第二十話「心配とかじゃないです」
翌朝、フィオナが来なかった。
いつもは朝一番に離れから出てきて、畑の大根を確認して、「おはようございます」と言う。
それが、なかった。
畑に出た。大根に水をやった。葉の状態を確認した。
離れを見た。扉が閉まっていた。
(……寝坊か)
8時になった。
来ない。
9時になった。
来ない。
(……)
エマが朝食の片付けをしていた。
「エマさん。フィオナは」
「離れにいらっしゃいますね。朝から出てこられていないようですが」
「そうか」
「お加減でも悪いのでしょうか」
「……さあ」
「さあ」と答えて、畑に戻った。
大根に2回目の水をやった。
(……2回目の水は不要だ。さっきやった)
10時になった。
離れの扉は閉まったままだった。
(……見に行くべきか)
(見に行く理由は何だ。フィオナが寝坊しているだけかもしれない。大人の女性だ。一人で判断できる)
(放っておけばいい)
(放っておけばいいのだが)
離れに行った。
扉の前に立った。
「……フィオナ」
返事がなかった。
「フィオナ。起きているか」
「……はい」
声が小さかった。普段の半分くらいの音量だった。
「入るぞ」
「……はい」
扉を開けた。
フィオナは布団の中にいた。顔が赤かった。目が少し潤んでいた。
(……熱がある)
「風邪か」
「……たぶん。昨日のファイン先輩の調査で、魔力を使いすぎたかもしれません」
「魔力の使いすぎで熱が出るのか」
「光の魔力は体温と連動してるので……出力を上げすぎると、体が発熱することがあります」
(……知らなかった。魔力と体温が連動するとは)
フィオナの額に手を当てた。
熱かった。
手を当ててから気づいた。自然に手を伸ばしていた。考える前に動いていた。
フィオナが少し目を丸くしていた。
「……何してるんですか」
「熱を確認しただけだ」
「手で?」
「他に体温計がない」
「……そうですけど」
フィオナは布団を少し上まで引き上げた。顔が赤いのは、熱のせいだけではないかもしれなかった。
(……いや、熱のせいだ。風邪で顔が赤くなっている。それ以外の理由はない)
*
台所に戻った。
粥を作った。
根菜を細かく刻んで、柔らかくなるまで煮た。塩を少しだけ。出汁を薄めに。胃に負担をかけない味付けにした。
前世で風邪を引いたとき、自分で作っていた粥を思い出しながら作った。一人暮らしの風邪は寂しかった。誰も看病に来ない。コンビニのレトルト粥を食べて、一人で寝ていた。
(あのとき、誰かが粥を作ってくれたら嬉しかっただろうな)
(だから作っている。それだけだ。困っている人間に飯を作るのは、当然のことだ)
(心配とかじゃない)
離れに粥を持っていった。
「食べられるか」
「……ありがとうございます」
フィオナは起き上がって、粥を受け取った。一口食べて、少し目を閉じた。
「……美味しい」
「粥だ。美味しいも何もない」
「でも、美味しいです。普段の料理とは違う美味しさ」
「塩加減を変えただけだ」
「味の話じゃないです」
フィオナはそれ以上説明しなかった。
(味の話じゃない、とは何だ。味の話以外の何がある)
わからなかった。
*
昼過ぎ、フィオナの熱を確認しに行った。
(確認しに行った。自分の意思で、離れまで歩いて、扉を叩いて、確認しに行った)
「下がったか」
「少し。まだだるいですけど」
「水は飲んでいるか」
「飲んでます」
「横になっていろ。夕飯も持ってくる」
「……そこまでしてもらわなくても」
「暇なんだ。飯を作ることくらいしかやることがない」
「嘘ですよね。畑仕事があるでしょう」
「大根は待ってくれる」
フィオナは布団の中で少し笑った。
「……あなた、たまに優しいことを平気で言いますよね」
「言っていない」
「言ってます。大根は待ってくれるって、それ優しいですよ」
「事実だ。大根は逃げない」
「……まだそれ言ってるんですか」
フィオナは笑って、咳をした。笑いすぎて咳が出たらしい。
「笑うな。悪化する」
「あなたが面白いこと言うからです」
「面白くない。大根の性質を述べただけだ」
「それが面白いんです」
(……何がだ)
離れを出た。
*
午後、畑仕事をした。
しかし集中できなかった。
大根の葉を見ながら、フィオナの顔色を思い出していた。赤かった。目が潤んでいた。声が小さかった。
(……風邪だ。風邪は寝ていれば治る。心配するようなことではない)
(心配していない)
(心配していないが、夕飯は消化に良いものにしよう。汁物を多めに。塩は控えめに)
(心配していないが、薄い毛布をもう一枚持っていこう。夜は冷えるから)
(心配していないが)
エマが横に来た。
「坊ちゃま」
「何だ」
「フィオナ様のお具合が心配ですか」
「心配ではない」
「さようでございますか」
エマはニコニコしていた。いつものニコニコだった。しかし今日のニコニコは、明らかに「知っている」顔だった。
「坊ちゃま」
「何だ」
「糸が、今日はとても太うございます」
「……糸の話はいい」
「はい。失礼いたしました」
エマはニコニコしたまま、台所に戻っていった。
(糸が太い)
(心配していないのに、糸が太くなるのか)
(心配していないが)
*
夕方、離れに汁物と柔らかく煮た根菜を持っていった。毛布も1枚。
「持ってきた」
「……ありがとうございます。毛布まで」
「夜は冷える」
「知ってます。でも、わざわざ持ってきてくれたんですね」
「通り道だ」
「離れは通り道じゃないですよ。屋敷から離れて歩いてこないと来れない場所ですよ」
(……言い返せない。物理的に論破された)
「……余っていただけだ」
「毛布が余ってるんですか、あの屋敷で」
「……使用人の分が」
「使用人の毛布を持ってきたんですか」
「……いい。食え。寝ろ。明日も来る」
「明日も来るんですか」
「治るまでは飯を持ってくる。当然だ」
「当然ですか」
フィオナは汁物を受け取りながら、少しだけ笑った。
「……あなたって、心配してるのに心配してないって言いますよね」
「心配していない」
「はいはい」
「はいは一回でいい」
「はい」
フィオナは汁物を飲んだ。
「美味しい。……朝の粥も美味しかったです」
「味は同じだ」
「だから、味の話じゃないって言ったでしょう」
また「味の話じゃない」だ。
離れを出た。
屋敷に戻って、窓の外を見た。
離れの明かりが灯っていた。灯っているということは、フィオナが起きているということだ。起きているということは、粥を食べて、毛布を使っているということだ。
(……心配していない)
(心配していないが、明日の朝一番に様子を見に行こう)
(心配していないが、粥はもう少し量を増やしたほうがいいかもしれない)
(心配していないが、明後日になっても熱が下がらなかったら、村の薬師を呼ぼう)
麻衣への手紙を書いた。
「リリア様。こちらは特に変わりございません」
(嘘だ。嘘を書いた)
「心配していない」と「特に変わりない」。今日は2つも嘘をついた。
窓の外で、離れの明かりが消えた。
フィオナが寝たのだろう。
(……よかった。早く寝たほうがいい)
(「よかった」と思ったことは、心配に含まれるのだろうか)
含まれるかどうかの判定は、明日に回した。




