第十六話「お茶が冷めてますよ、クロード先輩」
クロードが来た。
予告通りだった。「近いうちに」と言って、本当に近いうちに来た。馬車は前回と同じ控えめな装飾のもので、今回は御者の他にもう一人、帳簿を抱えた従者を連れていた。
「ランベルト殿。お約束通り、交易路の件でお伺いしました」
「どうぞ。お茶を入れます」
営業スマイルを作った。
しかし、前回とは状況が違う。
前回の俺は「フィオナの正体がわからない」状態だった。今は知っている。フィオナ・エルストはゲームのヒロインだ。そして目の前の男は、攻略対象の一人だ。
ヒロインの隣に住んでいる当て馬が、攻略対象にお茶を出している。
(……状況を言語化すると、胃が痛い)
*
居間にお茶を出した。クロードは前回と同じ穏やかな笑みで席についた。
「辺境の農産物の流通について、いくつか確認したいことがありまして」
「はい。わかる範囲でお答えします」
「この村の収穫物は、主にどこへ出荷されていますか」
「南の中継街まで馬車で半日。そこから王都方面と港町方面に分かれます」
「中継街の市場で値がつくのはどの品目ですか」
「根菜と乾燥果実が主です。穀物は自給用で、出荷するほどの量は取れません」
クロードは帳簿に何かを記入していた。質問は具体的で、無駄がなかった。
本当に交易路の調査をしている。前回の「ついで」は嘘だったが、調査そのものは本気だ。
(……この男は、本業と観察を同時にやっている)
30分ほど話した。クロードの質問は終始実務的だった。しかし合間に、さりげない質問が混じった。
「ランベルト殿は、いつ頃からこちらに?」
「半年ほど前です」
「お一人で?」
「エマがいます。使用人も何人か」
「フィオナ殿は、いつ頃から?」
「……数週間前です」
「数週間。短いですね。なのに、とても馴染んでいらっしゃるように見えます」
(「馴染んでいる」を観察した上で言っている)
「修行に集中しているだけだ。フィオナは真面目だ」
「真面目だ」と言ってから気づいた。
また余計な評価を添えた。前回と同じ失敗だ。麻衣に「大変真面目な方です」と書いたときと。
クロードは帳簿から顔を上げて、少し笑った。
「ランベルト殿」
「はい」
「前回お会いしたときと、少し変わられましたね」
(……気づかれた)
「何がですか」
「お茶を出す手が、少しだけ硬い。前回はもっと自然でした」
(お茶を出す手の動き。そこを見ているのか。この男は)
「体調が悪いだけだ」
「それは失礼しました」
クロードは穏やかに引き下がった。しかし、目の奥で何かを記録したことは明白だった。
(この男は「変化」を検知した。前回と今回で健司の態度が変わったことに気づいた)
(何が変わったのかまでは、まだわかっていないだろう。しかし「何かが変わった」という事実は、もう記録された)
*
フィオナが離れから出てきた。修行を終えたらしい。
「あ、クロード先輩」
「やあ、フィオナ。今日は交易路の調査だよ」
「また来たんですか」
「また来たよ。ランベルト殿のお茶が美味しいのでね」
フィオナはクロードの席を見た。お茶がそのまま残っていた。
「お茶、冷めてますよ」
「……ああ、話に夢中で」
「飲まないなら私が飲みます」
「遠慮なく」
フィオナはクロードの冷めたお茶を受け取って、一口飲んだ。
「……ぬるい」
「冷めていると言っただろう」
「わかってて飲みました。もったいないので」
フィオナはぬるいお茶を飲みながら、クロードの隣に座った。
クロードがフィオナを見た。分析の目ではなかった。少しだけ柔らかい目だった。
「フィオナ、修行は順調かい」
「まあまあです。最近、光の持続時間が伸びました」
「それは良かった。ランベルト殿が見守ってくれているからだろうね」
フィオナが少し黙った。
「……別に、見守られてるわけじゃないです」
「そうかな。丘まで付き添っていると聞いたけれど」
「雨のときだけです」
(雨のとき「だけ」ではないが、訂正する必要はない)
クロードが俺を見た。穏やかな笑みの中に、観察があった。
「ランベルト殿は面倒見が良い方ですね。レオン殿下もシャールもそう言っていました」
「……恐縮です」
「謙遜されるところも含めて、皆さん口を揃えていますよ」
(口を揃えている)
(攻略対象が、当て馬について意見を共有している)
(それは、俺が彼らの認識の中で「存在している」ということだ。当て馬は存在しないことが安全なのに)
*
昼飯を出した。
今日は汁物と、干し肉の炒め物と、漬物。フィオナが汁物の出汁を取った。
クロードが一口飲んで、また箸を止めた。
「前回と少し味が違いますね」
「フィオナが取った出汁だ」
「フィオナが?」
クロードがフィオナを見た。
「ここで覚えたんです」
「ほう。ランベルト殿に教わったのかい」
「出汁と、炒め物と、皮の剥き方と、火加減と、塩加減を」
「……随分たくさん教わったね」
フィオナは「はい」と素直に頷いた。
クロードは汁物を飲み終えて、静かに器を置いた。
「……ランベルト殿」
「はい」
「一つ、雑談ですが」
「どうぞ」
「料理を人に教えるということは、その人の食生活を変えるということですね」
「……そうだな」
「食生活が変われば、味覚が変わる。味覚が変われば、その人にとっての『家の味』が変わる」
(……何が言いたい)
「つまり、ランベルト殿の料理は、フィオナの『家の味』になりつつあるのかもしれません」
クロードは笑った。雑談の笑顔だった。しかし、言葉の重さは雑談ではなかった。
フィオナが横で少し固まっていた。
「……家の味って何ですかそれ」
「言葉通りだよ。帰りたくなる味のことだ」
「別に帰りたくなってるわけじゃ……」
フィオナの声が、途中で少しだけ小さくなった。
クロードはそれ以上何も言わなかった。
*
夕方、クロードが帰っていった。
「ありがとうございました。交易路の件は、近いうちにまとめて報告いたします」
「ああ。いつでも」
「では」
クロードは馬車に乗り込んだ。去り際に、窓からこちらを見た。
「ランベルト殿。お体には気をつけてください。今日は少し、お顔が硬かったので」
「……気をつける」
「それと」
クロードは少しだけ声を落とした。
「あなたの変化の理由は、いずれわかると思っています。急ぎません。ただ、商人は観察を止められない生き物でしてね」
馬車が走り去った。
(……「いずれわかる」)
(この男は、いずれ俺の秘密に辿り着く)
(時間の問題だ)
フィオナが横に立っていた。
「……クロード先輩、最後に何か言ってました?」
「体に気をつけろと」
「それだけですか」
「それだけだ」
フィオナは少し首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
台所に戻って、食器を洗った。今日は3枚。
クロードの言った「家の味」という言葉が、頭の中で回っていた。
(帰りたくなる味)
(フィオナにとって、ここが「帰る場所」になりつつあるのなら)
(それは、俺にとっても同じなのかもしれない)
考えるのをやめた。食器を拭いて、棚に戻した。
離れの明かりが灯っていた。




