第二十一話「いつまでも、ここにはいられない」
フィオナの熱は、翌日には下がった。
朝、離れに粥を持っていったら、フィオナが布団の上に座っていた。
「熱は」
「下がりました。平熱です」
「本当か」
「本当です。ほら」
フィオナが自分の額に手を当てて、それから俺の手を取って、自分の額に当てさせた。
(……触れている。フィオナの額に。フィオナが俺の手を取って)
熱はなかった。平熱だ。昨日の赤みも引いている。
「……下がったな」
「でしょう。粥のおかげです」
「粥で風邪は治らない。寝たから治った」
「どっちでもいいです」
フィオナは手を離した。俺も手を下ろした。
手のひらに、フィオナの額の温度が残っていた。
(……平熱だった。問題ない。心配は不要だ)
(心配していないが)
*
昼飯を一緒に作った。いつも通りだ。フィオナが出汁を取り、俺が具材を切る。フィオナの包丁さばきはまだ不揃いだが、速度は上がっていた。
「大根、だいぶ大きくなりましたね」
「ああ。あと少しで収穫できる」
「収穫したら、どうするんですか」
「食べる。漬ける。乾燥させる。冬に備える」
「……冬か」
フィオナの声が、少しだけ遠くなった。
「……あの」
「何だ」
「一つ、言わなきゃいけないことがあるんですけど」
フィオナは包丁を置いた。
真面目な顔だった。料理の話をしているときの緩んだ表情ではなく、何かを決意した顔だった。
「私、学園の修行期限があるんです」
「……修行期限」
「はい。特待生の単位修行として農村に来ているんですが、期限がありまして」
(期限)
(フィオナには期限がある)
「あと……どのくらいだ」
「2週間くらいです。延長の申請はできますけど、一度学園に戻って手続きしないといけなくて」
(2週間)
「戻ったら、どのくらいかかる」
「手続きだけなら3日くらいですけど……延長が認められるかどうかはわかりません」
(延長が認められない可能性がある)
「認められなかったら」
「……学園に戻ります」
フィオナは俺を見ていた。何かを確かめるように。
「それだけか」
「それだけです。……言わなきゃいけないと思って、言いました」
フィオナは包丁を取り直して、根菜の皮を剥き始めた。不揃いだった。いつもより不揃いだった。
「……フィオナ」
「はい」
「戻りたいのか」
聞いてから、余計な質問だったと思った。
「……戻りたいか、って聞かれると、難しいですね」
「難しい」
「学園には友達もいるし、勉強もあるし。でも」
フィオナは根菜の皮を一枚剥いて、水に落とした。
「ここの生活が、けっこう気に入ってるので」
さらっと言った。
包丁を動かしながら、大根を見ながら、さらっと。
「……そうか」
「そうです」
「……俺も、その」
「その?」
「……大根の収穫を手伝ってもらえると助かる」
言いたかったことと、違うことを言った。
言いたかったことが何だったのか、自分でもわからなかった。
フィオナは少し首を傾げて、それから笑った。
「はい。収穫、手伝います」
*
午後、丘に修行に行った。二人で。
フィオナの魔力は安定していた。風邪の影響は見えない。光が丘の上で広がって、草を照らした。
修行が終わって、隣に座った。
「……2週間か」
「はい」
「長いような短いような」
「短いと思います」
フィオナは空を見上げていた。
「ここに来たとき、すぐ帰るつもりだったんですよ」
「知ってる」
「修行が目的で、1週間くらいで済むと思ってました」
「1週間で帰るはずだったのか」
「はい。でも、なんか……ここの空気が合うっていうか、畑が面白いっていうか」
「畑が面白い」
「大根が育つの見てるの、面白いじゃないですか」
「……まあ、面白い、のか」
「それに」
フィオナは少し間を置いた。
「料理を覚えたら、帰りにくくなっちゃって」
「料理のせいか」
「料理のせいです。あなたのせいじゃないです」
「俺のせいとは言っていない」
「言ってないですけど、念のため」
(念のため否定するということは、意識しているということだ)
(……いや。深読みするな。フィオナの言葉を額面以上に受け取るな)
丘の風が吹いた。フィオナの髪が揺れた。
ショートヘアだ。貴族の女性には珍しい。しかしフィオナには似合っていた。最初は「変わった髪型だ」と思った。今は、それが自然に見える。
(……2週間)
(2週間後に、フィオナはここからいなくなるかもしれない)
(延長が認められれば戻ってくる。認められなければ、戻ってこない)
(戻ってこなかったら)
(離れの明かりは消える。朝の「おはようございます」はなくなる。出汁の担当がいなくなる。不揃いの野菜を切る人がいなくなる)
(俺は、一人で大根を見ることになる)
考えるのをやめようとした。しかし、やめられなかった。
「帰ろう」
「はい」
丘を下りた。
フィオナが隣を歩いていた。いつもの距離だった。遠くもなく、近くもない。
「……ランベルトさん」
「何だ」
「……いえ。なんでもないです」
フィオナが何かを言いかけて、やめた。
聞くべきだったかもしれない。しかし、聞けなかった。
フィオナが何かを言いかけてやめたのと同じように、俺も何かを聞きかけてやめた。
*
夕飯を作った。2人分。
食べ終わって、食器を洗った。
「……2週間、あっという間でしょうね」
「ああ」
「収穫には間に合うと思いますけど」
「間に合う。大根の収穫はもう少し先だ」
「よかった」
フィオナは食器を拭いて、棚に戻した。
「じゃあ、おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
フィオナが離れに帰った。
離れの明かりが灯った。
見た。
今日は、見ることに何の抵抗もなかった。
(2週間)
(あと2週間、この明かりは灯る)
(その後は)
麻衣に手紙を書いた。
「リリア様。フィオナが学園に戻る期限が近づいています。延長が認められるかは不明です」
書いてから、もう一行加えた。
「こちらの状況に変化があれば、改めてご報告いたします」
(変化。変化があれば)
(フィオナがいなくなることは、「変化」で片付けていいものなのか)
封をした。
窓の外で、離れの明かりが揺れた。
消えなかった。
今夜は、フィオナも起きているようだった。




