第八話 襲来
正府領とエ二スタンに跨る広大な森林、サリエル樹林。聖都とカナリアを結ぶ街道はその中心部を大きく迂回するようにして、森を東西に貫いている。森の浅い部分を通るようにしてあるため街道はよく整備されているのだが、それでもなお草原の道よりは揺れた。俺は痛くなった尻を空気椅子の要領で浮かせたり沈めたりしながら、馬車の中で暇を持て余している。
鬱蒼と茂った森は昼でも薄暗く、湿った空気に満ちていた。しかし危険な獣の気配などは一切なく、今のところ平穏そのものである。せいぜい小動物が街道を横切るぐらいで、魔物はおろか熊など大型の野生動物もあまり見られない。
今日で旅も三日目。明日には森を抜けて、また草原へと出るがこの調子ならなにも起きそうになかった。一昨日の夜には厄介事センサーがビンビンに反応していたのだが……杞憂に終わるならいいことである。
「暇だな……あと二日もこんな調子か」
「仕方ねえよ、ホントは俺たち護衛なんて仕事が無いのが一番だからな」
ハシンはそういうと、口を押さえて大あくびをした。他の護衛たちもぶらぶらと暇そうにしている。馬車の中はすっかりだらけきっていて、俺もその例外ではなかった。だがその時――背筋がぞわりと冷える。
「何か来るぞ!」
「何!?」
「横だ、伏せろ!!」
炸裂する極光、にわかに白む世界。
森の暗闇から飛来した光は幌を突き破り、馬車を貫通していった。逃げ遅れた護衛の一人がそれに巻き込まれ、紅の華が咲く。厚い皮の鎧に大穴があき、醜悪な肉が晒された。紅い雨を降らせながら男は床へと倒れ込む。
まさに刹那。さきほどまで仲間とくだらない雑談に興じていた男は、ほんの一瞬にして物言わぬ骸となったのだ。なんだこれは――俺は茫然として、その場で動きを停止してしまう。人が目の前で死んだのは、これが初めてだった。
「なにしてるんだ、急いで外に出ろ!」
ガーチスが叫ぶ。俺は震える足を無理やり動かすと、馬車の外へと降りた。すでに護衛たちは武器を構え、それぞれの守るべき場所へと散っていた。これがプロと素人の違いか。俺も喧嘩などはよくしていたが、殺し合いはこれが始めてだ。やはり、地力では勝っていても経験値が彼らとは天と地ほども違う。
震える心を無理やり押さえつけると、俺は森の奥を見た。するすると風が抜けるような音を立てながら、何か黒い影がこちらへと迫ってくる。木の枝を渡ってくるその様子は、昔映画で見た忍者のようだった。
全部で五つの影が、俺たちの前に降り立った。全身黒づくめで、手にはくの字型に大きく曲がったナイフを携えている。
「てめえら何者だ!」
俺の隣にいたハシンが啖呵を切った。その手には先ほど死んだ男の服の切れ端が握られている。知り合いだったのかもしれない――俺は、ハシンとその男がよく話しているのを耳にしていた。
返答はなかった。が、代わりにナイフが宙を裂く。俺は闘魔で身体を強化すると、二人の間に割って入った。腕がしびれるような感触と共に、ナイフが飛ぶ。
もはや容赦する余地はない。
アドレナリンが効いているのか、俺は身体が熱くなるような感覚を覚えながらも加速する。ナイフを弾かれ隙ができた黒づくめの腹に、まずは一撃。そしてくの字に曲がったところで、さらに背中へ重い肘鉄。男は血を吐き、そのまま地面へ倒れた。死んだ。しかし感慨を抱く暇はない。
後ろから迫ってきたナイフをかわす、体勢を乱した黒づくめがその横顔を晒した。一瞬だが無防備となっているそこへ、鉄拳を炸裂させる。鈍い感触と共に男の顔がひしゃげて白い歯が何本か飛んだ。これで二人目。俺は恐れを抱いたのか反応が鈍っている黒づくめへと、新たな狙いを定める。
「化け物め……」
違う、それは何のためらいもなく攻撃を仕掛けてきたお前たちの方だろう――。
横なぎに振るわれたナイフを後ろに飛んでかわすと、今度は蹴りを一発喰らわせた。わき腹に直撃したその一撃は男の身体をいともたやすく吹き飛ばす。吹き飛んだ身体は近くの大木へと叩きつけられ、その枝をを大きく揺さぶった。これで三人目、気がつくと俺の周りにはすでに戦える黒づくめは居ない。俺が戦っているうちに、ガーチス達が残りの二人を倒したようだ。
「さすがだぜ! 俺たちが四人がかりで一人を倒したのに、一人で三人倒しちまうなんてよ! 正直、お前がいなかったら危なかったかもしれん」
「ああ……」
ガーチスが感心したような顔をして手を叩くものの、俺は素直には喜べなかった。三人殺した――今になってその事実が重い。これもしかたがないと割り切るものの、気分が少し憂鬱になる。俺もまだまだ平和ボケが抜けきっていないらしい。
俺たちが馬車の応急処置や後片付けに取りかかろうとすると、マリネがやってきた。彼女は幌に多穴のあいた馬車やその隙間からのぞく血痕を見ると、すぐさま顔を蒼くする。
「こりゃ、こっぴどくやられたもんや……」
「面目ない、一人犠牲者が出ちまいました。ですが、今後も旅を続けるしかないでしょうな」
「ここまできたら後戻りはできへん。カナリアに行くのも聖都に戻るのも一緒や」
「了解しやした。おい、みんな。すぐに出発するぞ」
マリネはそのまま自分の馬車の方へと戻ろうとした。その背中には何か、深い影があるように見えた。
「待ってくれ!」
「ん、なんや?」
「マリネさん、あなた何か秘密を隠してやしないか? 誰かに狙われてるとか、そういうことはないのか?」
マリネの顔が露骨に曇った。これは間違いなく何かある。だが、彼女はすぐに平静を取り戻すと何事もなかったかのように話す。
「……嫌われ者の奴隷商人やからな、恨みをもっとる者もきっとおるやろう。だけど信じてや、奴隷商人がこんなこと言うのもあれやけど、うちはまっとうな商売しかしてへん」
「………………そうか」
「わかったら、これからも護衛の仕事を頼むで」
マリネはそういうと馬車の奥へと引っ込んでいった。俺はその背中を最後まで見送ると、キャラバンの後片付けに取りかかったのであった。