るのです。土地の中でも最も強い波動を放つ場所……例えば丁度ここに鎮魂の為のお寺や神社などを建立して、ね」

 そうですね、と真名は締老人に尋ね、まるで枯れ木の様な老人は重々しく頷く。

「その通りです、夷隅家は代々この土地を守ってきました。長い時間をかけて少しずつ土地に残った情念を浄化すべく」

「それでなんだ……」

 史華が口を挟む。

「何だかここに足を入れたら変な感じがしたのは――」

 その言葉に、締老人が眉を動かす。

「このお嬢さんは一体?」



 ◆◆◆



「長い時間をかけて、土地を浄化してきましたが、一番効果があったのは【花】を植える事でした。世界中から様々な花を集めては種を植え、四季折々愛でる。これが土地に残った情念をも少しずつ浄化してくれたのです。どうにも土地が荒れているのです。不自然に敷地の草木が枯れてしまったり、または成長したり、と。こんな事は数百年間で初めてでして……」

 締老人の表情が曇る。嘘とは思えない、そう真名は思う。

「成る程、確かに妙な気配は感じます」

 違和感はずっとあった。

 敷地に入った瞬間に感じたのは、余所者や邪な者をここに入れない為の一種の”結界”だろう。

 そして山頂からは強い波動を感じた。それがこの一帯に宿った力の中心点だろう、そう思い、それは当たっていた。

 だが、それだけじゃない。

 何かがおかしかった、浄化されているはずのこの敷地内からとても大きな”淀み”を感じるのだ。

「史華さんっ――」「はいッッ、探します」

 真名が言うや否やのタイミングで史華が目を閉じた。

「£¢§@§£¢」

 一体何語か分からない言語を口にしている。実際、言葉には意味はない、大事なのはそのリズム、音程だ。

 そして彼女の周囲が仄かに輝く。

「か、彼女は何をしているのですか?」

 締老人がか細い目を幾度もパチクリさせつつ尋ねた。

 分からないのも無理はないだろう。

 これは史華の持つ力にして、元々は真名の力でもあった。


 真名はかつて自分の一族の掟に従い、異形及びに異能者を狩る、という仕事をしていた。そしてある魔物を狩った際、誤ってたまたまその場に居合わせた少女を殺めてしまった。

 本来であれば、そのまま死なせていたはずの彼女を真名は見捨てる事が出来ずに、自身の命を分け与える事で死の世界から引き上げた。その少女こそ史華。それ以来、彼女と真名は常に魂の一部が繋がっている状態となった。

 そして、本来であれば一般人でしかなかった彼女に、真名の持っていた異能力の一部が発現したのだ。

 それは時を経る度に徐々に大きくなっていた。

 真名の持つ異能力とは、”物の起源いみ”を理解し、扱える事。

 だが、今では理解するのは主に史華の役割だ。

「分かるよ、この奥から強い淀みを感じるよ」

 史華がそう言うと、走り出した。

 真名は迷わずついていき、締老人も慌てて追随する。


「ここだよ」

 史華がその足を止めたのは、小さな花壇の奥。たった数本の薔薇の花の前だった。

 鮮やかな色合いの薔薇だった。

 まるで鮮血のような鮮やかな赤。

 何故か心が乱される、そんな雰囲気を感じる。真名が追い付いてきた締老人に尋ねる。

「御当主、この花はいつからここに?」

「はて、いつからですかな? この花壇の管理は称美に任せておりますので……何か不審な点でもおありで?」

「ええ、この薔薇の花からは強い情念を感じます。それもとても強い情念を」

 そう言うと真名は懐から”手鏡”を取り出す。

 とても小さな手鏡で、史華の手のひらに収まりそうに見える。

「御当主、鏡の持つ力をご存じですか?」

「力、ですか? はて皆目検討も……」

 そこに史華が口を挟む。

「鏡にはね、いくつかの逸話があるのよ。例えば……」

 鏡には邪な何かを見抜く力がある。

 鏡には妖怪や魔物を退治する力がある。

 鏡には神様を宿らせる力がある。

「……そして、鏡には【過去】を見せる力もあるのよ、例えば地獄で閻魔様が死者の審判で用いる【浄玻璃鏡じょうはりかがみ】っていうのがあるみたいに、ね」

 そうでしょ、と真名に話を振る。助手の少女の話に和装の探偵は満足げに頷く。

「起源というのは物の【意味】でもあります。例えば、あの薔薇をこれで映し出すと……」

 鏡に映っていたには無数の死。無念の内に死んでしまった者達の断末魔の叫びに表情。途方もない怨嗟の渦だった。

「なっ、これは」

「間違いないですね、史華さん」「うん、祓わなきゃ」


 その瞬間だった。

 ボコリ、ボコッッッ。

 突如、地面が揺れ、隆起した。そしてそこから何かが場にいた三人へと襲いかかる。

 ズズン、地響きの様な音が周囲に響き渡った。



 ◆◆◆



「けほ、けほっ」

 史華が目を覚ました。

 砂埃が周囲を覆っていて、視界は極めて悪い。

 顔中に泥mが付いたらしく、少しひんやりしている。

 土の匂いからは、様々な情念が溢れている。

(まだまだ浄化には時間がかかりそうだね)

 そう思いながら顔の土を払おうとして気付く。

 手が動かない。それだけじゃなく、足も同様に。

 何かが絡まっている様だった。

 風が吹き、視界を遮っていた土煙が払われる。


「うわ……っっ」

 史華は思わず唸った。

 そこに見えたのは地面から生えている無数の蔓、いや根だろうか。それらが全身に巻き付いていたのだ。

 その根が伸びている先にあるのはあの薔薇の花々。周囲の花壇や地面は隆起し、まるで地震の後の様な有り様であったのに、あの薔薇の花々の周囲だけは不自然な程に何も影響を受けてはいない。

「史華さん、気が付きましたか?」

「ええ…………って真名さん!!」

 声を聞いてほっとしたのも束の間。自分の上司にして同居人にして保護者にして、将来の旦那様(予定)も彼女同様に蔓だから根っこだか分からない何かに全身を縛り上げられていたのだった。

「ちょっと、何を捕まってるんですか? ここは華麗に危機を回避してカッコよく私を助ける所でしょーが!」

「あのね、前から言っていますが、私は荒事が嫌いなんです」

「そんな事言ってる場合じゃないでしょ、もう!!」

 何やってんの、という罵声を飛ばされシュン、となる真名。

 対してプリプリと思っている史華の二人の様子からは、自分達が窮地に置かれている、という危機感は皆無だった。


「すみませんがもう少し焦って貰えませんかね?」

 その二人の緊張感の無さに、声を出したのは夷隅称美。

 その表情を見るに、二人の様子に心底呆れたらしい。やれやれ、とばかりに肩を竦めてみせる。

「今の状況をご理解頂けると幸いなのですが?」

「ええ、歓迎してくださって感激ですよ」

「でも私はどうせならスイーツが食べたかったなぁ……」

「それは同感ですね、どうせなら何かしらの歓待を……」

 だが、無駄だったらしい。この二人には自分達の窮地を案ずるつもりはないのだ。

「は、はっはははは」

 枯れ木の様な締老人が笑い声をあげる。

 心底面白いのかその声色からは邪心も何も感じられない。

「な、何がおかしいのです?」

「称美よ、お前の浅知恵等でこのお二人は動揺出来ぬ、そういう事だな、これが愉快でなく何とするか?」

 そして、ははは、と笑い声をあげる。

「それでいつから、ですかな?」

 老人は尋ねる。

「具体的にいうなら三日前からですね」

 真名はあっさりと答えた。



 ◆◆◆



 三日前。

 その日も探偵事務所は閑古鳥が鳴いていた。

 とにかく誰も来ない。一般客はここの事務所を”無能探偵事務所”と揶揄しており、依頼人等滅多に来ない。

「ふあああーあ」

 本来なら依頼人等の来客者用に設置されたソファーはブラインドを上げれば日当たりも良く、最近じゃすっかり事務所の代表者の睡眠場所と化していた。

 時間はもうすぐ昼の二時。最近ではここで寝転がりながら推理小説を読むのが日課で、楽しみだった。


 ピンポーン。

 チャイムが鳴る。

 正直言って起きたくはなかった。今、丁度いい感じで眠気が訪れていたから。

 ピンポーン。

 続けてチャイムが鳴る。

「う、ん。分かりましたよ」

 諦めてドアの鍵を開くと目の前に何かが迫っている。それが拳だと気付いた時にはもう手遅れだった。

 ゴツン、という鈍い音と共に彼はその場でのされた。


 数分後。

「いやーー悪い悪い。てっきり寝てるンだとばっか思ってよ」

 はは、と笑いながら頭を掻いている少年、いや青年は武藤零二。

「いたた、にしてもいきなりドアを壊そうとするのはやめてください。ついでに言うなら私を殴るのもやめてください」

 真名は頬にアイスパックを当てて冷やしていた。

「だから悪かったって、本気じゃないンだし勘弁してくれよ」

 それは間違いないだろう。彼が本気で殴ってきたのなら、今ごろは運が良くて病院行き、悪ければ葬式なのは間違いなかった。彼にもまた異能力が宿っているのだから。

「ま、いいですけど……何かご用ですか?」


 零二は普段は経済特区九頭龍くずりゅうにいる。

 彼は幼少時より、ある異能者による秘密組織に所属していた。

 様々な事情で彼は何年もの間、あの地から出る事を許されず、数々の汚れ仕事を実行した。その後、反旗を翻した彼は組織と幾度となく戦い、死線を潜り抜け、今では彼とその仲間はあの街で自由を勝ち取ったのだ。

 とは言え、彼が動くと何かと物騒な事態が起こる。

 何故なら、今や彼自身があの街のパワーバランスの一柱だったからだ。

 だからこそ、彼が街の外に出る事は珍しい事だった。

 まだ二〇代の始めであるにも関わらず、醸し出す雰囲気は歴戦の強者。今では彼にはいくつもの異名が付いている。

 それは”暴君”や”深紅の虐殺者”に”触れ得ざる者”等々と如何にも物騒極まりないものばかりだ。

 その顔にはいくつかの傷が刻まれてはいるが、目の前で笑う彼からは寧ろ屈託のない無邪気ささえ漂うのは、彼がこの世界に希望を見出だしているからだろうと真名は思うし、そんな彼が羨ましかった。

 真名は自身の一族の使命に嫌気が指した。

 そしてそれを放棄して今はこの京都にいる。

 彼は逃げ出したのだ。殺すか殺されるかの世界から。

 この青年も、似たような境遇だったが、彼は戦った。本人は否定するだろうが、自身の運命に抗い、打ち勝った。

 彼とは数年来の付き合いだが、会うたびに明るくなっている様にも思える。


「オレがここまで来たって事は、アンタの考えてる事態が起きつつあるってこった」

 そう言うと零二はボディバッグから一冊の本を取り出す。

 その本を受け取った真名は手にした瞬間に、理解した。

「これは……曰くつきですね」

 そう言うとページをめくり始める。

 それは彼が見た事もない文字で書いてある。”起源”を読めれば問題は無いのだが、その力も今では史華へと移ってしまった。だが、それでもこの本がただ事ではないのは分かる。異様な雰囲気を漂わせたこの本が何らかの強い”想い”で書かれている事は確信出来る。


「この本はその昔、中世時代のある戦争の記録らしいぜ。何でも百年戦争の頃のな。確か、【ラテン文字】って字で書かれてンだとさ」

 彼はその本とそれについての話を知り合いの歴史学者から聞いた。

 それによると、かつて魔女の棲みかとされたある霊園にはある薔薇の花が咲いていた。

 その薔薇には不思議な力が宿っており、水ではなく生き血で育つという。

 その薔薇の持ち主には超常の力が宿り、敵を全て殺した。

 だが、いつしか血に魅入られた薔薇の主は人の生き血を捧げる様になり、最後には騎士団によって討たれたという。

 薔薇の花も全て焼き尽くしたとされていたが、一説では騎士団がその薔薇を密かに隠し持っていたともされる。

「薔薇の花……ですか」

「ああ、それの一つがちょい前に九頭龍に入ってきてな、ちょっとした騒ぎになったンだ。ンで調べてみたら、どうも京都から入ってきたらしくてよ……心当たりは?」

「いえ、ありませんね。その薔薇は……」

「ああ、どうもただの人の血じゃダメらしいぜ。あの花を咲かせるには強い力を持った土地、もしくはオレやアンタみたいな連中の血が必要らしい」

 つまりは、常人とは異なる異能力を持った者が生け贄に必要らしいとの事だった。

「誰だか知らねェけど、そいつがもしもまだ薔薇を育てるつもりなら、狙われるのはアンタみたいな奴だろうさ」

 それだけ言うと零二は出ていった。

 しばらく京都に滞在するので、怪しい話があれば教えろ、という事で話が付いた。要は”釣り餌”になれという事だった。


「はは、称美。お前の企み等最初からお見通しだったらしいぞ。手のひらで踊る気分はどうだ?」


 締老人は自身の世話役に辛辣な言葉を浴びせ嘲笑する。

 笑われた側の称美はその端正な顔を怒りで震わせている。


「御当主はあの薔薇をご存じだったので?」

「いえ、称美めが欧州に行った際に持ち帰った希少な薔薇だと言う話でして、育てるのを認めたのです。こんな化け物とも知らずに申し訳ない」

「いえいえ、気にしないでください。こちらも最初は御当主を疑っていましたので……」

「でもさぁ、あの薔薇って生き血がいるんじゃないの?」

「それは恐らくはこの土地の力を吸い上げる事で解決したのでしょう、ただし、時間がかかる。そうですね?」

 真名が話を振った事で無視され続けた自尊心を少しは取り戻したらしい、表情は歪んでいたが、微かな笑みを浮かべた。

「ええ、ですから……貴方方を呼んだのです……力を持ち……」

「……防人とも、退魔師とも距離を置くフリーの異能力者を餌にする為に、ですね」

「は、はっは。何だ察しがいいじゃないですか。もう諦めてくれましたか? 花が教えてくれるのですよ、もっと美しい花を咲かせるのには良質な【肥料】が欲しい、とね。喜んで下さいよ。それが貴方方なのです」

 夷隅称美はあっけらかんとした真名の様子を諦めた、と思ったらしい。余裕の笑みを浮かべ、饒舌になる。

 だが、

「いいえ、こんな所で死ねませんよ……ねぇ」

 しかし、真名が口にしたのは諦めとは真逆の言葉に表情。

 その様子を見て、侮辱されたと感じた夷隅称美は言葉を荒げる。

「く、うるさいよっ、死ねっっっっ」

 掛け声と共に異形の薔薇は、その茎から枝葉を伸ばす。それはみるみる変化を、まるで死神の振るう鎌の様な形状へと変わる。

 その鎌が捕らえた真名と史華へと振るわれる。

 薔薇の持ち主は、これで二人共に身体を両断。死ぬだろうと思った事だろう。


 だが、

「へっ、くっだンねェな。どんな化けもンが出るかと思ったら、単にバカでかい薔薇の化け物ってワケだ」

 その死神の鎌は食い止められていた。

 それを為すは一人の青年。武藤零二だった。

 彼は真名へと振るわれる鎌をその左足で蹴り飛ばす。

 史華へと振るわれる鎌は右手刀で叩き落としていた。

 そして更に一歩踏み込むや否や目にも止まらない速度で真名と史華を縛っていた薔薇の根を掴む。するとその根が瞬時に焼き切れ、薔薇が声を出す変わりに風も無いのに大きく花弁を揺らす。

 自由になった二人だが、真名はそのまま勢いよく尻餅を、史華は零二が丁度お姫様だっこの様な形で抱えていた。

「あ、レイジ君だ。やっほ」

 史華の言葉からは自分が如何に危険な状況だったか、その緊張感は微塵も感じられない。

 まさに彼が事務所に遊びに来たのと同じテンションだ。

「あ、ああ……やっほ」

「ひっさしぶりだねぇ、一人なの?」

「え、ああ、連れは一応な……」

「え? 彼女さん? どうなの?」

「う、ええーーとそンなンじゃねェ…………って何だこの会話はよおッッッッ」

 日頃は自由気まま、傍若無人を標榜する零二も本物の自由人でかつ天然ふわふわ少女には太刀打ち出来ないらしい。コイツ、大丈夫か? と小声で呟き、呆気に取られた顔をしている。天然少女は零二を自分の兄貴扱いして気に入っているのでどんなに怒鳴ろうが、満面の笑みを浮かべたままだ。

「あ、まぁ私は感謝してますから……ね?」

 腰を叩く真名がとりあえずそう言葉をかけるものの、すっかり空気が緩んでしまった。

 枯れ木の様な締老人も空気等全く考慮しない彼女に唖然とし、あの薔薇の育ての親であった夷隅称美も開いた口が塞がらない。


 すっかり弛緩してしまった場の空気が戻ったのは数分後。


「さ、さて決着付けましょうかね? 零二君」

「あ、ああ…………そだな」

 気を取り直した二人は、互いに一度頷くと相手へと向き直る。

「史華さんはここから離れてください。御当主と一緒に」

「ええっ、私も見たいよーー」

「いいから離れろっての!!」

「レイジ君までーー、もうっ」

 そう言いながらも、二人同時に言われた為か、さしもの天然少女も大人しく引き下がる。締老人の車椅子に手を回すとそのままこの場から距離を取ろうとした。


「ンじゃこれで集中出来るよな?」「ええ、ですね」

「馬鹿ですか貴方方は? 逃がすと思っているのですか?」

 夷隅称美は高笑いをあげると指を鳴らす。

 ゴゴゴ、と地面が再度揺れる。今度はさっきよりもより一段と強い揺れだった。薔薇の花が巨大化していく。その大きさはおよそ二〇メートル、といった所か。まるで数百年経った大木の様だ。

「ははは、麓にもこの薔薇の根を伸ばしました。もう後の事など構いません。ここで貴方方を殺して血を吸わせれば、この薔薇は最高に美しく咲き誇る事でしょうからねェェッッッッ」

 真名と零二が麓へと視線を向ける。確かに巨大な根っこらしき物が無数に地割れから飛び出している。

「これこそ【死の園】と言われた戦場に咲いた魔性の薔薇の本来の姿。どうです? これが無数に花開けば、世界はより一層美しくなるはず。栄養源の人間等いくらでもいる、世界中にこの花を咲かせてみせます。貴方方はその為の生け贄だあっっっ」

 最早、正気を失ったらしい。夷隅称美という端正な顔をした青年はもうこの場にはいない。

 そこにいたのは目の前でぐんぐん巨大化していく悪魔の花に魅了された人の形を取った怪物。

「言っておきますが無駄ですよ、この花はもうこの土地から充分に力を貰いました。如何なる力を持っていようがこの花の全てを葬る事は――」

 そう愉悦に満ちた声をあげた瞬間。


 ゴオオオオッッッ、と火柱が巻き上がる。その巨大な炎は山に届くのでは? と思える程に激しく燃え盛る。

「なっっ」

 夷隅称美が声を出す。

 更に事態は続く。

 キイイイン、という耳を貫く様な音が響く。

 辛うじて炎を免れた根っこが文字通りに粉々になった。

「ば、馬鹿な……下にいた凡愚諸共消しただと……」

「そいつぁ、違うぜ。見なよ」

 零二が指差したのは敷地の外。そこにはつい今まで麓の邸宅とその周辺にいた使用人等の関係者達が立っている。

 そして目についたのはまるで一陣の風の様な速度で往き来する女性らしき姿。

 知り合いの姿を認めたらしい史華が叫ぶ。

美影みかげさんに歌音かのんちゃんにまつりさんだーー」

 史華は視力が極めていい。どういうわけだか分からないが視力がアフリカのマサイ族の戦士並みだ。

 彼女に見えたのは炎を操る伊達眼鏡の女性こと美影に、それに背の低い気の強そうな少女である歌音、それに胸元が開いたブラウスを纏い、信じられない速度で動くセクシーな雰囲気を醸す祀の三人。彼女たちはいずれも零二の仲間達だった。

 そう零二が動くと、もれなく彼の仲間達も動くのだ。

 彼らの戦力は個々人でなまじっかな軍隊を軽くあしらえる。これが零二達の一〇人にも満たないグループが、九頭龍という街でパワーバランスを保っていられる理由だ。

 彼らと対立する事が如何に無謀なのかを、敵対者達はこれ以上なく完膚なきまでに叩き込まれる。その結果が今の零二の掴んだ自由だ。それは制限つきで仮初めではあったが、彼が掴んだ大切な物。何があろうとも守り抜きたいかけがえの無いものだ。


「――さって、と。ンで、何がどうしたンだっけか?」

 零二は無邪気に笑う。真名は知っている。この青年が本気で怒っているとこの表情になる事を。

「く、くっそっっっ。殺れっっ」

 夷隅称美の声に応じて無数の根が地面から、茨が鞭の様に飛び出してきた。

 さっきまでとは違いそれらの根は細く、縄というよりは針の様だった。

「うおっっ、と」

 零二は後ろに飛び退く。深手こそ負わなかったが、腕や足には無数の傷が刻まれていた。

「うン。こりゃあ、オレが来て正解だったわ。真名さンじゃあキツいぜ、これはよ」

「ええ、そうですね」

「じゃ、とりあえずオレが道を造ってやンよ。だからフィニッシュは任せたぜ――ンンッッッッ」

 そう言うと零二の全身から突如湯気が巻き上がる。

 同時に傷が塞がっていく。これも彼の異能力の一つ。

 彼の異能力は熱操作及びにそこから巻き上がる炎。

 全身の新陳代謝を高める事で驚異的な運動神経や回復力を発揮する。

 現に飛び出した彼は地面から続々と生えてくる針山鞭の様な茨を、その隙間を縫う様に躱していく。

「く、くそッッッッ、殺せッッッッ」

 夷隅称美は半ば絶叫しながら命令する。

 だが零二はそれをも躱していく。そして彼の右手が白く輝き――燃え上がる。

「とりあえず――燃えちまえっっっっ」

 烈火の拳が巨大な薔薇を瞬時に炎上させる。彼は触れた物を内部から焼き尽くす事も出来るのだ。

 それに伴い、無数の根も燃えていく。

「今だぜっっ」

 その声に呼応した真名が飛び出す。 零二の様な無茶苦茶な速度ではない。だが動きにくいはずの和装を着崩さず――最低限の動作及びに足運びに一切の無駄は無い。彼が何らかの訓練を受けてきた事は明白だ。

 真名は袖から扇を取り出し――バサリ、と広げた。


 古来より扇には呪術的な意味がある。

 戦さの前に神仏へ勝利の祈りを捧げ、時に神の依代として祭事に用いられる。または天狗等の持ち物でもある。

 様々な逸話を持つこの道具の用い方には”願ほどき”という呪法がある。この呪法は死者が生前に抱いた”願い”を死後にまで持ち越さない様に解き放つ呪法。

 真名がこの扇を多用するのは、怪異や異能の類は基本的に死者にしろ生者にしろ強い願いを抱く者に発現する事が多いからだ。

 彼らの”情念”を祓うのにこの道具の起源が便利だから。

(もう人は殺さない)

 そう心に決めた異能者の”誓い”の証。


 今や燃え尽きようとする薔薇の花の目の前に真名が辿り着く。

 薔薇の花が最後の足掻きだろうか、その棘を飛ばしてきた。

 まるで散弾の様に解き放たれたその凶弾に真名は扇を一扇ぎ。

 ふわり、とした風がその凶弾に触れた瞬間、消えてなくなる。

「何ぃ?」

「これで終わりです」

 愕然とする夷隅称美を一瞥し、真名は扇を頭上に掲げると薔薇の花を扇いだ。薔薇に心を奪われた青年が叫ぶ。

「やめろおおお」

 そのささやかな風は巨大化した薔薇の花を消し去っていく。

 声にならない声が響き渡る。それはあの薔薇の花に宿った何者かの情念、心の声だろうか。その憎悪に満ちたその声はしばらく響き……途切れた。



「ンで、この兄ちゃンをどうすンだ?」

 手足を拘束された夷隅称美は、完全に放心情態だった。いつの頃からかあの薔薇に精神を乗っ取られていたのだろう。一度堕ちた精神は簡単には回復はしない。じっくりと時間をかけるしかない。しかし、幸いにも彼自身は異能者ではない。やがては元に戻るだろう。

「そうですね。警察は意味ないですし、防人に連絡します」

 幸いにも、締老人が防人の重鎮と懇意にしていたらしい。後の面倒は任せて下さい、と言っていた。

 枯れ木の様な老人にとっては、こんな孫でも、今や彼が唯一の肉親らしく命を断つ事は出来ないのだろう。



「にしても、レイジ君やっぱ強いね、あちょー、どりゃーって」

 見よう見まねでパンチやキックをしていた史華が隙を見つけ、いきなり零二にタックル。完全に油断していた野生青年は、ぐばっっ、と呻きながらあっさり倒れる。やはりこの天然ゆるふわ少女には勝てないらしい。顔を打ったらしく呻いている。

「それで、どうでした?」

 真名は助手の頭をポン、と優しく叩く。彼女はあの薔薇に捕らえられた時にその”想い”を観たのだ。


「ええ、と。あの薔薇は元々は戦場に咲いた花だったみたい。

 その戦場では大勢の人が死んでしまって、地元の人はそこにお墓を作ったの。その際の大勢の人の様々な思いが土地に染み渡って、それでお花に宿って――」


 史華の話はこうだった。

 そもそもその土地は特別な場所という訳では無かった。だから墓地として使われたそうだ。

 だが、幾度も戦争が起きる度にお墓に皆の思いが土地に染み付き、自生していた薔薇にやがて意思を持たせた。死にたくない、って。生きていたい、という意思の元で。

 それで百年戦争の時にも墓地の近くで大きな戦いがあって、その際にある金髪の貴族がこの薔薇を掲げて戦った。

 それはこれ以上、この地で悲劇を起こさない為だった。

 しかし多分、この貴族も何らかの異能者だったのだろう、彼の血を吸った事で薔薇は魔性の花となった。貴族は、薔薇から出でる魔性と魔力に後押しされ、敵軍を撃退。英雄となった。

 だが、その頃には完全に薔薇の魔性の虜となっていた彼は血を欲する様になった。そして彼は夜な夜な無辜の人々を殺し始めた。薔薇の花は生き血を啜り、その肉を養分にしてグングン育った。

 だがその事を知った教会の法皇から名を受けた騎士団が派遣。激しい戦いの末、多大な犠牲を払いつつも倒したそうだ。

 ここにあった薔薇は、その騎士団が封印したのだが、近年になって何者かが盗み出し、その中のいくつかの種が様々な人を経由して市場で売られていた。そこに偶然市場足を運んだあの夷隅称美が買い、様々な事件を引き起こし、こうして今に至る。


「ンで、つまりはこの花、種がまだあるって事か?」

「多分ね、でも大丈夫」

「何がだよ?」

「何かあったら、真名さんがちゃちゃっとやっちゃえばいいんだよ」

「あのね史華さん、流石に海外は……」

「えー、何でさ? 行ってみたいよぉ」

「へっ、……大方怖いンだろ? 高い所が」

「ば、な、何を言うんです、そんな訳ないでしょッッッッ」

「あー、図星だ。隠してもムリよ、私達の心は繋がってるんだからさぁ」

「し、史華さんッッッッ」

「きゃあ、こわーい」

 史華がその場を駆け出し、真名がそれを追う。

 その姿を見つめながら零二が呟き、笑う。

「ハイハイ、ごっそさン。……さってオレも帰るかね、九頭龍に」

 かくして真名と史華は事務所へと。零二は三人の仲間達と共に九頭龍へと戻っていく。

 こうして異能者達はそれぞれの日常へと帰っていくのだ。



 日本では様々な怪異が今も起こっている。

 それらは時に人の心を蝕み、闇へと引きずり込もうと蠢く。

 だがこの京都に異能探偵がいる。

 もしも、あなたの側に何か怪異起こっているのなら、彼を訪ねるといい。彼ならばその怪異を、情念を祓ってくれるかも知れない。

 彼の名は真名。物の起源を知る者。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ