第九話 首の価値
緊張に満ちる馬車。昨日の襲撃以来、護衛たちはピリピリとした空気に包まれていた。男たちはしきりに外をのぞき込み、馬車を狙う輩が居ないかどうかを確認している。昨日までの緩んだ雰囲気は全く感じられず、全員が深刻な顔をしていた。仲間が一人死んだ――その事実は重い。
そんな中、俺は馬車の端に置かれたあるものを見ていた。布を幾重にも堅く巻きつけた、丸い何か。そこから漏れる生臭い匂いが、さきほどから鼻を突くのだ。
「なあガーチス、あれを置いて行くわけにはいかなかったのか?」
「駄目だ、衛兵どもに渡せば最低でも一つ10ルンにはなる。置いてくなんてもったいないことできるかよ」
「だけど気味悪いし臭いも酷いぜ……」
俺が先ほどから気にしているあるものとは、昨日馬車を襲った賊の首だった。ガーチスが言うには、これを衛兵たちに引き渡せば結構な金になるらしい。なんでもただの山賊だとしても10ルン、賞金首なら最低でも100ルンはくだらないそうだ。剣を売った金がまだ大量に残ってはいるが、収入の当てが無い俺にとって金が入るにこしたことはない。こしたことはないのだが……とにかく匂いがひどかった。布と首の間に塩を入れて腐敗を防いではいるが、それでも凄まじい腐臭がする。
「こんなのまだマシだぜ、以前塩も魔法もなしで10個の首を運ばなきゃならんというときがあったんだが……。その時ときたらたまったものじゃなかった」
「おいおい、どうしたらそんなことになるんだ? 大規模な山賊にでも襲われたのかよ」
「いや、これは俺が軍で働いてた時の話だよ。物資不足の時に敵に襲われて、運よく撃退したのはいいが大量の首が残っちまってな。あのときばかりは、大将首が恨めしかったぜ」
軍人ねえ……護衛たちのリーダーとして統率を取るのが上手いとは思っていたが、そういう過去があったのか。俺はガーチスの背中を見ながら、得心したように頷く。もしかしたら、軍ではそれなりの地位にあったのかもしれない。広い男の背中には、それだけの風格があった。
キャラバンはそれから何事もなく、静かに森を抜けた。嵐の前の静けさだろうか――そんな気がしたものの、やがて草原の先に街が見えてくる。緑の海の中に浮かぶ白い街。丘に造られたのか、中心に行くにしたがってこんもりと盛り上がるその街は小さな島のようだ。
「あれがカナリアの街か」
「そうだよ、通称白の街。綺麗なもんだろ」
「ああ、そうだな」
やがてキャラバンは街を囲む巨大な壁の前にたどり着いた。高さ5メルト――1メルトは1メートルとほぼ同じ――ほどはあろうか。大理石のようなツルリとした石でできた、堅固ながらも美しい壁だ。
門を抜けるときに衛兵たちに止められたが、俺や護衛たちは身分を確かめられることなく街へ入ることができた。どうやら、マリネが上手くやってくれたらしい。俺は少し冷や汗をかいたものの、やれやれと息をつく。どこかで上手く身分証明書を造らないとな――それが新しい課題だ。
「みんな御苦労さん。報酬については少し色を付けて一人6ルンにしといたで。それから、賊の報奨金についてはガーチスに一任するで」
マリネは馬車を降りた俺たち一人一人に、金貨を手渡していった。報酬が増えたせいかみんないい顔をしてそれを受け取る。仲間が死んだというのに全く現金なものだ。俺は少し呆れたが、こんな稼業は精神が図太くなければやっていけないのだろう。
「よし、ではいまからこの首を守備隊のところに持っていくぞ。貰った報奨金は6割がアルト、残りの4割を俺たち全員で分けるということでどうだ」
みな、特に不満はないようだった。俺たちはそれぞれ首を手にすると、門の近くにある守備隊の詰所へと持っていく。こういう事例は多いのか、すぐに専門と思われる役人が現れて首を改め始めた。
しばらく虫眼鏡で首を改めた役人は、驚いたように息を漏らした。彼は執拗なほどに首を確認すると、こちらへと振り向く。
「これは驚きましたな。こいつら、血濡れの駒のメンバーですぞ」
「血濡れの駒?」
「有名なギルドですよ。特級犯罪組織指定を受けてます。こいつらは最下級のポーンのようですが、良く生き残れましたな」
俺たちは互いに顔を見合わせた。こんな連中に狙われるなんて、一体マリネは何をやらかしたんだ?
俺たちが茫然とする中、ガーチスだけは想定内といった様子だった。彼は落ちついた顔をして、老役人に尋ねる。
「……それで、報奨金はいくらになる?」
「一人200ルンで、5人合わせて1000ルンですな。金を取ってくるのでしばしお待ちを」
老役人はそういうと首を周りにいた衛兵たちに預け、部屋の奥へと向かった。そしてしばらくすると、大きめの麻袋を持ってこちらに戻ってくる。ガーチスはそれを受け取ると、きっちり六対四の割合で金貨を分けた。彼は持っていた袋に金貨を詰めると、俺に手渡してくる。
「ほらよ、600ルンだ」
「ありがと、それじゃあな」
「ちょっと待ってくれ。話があるんだ」
ガーチスの手が俺の肩を掴んだ。俺は仕方なく立ち止り、その場で待つことにする。彼は頭を下げると、すぐに手元に残った金貨を八等分して残りの護衛たちに配った。そしてそのまま解散を宣言し、彼らを追い出してしまう。そして自身もまた、俺を連れて守備隊の詰め所を出た。
ガーチスに手を引かれ、俺は人気のない路地裏へ来た。彼は周囲に誰もいないことをよく確認すると、話を切り出す。
「アルト、話というのはほかでもない。お前の腕を見込んで頼みがあるんだ。どうかこれから先もしばらくの間、専属の護衛としてマリネさんを守ってやってくれないか? もちろん報酬ははずむぜ」
なるほど、そういう話か。俺は露骨にいやな顔をしてやった。ガーチスには気の毒だが、こんな明らかにヤバそうな仕事は引き受けたくない。
「悪いがそれは無理だ。命がいくつあっても足りなさそうだからな」
「頼む、そこを何とか!」
「駄目なものは駄目だ」
「頼む!」
そうして押し問答をしていると、いつの間にかガーチスは土下座をしていた。大きな身体を小さくして、地面に頭をこすりつけている。その姿は悲壮感が溢れていて、必死さが心に染みてきた。
クソ、大の男にそこまでされたら事情を聞かないわけにはいかねえじゃないか――俺は仕方なく足をとめた。
「ガーチス、事情を話してくれ。事情次第では考えてやらんでもない」
「わかった、すべて話そう。だが、この件について一切他言しないでくれよ」
「もちろんだ、俺は約束は破らない」
ゴクリ、と息をのむ音が聞こえたような気がした。ガーチスの額に汗が浮かんでいるようにも見える。彼は俺の眼を見据えると、決意したような顔をした。しばしの間が空く。張り詰めた緊張感が俺とガーチスの間を満たした。そして――
「全ては三年前の一月戦争に遡る。俺とマリネさんはその時、マグノリア王国に仕えていたんだ――」




