286列車 サイコロ
年末はもちろんのことだが、帰省した。帰省したら、持ている免許で車を何度か運転して。その合間を縫うように小説を書いていた。1月6日から授業が再開されるので、その前には大阪に戻ってこなくてはならない。僕たちが戻ってきたのは1月の4日だ。この次の日は萌と今治でどこかに出かけようっていう話になっている。
そして、翌1月5日。今治の都合で集合時間は7時から14時と7時間遅くなった。
「暇だねぇ・・・。」
萌がそうつぶやく。
「まぁ、いいんじゃないの。」
僕はそれにあんまり関心がないような答え方をする。片手には小説が一冊。年越し後すぐに最終巻を手に取った「八八艦隊」の架空戦記は日本の敗北に終わった。戦没した八八艦隊の艦艇は長門型戦艦「長門」、「陸奥」加賀型戦艦「土佐」、天城型巡洋戦艦「愛宕」、「高雄」、紀伊型戦艦「尾張」、「近江」、石鎚型巡洋戦艦「石鎚」、「鉄」、「大雪」と半数以上が撃沈された。残った八八艦隊の戦艦はビキニ環礁の核実験で使われ、1945年8月20日一度目の核実験で爆心地近くにいた「紀伊」、「駿河」、「乗鞍」が沈没。8月24日「天城」沈没。8月26日の二回目の核実験の後8月27日「赤城」沈没。最後に一隻残った「加賀」はまだ浮かんでいるという状況だ。
(「加賀」もいつか沈むのか・・・。)
と思う。史実ではここで行われた核実験は1年ぐらい後で、日本の戦艦で残っていたのは「長門」なのだが・・・。
「まだそれ読んでたの。」
萌が覗き込むようにして、聞いてきた。
「うん。「半年や1年なら暴れてみせる」ってその通りになってるけどさ。」
1941年12月トラック環礁近海の戦いで始まったこの中の太平洋戦争は1942年の12月に戦局が悪化。1943年12月、日米講和の成立を以って集結している。かなりの数の戦艦が失われているが、だいたいは航行不能に陥って自沈処分になったもののほうが多い。実質撃沈されたのは「土佐」、「愛宕」、「近江」、「鉄」だ。「尾張」は事故で爆沈した。戦死者も少なくはないが、史実の比ではないし、民間人の犠牲はほぼないと言っていい。しかし、戦局の悪化から講和まで時間がかかっているのは特に陸軍のせいということになっている。
「これって結局日本負けるんだよねぇ。」
「まぁ、勝てる見込みはないし。でも、ダニエルズ・プランのやつも半数以上引導渡してるから、かなり健闘してるよ。」
ダニエルズ・プランっていうのはアメリカが計画した「アメリカ版八八艦隊」である。しかし、あの大国アメリカでさえ、この計画の全部の船を維持管理するのは難しかったそうだと述べられていた。
「ごめん。お待たせ。」
そういう声がして、今治が来た。
「もう。今治君遅いよ。」
「悪い悪い。急に用事が入っちゃって。自分も予想してなかったからさぁ。」
「・・・揃ったから、ちゃっちゃとやろうか。どこ行くか知らないけど。」
「うん。」
今治はサイコロを取り出した。でも、しっかりした際ころじゃなくて、サイコロキャラメルの外箱だ。
「3人でふって出た目が多かったところに行こう。」
「それはいいけど、どこに行くのさ。」
「えーと。1と2が敦賀方面、3と4が福知山方面、5と6が一番遠いところ。西のほうだよ。7時ぐらいから始めてれば行けるんだけど、始めるのが遅いから、行き先変えるね。」
「ほう。」
「それじゃあ、どっちからでもいいからサイコロふって。」
ちょっと萌のほうをうかがう。
「萌が先でいいよ。」
「じゃあ、ふるね。」
大阪駅の白い床の上にサイコロキャラメルの赤い箱が落ちる。白の目が出したのは2だ。
「次だね。」
僕と今治が出た目を確認してから、僕がさいころをとる。白い床の上に落ちたさいころが示したのは4だ。それを今治が確認してから今治がさいころをふる。今治がふって出したものは5だった。ものの見事に別れたのである。
「仕方ない。ジャンケンで勝った人の方向に行こうか。」
(半分サイコロ関係なくないですか・・・。)
まぁ、そう思っても始まらないか。ジャンケンの結果かったのは今治で行き先を変更すると言っている遠いところに行くことになった。
「今治のに決まったから西のほうか・・・。で、西のどこなわけ。」
「本来であれば、広島。」
「広島かぁ・・・。ああ、そりゃキツイなぁ・・・。」
広島のほうには研修旅行とかで言ったことがあるけど、あの辺りは普通しかない。今から行くのもキツイけど、往復普通で帰って来るっていうのもキツイ。どっちにしろキツイ場所だったってことかぁ・・・。
「じゃあ、広島いけないからどうするの。とりあえず西なんだから、姫路行きか播州赤穂行く新快速に乗ればいいってことじゃん。」
「そうね。今治君18切符だしてよ。」
「あっ。ああ。」
改札口を通って中にはいる。14時スタートの予定ではあったが、それよりも遅れている。今はやく岡山方面に行けるのは14時30分発の姫路行きの新快速。姫路で播州赤穂行きの普通に接続し、相生で三原行きの普通に接続する。
「西には行くけど、これでどこに行くのさ。」
萌が今治に聞く。
「高松って思ってるんだけど。」
「高松かぁ・・・。」
僕はそうつぶやいた。高松ってことは四国か。そうなれば8年ぶりぐらいに四国に上陸することになる。それに高松入っていないから、高松には初上陸することにもなる。
「じゃあ、その先も調べなくちゃダメじゃん。」
「うん。」
「ちょっと時刻表貸して。」
僕はそう言い、今治からコンパス時刻表を受け取った。この時刻表は普通の時刻表よりも小さくポケットサイズぐらいの大きさだ。しかし、分厚いことには変わりない。この時刻表から東海道・山陽本線のページを探し、今乗っている新快速の時刻が載っているページを開き、列車を追う。この新快速は姫路に15時31分着。接続で15時34分発の播州赤穂行きに乗り換え。途中の相生到着は15時53分。接続で15時56分発の三原行きに乗り換え、この列車が岡山に到着するのは17時02分。高松に行くってことは次に探るページは瀬戸大橋線。17時02分以降に発車する「マリンライナー」を探す。するとあった。岡山を17時12分に発車する「マリンライナー49号」高松行き。これが終点の高松に到着するのは18時05分だ。
「それで、どの位高松にはいるつもり。」
と聞く。
「うどん食べてとかいろいろして、1時間ぐらいは居たいかなぁ・・・。」
「・・・。」
1時間ぐらいかぁ・・・。恐らくここまで帰ってこられるギリギリのラインだろう。今度は帰りの電車の時間を調べる。1時間ぐらい滞在してから戻って来るってなると恐らくこれだろう。高松19時10分発の「マリンライナー58号」。岡山到着は20時03分。これで山陽本線に乗る電車はどうだろうか。「マリンライナー58号」が載っているページに指を挟み、山陽本線のページを探す。これに乗ると岡山接続で20時25分の普通姫路行きに乗ることになる。この普通が姫路に着くのは21時53分。接続で21時57分発の新快速野洲行きに乗って大阪に着くのは22時58分だ。
「・・・ギリギリだね。そのあとので帰ってきたら、確実に終電なくなる。特に僕たちの場合は。」
「えっ。」
「だってこれの次に乗ったら到着1時間遅れることになるよ。日付越える前に北大阪急行の終電は行っちゃうし。行けて江坂までで、その先は歩かなくちゃいけなくなるに。」
「なんでかなぁ・・・。北大阪急行の終電もうちょっと遅くしてくれてもいいじゃん。」
「でもなぁ・・・。留萌が言ってたんだよねぇ、地下鉄と北大阪急行は仲悪いって。まぁ、仲が悪いのは上層部のお偉いさんたちだけで、下の人たちまで仲が悪いってことはないだろうけどねぇ、くだらない。」
と付け加えてやる。
「・・・。」
「まぁ、最初のパターンで帰って来るってことでいいでしょ。大阪に着くのは23時ぐらい。そこから家に帰ってお互い日付を越えるって感じでしょ。」
帰りの時間も決まって、しばらくしたら新快速は神戸に到着した。東京から延びていた東海道本線はここで終わる。ここから先は下関まで山陽本線になる。神戸から30分ぐらいかけて姫路に到着。姫路では同じホームをはさんで止まっている播州赤穂行きに乗り込む。相生に着いたら、ホームをはさんで止まっている三原行きに乗り込む。相生から先に行く列車はほとんど黄色に塗られた国鉄車両である。ネットなどある特殊な環境下では末期の車両が黄色をまとっているということから「末期色」っていう愛称が定着しているが、この「末期色」はいつまで走るのだろうか・・・。まぁ、姫路で新快速から播州赤穂行きに乗り換えた人がそっくりそのまま入ったようにもなるので、ここから先は岡山までどうも座れそうにない。岡山からの「マリンライナー」にもたくさんのお客さんが待っていて、一瞬座れないんじゃないかと思っていたけど、いらぬ心配だったようだ。補助席に腰掛けることができた。高松には予定通り到着。そこでうどんを食べる。うどんを食べてから、今治はお土産を買うためにパン屋さんとかに入った。それを待って、僕たちは改札をぬける。
高松からの帰路はずっと小説を読むかんじになった。
二回の原爆に耐えた「加賀」はまだ浮かんでいる。浮かんではいるが、右側の上部構造物は完全に焼けただれていて、原形をとどめている方が珍しくなっている。「加賀」の放射線量はなかなか下がらない。誰もこの「加賀」に触れることを拒むかのように。その意思を海だけがやさしく包み込んでいる。「加賀」の艦首はだんだんとそのゆりかごに洗われるようになった。そして、全身がつかる時が来た。「加賀」は静かに艦首から沈んでいく。第1主砲、第2主砲が水につかり、艦橋が海の中へと沈んでいく。「加賀」の姿は艦橋がすべて見えなくなった時点で、洋上から姿を消した。
翌日。
「おい。ジャップの「カガ・タイプ」がなくなってるぞ。」
「さすがの「カガ・タイプ」も沈んだか・・・。でも、いつ・・・。」
1945年9月4日。元日本海軍戦艦「加賀」沈没を確認。沈没時間不詳。のちにアメリカ海軍に報告されるものである。
1945年9月4日2時56分。この時間は「加賀」だけが知る。
(「加賀」ようやっとあの世へ旅立ったのか・・・。)
本を閉じて表紙を見る。描かれているのは夕陽の中に移る加賀型戦艦の姿だ。
(ふぅ・・・。読み切った・・・。)
隣をふと見ると萌が眠っている。僕の前では今治が眠っていて、その隣には居合わせた乗客の一人が眠っている。起きているのは僕だけみたいだ。
「・・・。」
(クソ・・・。結局鉄道を嫌いになることはできない・・・。全員に鉄道が好きじゃないっていうことを見せ続けるのはさすがに無理があるかなぁ・・・。だったら・・・なんで・・・。こういうのどっかの海の底にでも沈めたいなぁ・・・。捨てて、楽になりたいなぁ・・・。ねっ。萌・・・。)
大阪には23時に到着。それからすぐに今治と別れ、僕たちは家に帰った。家に着いたのは日付を越えるギリギリだった。
「戦艦尾張」の終わり方よ。
史実の「戦艦陸奥」爆沈みたいにしてみたけど、あっけなさすぎか。
サイコロの旅っていうのはストーリー上通りどこに行くのかをサイコロで決めるってものです。「こち亀」にあった「山手線ゲーム」みたいなことはないのでご安心を。




