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俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん  作者: よるの 余白
アークI「逃亡と日常」

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第五話「嘘、もう発つんですか」


 あれから数日が経った。


 5日目、フィオナが来た。


 6日目も来た。


 7日目も来た。


 8日目は雨だった。さすがに来ないだろうと思ったら、濡れて来た。


 (傘を差せ)



 9日目も来た。畑の葉が伸びていることに俺より先に気づいた。


 10日目も来た。もう石の上に座布団を置いていた。


 (座布団はどこから持ってきたんだ)



 気づけば、フィオナが来ない朝を想像できなくなっていた。


 抵抗するという概念が、記憶の中で薄れていた。まるで最初からこうだったかのように、朝起きて、畑に出て、フィオナがいて、昼飯を作って、夕方に帰っていく。それが繰り返されていた。


 しかし、明日で終わる。


 フィオナは言っていた。「来週には発つ」と。明日がその日だ。


 (それでいい)


 (元々、関わらないつもりだった)



 *



 出発前日の朝、フィオナはいつも通りに来た。


 石の上に座って、座布団の位置を直して、畑を眺めている。


 いつもと同じだった。


 (いつもと同じだ)



 昼飯を作った。今日は少し多めに作った。根菜の煮物と、干し肉の炒め物と、スープ。品数がいつもより多いのは、食材を使い切る必要があるからだ。


 (余らせると腐る。だから多めに作る。合理的な判断だ)



 フィオナは出された料理を見て、少し目を丸くした。


「多くないですか」


「食材が余っていた」


「ふうん」


 フィオナはいつもの「ふうん」を言ってから、箸を手に取った。


「最後だからたくさん食べます」


 (……)



「最後」という言葉が、想定より重かった。


 料理は美味いはずだった。いつも通りに作った。しかしフィオナが「最後だから」と言ったあと、味が少しだけぼやけた気がした。


 (気のせいだ。味付けは同じだ)



 フィオナはきれいに食べた。いつも通り。最初の日から変わらず、出されたものを残さない。文句は言う。でも残さない。


「……おいしかったです」


 いつもは「おいしかった」とは言わない。「なんで甘いんですか」とか「変わった味ですね」とか、そういう言い方をする人だった。


 素直な言葉が出てきたことに、少しだけ面食らった。



 *



 午後、俺は村の市に出かけた。


 週に一度の市日だった。広場に農家が作物を並べ、行商人が干し肉や保存食を売っている。辺境の小さな市だが、品揃えはそれなりにある。


 俺は干し肉と乾燥果実を買った。それから、塩と香辛料を少し多めに。


 (余った食材を保存食にする。それだけだ)



 エマがついてきていた。


 なぜかニコニコしている。買い物を手伝ってくれるわけでもなく、少し後ろを歩いて、俺の横あたりをちらちらと見ている。


「エマさん、何か買うものはあるか」


「いいえ、私は坊ちゃまのお供ですので」


「供というか、俺はただの買い物だが」


「ええ、存じております」


 エマはまた俺の横を見た。それから、市の出口のほうをちらりと見た。フィオナが宿に帰った方角だ。そしてまた、満足そうな顔をした。


 (何が見えているんだエマさん)



 屋敷に戻ってから、保存食を作った。


 干し肉に下味をつけて干し直す。乾燥果実を甘味のある調味料で和える。硬焼きパンに香辛料を練り込む。普通の保存食より明らかに手間がかかっている。


 (余った食材の処分だ)


 (手が込んでいるのは、食材を無駄にしないためだ)


 (それ以外の理由はない)



 エマが台所を覗いて、「まあ、坊ちゃま」と言った。


「こんなにたくさん。どなたに差し上げるのですか」


「誰にも差し上げない。保存用だ」


「左様でございますか」


 エマはニコニコしたまま引き下がった。信じていない顔だった。



 *



 夕方、フィオナが帰り支度を始めた。


「明日は朝早く発つので、今日が最後です」


「そうか」


「……お世話になりました」


 フィオナの声は、いつも通りだった。あっさりしていて、感傷がない。この人はいつもそうだ。来るときも帰るときも、同じ温度で話す。


 俺は台所から包みを持ってきた。


「これ」


「なんですか」


「保存食だ。旅先で食べるものがないと困るだろう」


 フィオナは包みを見た。


 開けた。中身を確認した。


 干し肉の味付けが普通ではないことに、すぐ気づいたようだった。乾燥果実の和え物を一つつまんで口に入れた。


「……これ、全部あなたが作ったんですか」


「余った食材だ。腐らせるよりはいい」


「保存食なのに美味しいんですけど」


「保存食だから不味くていいという道理はない」


 フィオナは包みを持ったまま、少し黙った。


 それから、小さな声で言った。


「……ありがとうございます」


 いつもより、声が小さかった。


 フィオナが声を小さくするのは、初めて聞いた。この人は、思ったことをそのまま言う人だ。声の大きさがいつも一定の人だ。それが今、少しだけ小さかった。


 (……風邪か)



 風邪ではないだろうと、どこかでわかっていた。



 *



 フィオナが門のところで立ち止まった。


 振り返った。


 何か言おうとして、やめた。それからもう一度口を開いた。


「……あの」


「なんだ」


「実は、修行の成果が全然出てなくて」


 (……)



「この辺の丘、空気が澄んでて魔力が通りやすいかもしれないんです。王都の近くより全然いい気がして」


 フィオナは俺の目を見ていた。いつもの、物怖じしない目だった。ただ、ほんの少しだけ、視線が揺れていた。


「もう少しいてもいいですか」


「どうぞ」


 言葉は、考えるより先に出ていた。


 あのときと同じだった。初めてフィオナに「また来ていいですか」と聞かれたとき、断るつもりだったのに口から出た言葉。


 あのときは自分で驚いた。なぜそう言ったのかわからなかった。


 今回は驚かなかった。


 迷いもなかった。


 ただ「どうぞ」と言った。それだけだった。


 フィオナは少し目を丸くした。それから、いつもの顔に戻った。


「じゃあ、もう少しいます」


「ああ」


「明日も来ます」


「……ああ」


 フィオナは手を振って、宿のほうへ歩いていった。包みを大事そうに抱えていた。


 俺は畑の横に立ったまま、その背中を見ていた。


 夕日が沈みかけていた。影が長く伸びている。


 保存食を作った手間が、無駄にならなかった。


 それだけのことだ。


 (それだけのことだ)



 繰り返す必要があるということは、たぶん、それだけのことではないのだろう。


 しかしその考えは、夕日と一緒に沈めておくことにした。



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