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俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん  作者: よるの 余白
アークI「逃亡と日常」

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第四話「手紙の返事、どう書けばいいんだ」



 4日目の朝、俺は台所で異変に気づいた。


 まな板の上に、野菜が2人分並んでいた。


 (……俺は今、何をしている)



 手が勝手に動いていた。昨日の残りの大根を切り、干し肉を水に戻し、スープの準備を始めている。それも、明らかに1人分ではない量を。


 (待て。誰に食わせるつもりだ)



 答えは考えるまでもなかった。しかし認めるわけにはいかない。


 俺は黙って野菜を1人分に戻した。


 戻したあと、少し考えて、やっぱり元に戻した。


 (……多めに作って保存するだけだ。合理的な判断だ)



 畑に出ると、フィオナはもう来ていた。昨日と同じ石の上に座っている。もはや石が指定席になっている。


「おはようございます」


「……おはよう」


 この挨拶も4日目になると、抵抗するという発想自体が消えていた。


 (これを「日常」と呼ぶのは危険だ)


 (しかし実態として、日常だ)



 *



 午前中、俺は書斎にこもった。


 麻衣への返事を書かなければならない。


 便箋と羽根ペンを前に、俺は固まっていた。


 (問題は、この手紙が二重構造でなければならないことだ)



 表の文面は「ランベルト・ヴェルツからリリア・ルーシェへの礼状」。使用人が運ぶ。途中で誰かに読まれる可能性がある。だから表向きは、貴族同士の丁寧な文通でなければならない。


 裏の意味は「柴田健司から柴田麻衣への状況報告」。こちらが本題だ。


 (つまり、1つの文章に2つの意味を載せる必要がある)


 (……これ、営業時代にやってたやつだ)



 取引先への体裁メールを思い出した。「今後とも変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます」と書いて、実質的には「値下げはしません」と伝える、あの技術だ。


 ペンを動かし始めた。


「リリア様。お心遣いに感謝いたします。農村の暮らしは穏やかで、畑仕事にも慣れてまいりました」


 (訳:逃亡先は安全です。野菜を育てています)



「近隣の方が時折訪ねてくださり、退屈することもございません」


 (訳:正体不明の女が毎日来ます。ゲームのキャラかどうかまだわかりません)



「リリア様のご忠告を胸に、慎重にお過ごしするよう心がけております」


 (訳:フラグは踏んでいる気がします。すみません)



 ペンが止まった。


 (最後の一文が嘘だ)



「慎重にお過ごしするよう心がけております」。4日連続で素性不明の女と昼飯を食べている男の、どこが慎重だ。


 書き直した。


「慎重さを忘れずにおります」


 (……これも嘘だ)



 もう一度書き直した。


「日々、判断を重ねております」


 (判断はしている。正しいかどうかは別として)



 これで妥協した。営業メールの鉄則。嘘は書かない。ただし、事実の配置で印象を操作する。


 手紙を書き終えたとき、入口にエマが立っていた。


「坊ちゃま、お手紙でございますか」


「リリア様への返事だ」


 エマは俺の横あたりをちらりと見た。それから、窓の外を少し見た。そして満足そうに微笑んだ。


「坊ちゃまは筆まめでいらっしゃるのですね」


 (……1通返事を書いただけで筆まめとは言わないだろう)



 エマはそれ以上何も言わず、ニコニコしたまま下がっていった。


 (エマさんは今日も何かが見えているらしい)



 *



 昼飯は野菜の煮物を作った。


 前世の肉じゃがに近いものを目指した。この世界にはじゃがいもに似た根菜がある。甘みのある調味料もあった。組み合わせれば、それらしいものができる。


 フィオナは一口食べて、首を傾げた。


「なんで甘いんですか」


「甘いか」


「野菜の煮物なのに甘い。おかしくないですか」


「おかしくない。こういう料理だ」


「どこの料理ですか」


 (日本の料理です、とは言えない)



「……独自のものだ」


「独自って。あなた、変わった人ですね」


 フィオナは不思議そうな顔をしながらも、きれいに食べた。文句を言いながら完食するのは、もはやこの人の作法になりつつあった。


 食べ終わってから、フィオナがこちらを見た。


「さっき書斎にいましたよね」


「見てたのか」


「窓が開いてたので。誰に手紙書いてたんですか」


「知人だ」


「どんな知人ですか」


「親しい知人だ」


 フィオナは少し間を置いた。


「恋人ですか」


 (……なぜそうなる)



「違う」


「じゃあなんですか」


「……身内だ」


「身内って、家族ですか。あなた家族いたんですね」


 (いたんですね、の言い方が引っかかるが、間違ってはいない)



 フィオナは「ふうん」と言った。興味があるのかないのかわからない相槌は、初日から変わらなかった。ただ、目がほんの少しだけ安心したように見えたのは、気のせいかもしれない。



 *



 午後、フィオナが畑の水やりを勝手に手伝い始めた。


 断る理由がなくなっていた。そもそも断る気力がなくなっていた。


 水をやりながら、フィオナがぽつりと言った。


「あなた、ここにいつまでいるんですか」


「ずっとだ」


「ずっと?」


「予定は特にない。ここで暮らすつもりだ」


 フィオナは水桶を置いて、少し考えるような顔をした。


「……私は来週には発たないといけないんですけど」


 (……)



 手が止まった。


 一瞬だけ。本当に一瞬だけ、水を注ぐ手が止まった。


 すぐに再開した。


「そうか。旅の途中だったな」


「はい。他の村も回らないといけないので」


「それがいい。修行なんだろう」


「まあ、一応は」


 フィオナの声はあっさりしていた。来るときも来ないときも、この人は同じトーンで話す。それが少しだけ、読みにくかった。



 *



 夕方。フィオナが帰ったあと、手紙を封筒に入れて封蝋を押した。使用人に渡すと、明日の朝には馬で出発するという。


 部屋に戻ると、エマが廊下でニコニコしていた。


「坊ちゃま、明日のお食事は何をお作りになりますか」


「……まだ決めていない」


「左様でございますか。お客様がいらっしゃると、坊ちゃまの料理は品数が増えますので、私どもも楽しみにしております」


 (お客様という認識になっているのか)



 窓の外を見た。


 来週には発つ、とフィオナは言った。


 それでいい。元々、関わらないつもりだった。


 手紙の封蝋が、机の上でまだ少しだけ温かかった。


 (……次の手紙には、何を書くんだろうな)



 その問いに、答えは出なかった。

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