表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん  作者: よるの 余白
アークI「逃亡と日常」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/37

第十六話「お茶が冷めてますよ、クロード先輩」



 クロードが来た。


 予告通りだった。「近いうちに」と言って、本当に近いうちに来た。馬車は前回と同じ控えめな装飾のもので、今回は御者の他にもう一人、帳簿を抱えた従者を連れていた。


「ランベルト殿。お約束通り、交易路の件でお伺いしました」


「どうぞ。お茶を入れます」


 営業スマイルを作った。


 しかし、前回とは状況が違う。


 前回の俺は「フィオナの正体がわからない」状態だった。今は知っている。フィオナ・エルストはゲームのヒロインだ。そして目の前の男は、攻略対象の一人だ。


 ヒロインの隣に住んでいる当て馬が、攻略対象にお茶を出している。


 (……状況を言語化すると、胃が痛い)



 *



 居間にお茶を出した。クロードは前回と同じ穏やかな笑みで席についた。


「辺境の農産物の流通について、いくつか確認したいことがありまして」


「はい。わかる範囲でお答えします」


「この村の収穫物は、主にどこへ出荷されていますか」


「南の中継街まで馬車で半日。そこから王都方面と港町方面に分かれます」


「中継街の市場で値がつくのはどの品目ですか」


「根菜と乾燥果実が主です。穀物は自給用で、出荷するほどの量は取れません」


 クロードは帳簿に何かを記入していた。質問は具体的で、無駄がなかった。


 本当に交易路の調査をしている。前回の「ついで」は嘘だったが、調査そのものは本気だ。


 (……この男は、本業と観察を同時にやっている)


 30分ほど話した。クロードの質問は終始実務的だった。しかし合間に、さりげない質問が混じった。


「ランベルト殿は、いつ頃からこちらに?」


「半年ほど前です」


「お一人で?」


「エマがいます。使用人も何人か」


「フィオナ殿は、いつ頃から?」


「……数週間前です」


「数週間。短いですね。なのに、とても馴染んでいらっしゃるように見えます」


 (「馴染んでいる」を観察した上で言っている)


「修行に集中しているだけだ。フィオナは真面目だ」


 「真面目だ」と言ってから気づいた。


 また余計な評価を添えた。前回と同じ失敗だ。麻衣に「大変真面目な方です」と書いたときと。


 クロードは帳簿から顔を上げて、少し笑った。


「ランベルト殿」


「はい」


「前回お会いしたときと、少し変わられましたね」


 (……気づかれた)


「何がですか」


「お茶を出す手が、少しだけ硬い。前回はもっと自然でした」


 (お茶を出す手の動き。そこを見ているのか。この男は)


「体調が悪いだけだ」


「それは失礼しました」


 クロードは穏やかに引き下がった。しかし、目の奥で何かを記録したことは明白だった。


 (この男は「変化」を検知した。前回と今回で健司の態度が変わったことに気づいた)


 (何が変わったのかまでは、まだわかっていないだろう。しかし「何かが変わった」という事実は、もう記録された)



 *



 フィオナが離れから出てきた。修行を終えたらしい。


「あ、クロード先輩」


「やあ、フィオナ。今日は交易路の調査だよ」


「また来たんですか」


「また来たよ。ランベルト殿のお茶が美味しいのでね」


 フィオナはクロードの席を見た。お茶がそのまま残っていた。


「お茶、冷めてますよ」


「……ああ、話に夢中で」


「飲まないなら私が飲みます」


「遠慮なく」


 フィオナはクロードの冷めたお茶を受け取って、一口飲んだ。


「……ぬるい」


「冷めていると言っただろう」


「わかってて飲みました。もったいないので」


 フィオナはぬるいお茶を飲みながら、クロードの隣に座った。


 クロードがフィオナを見た。分析の目ではなかった。少しだけ柔らかい目だった。


「フィオナ、修行は順調かい」


「まあまあです。最近、光の持続時間が伸びました」


「それは良かった。ランベルト殿が見守ってくれているからだろうね」


 フィオナが少し黙った。


「……別に、見守られてるわけじゃないです」


「そうかな。丘まで付き添っていると聞いたけれど」


「雨のときだけです」


 (雨のとき「だけ」ではないが、訂正する必要はない)


 クロードが俺を見た。穏やかな笑みの中に、観察があった。


「ランベルト殿は面倒見が良い方ですね。レオン殿下もシャールもそう言っていました」


「……恐縮です」


「謙遜されるところも含めて、皆さん口を揃えていますよ」


 (口を揃えている)


 (攻略対象が、当て馬について意見を共有している)


 (それは、俺が彼らの認識の中で「存在している」ということだ。当て馬は存在しないことが安全なのに)



 *



 昼飯を出した。


 今日は汁物と、干し肉の炒め物と、漬物。フィオナが汁物の出汁を取った。


 クロードが一口飲んで、また箸を止めた。


「前回と少し味が違いますね」


「フィオナが取った出汁だ」


「フィオナが?」


 クロードがフィオナを見た。


「ここで覚えたんです」


「ほう。ランベルト殿に教わったのかい」


「出汁と、炒め物と、皮の剥き方と、火加減と、塩加減を」


「……随分たくさん教わったね」


 フィオナは「はい」と素直に頷いた。


 クロードは汁物を飲み終えて、静かに器を置いた。


「……ランベルト殿」


「はい」


「一つ、雑談ですが」


「どうぞ」


「料理を人に教えるということは、その人の食生活を変えるということですね」


「……そうだな」


「食生活が変われば、味覚が変わる。味覚が変われば、その人にとっての『家の味』が変わる」


 (……何が言いたい)


「つまり、ランベルト殿の料理は、フィオナの『家の味』になりつつあるのかもしれません」


 クロードは笑った。雑談の笑顔だった。しかし、言葉の重さは雑談ではなかった。


 フィオナが横で少し固まっていた。


「……家の味って何ですかそれ」


「言葉通りだよ。帰りたくなる味のことだ」


「別に帰りたくなってるわけじゃ……」


 フィオナの声が、途中で少しだけ小さくなった。


 クロードはそれ以上何も言わなかった。



 *



 夕方、クロードが帰っていった。


「ありがとうございました。交易路の件は、近いうちにまとめて報告いたします」


「ああ。いつでも」


「では」


 クロードは馬車に乗り込んだ。去り際に、窓からこちらを見た。


「ランベルト殿。お体には気をつけてください。今日は少し、お顔が硬かったので」


「……気をつける」


「それと」


 クロードは少しだけ声を落とした。


「あなたの変化の理由は、いずれわかると思っています。急ぎません。ただ、商人は観察を止められない生き物でしてね」


 馬車が走り去った。


 (……「いずれわかる」)


 (この男は、いずれ俺の秘密に辿り着く)


 (時間の問題だ)


 フィオナが横に立っていた。


「……クロード先輩、最後に何か言ってました?」


「体に気をつけろと」


「それだけですか」


「それだけだ」


 フィオナは少し首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。


 台所に戻って、食器を洗った。今日は3枚。


 クロードの言った「家の味」という言葉が、頭の中で回っていた。


 (帰りたくなる味)


 (フィオナにとって、ここが「帰る場所」になりつつあるのなら)


 (それは、俺にとっても同じなのかもしれない)


 考えるのをやめた。食器を拭いて、棚に戻した。


 離れの明かりが灯っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ