第十話 亡国の魔導師
注意、今回の話にはグロテスクなシーンがあります
聖暦313年、葡萄月。朝焼けに染まるマグノリアの都は静寂に包まれていた。その中心に聳える象牙色の王城。その最奥に位置する天を衝く塔の最上階で、ガーチスは守衛を務めていた。飴色の分厚い扉の奥に守るはこの国の姫、シルーナ姫。通称『精霊姫』などと呼ばれる、今は失われた精霊魔法の最後の使い手だ。
その姫はかれこれ2年に渡り、この部屋に引きこもっていた。姫付きの騎士であるガーチスにも理由は詳しく説明されていないが、どうやら深い心の病を抱えているらしい。精霊魔法を通じて見てはならぬものを見てしまった、知ってはならないことを知ってしまった――。そのせいで心を病んでしまったというのが、もっぱらの噂だ。
扉がギィと音を立て、中から一人の少女が出てきた。無論、姫ではない。宮廷魔導師マリネ・ハンスブル。最年少の宮廷魔導師ながら、魔力の大きさや腕においては宮廷魔導師の長ベルトン老を超えると噂される、マグノリアきっての天才魔導師だ。
「マリネ様、姫の具合は?」
「あかんなあ……。体調は問題ないんやけど、ほとんど口をきいてくれへん。でてけ、でてけの一点張りや」
「それはまた……大変ですな」
「まあな、だけどいつものことや。それよりうちとしては、例の取引の方の準備の方が大変やで」
例の取引とは、マグノリア王と連合正府の十三使徒との間でなされた秘密の政治取引のことだ。マグノリアがこれまで研究してきた魔術の資料を全て正府に明け渡す代わりに、マグノリア国内における魔法禁止令を限定的に解除するという内容である。魔術の研究を司る宮廷魔導師のマリネとしては、姫の体調などよりもこちらのほうがよほど大事であった。なにせ、彼女が個人的に研究していた魔術の資料までも、ことごとく明け渡さなくてはならないのだ。実質的に全て一からやり直すのと同じである。
「取引の期限はいつでしたかな?」
「今晩や。日付が変わるまでには、資料が全部正府に届く手はずになってる」
「急ですなあ、宮廷魔導師のみなさんは大忙しでしょう?」
「もちろんやで。みんなもう額に汗して資料を整理しとる。だけど、これで昔みたいにみんなが魔法を使えるようになるなら安いもんや。ま、そういうわけでうちも資料の整理とかせなあかんから、またな」
「ええ、また来てください」
立ち去るマリネの背中を、ガーチスは笑顔で見送った。この時はまだ、悲劇が始まることを誰も知らなかった――。
翌朝。マグノリア王城の玉座の間には、王族や貴族をはじめとする国の主要な人物が勢ぞろいしていた。国内限定とはいえ、長らくこの国を苦しめてきた魔法禁止令が廃止されるのだ。その記念すべき瞬間を、国中で祝おうというのだ。
「皆の者、間もなく使者が戻ってくる。我が国に魔法が戻ってくるのだ。長い苦しみであった、悪夢であった。だが、それも今日までだ!」
歓声が上がった。玉座の間に集った者たちは、王族から兵士に至るまで、みな歓喜に沸いている。魔法王国マグノリア。そこが魔法を失い、再び取り戻すということはそれだけの意味があることだ。魔法が無いこの二年間は、国が死んでいたようなもの。それが再び息を吹き返し、また新たに歩みを始めるのである。
マリネは玉座の間の扉側で控えていた。天才的な宮廷魔導師とはいえ、マリネの席次はそれほど高くはない。どちらかと言えば兵士などの末端に近い部類である。それゆえ扉にほど近い位置にいたのだが――これが生死を分けることになろうとは、マリネ本人でさえも思いもよらなかった。
扉が開き、その向こうから男が現れた。待ちに待った使者だ。だがその顔は蒼く、足取りは震えている。彼はよたよたと玉座の間の中心までたどり着くと、天を仰いだ。
「王よ、我々が騙されておりました!! 正府が、正府が……我が国への討伐令を発しました!」
「ど、どういうことだ!?」
「昨日送った物資の中に、何故か正府への宣戦布告の書状が入っていたというのです! 王よ、全ては我が国の財産を奪い、あとくされなく滅ぼすための罠だったのです!!」
刹那の間ののち、絶叫が響いた。玉座の間は阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈する。王侯貴族などと呼ばれ普段は澄ましている高貴な人々が、その身分を忘れて騒ぎ始めた。彼らは口々に何かを叫びはじめるが、それを抑える兵士でさえも気が気ではない。みな顔を蒼く染め、不安と絶望が玉座の間を覆い隠していく。
「許さん、許さんぞ正府め……! 我が国の底力をみせてやるわ……!!」
一人顔を紅くし、拳を振り上げた王。勇猛果敢なその様に、一瞬だが玉座の間は落ち着きを取り戻した。されど、今度はその身体が紅に染まる。王のすぐそばに控えていた宰相ベロニア。彼がどこからか取り出した大鎌が、王の首を刎ねたのだ。
「ははは、この国は滅びるのだ! 正府に逆らった愚かな国として、歴史からもきれいさっぱりな。はははははァ!!」
宰相の身体が膨れ上がった。小柄な老人だったはずの彼は、やがて2メルトはあろうかというひょろりと背の高い青年となってしまう。細く白い手に不釣り合いな鎌を構える姿は、さながら死神か。その様子を見た人々は一斉に玉座の間の入口へと殺到する。死神は嘲笑しながら、人々の首を次から次へと刎ね飛ばしていく。一部の兵士たちがどうにかその死神を押しとどめようとしたが、死神の力は強力無比で、たちまち返り討ちにあってしまった。
「まずいで……!」
死神の鎌には強大な呪詛が宿っていた。首をはねられた死体が次々と起き上がり、次なる犠牲者を求めて彷徨い始める。玉座の間にはたちまち亡者たちが溢れ、その数はもはやマリネの腕を持ってしてもどうしようもないほどだ。彼女は飛行魔術で素早くその場を離れると、玉座の間に来ていなかった唯一の王族であるシルーナ姫の元へと急ぎ飛ぶ。
窓から塔の中へ飛び込むと、いつもと変わらぬ様子でガーチスが扉を守っていた。彼は窓から飛び込んできたマリネに慌てたような顔をする。
「ど、どうしたんですか!? 飛行魔法は禁止されているはずですが!」
「それどころやない!! 姫は? 姫は無事なんか!?」
「はっ、姫はいまも扉の向こうにおられるかと!」
マリネはガーチスの返事を聞くや否や、扉を押しあけた。扉を開けてなお、何かを隔てているかのように遠く感じる部屋の奥に、白い少女が横たわっている。マリネは色素というものを一切欠いてしまったかのような彼女のもとにたどり着くと、その秀麗な顔を見据える。
「姫、城が襲われました。王は死に、他の王族も生死不明です。ですが、ご安心ください。私があなたを守りぬいて見せます!」
「な、なんですと……!?」
ガーチスが青ざめた一方で、少女は黙ってただ小さくうなずいた。マリネは腕にはめていた銀の腕輪を取ると、造形魔術を用いてその形を変化させる。するとそれはたちまち――服従の腕輪と呼ばれる、奴隷用の拘束具と同じ形状になった。
「マリネ様、何を!?」
「一大事や、黙っとき!」
マリネはガーチスを一喝すると、少女の腕にその腕輪をはめた。そしてさらにガーチスに背中を向くように指示をすると、姫の豪奢なドレスを剥ぎ、代わりに魔術とベッドのシーツを用いて作成した粗雑この上ない衣服を着せる。
「よし、これでいい。これなら絶対に誰にも疑われんはずや。では姫、城を脱出しましょう。ガーチス、あんたも一緒についてくるんや。一人でも多い方がいい」
「わ、わかりました!」
マリネはガーチスに姫を抱えさせると、彼と自分の両方に飛行魔術をかけた。こうして三人は滅びゆく城を後にし、あてのない旅に出たのであった――。
「それからマリネさんは知り合いの豪商のもとに身を寄せ、最終的には金を借りて奴隷商人になったんだ。奴隷にされちまった、国の人間たちを解放するためにな。俺も彼女の意志に賛同して、専属の護衛としてついていくことにしたんだよ。魔術が使えない今の世の中じゃ、マリネさんは見た目通りの強さしかないからな」
「なるほど、それなりに深い事情があったんだな」
俺はほう、と息を漏らした。これで、マリネとガーチスにどんな事情があるのかはだいたいわかった。しかし、これだけだと一番肝心な「どうして血濡れの駒に狙われているのか」がわからない。
「じゃあ聞くが、どうしてあんたらが血濡れの駒に狙われることになったんだ?」
「どうやら、マリネさんが売った奴隷から姫や俺たちの情報が流出したらしい。気をつけてはいたんだが、犯罪者を奴隷として売ることとかもあるからな。その手の技能に長けた奴が居ても不思議じゃない」
ガーチスが知っていることは本当にこれですべてのようだった。真っ直ぐな彼の眼がそう言っている。俺は顎に手を当てると、思案を巡らせた。情報を聞いた以上、今度は俺が覚悟を決める番だ。
ガーチス達についていけば、間違いなく困難なことが待っているだろう。だが、彼らについていけば正府について何か知ることができるかもしれない。さらに、宮廷魔導師のマリネならば勇者召喚の魔術についても多少は心当たりがあるかもしれないしな。
もともと、正府が気に入らなくて城を飛び出したような俺だ。同じく正府の被害者と言えるガーチスの頼み、答えはもう決まっていた。
「わかった、護衛の依頼を引き受けよう。ただし、報酬は法外だぞ」
「ああ、頼む!」
……厄介事にまた巻き込まれちまったな。俺は蚊の鳴くような声で、そう呟いたのであった――。




