194列車 こだわり 鉄道大国
前回の答えは釧網本線南弟子屈駅。
北海道のとある駅です。
「どの文章でもルだけない。」どこでしょうか。
高槻が発した言葉には正直びっくりした。まさかそんなつながりがあったなんて思ってもみなかった。
「それってマジ話・・・。」
「マジ話だから言ってるんだろうが。はぁ、お前らにも相当迷惑かけただろうな。」
「迷惑かぁ・・・。」
木ノ本と留萌は考え込んだ。二人が想像しているものは何だかわからない。ここで木ノ本たちの頭の中を覗くとして、考えていることはおそらく高1の時のあれだろう。
「いや。もしあんたが女だったら言えることもあったけどさぁ。」
「何されたんだよ。・・・まさか脱がされたとか言わないよなぁ。言ってもコスプレさせられたぐらいだよなぁ。」
「あんたも脱がされたことあるの。」
と言ったら飲んでいたお茶を吹いた。
「脱がされたことあんのかよ。」
「うん。下着だけにされたよ。」
「・・・やっぱ茉衣の野郎バカだろ。大体俺ならともかく何でもかんでもやろうとするんだからなぁ・・・。はぁ。これ以上被害者が出ないことを祈るしかないかぁ・・・。」
「被害者だったらもうすでに出てるかも。今この瞬間も。」
「あいつ怖いからなぁ・・・。」
高槻がそう言ってからしばらく沈黙があった。
「でも、高槻と善知鳥先輩が従姉弟とはなぁ。思わなかったよ。」
「まぁ、知ってるやつからしてみれば、俺たちが従姉弟だなんて思わないだろ。」
「うん。全然思えない。」
「そう言ってくれるのだけがある意味の救いだわ・・・。」
「・・・。」
弁当をかきこみ、食後の話になった。ここにいる組は管理者対策を受ける気はない組だったので、2時間空き時間がある。またその間に話相手が加わった。
「えっ。草津君ってあの「荒天の草津」と同じ人。」
「ああ。そうだよ。」
草津は平然と答える。まぁ、本人だからなぁ・・・。
「最初に名前聞いたときはぴんと来なかったけど、顔を見てすぐに思い出したよ。いつか米原で会った人たちだってね。それに木ノ本のほうはよく鉄道ファンとかに載ってるだろ。」
「多分よく載ってるのはお父さんのほう。」
「あっ。そうなの。あの木ノ本肇って君のお父さんなんだ。へぇ・・・。」
草津は感心したように言ってから、
「君のお父さんって流し撮りうまいよねぇ。僕は雨とか荒れた天候のほうが得意だから流し撮りは得意じゃないんだ。成功して10枚に1枚ぐらいかなぁ・・・。流し撮りだったら俺より断然高槻のほうがうまいぜ。」
「よくいうぜ。フォトコンの入選とかの常連のくせに。」
「まぁ、あれだって、仮に100枚撮った内のたった1枚だからね。もちろんうまく行ったと思う中からだけど。」
「あっ。そう言えば、草津が審査員特別賞もらったっていう「涙雨」だっけ。その写真今ある。」
僕が目を輝かせてそう言うと、
「何。欲しいのか。」
僕の気持ちを察したらしい。そう聞き返してきた。
「だけど、残念。あの写真はだれにも渡す気はないよ。見せるだけだったらいいけど。」
そうことわって自分のカバンの中からアルバムを一冊取り出した。確かにその中には高槻の言うとおり雨や雪の日に撮影された写真が多い。晴天の日もあるが比率でいえば晴天:荒天は6:4ぐらいの比率だと本人が言った。また中には流し撮りされたものや列車内から撮影されたもの。沿線。いろいろな構図があった。自分でもどこを走っているのかわかるものは敦賀~新疋田間にあるループぐらいだった。
「流し撮り写真もあるじゃん。」
木ノ本がそう言うと、
「それだって失敗だよ。」
とつぶやいた。僕にはどこが失敗しているのかわからない。写っている500系新幹線はちゃんと写真内に収まっているしどこか切れているというところもない。
「それは自分が撮りたいってところで撮れなかった500系。焦ってたってこともあって、最後の16両は全部失敗しちまった。列車がもうちょっとこっちに来てればよかったんだけどね。」
と言って草津は500系の先端がある少し前を指差した。
「あと何千分の1秒ぐらいじゃないか。」
「そこ妥協したら入選狙えないだろ。」
「確かにねらえないだろうけど・・・。でも、あたしはこれよく撮れてると思う。」
「それを言うのはこっちを見てからにしてほしいね。」
と言ってもう一冊アルバムを取り出した。今見せてもらっているアルバムも相当分厚いものである。それがもう一冊カバンから出てきた。
「あっ。300。でもこれ「ラストラン」のラッピングがないよねぇ。」
「一番最後はなんでも着飾りたいものかもしれないけど、俺は飾らない方が好きなだけだよ。「ラストラン」のラッピングがされたやつも撮りに行ったけど、趣味じゃないから。」
「それより「涙雨」。」
「あっ。ごめん、ごめん。」
と言ってまたカバンから分厚いアルバムが出てきた。いったいこのかばんの中に何冊のアルバムが入っているのだろうか。それの1ページ目に入っていると言われたのでめくってみる。確かに。審査員特別賞をもらっただけの写真であった。100系が向こうへ走り去る構図。雨の中でこれを狙うというのはまず難しいだろう。
「・・・。スゲェ・・・これを小3の時に撮ったんだろ。」
「ああ。1不可思議とか出されても、このフラッグシップは誰にも渡さないからな。」
「・・・もう渡してくれなんて言わないよ。なんかこんなすごい写真もらっちゃうのに気が引けた。やっぱ草津才能あるよ。」
「その才能の活かし方がどうなんだろうな・・・。」
高槻がつぶやいた。
「大体、お前高校から東海狙えたんじゃないのか。」
「俺は東海入る気はねぇよ。入るんだったらなおさら西だ。」
「高校からってそんなに頭いいの。」
「よすぎだよ。こいつ進研模試とかでも全国トップクラスだからなぁ。何回かお前てっぺん取ったことあるよなぁ。」
「もしなんかでてっぺん取ってもなぁ・・・。俺が興味あるのは電車だけだよ。」
「カッコいいことぬかしてるなよ。」
「・・・話変わるけどさぁ、草津ってもう287系の「くろしお」と225の6000番撮りに行ったのか。」
「ああ。行ったよ。287のほうはいいんだけど225のほうはなぁ。だいたいあれが宝塚線にも入っていくっていうのには意外だった。マニア向けの車両じゃないからな。あいつには当たりたくないっていうのが本音だよ。特に本線でも見かけるけど223と225の組み合わせは最悪だ。まぁ、223より225のほうが加速力いいから、223が引っ張られる格好になるから仕方ないんだけどね。」
「特に223の0と225の5000の組み合わせは最悪だろ。GTOとIGBTだぞ。俺その時0番のほうに乗ったけどさぁ、あれはないって。」
「アハハ。ご愁傷様。」
話している間に時間はすぐに流れて行った。こういうことしているときの方が時間の流れというのは早いものである。下にいって今度はバリアフリーのことについての授業。もちろん授業はやらず、今日はどんなことをするかという話。次の時間はまた管理者の話になるので、受けない人は受けないまま。そのあとの授業はすべて必修なので受けて帰る。
翌日。この日は全教科必修。1時間の空き時間があってからまた授業が連続する。その空き時間で・・・、
「今日新幹線入門の授業あるけどさぁ。何するんだろうね。」
「さぁね。新幹線入門っていっても私たちにとっては入門の位置が違うと思うんだよねぇ。」
と留萌が言った。
「それは分かる気がする。」
木ノ本が続けた。萌にはこのことは意味不明だったらしく僕に聞いてきた。
「だから、新幹線が1964年10月1日に開業したってことはもう俺たち知ってるわけじゃん。つまり、1964年に新幹線が開業したってことが基礎で、それを知ってのうえで入門があるってこと。」
「あっ。なるほど。」
そして、授業となった。担当は難波さん。
「はい。それでは新幹線入門ということで・・・。皆さんがどれぐらい知っているかということを試すための授業ではありませんので・・・新幹線のこともう何もかも知ってて学ぶことなんかないという人にとってはとてもつまらない授業だと思います。」
とことわった。確かにそうだろう。しかし、最初は新幹線のことではなく全国でどのぐらいの人数が鉄道を利用し、世界ではどれぐらいの人が利用しているかということだった。
さぁ、ここで皆さんにも少し考えてもらうことにしよう。
日本が世界に誇れる鉄道。それを利用する人はたった1日で何人いるだろうか。今日本の人口は1億2千何百万。1億3000万人として、そのうち何人が利用しているか。ちなみに現在(2012年)で最も人口の多い中国の鉄道利用者は13億人中260万人だけである。そして、世界では66億人中1億6000万人が利用している。
答えは6000万人。これだけでも日本が鉄道大国であるというのが分かるはずだ。そして、鉄道が動かなければ日本の経済が止まってしまうといっても過言ではないと難波さんは言っている。そこまで日本の鉄道は重要なのだ。
さらに日本で最も利用客の多い駅。もちろん1日だけである。それは新宿で300万人なんと中国で1日鉄道を利用する人を集めてもまだ多いのだ。2位は池袋。ここが260万人。3位は大阪(梅田含め)。利用は240万人。
その下は渋谷、横浜、名古屋、東京、品川、高田馬場、新橋、難波(私鉄含め)、天王寺(私鉄含め)、大宮、京都、上野、三ノ宮(私鉄含め)、北千住、秋葉原、浜松町、町田となっている。見て分かるように東京の利用はさほど多くないのだ。それでも100万人が利用している。これだけ多いとめまいがしそうだ。しかし、なぜこれだけもの人が鉄道を利用するかと言えば、鉄道会社の人たちが安全の上に列車を運行していることによる。そして、みなさんが(人により変わるが)鉄道を信頼してくれているという証拠でもあるのだ。
今回の授業はこのような話で終わった。
4月14日。今日は学校生活始まって初めての土曜日である。
「・・・。」
考えてみれば気が遠くなる話である。僕はそれを支える人になる。それを考えてこの先、生きて行かなければならない。
僕が勝つか、負けるか。それはこの先の努力にある。
東京駅の利用客が意外と少ないことに驚きです。
本文を見てもわかるとおり日本の経済は鉄道で支えられていると言ってもいいくらいです。これから東北で今不通になっている路線も地域に経済的効果を与えていくのでしょう。




