四つの鍵とトイレと樽
……現在、我が家ではちょっとした問題が発生している。
家っていうか、まあ、酒場の話なんだけれども。先日女性客が入ってる途中にもかかわらずトイレのドアがあけられ、要するに覗かれてしまったのである。
覗いた男性も酷く反省していたし、不幸中の幸いか故意ではなかったようなのでその場は何とか収まったものの、簡単に覗きができる店なんてあまりよろしくない。これは一大事だと、私はここのところずっと原因を考えていた。
結果、わかったことが一つ。……これは前世があったからこそ気づけたことなのだが、うちの酒場のトイレで簡単に覗きができてしまうのは、明らかにトイレのドアに鍵がついていなかったのが原因だ。
よく考えたらこの世界のトイレには鍵がついていることが少ない。しかも男子トイレと女子トイレが分かれてるのもあまり見たことがない。確かにそうだ、何故私は今まで気付かなかったのか。……あれだな、多分トイレに入ってもあんまり鍵をかけなかった習慣のせいで羞恥心がなくなってんだな。
と、いうことでトイレに鍵をつけようと思うのだが、どう作れば良いのかわからない。実家の納戸とかみたいな簡単な鍵の形は想像できるんだけど……材料は鉄並に硬い木が市場に売ってるから問題ないと思うんだけど……どうやって加工しようかなー? 誰か造るのが得意な人とかいないかなー? お客様の中に職人様はいらっしゃいませんかー?
「すいませーん、オレンジピール樽詰めをご注文のお店ですかー?」
「あ、はいー」
紙に鉛筆っぽいものでワシワシ落書きをしながら考えていると、注文していたお酒の材料が到着した。思ったより大きい。かなり重宝しそうだと思って多めに注文したのを忘れてたよ……。こんなバカでかい樽どこにおけばいいってんだ。
……ん、てか、私オレンジピールの樽詰め二つも頼んだっけか?確か一つだけだと思うんだけどなぁー? まあ、とりあえず品質の確認がてら、樽を開けてどんな物か確かめてみましょうかね。
樽の蓋についている取っ手を引っ張ると、ぱかっと小気味良い音を立てて樽が開く。
中を覗くと、そこにはワカメがあった。
「……ん?」
そして、予想外の展開に思考の停止を余儀なくされた私がそのワカメをじっと見つめていると、どういう理屈か、ワカメの中から充血した目が――
「~~ッ!?」
それを見た瞬間声も出さず樽を横に倒した、なにあれなにあれ、怨霊てきな? オレンジピールの怨霊てきな? でもオレンジピールがワカメになるとか聞いたことないんですがそれは、どう言うことなんですかねぇぇええ!!!!
「痛ッ!……ひどいですよ、なにするんですか?!」
「……に、人間? オレンジピールの怨霊違う? ワカメ違う?」
「違いますよ!! 何言ってんですかせんぱ…………先輩?」
倒れた樽から這い出てきた人物は、声からして女性のようだ。ワカメのようにうねる黒髪にインドアつっぱしってるのが一目でわかる白い肌。東之国風の衣服の乱れを直しずれた眼鏡を押し上げると、彼女はあらためてこちらを見た。ああ、やっぱりというかなんというか、案の定そこにあったのは前世で見慣れた後輩の顔。
まあ、言い訳がましいけど予感はしてたよ? 『先輩』なんて呼んでくるのはナミラさんとオーガさん、要するに『前世の後輩』だけだし。
「……なんていうか、なんとなくまた会える気はしてたんですけど。まさかこんな出会いになるとは思っても見ませんでしたよ。お久しぶりです。こっちではミキレイと名乗っております!」
「うわぁ常識人愛してる。……じゃなくて、久しぶりだねー! 今は買い物に行ってるけど、他に整体師とニートがいるよ」
「ひえぇ、濃い面子が揃いましたねぇ」
ああ、うん、まあねー。と、遠い目をして答える。……そういえば、ミキレイさんは美術的センスに満ちあふれてたから何とかいけるかもなぁ……うん。ミキレイさんだし大丈夫だよ、失敗しても誰もせめたりしないし!
「ミキレイさん、鍵とか作れる? なんか女性的な人がトイレ覗かれちゃって、何とかしてくれって……」
「わかりました、可愛い女の子のためなら作ってみせましょう! それに、鍵は簡単なものならすぐ出来ますからね。出来たらここに居座りますからね!」
「さっすがミキレイさん! センスに満ちあふれてるぅ!!」
その女性的な人っていうのは、スリットが深く入ったセクシーなドレスを着ているゴリマッチョのオカマさんなんだけどね!! ごめんねミキレイさん! でもうちの部員はストライクゾーンが広いから問題ないね!!
それから、ミキレイさんは材料を買い集めるべく一人で市場に繰り出していった。
そうそう、忘れていた本物のオレンジピールの樽を見とかないとね。樽を開けてオレンジピールをいろんなお酒に混ぜてみる。今のところ、炭酸の少し入った甘いお酒に混ぜるのがいいっぽいんだけど……。
と、底の浅いグラスを探している途中でミキレイさんが帰ってきた。どうやら街にお使いに行ったオーガさんとナミラさんに出くわしてしまったらしく、二人が買ったものまで持たされたようだ。疲れた顔をしている。
「もう嫌なんですけどこの二人! オーガちゃんはじゃんけんに負けたのになんか私が持つことになってるしナミラちゃんはもげちょんぱ! とか言って頭にチョップしてくるし!」
「うんうん、今度この二人に『自重できません』って書いておくからね」
「そんな事したら潰しますよ」
「どこを!?」
オーガさんが真顔で恐ろしいことをいうものだから、私ったらなにもついていないのに股の間を押さえていた。手が勝手に動いたんです、本能的に危険を感じたんです。
そんな私たちの様子を懐かしそうに眺めた後、ミキレイさんはにっこり笑ってこう言った。
「あー先輩。もう造っちゃって大丈夫ですか? OKなら、どこか広い場所をお借りしたいんですが……」
「うん、大丈夫だよー。裏庭があいてると思うから、自由に使っていいよ。道具は物置に入ってるから。……あ、洗濯物汚さないようにね?」
「そんな激しいことしませんよ!」
激しいこと、と聞いて変な想像とかしか出来ない私はもうすでに手遅れだね仕方ないね。
裏庭からガンガンゴンゴン聞こえてくることに少し心配しながらバーカウンターを磨く。そして、ナミラさんは脇腹を指でさすのやめてくれないかな。
「ナミラさん、君はいったいなんなんだ」
「人間です!」
「うん知ってる」
そんな非生産的なやりとりをしていると、鍵を造り終えたらしいミキレイさんが外から帰ってくる。数個くらいを想像していたんだけど、どうやらかなりの数を作ってくれたらしい。これなら、トイレ以外の場所にも取り付けることができそうだ。
鍵も手に入ったことだし、これでクレイモアさん(スリットの深く入った赤いドレスをきた金髪の、ゴリマッチョな三十代男性、いわずもがな心は女性的である)も安心して用を足せるだろう。
「ありがとうミキレイさん! これでお客さん逃げずにすむよ!!」
「じゃあ、約束通り居座りますからね! これでタダメシだ! わーい!!」
うん、タダメシなのはそうだけどさ……。喜びすぎじゃない? ちなみに、そのタダメシの材料は主にオーガさんにとってきてもらってるんだけどさ、毒でしとめてくるのはやめてもらいたいよね、毒抜き大変だし。
「じゃあ、部屋は用意するからミキレイさんは工房で色々作って売っちゃおうぜ!!」
「そのくらいならお安い御用です! 任せてください!!」
そして、私とミキレイさんで早速鍵を取り付けた。鍵のかけ方もちゃんと説明して、しばらく様子を見てみたがこれがなかなか好評のようだ。今度ミキレイさんには市場で東之国の物が売っている店を紹介してあげよう。
果物を切りながらそんなことを考えていると、どすどすとこちらに向かってくる大きな足音がした。うん、間違いない。クレイモアさんだね。
「ナナセちゃーん、鍵つけてくれたのよねぇ。ありがとうっ! 今度お店に来たときサービスしてあ、げ、る!!」
「はいー、お願いしますー」
……オカマさんバーには、何度か誘われているが行ったことがない。一人で行くのは寂しいし……あ、ナミラさんなら喜びそうだし、今度誘ってみようかな?
目の前にいるクレイモアさんがしなり、と身体をくねらせた。
「鍵を作った子にもお礼したいわぁ、会わせてちょうだぁい?」
「は、はは……また今度ご紹介しますよ」
……さて、いつミキレイさんにこの可愛らしい女性(ゴリマッチョ三十代男性)を紹介しようか。その時の惨状を想像して、私は一人ため息をついた。
12/7 誤字脱字修正しました。