第三話「お前、毎日来るのか」
3日目の朝、フィオナはもう来ていた。
俺が畑に出ると、フィオナが大根の葉を覗き込んでいた。誰に断るでもなく、ごく自然に。
(今日こそ断ると決めていた)
(「今日は帰ってくれ」の一言を言うだけでいい。それだけで済む)
(しかし既に来ている)
「……葉の色が少し薄いですね、これ」
フィオナが振り返りもせずに言った。
「水が足りないのかもしれないです。あるいは土が痩せてるか」
「なぜわかるんだ」
「旅してると畑をよく見ます。村によって全然違うので」
(……そうか)
断るタイミングを逃した。
俺は大根の隣にしゃがんで土を確認した。確かに、少し乾いている気がした。
(明日こそ断ろう)
*
昼になった。
今日は作らないと決めていた。
しかし気づいたら、鍋が2つ火にかかっていた。
(なぜだ。俺は何をしているんだ)
今日は大根と干し肉のスープと、野菜を塩で和えたものを作った。昨日とは違う味付けにしてみた。前世で好きだった組み合わせだ。
フィオナは一口食べて、少し黙った。
「昨日と全然違いますね」
「材料が違う」
「でもなんか……懐かしい感じがする。食べたことないのに」
(懐かしい感じ、か)
それは前世の味だからだ。とは言えない。
「気のせいだろう」と答えると、フィオナは「そうかなあ」と言いながらスープをもう一口飲んだ。
「あなた、どこでこの作り方覚えたんですか」
「……独学だ」
「貴族なのに料理するんですね」
「別に珍しくないだろう」
「珍しいですよ。うちの村の領主様は料理どころか台所に入ったこともないって言ってました。皿がどこにあるかも知らないって」
(それはそれで問題があるな)
「あなたはなんか、貴族っぽくないですよね」
フィオナがさらっと言った。
「失礼だぞ」
「褒めてます」
褒め方が雑だったが、悪意がないのは顔を見ればわかった。
(……こういう話し方をする人間は、久しぶりだ)
*
食後、台所を片付けていると、エマが入口のあたりをニコニコしながら見ていた。
何もない。壁がある。それだけだ。
(また始まった)
エマが俺の横あたりをニコニコ見るのは、農村に来てからも変わらない。最初は気になっていたが、最近は半ば諦めていた。
「エマさん、どこを見ているんですか」
エマはこちらに向き直って、穏やかに微笑んだ。
「いえ、なんでもございません」
「そこには壁しかない」
「ええ、存じております」
(存じているのか)
(存じていて何を見ているんだエマさん)
フィオナが横から覗き込んだ。
「何かあるんですか?」
「わからん。エマさんにしか見えていないらしい」
フィオナは壁をしばらく見てから、「……なんもないですね」と言った。
「そうだろう」
エマはそれでもニコニコしていた。非常に満足そうだった。
(エマさんは今日も謎だ)
*
午後、フィオナが帰り支度を始めた頃、俺はようやく「明日から来なくていい」と言う準備ができていた。
しかしフィオナが先に口を開いた。
「あなた、友達いないんですか」
(……唐突だな)
「なんだいきなり」
「だってここに来てから、あなたが誰かと話してるの、私とエマさんしか見たことなくて」
「別荘だからだ。人が少ない」
「王都にいたときは?」
(……王都にいたとき、か)
ランベルトとして過ごした記憶は、あまり持っていない。前世の記憶で言えば、営業として取引先とは話した。飲みにも行った。ただそれは仕事の延長で、休日に連絡を取るような相手ではなかった。
「……いる」
「本当ですか」
フィオナの目が少しだけ疑わしそうになった。
「……いた」
言い直してから、少し静かになった。
フィオナは何も言わなかった。追い打ちをかけてくるかと思ったが、そうしなかった。ただ少し、表情が変わった。何かを言いかけて、やめたような顔だった。
「……まあ、料理美味しいんで、また来ます」
それだけ言って、フィオナは出ていった。
(……料理が目的か)
(それはそれで複雑だな)
*
夕方、使用人がリリア・ルーシェからの手紙を持ってきた。
封を開けると、丁寧な貴族令嬢の文体で書かれていた。
「ランベルト様。先日のお旅立ち、見送りが至らず失礼いたしました。農村の空気はいかがでしょうか。どうかご自愛くださいませ。余談ですが最近は穏やかな日々を過ごしております。ファイン兄様も変わりなくお元気で、私も学業に励む所存です。ランベルト様もどうかお健やかに。乱筆ご容赦を。リリア・ルーシェより」
表向きは、完璧な貴族令嬢の礼状だ。
しかし兄として読むと、全部別の意味になった。
(「どうかご自愛くださいませ」→ちゃんと逃げてる?)
(「穏やかな日々を過ごしております」→私は大丈夫なので兄は自分の心配だけして)
(「ランベルト様もどうかお健やかに」→フラグ踏んでない?)
俺は手紙を折りたたんだ。
それから、窓の外を見た。畑の向こうに、フィオナが帰っていく背中が小さく見えた。
(麻衣)
(踏んでるかもしれない)
正確にはわからない。フィオナがゲームのキャラかどうかも、まだわからない。ただ、3日連続で同じ人間と昼飯を食べているのは事実だ。
俺は返事を書くことにした。
リリアへの礼状として。兄から妹への近況報告として。
(「穏やかです。ただ少し、気になる人間がいます」)
(……「気になる」は違う。「判断できない人間」が正しい)
書き直した。
窓の外では、夕日が畑を赤く染めていた。フィオナの背中は、もう見えなくなっていた。




