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俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん  作者: よるの 余白
アークI「逃亡と日常」

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第十五話「大根は、逃げない」



 翌朝、計画を立てた。


 距離を取る。具体的には、以下の通り。


 1、料理は一人で作る。フィオナに手伝わせない。

 2、食事は別々に取る。一緒に食べない。

 3、修行には付き合わない。丘には行かない。

 4、離れの明かりを確認しない。


 4つだ。営業時代のタスクリストと同じ要領で、頭の中に並べた。


 (4つ守れば、フラグは回避できる。麻衣の提案通りだ。簡単なことだ)


 畑に出た。


 フィオナがいた。


「おはようございます」


「……おはよう」


 (項目1〜4のどれにも「挨拶を返さない」は含まれていない。挨拶は許容範囲だ)


 フィオナは石の上に座って、大根の葉を見ていた。最近、フィオナは朝一番に大根の様子を確認するようになっていた。


「葉の色、少し濃くなってません?」


「……ああ。肥料が効いてきたんだろう」


 (会話も許容範囲だ。隣人として最低限の会話は必要だ)


 (問題ない。計画通りだ)



 *



 項目1:料理は一人で作る。


 台所に立った。今日は汁物と漬物にする。シンプルに。


 包丁を取って、根菜を切り始めた。


 10分後、フィオナが台所に来た。


「手伝います」


「今日は一人で大丈夫だ」


「でも、根菜の皮、私のほうが早くなりましたよ」


「……早くはない。ましにはなった」


「じゃあ、ましな私が手伝います」


 フィオナはまな板の前に立った。


 断ればいい。「今日は一人で作る」ともう一度言えばいい。理由は「量が少ないから」でも「気分だ」でもいい。


「……皮だけだぞ」


「はい」


 (項目1、崩壊。所要時間15分)



 *



 項目2:食事は別々に取る。


 汁物と漬物ができた。


 フィオナが器を2つ出した。いつものように、自然に。


「今日は別々に――」


「はい?」


「……いや。何でもない」


 (「別々に食べよう」と言えなかった)


 (フィオナが器を2つ出す動作が、あまりにも自然だったからだ)


 (あまりにも日常だったからだ)


 (日常を壊す言葉が、口から出なかった)


 2人で食べた。フィオナの汁物の感想を聞いた。「昨日より塩が足りない」と言った。フィオナは「わかってます」と言った。


 (項目2、崩壊。所要時間0秒。実行すらできなかった)



 *



 項目3:修行には付き合わない。


 午後、フィオナが修行に出かけた。


「丘に行ってきます」


「ああ」


「一人で行けます。道、覚えたので」


「……そうか」


 フィオナは一人で丘に向かった。


 俺は畑に残った。計画通りだ。大根の世話をする。水をやる。葉の状態を確認する。間引いた隙間に新しい種を蒔く。


 1時間が経った。


 大根は順調だった。水は足りている。葉の色も良い。


 2時間が経った。


 空を見た。雲が出てきていた。


 (……雨が降るかもしれない)


 (丘は吹きさらしだ。雨宿りする場所がない)


 (フィオナは傘を持っていない)


 3時間が経った。


 雲が厚くなった。


 (……様子を見に行くだけだ。修行に付き合うわけではない)


 (雨が降りそうだと伝えるだけだ。それは隣人としての最低限の配慮だ)


 丘に向かった。


 フィオナは修行中だった。魔力石が光っていた。集中している顔だった。


「雨が降りそうだ」


「……あ。ありがとうございます」


 フィオナは空を見上げた。雲を確認して、魔力石を布に包んだ。


「帰りましょう」


「ああ」


 二人で丘を下りた。途中で雨が降り始めた。


 走った。フィオナが隣を走っていた。屋敷に着いたとき、二人とも少し濡れていた。


 フィオナが髪の水滴を払いながら笑った。


「間に合いませんでしたね」


「……間に合ってない」


「でも、言いに来てくれなかったらもっと濡れてました。ありがとうございます」


 (……「ありがとう」と言われた)


 (項目3、崩壊。理由:雨。正確には、雨を言い訳にした自分の足)



 *



 項目4:離れの明かりを確認しない。


 夜。


 畑の手入れの記録をつけていた。大根の生育状況。根菜の種蒔き日。水やりの頻度。


 書き終わって、ペンを置いた。


 窓の外を見た。


 離れの明かりが灯っていた。


 (……見た)


 (見ないと決めていたのに、見た)


 (窓の外を見れば、離れは視界に入る。見ないためには窓の外を見なければいい。しかし畑の記録をつけていれば窓の外の天候を確認する必要があり、天候を確認すれば離れが視界に入り、視界に入れば明かりが灯っているかどうかが見える)


 (つまり、この屋敷に住んでいる限り、離れの明かりを見ないことは物理的に不可能だ)


 (項目4、構造的に不可能。最初から破綻していた)



 *



 4項目中、4項目が崩壊した。


 達成率0%。


 営業時代なら、上司に呼ばれて説教される数字だ。


 (……麻衣には何と報告すればいい)


 報告できるわけがなかった。「距離を取ると決めて、初日で全項目失敗しました」とは書けない。


 畑に出た。


 夜の畑は静かだった。月明かりの下で、大根の葉が風に揺れていた。


 大根は逃げない。


 どれだけ水をやっても、肥料をやっても、大根はここにいる。土の中に根を張って、ここから動かない。


 俺は逃げてきた。農村に、王都から。当て馬の運命から。


 しかし大根は逃げない。


 フィオナも、逃げない。


 修行で来たと言いながら、ここにいる。「もう少しいてもいいですか」と聞いて、ここに根を下ろした。


 攻略対象が3人来た。フィオナはそれでも、ここにいる。


 (……俺だけが逃げようとしている)


 (俺だけが、距離を取ろうとしている)


 (大根も、フィオナも、エマも、誰も逃げていないのに、俺だけが)


 月が雲に隠れた。


 暗くなった畑の中で、大根の葉が揺れていた。


 (……距離を取る計画は、白紙だ)


 白紙にしたくなかったが、白紙だった。


 明日も2人分の飯を作るだろう。明日も丘に行くかもしれない。明日も離れの明かりを見るだろう。


 それが「フラグ」だとして。


 (踏んでいるのは知っている)


 (知った上で、踏み続けている)


 (麻衣。すまん。お前の兄は、たぶん少し馬鹿だ)


 屋敷に戻った。離れの明かりはまだ灯っていた。


 フィオナは起きている。何をしているかはわからない。修行の復習か、旅の記録か。


 明かりを見た。見てしまった。


 もう、見ないふりをするのはやめることにした。



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