第四話 外界と跳ぶ女
「やはり、継承の儀の時になにかあったんだな?」
琴乃の言葉に俺は深くうなずいた。そして琴乃に顔を寄せると、小声で話を続ける。部屋に盗聴器のようなものが仕掛けてあった時のためだ。
「俺は魔王の記憶、正確には魔王になった人間の記憶を見たんだ」
「本当か!?」
琴乃は思わず声を上げた。その口を俺は慌てて抑える。
「静かに、盗聴魔法でもあるかもしれない。で、それによるとシータが言ってたこれまでの経緯って言うのはどうやら嘘らしい」
「なるほど、それで勇者をやめるってわけか」
「最初から気に入らなかったしな。勇者召喚して魔王を退治させるってこと自体が」
魔王が出現して世界が滅びかけようが、人類が滅亡しかけようがそれはすべてこの世界の問題だろう。シータたちが困っているのはどうやら事実のようだが、それは自分たちで解決すべき問題だ。それを勇者を呼び出して押し付けようという魂胆自体が、俺は初めから気に入らない。
「そこまで言うなら私は止めないでおこう。どうせ、言ったところで聞かないだろうしな」
「サンキュ」
「だが、城を出たところでどうするつもりだ? だいたい、生活の当てはあるのか?」
「とりあえず俺は俺で帰還の方法を探してみるつもりだ。生活についてはしばらくはここにいるつもりだから、その間に探す。最悪、城の連中から必要経費だとか言って上手く金を取るさ」
俺はそういうとニッと笑って見せた。琴乃はやれやれ、とばかりに両手を上げる。長い付き合いだ、お互いの性格などもう隅から隅までほとんど知りつくしている。俺が一度言ったことを引っ込めないことぐらい、琴乃は熟知しているのだ――。
城――正確には連合正府本部というのを今知った――の一角にある大図書館。その端に置かれた小さな机の上で、俺は本に埋もれていた。継承の儀のおかげで文字を理解できるようになったので、早速本を読みに来たのだ。シータに告げた図書館へ行く口実は「勇者としてふさわしい知識を身につけたいから」。勇者をやめるために必要な知識を集める口実がこれとは、ちょっとしたお笑いだ。
「こりゃ、ヤバいな」
俺は『連合正府便覧 巻一』と書かれた本を閉じると、大きくため息をついた。この城から逃げること、つまり連合正府から逃げることはかなり厄介そうなのだ。
調べたところ俺たちを呼び出した連合正府というのは地球で言う国際連合に近いものらしい。この間対面した十三使徒を頂点に、その下に国連で言う総会に当たる諸国会議と各国政府が連なるという組織構造をしている。ただし、その力は国連とは比べ物にならないほど強力で、世界政府とでもいうのがふさわしいほど。独自に強力な軍隊も持っていて、紛争への武力介入などもするらしい。
俺がこの城から逃げだせば、当然連合政府は俺を追うだろう。そうなれば、たちまち世界中でおたずね者だ。琴乃のおかげで逃げ足には無駄に自信があるが、それでも逃げ切れるかわからない。
「やっぱ、逃げるとしたら結界の外しかないか」
結界の外の世界。通称『外界』と呼ばれる地域は、シータが語ったようなだれも住めない人外魔境というわけではなく、結構な数の人間が住んでいる。正府に反感を持った魔導師や内界にはいられなくなった世界規模の犯罪者、さらには魔王城に蓄えられているという莫大な財宝を狙う山師――通称冒険者と呼ばれる人々――などなど、内界にくらべればはるかに少ないが外界にもそれなりに人がいるのだ。彼らが町や村、さらには小さな国家までも建設し混沌とした世界を形成しているらしい。
ただし、外界の環境は壮絶で並みの人間なら一週間も持たないらしい。しかも外界の魔物は内界の魔物とは比較にならないほど凶暴で数も多く、これを倒せないことには話にならないのだとか。…………腕にはそれなりの自信があるが、こんな場所には正直行きたくないな。
すっかり日が傾き、風が涼しくなってきた夕方。俺は本を全て棚に戻すと、席を立った。当面の目標は外界へ行くことに決定。多少危険だろうが、正府から逃げる以上はそこに行くしかない。そう決意した俺はさっそく準備をするべく、図書館を出た。するとなにやら、城内が騒がしい。
スカートをたくし上げ、せわしなく走っているメイドを一人呼びとめた。その顔は僅かに青ざめていて、眉は不安げに寄せられている。
「おい、何があった?」
「これは勇者様。いえ、それがその……。不審人物が城内でお酒を呑んでるんです!」
「はあ!?」
「本当なんですよ! この廊下をまっすぐ行って右の蒼の広場へ行ってみてください」
「わかった!」
俺はすぐさま、メイドの言っていた蒼の広場へと向かった。走っていくとなにやらすでに人だかりができていて、広場の中心にある噴水をぐるりと取り囲んでいる。俺は勇者の特権で人込みをかき分けると、噴水の前へと出た。すると、噴水の中心にある女神像の足元に誰か座っている。角度のせいで顔はよく見えないが、髪の長さとドンッと突きだした胸のふくらみからして間違いなく女だろう。彼女は徳利を傾けて、メイドの言っていた通りちびりちびりと酒を飲んでいるようだ。
「動くな! そこで何をやっている!」
衛兵と思しき男が怒鳴った。すると女は、徳利を揺らしながら笑う。
「酒を呑んでるだけさ。見ればわかるだろう」
「そういう問題ではない。何故ここで酒を飲んでいるんだ!」
「人を待つ間、手持無沙汰でね……おや、もう来たようだ」
そういうと女はこちらの方へ振り向いた。白い肌に大きな紫色の瞳――エキゾチックな雰囲気のある相当の美女だ。彼女の濁りのないアメジストの瞳が、俺の顔をまじまじと見つめてくる。俺は心を、自分の内側にあるものを見透かされたような気がした。
「君が勇者のようだな。ほう、なかなかいいじゃないか。が、今のままでは強さが足りない。外界へ行くなら、その倍は強さが必要だ」
「何故、俺の考えを……!」
「もしこの先、勝てない敵に出会ったら竜の山へ来なさい。修行してあげよう」
女はそう言って笑うと、空を見上げた。夕焼けに燃える空には、小さな雲がポツリポツリと散らばっている。
「いい具合に雲があるな。では、またそのうち会おう」
「ちょっと待て、あんた一体――」
俺が言葉を言い終わらないうちに、地面が弾けた。砂埃と共に女の身体は宙へと飛び出し、紅い空へと吸い込まれていく。その速度は驚異的で、女の影は一瞬にして雲へと到達した。そしてその直後、影は直角に曲がる。影はそのまま次の雲へ達すると、再び角度を変えてまた次の雲へと跳んだ。
とても常識では信じられないが…………あの女は雲を足場にして空を飛んでいるらしい。物理学者がいたら卒倒してそのままあの世へ行きそうな光景だ。物理学者じゃない俺まで倒れそうだが
「なんだよありゃ……!」
この世界は決してあなどれない――!
俺は認識を新たにすると、城を抜け出す準備を始めるべく自室へと戻るのであった。