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加速おじいちゃん。

これから書く小説はある日の夢で見た物語を題材としています。


不思議な夢でまるで一本の映画を見ているようでした。


起きてみると涙が溢れていて、この夢を忘れないうちに文章にしてしまおうと決意し、そして一気に書き上げた物語です。


細かい表現や文章構成などはまだ雑で読みづらいかもしれませんが、これからそこらへんの編集をしていくつもりです。


多くの人でなくていい、この物語に触れた人がこの続きをあなたの人生の中で紡いでいってくれることを願っています。

加速おじいちゃん









〜プロローグ〜




よく晴れた日曜の昼下がり。




車窓から流れ行く田園風景を眺めている。




向かいの席にはきゃっきゃとはしゃぐ小さな男の子と一緒になって目をキラキラと輝かせている夫婦が座っていた。




これからピクニックにでも行くのだろうか。とても幸せそうだった。子供をあやす親の手というものはとても美しいものだ。そう思った。




そして何気なく自分の手に目を移す。




深いしわが縦にも横にも走り、骨が透けそうなほど薄い皮で覆われている。




ふいにそんな手を握ってくれる人がいた。




夫婦になって途方もない時間を共にすごした妻の手だった。



おばあちゃんとおじいちゃんは二人きり。




ただ流れゆく景色を無言で眺め続けていた。


不意におばあちゃんが言った。




「今度二人で旅行にでも行かない?」


おじいちゃんは一瞬躊躇う。


今まで一度もそんなことを口にしたことがない人だったから。


それにおばあちゃんには内緒にしていたことがあった。




いづれ話さなければならないことではあったが・・・




体の奥からズキンと痛みが走る。




自分の体に巣くうものがあることを告げ知らされていたのである。


ただ、おばあちゃんのたった一つの願いを無下には出来ない。


それだけは確かなことだった。






静かに覚悟を決めたおじいちゃんはおばあちゃんの唯一願い事である旅に出ることにした。



「仮想?」


「現実?」


「どっちなんだろう・・・」


余命いくばくもない自分が妻と共に旅に出る。


その状況が自分自身不思議でならなかった。



仮想と現実。その狭間に一本延びる先の見えない道。


病魔を抱えたおじいちゃん。


ふいに旅に出ようと言ったおばあちゃん。


今は点と点でしか存在し得ないものを線で紡いでいく。これはそんな物語です。


そしてその最期に待つ一言の言葉。

二人を待ち受ける奇跡の思い。


さぁ、あなたも一緒に着いてきてください。そして目撃してください。


ここから始まる二人の奇跡を。












〜第一章〜












気がつくと道を歩いていた。


左右には頂上が見えないほどの崖が聳え立っている。


その狭間の道をおじいちゃんは歩いていた。


隣に目を移すとおばあちゃんが歩いている。


ただまっすぐに前を見据えて。



「いったいどこに向かっているんだろう」



それさえ知らずに自分は出発していた。


そもそもおばあちゃんがふいに言い出した今回の旅。


きっとおばあちゃんならばこの旅の目的地を知っているはず。


隣を歩くおばあちゃんに問いかけようとした。が、やはり聞くのをやめた。


自分のその行為によってこの歩みを止めてしまうことが惜しくてならなかった。


なぜそう思ったのかはわからない。


ただ隣を歩くおばあちゃんの前を見据える眼差しに陰りを落とすようなことをしてはならない気がした。




まるで大切な宝箱に鍵を掛けるように。




そのことに触れることをやめた。


しばらく歩き続けると、突然嫌な予感がおじいちゃんの脳裏を過ぎる。


「またか・・・」


おじいちゃんは思った。


病魔に体を冒されてからというもの、いつもこの感覚に苛まれる。


何が原因かわからない。


ただ何かに追われるような恐怖心と先の見えない虚無感に突き落とされるようだった。


「いつものことだ。」


そう仕切りなおして、このせっかくの旅をおばあちゃんと楽しもうと現実世界に目を移す。


「こっちも相変わらず先が見えないな」


ふとおかしくなっておばあちゃんに気づかれないように笑った。




虚しく過ぎていく時間。


次の瞬間、突然背後に巨大な気配を感じた。


明らかに様子がおかしい。なにかが迫っている。


恐る恐る振り返ると何か大きくて黒い影がまさに二人を飲み込もうと覆いかぶさってきていた。


「逃げろっ!!」


そう叫んで、おばあちゃんの手を取り全速力で走り出した。


間一髪その影を避けて、先の見えない狭間の道を走り出す。


それでもまだその影は逃がすまいと追いかけてくる。


必死で逃げる二人。


走る。走る。走る。。。


走る?


走っている。


走っていた。


二人は走っていた。


走ることなんてできるはずがないおじいちゃんが走っていた。


その瞬間突然世界は真っ白になった。


ただ二人だけが手をつないで走っていた。


「まさかな。」


今はもうあの影はいない。


でも走ることをやめなかった。


走ることが気持ちよかったから。


どこまで走れるかな?


横に目を移すとキラキラと汗を流しながらおばあちゃんが走っていた。


気のせいだろうか?


どんどんと昔の面影を取り戻していくおばあちゃん。


白の世界を走りながらおばあちゃんは若返っていた。


走る。あの頃に。



そして再び、世界がパッと切り替わる。


白の世界から突然現実世界に引き戻される。


そう、あの狭間の道だ。


そして後ろにはあいつが迫っている。はずだったが、


不思議とあいつとの距離がさっきからと比べて広がっているようだった。


どんどんと遠ざかっていく黒い影。


そして最後には見えなくなって消えてしまった。




再び訪れる静寂。



「峠は越したな」


そう心の中で呟いて、おじいちゃんはおばあちゃんの手を取り走り続けた。











〜第二章〜











「仮想?だよな?」


現実ではありえない状況におじいちゃんの頭は少しずつだが慣れ始めていた。


再び隣に目を移す。


「おばあちゃん」だった。


白い世界で見た若かりし頃の面影はすでになくなっていた。


自分にも当てはまるその事実。


いつのまにこんなに老いてしまったのか。


軌跡。


それを振り返るといつも思い浮かぶことがある。


自責の念。

もっとやれたという後悔。


「あまりいいものではないな。」


そう呟いて、深く思慮の世界に陥ることを躊躇った。


相変わらずおばあちゃんはただ前だけを見据えている。


自分もその真似をしようと前を見つめて歩くことにした。


どれくらいの時間歩き続けただろう。


もう陽もだんだんと落ちてきて辺りは暗くなってきていた。




嫌な予感がする。



「もうその手には乗らないぞ。」


さっきの黒い影に負けないよう、そう強く気持ちを持っていた。


一瞬の静寂。


また何か来る。


そう感じた瞬間、再びあの黒い影が現れた。


前よりも少しだけ冷静に相手を見ることができる。


おじいちゃんは目を凝らしてその影を見つめた。


「さっきとは別者?」


次の瞬間また覆いかぶさるように襲ってくる。


再びおばあちゃんの手を取り走り始めるおじいちゃん。


「まずい!」


さっきの奴より格段に速い。


別者に見えたのはそういうことだったのか。


もうすぐ背後に迫っている影。


だめだ。走ってもにげられない!







「だったら飛べばいい」






誰?



また再び白の世界に入る二人。


おばあちゃん以外には何も見当たらない。


ただ白い静寂の中にその声だけが響いた。




「飛ぶ?どうやって?」




なにがなんだかわからず、おじいちゃんは走りながら目を閉じて思い切り前へジャンプした。




それはまさにヘッドスライディングのように飛ぶこととは程遠い格好で。




もうどうなってもいいと思ったのだ。




あきらめ半分の決意で飛び込んだ空間はどこまでも続いていて、


一向に着地する感覚もない。




恐る恐る目を開いてみると、


またあの狭間の道に戻っていた。




だが何かが違っていた。




息も切れていない。走る衝撃もない。




そう、飛んでいた。


そんな自分をおじいちゃんは不思議なほど冷静に見ていた。




「飛ぶっていうのはこういう感じだったのか」




長年願い続けてきた飛ぶという感覚を味わえた喜びより、


隣にいないおばあちゃんのことが気になった。




あたりを見回してもどこにも見当たらない。




脳裏に不安がよぎる。


「まさかあの影に!」


戻りたくても思うように方向転換できない。




ただ強く願った。


目を閉じてただ強く。


おばあちゃんを救いたいと。




目を開くとまた白の世界にいた。


今は飛んでいない。


真っ白な世界にぽつんと立っていた。




隣を見るとおばあちゃんがいた。


こちらを見て微笑んでいる。




さっきの光景は何だったのだろう?


いや、今あるこの光景の方が何なんだろう。




でも今はそんなことはどうでもよかった。




おばあちゃんが無事でいる。


それだけで満足だった。




だんだんと麻痺していく思考能力。




頭で考えても理解できるところじゃない。


そうあきらめに近い気持ちだったのかもしれない。




「さあ、行きましょうか」


おばあちゃんが言った。




もう躊躇う理由もない。




「うん、行こう。」




再びおばあちゃんの手を取り歩き始めた。




いつのまにか白の世界の時間は終わっていて、


またあの狭間の道を歩いていた。




両脇を崖だけが高く聳え立っていた。














~第三章~














何時間、いや何日・・・もしかしたら何年歩き続けたのだろう。




相変わらず先は見えない。




隣を歩くおばあちゃんの息遣いがかすかにこの現実が今なお継続されているのだと気付かせてくれている。




「仮想っていったいなんだ?」




現実ではないもの。現実世界で作り上げられた創造の世界。




それは本当だろうか。




いまの自分と照らし合わせてみてもまったくその根拠は当てはまらなかった。




「仮想の世界が実は本来自分のあるべき場所で、現実と思われていた世界が本当は仮想世界ってこともありうるのではないか」


唐突にそんなことを考えて、「まさかな」と心の中で笑ってしまおうと思っていた。




そうでもしないと、この世界で自分を持ち続けていくことが困難に思えたからだ。




しかし、そう思っても簡単には笑えない自分がいた。




その仮説がまんざらでもない気がしてならない。




「仮想?現実・・・」




今はそれを知ったところで何の意味もないことはわかっていた。




ただ知りたかったのだ。




自分がどちらに属する人間かということを。




「どうしたの?」




ふいにおばあちゃんが声をかけてきた。




この旅が始まってからこれまで一度も声をかけなかったおばあちゃんが自分を心配してくれている。




まるで深い思慮の世界に落ちていく自分を見かねて、寸前で腕をつかんで助けてくれたような気分だった。




本当はすべてを知っているのかもしれない。この人は。




そんな気がした。




そういえば、あの黒い影はもう現れなくなったな。




「空を飛ぶ自分を見て恐れ入ったかな。」




そう心で呟いてまたおじいちゃんは笑った。




どこまでも続く道。




いったいどこまで?




いや、そんなことよりいったいいつまで自分はこのおばあちゃんの手を握り続けていられるだろう。




そうして再び過去へ回帰する思いの世界に自分をどっぷりと浸した。




この人に初めて出会ったのはいつだったか。




不思議なことに何を思い出そうにも何も出てこなかった。




「思い出」がまるごと記憶から削り取られたようだった。




しかし、そんなことにもまた不思議と冷静に向き合える自分がいた。




「いよいよ思考が麻痺してきたな」




過去がないなら未来がある。




これから過去を失って余りある未来を二人で築けばいい。




そう言って目の前に続く道の先を見据えた。




そこはどこまでも延びる先の見えない暗い道だった。
















~第四章~
















「いい加減教えてくれないか?」




おじいちゃんが切り出した。




それまでただひたすら前を見据えていたおばあちゃんの足がふいに止まる。




一瞬そのことに触れてしまった自分を後悔する気持ちもあったが、


このまま仮想か現実かわからないような世界を彷徨い続けるにはおじいちゃんの思考回路は限界だった。




だが、予想を反しておばあちゃんは何も答えず再び歩き始める。




なぜだろう。




・・・・




それが答えのような気がした。




一瞬の閃きの様にその意味を悟った。




目的地=答え・・・ではなかった。




何を知りたかったのか。




それが目的地であったならば知ってどうしようというのか。




この旅の答えを知りたかったのか。




もしそうだったのならばおばあちゃんの無言こそ一つの答えではなかろうか。




「辿り着いてみて確かめろ・・・ということか」




人生なんてそういうものなのかもしれない。




レールはある。運命という名の。




ただ走っているうちはそれがどこへ続くレールなのかはわからない。




ただひたすら走ることしかできない列車と同じだ。




それに耐え切れずにレールを飛び出し道を逸れてしまうこともあるだろう。




そうなったときには二度と同じレールには戻れない。




自由を手に入れる代わりに、レールの終着点は永遠に闇の中に葬り去られる。




知ることはできない。




ただひたすら目の前に続くレールを走りつづけて、走りぬく、


そうやって辿り着いたときに知るすべての秘密は、


人生をかけて走り続けた者だけが手にする万物の知恵。




すべての扉を開く鍵。




いま隣を歩くおばあちゃんはまさにただひたすらに歩き続けている。




その姿ははかなくも頼もしい。




答えなんてわかっていたら走り続けられないだろ?




そう逆に問いかけられた気がした。




そしてもう二度と同じ過ちは冒すまいと心に誓った。




今まですぐ隣にいたおばあちゃんは自分よりずっと前を歩いていた。














~第五章~














またこの無言の世界。




何年の年月が過ぎたことだろう。




思考も完全にこの世界に慣れてきた。




おばあちゃんは相変わらず無口。




「はいはい」


といった感じで少しふてくされておじいちゃんは歩みを進める。




不意に後ろを振り返ってみた。




なぜそうしたのかはわからない。


きっとこれまでの道のりを確かめることで安心を手に入れようとしたのだろう。


自分はここまで歩いた。


自分はここまでやれた。と。


自分の中に満足感を溜め込むために。




しかし、そこに道はなかった。




意味がわからず立ち尽くすおじいちゃん。




そこには道というより「何」もなかった。




黒でも白でもない「無」




そう。ただ無だけが広がっていた。




「ここはやっぱり仮想なんだ」




気にもしなくなっていたその疑問が再び一気に胸の中で湧き上がる。




今度は前へ向きなおした。




「!」




すると前を見ても無が広がっていた。




どういうことだ。




気がつくとすべてが無になっていた。




白でも黒でもない世界。




それは恐怖心で押しつぶされそうになる場所。




混乱したおじいちゃんはがむしゃらに走り出した。




なにかにぶつかりたい。




なにかに触れたい。




自分の存在を確認したい。




生きている。




死んでいる?




もとには戻らない思考回路。




どこにも当たらない無の世界。




恐ろしさに叫び続けた。




何を叫んでいたのかはわからない。




ただ叫び続けた。




次第に自分が叫んでいるかどうかすらもわからなくなった。




叫んでいるのだろうか。息を押し殺して黙り込んでいるのだろうか・・・。




ただ一つ。


そんな疑問を持つ自分の心だけがギラギラと鈍い光を放っていた。




思考は完全に停止している。




ただ感じる「心」だけが自分の存在を確認できる唯一の光だった。




かすかに声が聞こえる。




必死に耳をすませる。




たしかに何かが聞こえる。




外からではない。




内から。




なんと言っている?




・・・




「おかえりなさい」




やっと聞き取れる声になった。




気がつくと目の前におばあちゃんがいた。




「おかえりなさい」




状況がまったく掴めず、わけがわからなかった。




ただ涙だけが流れていた。




なぜ泣いているのかわからない。




あまりの恐怖に泣いているのだろうか。




いや、それとは違う。




帰るべき場所に帰ることができたという思い・・・とでもいうべきだろか。




初めて聞く温かい声だった。




すべてが報われる奇跡の声だった。




思考がすべて停止した中で自分を唯一つなぎとめるものは「考える」ではなく「感じる」心だった。




恐怖のどん底で自分は初めて心の声というものを聞いたのかもしれない。




それはとても優しく、温かい、そしてこれまでの自分を厳しく戒める、そんな声だった。


いつからだろう?おばあちゃんは自分の隣ではなく前を歩くようになっていた。




その背中に一言、




「ただいま」




そう言ってはみたけれどおばあちゃんは振り返ることなく歩き続ける。




それでも何かとてつもない大きな存在に触れた。




そんな気がした。














~第六章~














夢の中で見る夢。




そんな感じなのだろうか、ここは。




仮想現実の中で白の世界が存在し、さらにそれを超越するように無と対峙した。




これまで自分が現実と信じ続けてきた世界は今はもうはるか遠く、記憶の片隅にひっそりと存在している。


いや、存在しているかどうかさえも怪しい。そんな状況だ。




最近の変化といえば、いつのまにか自分の前を歩くようになったおばあちゃんの背中を淡々と追っていることがごく普通の習慣となっている。


この見慣れた景色にも所々形の違う岩があったり、日の光が差し込んだりと、それなりのリズムを持って成り立っていることに気づいた。




そう、この状況を少しでも楽しむリズムを手に入れ始めていた。


そもそも人間というものは慣れることによってその場その場の状況に対応しうる高度な生物だ。


人間関係然り、それは物理的にも心理的にもだ。




自分は哲学者でも教育者でもない。


ただこれだけの膨大な時間と広大な空間が広がる世界で人間はそれと向き合わざるを得ない存在であることに今気づいたのである。




この旅は自分を成長させるための旅?




そう心の底で湧き上がる期待感のようなものに、おじいちゃんは自分で蓋をした。




「自分は死ぬのだ」




その現実を忘れたわけではなかった。


これまでは考える余裕など全くないほど、人間の思考が届かない世界に自分は来てしまっていたのである。




ここ最近、自分の中で一定のリズムを構築することで思考の世界に今あるこの状況を当てはめることができるようになっていた。




それが良いことなのかどうかはわからない。




ただその副産物として、自分が死と向き合うこの状況を改めて作り出していた。




「いったい何年自分は生きながらえてしまったのか」




この旅が始まってからというもの、すでに数年は経っているように思えた。




体の調子は、と聞かれると良いと言えばいいのか悪いと言えばいいのか、


自分ではもう判断できないようになっていた。




「医者に見てもらいたい」




そう口にした。




聞こえるはずのないほど前を歩くおばあちゃんの足が止まった。




そしてゆっくりと振り返るとこちらへ向かって歩き始めた。




今までおばあちゃんを振り向かせるようなことはしなかった。




言ったところでこの人の歩むを止めることなど不可能に感じていたから。




だが、いまおばあちゃんは自分へ向かって歩いてきてくれている。




不可能だなんて思っていたのは自分だけだったのかな。




呼びかければいつでも自分に微笑みかけてくれたのかもしれない。




なんだかとても損をした気分になった。




物事に可能・不可能のレッテルを貼りつけるのは人間自身だ。




いや、人間自身というより人間の頭が考えること。




つながった。




あの意味が。




無の中で感じた世界。




頭ではなく心の声に従うということ。




知ったところで実践ができていなかった自分に気付き、


おじいちゃんはやるせない思いになった。




この限られた時間の中で、その貴重な時間を無駄にしてしまったのではないか。




いったい残された時間の中で自分は何ができるのだろう。




扉が開く音がした。


ここからはきっと深い思慮の世界に落ちていく扉。


ゆらゆらとはっきりとしない景色の中に自分の身を投じようとしたそのとき、




「おじいちゃん」




おばあちゃんが声をかけたのだった。




また救われた。




何度、いったい何度この人に自分は救われ続けてきただろうか。




もう感謝をしてもしきれないほどの恩を感じていた。




「体の調子がよくないの?」




そう問いかけながら自分の顔を覗き込むおばあちゃんを見て、絶句した。




白の世界で見たおばあちゃん。


あの頃の面影に若返っていた。




ずっと自分の前を歩いていたから気付くことなんてできなったのだろう。


いったい何が起こっているのか。


ここではもう不思議は不思議ではなくなっていた。


一瞬の驚愕を乗り越えて、「ああ、こういうものなんだ」と言い聞かせた。




頭で考えても何の解決にもならない。


心で感じるならば、これはこういうもので妙に納得できるものである。




あえてそのことに触れず、おじいちゃんは続けた。


「ああ、ここ数年医者の世話になってないからな。ちょっと不安になっただけだ。」




病気のことには触れなかった。


もう知っているかもしれないと思った。


でも、言わなかった。


そういうところにまだ「現実らしさ」のようなものを見出していたのかもしれない。




「この先に病院があるわ。」




思わず笑えた。


そんなはずがない。


いったい何年この変わらぬ道を歩き続けてきたというのだ。


それを今になって「この先」に?


苛立ちさえ感じた。




いったいこの旅の目的は何なのだ。


なぜこの旅を始めたのだ。


この世界はどこなのだ。


何なのだ。なぜなのだ。どこなのだ。




一気に怒りと同時に噴き出す疑問たち。


もう抑える必要もなかった。




全てを吐き出すように言い放った。




が、言葉にならなかった。




我先にと出口を求めて溢れ出る感情たちがせめぎ合い、身動きがとれなくなって、


そして何も出てこなかった。




再び訪れる沈黙。




二人の間にはいつもの見慣れた風景と、永遠に続くようにさえ思える沈黙が横たわっていた。




もう辺りは暗くなっていた。












~第七章~












どれくらいの間二人は見つめ合っていただろうか。




その沈黙を破るように、怪しくも懐かしい感情さえ抱く、あの巨大な影が姿を現した。




不思議と襲ってくる様子はない。




ただ二人の方を見つめているようだった。




「こいつの正体もわからないままだったな」




自分たちを追い詰めてきたこの影もすっかり丸くなってしまって、


なんだか自分自身を見ているような気がした。




今ある状況に適応できず、あるがままを受け入れられなかった自分はきっとあのときの影のように攻撃的で、目の前にあるものにすがり付きたい気持ちだっただろう。




「すがり付きたい?」




イメージの中で紐がスルリと解けた。




そう、あいつは襲い掛かってきてきたのではない。


自分たちにすがりつきたかったのではないか。


追いかけてやっと追いつきそうになると、ふと消えてしまう。


その繰り返し。




いまの影をみると、自分と同じでこの状況をあるがままに受け入れるようになったのだろう。




そう思うと、妙に愛おしい存在に思えた。




物事を受け止める側の受け止め方一つでこんなにも状況は変わってしまうのか。


凶悪で野獣のように思えた影が今は少し離れた場所からそっとこちらを見つめている。


なぜあの時気付いてあげられなかったのだろう。




そういうものだ。


いつも。


あとになって後悔と共に大切なことを発見する。




そういうものなのだ。


人生とは。




おばあちゃんもあの影に気付いたようだった。




恐れる様子はなく、あの影に向かって優しく微笑んだ。




すると影は突然光を放ち始め、次第に強い光となって、まぶしくて見えないほどになった。




そして一瞬辺りが昼になったくらいに強烈に光って、そのまま消えてしまった。




・・・




あの影も一緒に消えていた。




あの光が消え去る最後の瞬間、その中心に人影のようなものが見えた気がした。




謎が解けたようだった。




あの影はきっと自分自身であったのではなかろうか。




病魔の不安からその巨大な虚無感や恐怖感に追われていたあの頃。




あの影は自分の心が作り出した幻影。




向き合おうとせず、いつも逃げてきた。




逃げれば逃げるほど強大になって自分を覆いつくして飲み込んでしまような気がしていた。




それなのに自分はひたすら逃げ続けた。




これまでずっと。




この旅が始まってからというものどうだろう。




それどころではない状況の中で、膨大な時間と広大な空間を得た。




現実ではありえない環境だ。




その中で自分と向き合わざるを得ない場所。とでもいうべきだろうか。




それをして余りあるほどのものがここにはある。




だんだんと変わっていく自分の心にそっと向き合ってみた。




自分がいた。




当然のことだ。




だが、それができずにこんな年まで生きながらえてしまった。




恐怖感を虚無感が越えた。




そうなったとき人は冷静さを取り戻す。




「俺は間違っていた」




深く目を閉じてそう呟いた。




そっと目を開くと白の世界にいた。




どれくらいぶりだろう。ここに来るのは。




何もなかった。




一人だった。




おばあちゃんも見当たらない。




一人ぽつんとその場に立ち尽くした。




「黒が愛おしい。」




そんな感情が不意に沸いてきた。




真っ白な世界にいると、なにか黒いものを探してしまう。




その白と黒の調和が取れた世界がきっと平和なのだ。




白だけではない。


黒だけでもない。




その二つが必要だったのだ。




白ばかりを追い求めてきたこれまでの人生。


黒を遠ざけ、見て見ぬ振りをして逃げ続けてきた。




あの影はまさにそういった自分を映し出す鏡のようなものだった。




逃げるのではない。


向き合って共存の可能性を探るのだ。


そうして人生は調和を取り戻し平和を保つ。




そのことをあの影に教えてもらった気がする。




最後に光の中に見た人影は見間違いではなかった。




そう、あれはきっと自分自身だったのだ。




はかなく消えていったあの影も今は自分の心の中に生きつづける。




心の平和を取り戻した瞬間だった。




再びパッと風景が切り替わって自分はあの狭間の道にいた。




全てを悟ったかのように、心は波一つ立てず穏やかだった。






「もっとあいつと向き合ってあげるべきだったな」






消え去った影に対する愛おしい感情を大切に心の箱にしまい込んで、おじいちゃんは再び歩き始める。




前を歩くおばあちゃんの背中が少しだけ近く感じた。




残された時間はそう長くはないだろう。




やれるだけのことはやってみよう。




力強い足取りは生きたいと願うこの世への執着とは少し違っていた。




生を超越した「生き様」とでもいうのか、


限りある人生としっかりと向き合えるようになった証なのだろう。






「あと三日」






なぜだかわからない。




ただそう心に浮かんだ。




それが自分のタイムリミット。




そう穏やかに悟った。




これが心の声?




そうだとしてももう驚くことはなかった。




この歩みを止めるものはもう何もない。




「行けるところまで行ってみよう。」




ふと振り返ると、残された足跡は風によって掻き消されて「無」と化している。




それが何だというのだ。




今を歩いている。


それが生きるということだ。




終わりは近い。




今だけを自分は生き抜こう。




そう言っておじいちゃんの足はよりいっそう速まるのであった。














~第八章~














ついに追いついた。




おばあちゃんの背中に。




ようやくその肩に手をかけて声を掛けようとした瞬間、




おばあちゃんの方から立ち止まりクルっとこちらを振り返った。




相変わらずあの頃の面影を残したままの若々しい出で立ちだった。




「見えたわ。」




そうおばあちゃんが言った。




なにが見えたのだろう?


見えるものなんてもう見飽きた光景しかないはずだ。




辺りを見回しても何の変化もないいつもどおりの光景だった。




「まだ見えないの?」




少し苛立ったようにおばあちゃんが言った。




「この旅の終着駅よ。」




そう続けた。




「終着駅?」


そもそもそんなものがあったことさえ最近は忘れていた。




行けるとこまで行こう。


そう決意したときも、辿り着くことを目標とはせず、歩き続けて歩き抜くことを目標にしたからだ。




忘れた頃にやってくる。




どこかで聞いたような台詞だった。




だが、おじいちゃんには未だにおばあちゃんの言う終着駅が見えないでいた。




「目を閉じて。」




そうおばあちゃんが言った。




言われるままに目を閉じるおじいちゃん。




そこでようやく理解できた。




きっとこの目を開けたとき自分は白の世界にいる。




そこにおばあちゃんの言う終着駅が待っているのだろう。




ゆっくりと目を開く。




やはりそうだった。




白くて、白すぎて、自分には似つかわしくない場所。




またここに戻ってきた。




心の闇を追いやって、そうして作り上げた不自然なほど白い世界。




ここに黒は存在しない。




まるでロボットのように心を失った人形のようだ。




だが、この旅の終着駅はここにあった。




遠くで自分を呼ぶ声がする。




おばあちゃんが向こうで手を振っていた。




この人を自分の作り上げた虚偽の世界に連れてきてしまったような気がして罪悪感が重くのしかかる。




だんだんと近づくおばあちゃんの隣になにかがあることに気がついた。


少しずつ、少しずつ、その形が露になっていく。




おばあちゃんの前に辿り着くと、それがベッドであることがわかった。




どうしてこんな場所に。




しかも、それはまるで病室のベッドのようだった。




「ここが終着駅・・・?」




そのベッドの横で微笑むおばあちゃんがあまりに不釣合いでこの結末の悲劇さを物語っているようだった。




「なにをそんな顔をしているの?」




そう問いかけるおばあちゃん。




なぜそんなに嬉しそうなのだろうか。




自分の死に様に立ち会えることで満足しているのだろうか。




愕然とするおじいちゃんに、おばあちゃんは続けた。




「このベッドにはね、特別な力があるの。どんな病気でも必ず治る。


ただ信じ、信じつづけて、信じ抜いた者にだけ辿り着くことを許された場所よ。」




全ての謎が解けた。




やはりこの人は自分の病気のことも全て知っていたのだ。


そして今回の旅のことを自分に持ちかけた。


唐突に。




あのときなぜ一心に前だけを見据えつづけていたのか。


なぜあれほど頼もしく自分の前を歩きつづけたのか。


あの微笑み。


あの言葉。




その全てがきっと自分への愛情だったのだ。




走馬灯のようにこれまでのことが心の中に蘇る。




イメージの中で点と点が線によってつながっていくことを感じた。




気がつくと涙が溢れていた。


止めようがないほどの涙が。




涙の止め方を忘れてしまった。


ただ立ち尽くし泣き続けた。




どれくらいの時間が経っただろう。


おばあちゃんは何も言わなかった。




止めてほしかった。


この涙を。




でもおばあちゃんは何も言わなかった。




きっと一生分の涙では足りないくらいだろう。


輪廻転生。


次にこの世に帰ってくるとき自分は涙を流せない者としての宿命を背負うことになる。


そんなことを心のどこかで冷静に考えている自分がいた。




決断のときが迫っていた。












~第九章~














「おじいちゃん」




そうおばあちゃんが声を掛けた。




流れ続けた涙もやがて枯れた。




落ち着きを取り戻しおばあちゃんを見つめる。




「さあ、ここに横になって。」




「そして目を閉じて願うの。」




「目を開いたとき、きっとその願いは聞き届けられるわ。」






そういうことか。


願いごとをかなえる奇跡のベッド。とでもいうのか。




疑いの余地はなかった。


ここに辿り着くまでの出来事を思い返せば何の不思議もない。


そんなベッドがあることはごく自然のことのように受け入れられた。




「その前に、ちゃんと涙をぬぐって。しっかりね。」


そう言っておばあちゃんは手鏡を渡した。




そこに映った自分の姿に一瞬慄いた。




おばあちゃんが若返ってあの頃の面影を取り戻したことは受け入れられた。


しかし、その鏡には受け入れがたい自分が映っていた。




そう、自分もいつのまにかこの旅路の中で若さを取り戻し、あの頃のようにいきいきとした姿になっていたのである。




ふつふつと蘇ってくる「生」への執着。




「生きたい」




そう溢れ出そうになる思い。




生きることができれば、自分はこの人とまた共に行き続けることができる。


この人の愛情に恩返しすることができる。


どんな家に住もう?


どんなものを食べよう?


どんなものを買おう?


・・・


どんな家庭を築こう・・・




生きることができればこんなに素晴らしいことばかりが自分たちを待っている。




光り輝く未来が。




光。


闇?




いや、光だ。




輝く光の中でこの人ともう一度素晴らしい人生を送ってみたい。


生き直すんだ。


後悔のないように。




そして、おじいちゃんはベッドに向かってゆっくりと歩き始めた。




これがこの旅の終着駅。




辿り着けるはずがないと思っていた場所。




自分に残された最後の瞬間。




そして自分は生まれ変わる。




この人と共に行き直すために。




願うことは決まっていた。




そう、自分の本当の願いは・・・。












~第十章~












「がんばって。」




そう微笑むおばあちゃんの横を通り抜け、おじいちゃんはベッドに横になった。




胸の上で両手を組み祈るようにして目を閉じた。




「夢の中で見る夢」




白の世界で見るもう一つ深い場所にある白の世界に自分はいた。




ここが本当の終着駅。




声が聞こえた。




「おかえり」




おばあちゃん?




いやそれとは違う。




その声に枯れたはずの涙が溢れかえってきた。




ここはいったいどこだろう?




これまで封印してきたこの疑問が再燃する。




ここは・・・




心の底。




本心の声。




存在の起源。




0が1に変わる場所。




懐かしいような物悲しい空気だった。




全ての存在がここにあり、そしてまた無である。




見ているのかわからず、聞いているかもわからない。




ただあのとき狭間の道で対峙した無とは同じようで違っていた。




温かい。




辿り着いたのではない。


帰り着いたのだ。




そうはっきりとわかった。




さあ、ここで自分は何を願う?


それはもちろんおばあちゃんと生きる光り輝く未来。


そう、行き直すのだ。


後悔のないように。




光溢れる場所で。




・・・・




ほんとにそうだろうか・・・




・・・・




この病気を癒し、行き直すことができるならば


自分は光だけを感じて生きることができるのだろうか。




いや、そんなことはどうでもいい。


生きてあの人に恩返しをするのだ。


あの人に影を落とすことはしてはならないのだ。




そして目を閉じて祈りの準備を進めた。




・・・・




ほんとにそうだろうか・・・




・・・・




この声はいったい。




こんなこと前にもあった気がする。




それは、まだ自分たちが現実世界にいた頃。




自分はおばあちゃんと二人・・・だけではなかった。




・・・




二人だけではない。




・・・




もう一人いたはずだ。




もう一人・・・。






ごく当たり前の日々の中で、自分たちは幸せに暮らしていた。


その小さな命が突然に消え去ることなど想像すらできなかった。




今日は何をしてあげよう。


明日は一緒に何を分かち合おう。




一緒に風呂にでも入ろう。


自分の好きな映画を一緒に見よう。


自分と妻の間に入れて川の字になって昼寝をしよう。




・・・




ほんとにそうだろうか・・・




・・・・




思い出したくない。


来るなっ!!


近づくなっ!!


こんな闇!消えてしまえっ!!




パッと視界が開けて再び白の世界にいた。






大切な息子を失った。








それ以来、自分は極端に闇を恐れてきた。


そして逃げ続けてきた。




向き合うことは・・・不可能だった。




おばあちゃんは一度も責めなかった。




自分は生きながらえてしまったのではなかろうか。




白を追い求めるあまり、黒を退け、追い出し、結果この白の世界を作り上げてしまった。




影の落ち場のない不自然な世界。




再び声がする。






「あなたの本当の願いは・・・」






そうだ、自分の本当に願うべきことは何だろうか。




再び目を閉じて祈り始めた。




生きることを選ぶのか。


それとも・・・


息子の死以来はじめて「闇」を受け入れるのか。




これまでの人生で出会った人々の笑顔が次々と浮かんでは消えていく。




そしておばあちゃんの笑顔。


生への執着がまた見え隠れする。




人々の笑顔の最後にはやはり息子の笑顔が思い浮かんだ。




不思議といつまでも消えない。


ずっとこちらに微笑み続けている。




この笑顔すらも自分は無にしてしまおうとしていたのか。。。




そして、消えてしまった。




白の世界が残った。




消えたはずのあの黒い影がすぐ隣にいた。




これが答えのような気がした。




そして意識の中で祈りを続けた。




「自分が本当に願うことは・・・」










その頃、外の世界ではおばあちゃんがベッドに横たわるおじいちゃんを見下ろしながらこれまでの二人の人生を振り返っていた。




もちろん息子のことも。




あの時、ただの風邪だろうと思い込んでいたのはおじいちゃんだけではない。


そう、自分もそう楽観的に考えてしまっていたのだ。




だから今回、おじいちゃんの病気のことをこっそりと知ったとき、


絶対に同じ過ちを繰り返さない。


そう使命感にも似た気持ちでこの旅におじいちゃんを連れ出したのである。




目を閉じると、おばあちゃんにも息子の顔が浮かんだ。


ニコニコと笑って、キャッキャとはしゃぐ愛らしい姿に思わず涙がこぼれた。




同じ悲しみを繰り返したくない。


だから強くならなくては。




取り戻したい。


あの日々を。


それがおばあちゃんの願いであった。






朦朧とした意識の中におじいちゃんはいた。


見えるもの全てがぼやけて見える。




自分が本当に願うこと。




それは「幸せ」です。




光や闇、白や黒、そういったものではなく幸せです。




何を願えば幸せになれますか?




何を手にすれば人は幸せになれるのですか?




その答えを教えてください。




私が願うこと、


それはその答えを知ることです。




こうはっきりとおじいちゃんは祈った。




訪れる静寂の時。




向こうの方に扉が見えた。




遠いようで近い。近いようで遠かった。




やっとの思いでその扉に辿り着いた。


重厚感のある大きな扉だった。




無音の世界。




この扉を開いた先に何があるのか。


おじいちゃんはもう知っていた。




ここが本当の終着駅。




本当の幸せは。




この先にある。




その扉に手をかけた。




後ろで誰かが呼ぶ声がする。




「わかっているよ。大丈夫。もう怖がったりしないから。」




すると声は消えた。




扉をゆっくりと開いていく。


その先は光が溢れていて、まぶしくて何も見えなかった。




次第に収束していく光。




だんだんと目も慣れてきて様子が伺えるようになってきた。




見たこともない景色だった。








青い空。




青い海。




その境界はどうなっているのだろう?




なんだかこうクネっとなって巻き込まれているようだった。




丘が見えた。




そこに小さな白い教会がある。




そう、自分が行くべき場所はあそこのような気がした。




誰かが自分を待っている。




それだけははっきりとわかっていた。




もつれる足を必死に立て直して走った。




思うようにうまく走れない。




あのときのように飛ぶことができたならどれほど楽だろう。




なんてことを考えながら全力で走った。




だんだんと教会の姿がはっきりとしてくる。




中で人々の賑やかな声がする。




その扉を勢いよく開くと、奥の台座の方で真っ白なドレスに身を包んだ女性がこちらを見つめていた。




なんとなく悟った。




自分を待っているんだと。




ゆっくりと歩き始める自分。




二人の距離が近づく。


遠いようで近い。


近いようで遠かった。




うまくその距離を測れないでいる。




ただその女性の姿が次第にはっきりしてくる。




それはもちろん。




おばあちゃんだった。




こちらを見て微笑んでいる。




周りの人々も幸せそうな顔をして祝福している。




これだった。


これを自分は本当に願ったのだ。




闇を克服し、光と共に生きる。




光だけではない。闇だけでもない。




光あるところに影はできる。




それは自然の摂理であって、普遍の真実。


人間とははかない生き物で、与えられたレールを正しく進むことが困難でいる。




だが、その運命のレールを走りきったものに与えられる終着駅。




それは全ての真実の秘密を解き明かし、知るということ。




「幸せになる」




そう心に思い描いた未来はいつの日か必ず実現する。




だんだんとおばあちゃんとの距離が近づく。




さっき思いっきり走ったせいか足がふわふわとしていて感覚がない。




やっと辿り着いたときには、二人はただ見つめ合っていた。




多くの言葉は必要なかった。




ただ一言。




「おかえりなさい。」




「ただいま。」




それだけで十分だった。




その声を聞いただけで涙が溢れそうだった。




あの時どこかで聞いた声のような気がしたがやはりおばあちゃんの声だった。




溢れる涙を拭い去ろうと手を当ててみた。


しかし自分の目からは涙など何も出てはいなかった。




はっと気付いた。




そして、一言冗談っぽくおじいちゃんは呟いた。




「涙なんてものは前世ですでに枯れるほど流したんだったな。」




それを聞いたおばあちゃんはクシャっとした笑顔でいつまでもおじいちゃんに微笑みかけていた。










鐘が鳴る。




空の彼方へ。




風が吹く。




大海原の上を。




それが全てでそれ以上でも以下でもない。




それで世界は過不足なく成り立っているのだ。




そこには光も影も神が生み出したレールの上を行き来している。




走って、走り続けて、走り抜く。




おじいちゃんの旅路はきっとこれからも加速していくことだろう。

























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