第七話「麻衣からの手紙、二通目」
フィオナが離れに移って、3日が経った。
生活は驚くほど変わらなかった。
朝起きて、畑に出る。フィオナが離れの前で魔力石の修行をしている。石が光って、消えて、また光る。俺が来ると顔を上げて「おはようございます」と言う。俺が「おはよう」と返す。
変わったのは、距離だけだ。
宿から畑まで歩いて15分だったのが、離れから畑まで30歩になった。たったそれだけの変化で、朝の挨拶がやけに近くなった。
*
その日の午前、使用人が手紙を持ってきた。
封蝋の紋章を見て、すぐにわかった。リリア・ルーシェ。麻衣からの2通目だ。
書斎に入って、封を切った。
丁寧な貴族令嬢の文字が並んでいた。
「ランベルト様。お返事をいただき、大変嬉しく存じます。農村でのお暮らしが穏やかとのこと、安心いたしました。日々判断を重ねておられるとのお言葉、大変心強く思います」
(訳:逃亡先が安全で良かった。「日々判断を重ねている」って何。何の判断だ兄よ)
「こちらは変わりなく過ごしております。学友たちとの交流も順調です。ファイン兄様は相変わらずお優しく、私のことを気にかけてくださいます」
(訳:攻略対象の一人であるファインが私に接触してきている。今のところ問題ないが注視中)
「ところで、ランベルト様のお手紙に『近隣の方が時折訪ねてくださる』とございましたが、どのような方でしょうか。ご友人ができたのであれば、リリアも嬉しゅうございます」
(訳:「時折訪ねてくる人」って誰だ。説明しろ)
俺は手紙を置いた。
(......鋭い)
「近隣の方が時折訪ねてくださり」は、フィオナのことをぼかして書いた一文だった。麻衣はそこを正確に拾ってきた。
(さすが元営業事務だ。曖昧な報告を見逃さない)
手紙の続きを読んだ。
「また、些か気になることがございます。先日、王宮の図書室で古い記録を見かけました。ヴェルツ家に関する記述がほんの少しだけございまして、お暇なときにでもお目通しいただければ幸いです。内容は同封の写しをご覧くださいませ」
(訳:ヴェルツ家について何か見つけた。重要かもしれないから確認してくれ)
同封の紙を開いた。
麻衣の手書きで、短い文章が写されていた。
「ヴェルツ家は代々、縁に関わる魔法を継承する家系であったが、現当主の代においてその力は途絶えたとされる」
(......縁に関わる魔法?)
聞いたことがなかった。ランベルトの記憶にも、前世でプレイしたゲームの知識にも、そんな設定はなかった。
(俺が知らないだけか。それとも、ゲームに出てこなかった設定か)
麻衣がわざわざ同封してきたということは、重要だと判断したのだろう。麻衣の勘は、営業事務時代から当たる。
(「縁に関わる魔法」か......)
エマの顔が浮かんだ。
エマはいつも、俺の横あたりを見てニコニコしている。何が見えているのか聞いても「なんでもございません」と言う。
(まさか、な)
考えすぎだと思った。しかし、頭の隅に引っかかった。
*
返事を書くことにした。
今回は前回より難しかった。書くべきことが増えていた。
「リリア様。お手紙ありがとうございます。こちらも穏やかに過ごしております」
(訳:まだ生きてます)
「お尋ねの件ですが、近隣から訪ねてくださるのは、旅の途中の方でございます。魔力の修行をされており、農村の環境が適しているとのことで、しばらく逗留されるようです」
(訳:フィオナという女が毎日来る。離れに住み始めた。ゲームのキャラかどうかまだわからない)
ここで手が止まった。
(「離れに住み始めた」をどう書けばいい)
事実として書くと、兄が若い女を屋敷に住まわせている、という話になる。麻衣がどう受け取るか。
(......正確に書くしかない)
「その方は現在、屋敷の離れをお使いいただいております。エマの提案によるものです」
(訳:エマが勝手に話を進めた。俺のせいではない)
(......いや、「どうぞ」と言ったのは俺だ)
書き直した。
「その方は現在、修行の便宜上、屋敷の離れに滞在されております」
(「便宜上」。営業用語だ。便利な言葉だ)
手紙の最後に、麻衣への質問を加えた。
「同封いただいた記録、拝読いたしました。大変興味深く存じます。もし追加の情報がございましたら、お知らせいただけますと幸いです」
(訳:ヴェルツ家の「縁の魔法」について、もっと調べてくれ。頼む)
ペンを置いた。
(今回の手紙は前回より長くなった)
前回は「穏やかです」で済んだ。今回は「フィオナが離れにいます」と「ヴェルツ家の謎」が加わった。報告事項が増えている。
(......報告事項が増えているということは、状況が動いているということだ)
逃げてきたはずの農村で、状況が動いている。それは本来、あってはならないことだった。
*
昼飯を作った。
今日は干し肉と根菜の汁物と、葉野菜の塩和え。シンプルな献立だが、出汁を丁寧に取った。前世の味噌汁に近い方向を目指している。味噌はないが、発酵調味料に似たものがこの世界にもある。
フィオナが食卓についた。一口飲んで、少し黙った。
「......深い」
「何が」
「味が。いつもと全然違う。なんですかこれ」
「出汁だ」
「出汁」
「素材を煮出して取る。手間はかかるが、味が変わる」
フィオナは不思議そうな顔で汁を見つめていた。それから、もう一口。
「......これ、毎日飲みたいんですけど」
(毎日飲みたい、か)
「毎日は出汁を取る手間がかかる」
「じゃあ、私が手伝います」
「......手伝うのか」
「煮るだけならできます、たぶん」
(「たぶん」がついた)
「料理は得意なのか」
「得意じゃないです。全然」
フィオナはあっさり認めた。
「学園では食堂があるので自分で作ったことがないです。旅先では保存食ばかりで」
「それで手伝うと」
「教えてもらえれば」
フィオナは俺をまっすぐ見ていた。料理を教えてほしいと言っているだけだ。それ以上の意味はないだろう。
ないだろうが。
「......まあ、出汁の取り方くらいなら」
「ありがとうございます」
フィオナは少しだけ笑った。声は出さなかったが、口元が動いた。6話で初めて声を出して笑ってから、笑顔の頻度が少しだけ上がっている気がする。
(......気のせいだ。データが足りない)
サンプル数2で傾向を語るな、と営業時代の上司なら言うだろう。
*
夕方、手紙を封筒に入れて封蝋を押した。使用人に渡した。
フィオナは離れに戻って修行を再開していた。窓から見ると、魔力石が青白く光っては消えている。規則的なリズムだ。集中しているのがわかる。
エマが廊下に来た。
「坊ちゃま、フィオナ様はよくお励みですね」
「ああ。真面目な性格らしい」
「ええ。とても真面目なお方です」
エマは窓の外を見た。フィオナのいる離れの方角だ。
それから俺の横あたりを見た。いつもの場所だ。
そして、いつもより少しだけ目を細めた。
「坊ちゃま」
「なんだ」
「糸が......いえ、なんでもございません」
(......今、何と言いかけた?)
「エマさん」
「はい」
「今、『糸が』と言わなかったか」
エマは穏やかに微笑んだ。完璧な使用人の微笑みだった。
「空耳でございましょう」
「空耳か」
「ええ」
エマは一礼して去っていった。
空耳ではなかった。確実に「糸が」と言いかけた。
(糸)
麻衣が送ってきた記録を思い出した。「ヴェルツ家は代々、縁に関わる魔法を継承する家系であった」。
(縁。糸)
つながるのか、つながらないのか。今の段階ではわからない。
ただ、エマが何かを見ていることだけは、もう疑いようがなかった。
*
夜、離れの明かりが灯っていた。
昨日も一昨日も灯っていた。これが今の日常だ。
窓の外を見ながら、今日の手紙のことを考えた。
麻衣に「フィオナが離れにいる」と書いた。事実だ。麻衣はこれを読んで何を思うだろう。
(「兄、何やってるの」だろうな)
わかっている。客観的に見れば、異常な状況だ。逃亡先の農村で、正体不明の若い女と同じ敷地に住んでいる。当て馬として逃げたはずの男が、ヒロイン候補のような人間と日常を共有している。
(ヒロイン候補「のような」人間)
「のような」を外せない。フィオナがゲームのキャラかどうか、まだわからない。わからないが、わからないまま日常が進んでいる。
離れの明かりが消えた。
俺は自分の明かりを消した。
(麻衣の返事が来たら、もう少しわかるかもしれない)
それは希望的観測だった。しかし今は、それくらいしか頼るものがなかった。




