第二十三話「この大根は、二人で抜きましょう」
出発の前日になった。
朝、畑に出た。フィオナが先にいた。大根の前にしゃがんで、葉を見ていた。
「……大きくなりましたね」
「ああ。収穫できる」
「今日、抜きますか」
「……ああ。今日がいいだろう」
大根は十分に育っていた。葉は青々として、根元が土から少し顔を出していた。太さも十分だ。
この1週間、フィオナのリクエストで過去の料理を一通り作り直した。大根の炒め物。根菜の汁物。葉物の塩和え。干し肉の煮込み。フィオナが覚えた出汁で作る汁物。
全部作った。全部食べた。全部、「残りの何回目」だった。
そして今日が最後の日だ。
「抜くか」
「はい」
フィオナが大根の葉を掴んだ。俺もしゃがんで、隣の大根の葉を掴んだ。
「……せーの、で抜きましょう」
「せーの、とは」
「掛け声です。一緒に力を入れるときに使うんです」
「……この世界にその掛け声があるのか」
「ないです。今作りました」
(……作ったのか)
「じゃあ、せーの、で」
「はい。せーの」
引っ張った。
大根が抜けた。
土がついていた。白くて太い大根だった。フィオナの手のひらより太い。
フィオナが大根を持ち上げた。
「……立派ですね」
「ああ。良い出来だ」
「あなたが育てたんですよ」
「水やりはフィオナもやっただろう」
「少しだけですけど」
「少しでもやった。この大根は、お前も育てた」
フィオナは大根を胸の前に抱えた。土がフィオナの服についた。しかし気にしていなかった。
「……嬉しいですね」
「嬉しいか」
「はい。自分で育てたものが形になるの、初めてなので」
フィオナの表情は、穏やかだった。攻略対象が来たときの緊張も、修行中の集中もなく、ただ穏やかだった。
(……この顔を、あと何回見られるんだろう)
考えないようにした。
*
昼飯を、その大根で作った。
大根の煮物。丁寧に切って、出汁でじっくり煮た。柔らかくなるまで。
フィオナが出汁を取った。最後の出汁だ。
(最後の出汁だ、と思ったことを、口には出さなかった)
煮物ができた。器に盛った。大根が透き通るように煮えていた。
一口食べた。
「……美味いな」
「美味しいですか」
「ああ。今までで一番美味い」
「……出汁、今日は気合入れましたから」
「わかる。味が違う」
フィオナも一口食べた。目を閉じた。
「……美味しい」
「ああ」
「あなたの大根と、私の出汁ですね」
「……そうだな」
二人で黙って食べた。
大根は美味かった。今までで一番美味かった。大根が良かったのか、出汁が良かったのか、それとも別の何かが味を変えたのか、わからなかった。
エマが食卓の端で見ていた。ニコニコしていた。しかし今日のニコニコは、少しだけ寂しそうだった。
「坊ちゃま」
「何だ」
「糸が、今日はとても……きれいでございます」
「……そうか」
「はい。とても」
エマはそれ以上何も言わなかった。
*
午後、丘に行った。最後の修行だ。
フィオナの光が広がった。今までで一番長く、一番強く光った。
修行が終わって、フィオナは息を切らしていた。
「……今日が一番長かったな」
「はい。自分でもびっくりしました」
「ここに来たときより、ずっと強くなった」
「……ここの環境が良かったんです」
「環境か」
「環境と、食事と……指導者」
フィオナは俺を見た。
「あなたは魔力の指導はしてないですけど」
「していない」
「でも、ここにいると集中できるんです。なんでかわからないですけど」
「丘の風が良いんだろう」
「そういうことにしておきます」
フィオナは空を見上げた。夕日が丘を照らしていた。
「……明日、朝に出ます」
「ああ」
「馬車が村まで来てくれるので。朝の第一便で」
「朝の第一便は早い」
「はい。だから、今日の夜が最後です」
(今日の夜が最後)
「夕飯、何がいいですか」
「……何でもいいです」
「何でもいい、は困る」
「じゃあ、あなたが一番好きなもの」
「……俺が一番好きなもの」
「はい。あなたの好物。聞いたことなかったので」
(俺の好物)
前世の好物は、母親が作った肉じゃがだった。この世界にじゃがいもがあるかどうかわからなかったが、似た芋はある。
「……芋の煮物だ」
「作ったことないですよね」
「ああ。作ったことがない」
「じゃあ、教えてください。私が作ります」
「……お前が作るのか」
「最後の夜ですから。私が、あなたの好物を作ります」
(……)
断る理由がなかった。
*
夕飯を、フィオナが作った。
俺は横で指示を出した。芋の切り方。出汁の量。味付けのタイミング。
フィオナは真剣だった。包丁は相変わらず不揃いだったが、手順は正確だった。
「味見してください」
差し出された匙を受け取った。一口飲んだ。
母親の肉じゃがとは違った。当然だ。材料も調味料も違う。
しかし、芋が柔らかくて、出汁が染みていて、温かかった。
「……合格だ」
「本当ですか」
「ああ。文句なしに、合格だ」
フィオナの顔がほころんだ。
「……よかった」
あの最初の「よかった」と同じ安堵だった。合格をもらえた安堵。
食卓に並べた。二人で食べた。
フィオナが作った芋の煮物は、素朴で、不器用で、少しだけ塩が強かった。
今まで食べた料理の中で、一番美味かった。
(……味の話じゃない、とフィオナが言っていた意味が、少しだけわかった気がした)
*
食器を洗い終えた。
フィオナが離れに帰る時間だった。
「じゃあ、おやすみなさい。……明日の朝は早いので、挨拶できないかもしれません」
「……ああ」
「お世話になりました」
「……世話はしていない」
「してます。たくさん」
フィオナは少し黙った。
「……出汁の取り方、忘れません」
「忘れるなよ。せっかく覚えたんだから」
「忘れません」
フィオナは離れに向かった。
途中で、振り返った。
「ランベルトさん」
「何だ」
「……大根、また育ててくださいね」
「……ああ。育てる」
「私がいなくても」
「……いなくても、育てる」
フィオナは笑った。少しだけ目が潤んでいるように見えたが、暗かったからわからなかった。
「おやすみなさい」
「……おやすみ」
離れの扉が閉まった。
明かりが灯った。
今夜は、消えるまで見ていた。
明かりが消えたのは、深夜だった。フィオナも、なかなか寝なかったらしい。




