第二話 「終わりの始まり」
終わりの始まり。明宏は確かに死んだ。自らが死を迎えた感触を確かに覚えている。あれで助かって居たのなら人類はついに不老不死の力を手に入れたと言っても過言ではないだろう。しかし不老不死は未だ届かくぬ人類医学の頂きである。
「(ならなぜ、俺に意識がある……?)」
確かに明宏に自我意識があった。しかし体の感覚は全く存在しない。ただ意識のみが存在した。
「(しかし何故だろう。体の感覚も無く、周りは全て闇。普通は不安で仕方ないはずなのに、どうしてここはこんなにも安心するのだろう)」
彼がその空間に身を委ねてからどれほどの時間が経ったであろうか。しかし、その終わりは唐突に表れ
た。急にその空間全てが自らを押し出そうとしたのだ。少しだけ抵抗しようとした彼だったのだが、体の感覚は未だ無かったので為すすべもなく彼は、その居心地の良い空間から押し出されたのだ。そして闇しか存在しなかった場所から、光ある場所に連れ出されて彼が初めて目にしたものは、自らを見下ろす大人たちと……赤ん坊サイズとなった自らの四肢であった。それは不老不死さえ凌駕する、過去の記憶を持つ生まれ変わりであった。
「(加賀明宏、どうやら0歳の誕生日を迎えたようです……)」
「リース様は魔力神経が欠陥しています。魔力自体は心の臓より生成されていますが、四肢には全く行き渡っていないようです。それがリース様の御体が動かない理由です」
そう言って白衣を着た年老いた男は、沈痛そうな顔をした。
それを聞かされた高い身長を持ち綺麗にヒゲを整えた三十代半ばの男性は、元々厳つい顔をさらに厳しくした。
「何とかならんか? どのような手段を用いても良い。この子の体が動くようにはならんか?」
すがるような男性の言葉に白衣を着た老人は静かに首を振った
「これでは、生きているだけでも不思議というもの。ご存じの様に我らの体は自らの心の臓で魔力を生成し、それを体の中にある神経に注ぐことで四肢を動かしています。しかしリース様は、心の臓より魔力元素を生成していますが、それが全く体に流れておりません。しかし魔力神経自体は存在しています。それで流れていないのは、神経が心の臓に繋がっていないのか、繋がっていても魔力が流れていないのか……これ以上詳しい原因は分かりません。しかし、これでは四肢を動かすどころか、これから先何年生きられるかも分かりません」
老人が静かにそう言うと、それを男性と同じように男性の隣で聞いていた女性はついに耐えきれなくなったのか涙を流し始めた。
そうして白衣を着た老人と厳つい男性、涙を流すの女性が見守る先には静かに眠っている……眠っているフリをしている赤ん坊が居た。
「(加賀明宏改めリース・ロタリンギアとなった俺は三歳を迎えたようです。三歳になっても体が動かないのはそういう訳だったのね)」
少し情報を整理してみようとリースは思った。
ここは地球と違うどこか別の場所。
リースが生まれたのは、ザールラント帝国と言われる大陸の西方に位置する国である。
文明は中世ヨーロッパに酷似している。
しかし、リースがここは地球では無いと判断したのは、この世界には魔術と呼ばれるものが存在したからだ。自らの心臓で生成される魔力元素を体内の神経を通すことで体を動かす。
これにより地球に居た人類より遥かに高い身体能力を持つ。また、その魔力元素を体外で形にすることも可能である。
この世界の人間は意識せずとも体の中から魔力元素が僅かながら溢れ出ている。
自らの手で空中にルーンを刻むことでその溢れ出ている魔力元素に意味ある形と変えるのである。
それが魔法である。
しかし、リースの場合そもそも心臓より神経に流れるはずの魔力元素が全く流れていない。
ようは血液が心臓で作られるがそれが、血管に一滴たりとも流れいないのと同じである。そもそもこんなことはありえない。
魔力元素が生成されるがそれが流れないなど普通は考えられないのである。
だからリースの体は動かすことができない。
だが僅かながら心臓から直接漏れ出ている魔法元素で必要最低限の内臓の活動と、喉を震わせて言葉を紡ぐこと、眼球を動かすことのみ可能のようだ。
「(やっぱり、魂と肉体との乖離かな。元々魔力元素も魔力元素を流す魔力神経も無い体から生まれ魂がこの体に宿ったのだ。なら体はその機能を持っていても魂が、その機能の使い方を知らないってことかもなあ。それなら自力で使い方を覚えさせてやればなんとかならんかね。まあ普通に考えてそんなこと無理か。というより生きているだけで奇跡だな)」
そんなことを考えながらもリースの心はそれほど慌てては居なかった。元々ネコを助ける為に一度は失った命である。それがこのような理不尽な肉体であろうとどうして文句が言えよう。そう肉体も魔法も異世界も全てどうでも良い。とにかくリースにとっても懸念事項は、たった一つである。この世界にネコは居るのか。いるとしたらそれはどんなネコだろうか。そんなことを考えながら涙にくれる新しい両親を見るリースであった。
「(しっかし、俺もとんでもない家に生まれたものだな)」
父親は、ザールラント帝国において大公の位を持つロタリンギア家現当主のガルシア・ロダリンギアという。大公は王家の血筋を持つものが持てる位である。
ただ王家と言ってもあくまで現国王の直系の血筋という訳では為、ガルシアにもリースにも本来なら王位継承権は存在しない。しかし、この国は厳密な王政を取っている訳ではない。
この国には、元老院と呼ばれるものが存在する。それは高名な学者、軍において多大な成果を上げた将軍などから成る存在だ。その元老院には貴族の爵位を持つものは入ることがことが出来ない。
そして元老院が持つ権限はたった一つ。
次世代の王の選出である。そしてそれは、大公家に連なる者なら誰を選んでも良いというものだ。
例え現国王の子供であっても、他の大公家の人間と王位継承権に順位の優劣は存在しない。
元老院に自らの存在を、成果を、力を、見せつけることで選出され国王となる。
元老院は、国王の治世及び国王の解任などには一切権力を持ち合わせていない。
つまり国王は、自らの意思で政治を行い、そしてその任期の間は革命でも起きない限り失脚されるこは無い。そして国王の任期は十年である。十年たてば再選出となる。ただし、何度でも再選出されることは可能なので過去には四十年国王を勤め上げた人間も居たという。
「(要は王政と大統領制の中間、民主主義と絶対君主制の中間と言ったとこか。つまり俺にも王位継承権があるんだよな。まあ王様なんて興味もないけど。というかこんな体じゃ父親がロタリンギア家を俺に継がせようとはしないだろ)」
そんなロタリンギア家当主でリースの父親たるガルシアは、鍛え上げられた立派な肉体を持ち、綺麗に整えられた髭に短く切り揃えられた髪を持つ三十代半ばのまさに大公家当主と言った風貌を持つ男である。しかし今はその目はどうしようもない悲しみに暮れていた。
やっと生まれてきた自分の息子が、体を全く動かすことが出来ないばかりか命すら危ぶまれる。そんな状況を改めて知らさせ慟哭が漏れ出しそうな口を必死の覚悟で閉ざしているのは、隣で涙を流して居る妻を支える為である。
そんなガルシアの妻でありリースの母親でもあるシルフィア・ロタリンギアは、同じ大公家であるロートリンゲン家から嫁いできた女性である。流れるような美しい銀の髪を腰まで持ち、空のように澄みとおったスカイブルーの瞳をしている。背は小柄で全体的に豪華なドレスよりも純白のワンピースが似合いそうな出で立ちである。そのような女性が静かに涙を流すさまは、まさに儚げであるの一言につきる。
「(どうみても十代の美少女にしか見えない……。年は父親と変わらないはずなんだが、これも魔法の為せる神秘の一つとでも言うのか……?)」