第十三話「営業スマイル、限界です」
シャールが帰って3日が経った。
その間、平和だった。フィオナと畑を見て、料理を作って、離れの明かりを確認して眠る。以前の日常が戻っていた。
しかし「以前」と同じではなかった。柵は新しくなっている。壁は修繕されている。屋根の雨樋はぴかぴかだ。物的証拠が残っている。
(攻略対象が来た痕跡が、建物に刻まれている)
レオンの「また来る」。シャールの「次回」。どちらもまだ実行されていない。
来ないかもしれない。
来るかもしれない。
(来ないでほしい)
来た。
*
昼過ぎ、村の入口に馬車が止まった。
商人の馬車だった。装飾は控えめだが、木材の質が良い。車輪の金具が磨かれている。金をかけているが、見せびらかさないタイプの馬車だ。
(……営業時代に見たことがある。こういう車に乗る取引先は、一番手強い)
馬車から降りてきたのは、細身の青年だった。
黒髪。整った顔立ち。柔らかい笑みを浮かべている。笑みの質が高い。目尻が自然に下がり、口角の上げ方に無理がない。
俺は、この笑顔を知っていた。
同じ笑顔を、毎朝鏡で見ているからだ。
(……営業スマイルだ)
(この男は、営業スマイルを使っている)
「ランベルト・ヴェルツ殿ですか」
「はい」
「クロード・ヴァンサンと申します。ヴァンサン商会の者です。辺境の交易路の調査で参りました」
「交易路の調査ですか」
「ええ。この地域の農産物の流通経路を確認しています。ヴェルツ殿の領地は、興味深い立地でしてね」
口調は丁寧で、声のトーンは穏やかだった。押し付けがましさがない。質問にも圧がない。
しかし、目が笑っていなかった。
正確には、目も笑っている。しかしその笑いが、観察を隠す膜のように機能していた。この男は笑いながら、こちらを見ている。
(……クロード・ヴァンサン。21歳。商人御曹司。攻略対象の4番目)
(レオン、シャールに続いて3人目)
(しかもこの男は、一番厄介だ)
レオンは真面目だった。シャールは善意だった。どちらも読みやすかった。
クロードは、読めない。
(一番まともで、一番怖い。前にそう思った記憶がある)
(ゲームの中でそう思ったのか、今そう思っているのか。どちらかわからない)
*
「お茶を入れましょう。どうぞ中へ」
営業スマイルで対応した。客商売と同じだ。笑顔で迎え入れて、情報を出さずに情報を引き出す。
問題は、相手も同じことをしようとしていることだ。
台所でお茶を入れた。クロードは部屋の中を見回していた。さりげなく。しかし、視線の動きに無駄がなかった。本棚を見た。台所の道具を見た。窓の外の畑を見た。
(……この男は、部屋を読んでいる)
(本棚から教養を。台所から生活レベルを。畑から性格を)
「良い畑ですね。貴族が自ら耕すのは珍しい」
「暇なもので」
「レオン殿下も同じことを仰っていましたよ。『良い畑だった』と」
(レオンの名前を出した)
(この男は、レオンの口コミで来たことを隠していない。むしろ自分から開示した)
(なぜだ。開示することで何を得ようとしている)
「殿下がこちらをお訪ねになったとは聞いておりました」
「ええ。シャールも来たそうですね。壁を直したとか」
「ご存知でしたか」
「商人は情報が命です」
クロードは笑った。営業スマイルだ。しかし、ほんの少しだけ本物の笑いが混じっていた。
(この男は、俺が営業スマイルを使っていることに気づいている)
(そして、俺も気づいていることに、気づいている)
同業者だ。
言語は違う。時代も違う。しかし、商人と営業マンの間には、共通言語がある。
相手の本音を探りながら、自分の本音を隠す。その技術で勝負する世界の人間だ。
(……これは、今までで一番疲れる相手だ)
*
フィオナが離れから出てきた。
クロードを見て、一瞬だけ表情が固まった。
「……クロード先輩」
「やあ、フィオナ。こんなところにいたんだね」
「修行です。……先輩も、商売ですか」
「交易路の調査だよ。ついでに、良い農村があると聞いたものでね」
「ついで、ですか」
「ついでだよ」
フィオナの目が少しだけ細くなった。クロードの「ついで」を信じていない顔だった。
「この人は」
フィオナが小声で俺に言った。
「何考えてるかわからないんですよ」
(知ってる)
「でも、悪い人じゃないです。たぶん」
(「たぶん」がついた。レオンのときは「苦手」。シャールのときは「止めても無駄」。クロードは「たぶん」)
(攻略対象に対する温度差がはっきりしてきた)
*
昼飯を出した。
根菜の汁物と、葉野菜の炒め物と、漬物。フィオナが汁物を担当した。
クロードは一口食べて、箸を置いた。
「……なるほど」
「お口に合いませんか」
「いえ。レオン殿下が言った意味がわかりました」
クロードは汁物をもう一口飲んだ。
「この出汁は、普通ではないですね。味の構造が違う。干し肉と根菜の組み合わせ自体は珍しくないですが、抽出の仕方が独特だ」
(……味の構造を分析している)
(レオンは「美味い」と言った。シャールも「美味い」と言った)
(この男は、味を分解した)
「独学だ」
「独学で、ここまで。面白い方ですね」
「面白い」という言葉が、クロードの口から出た。
しかしその「面白い」は、フィオナに対して俺が思った「面白い」とは質が違った。フィオナへの「面白い」は興味だった。クロードの「面白い」は、分析対象として「面白い」だった。
(この男は、俺を観察している)
「ランベルト殿」
「はい」
「一つ、伺ってもよろしいですか」
「どうぞ」
クロードは穏やかな笑みのまま言った。
「この料理の技法は、どこで学ばれたのですか」
質問の形をしているが、これは確認だ。クロードは「独学では説明がつかない」と判断して、情報源を探っている。
「……試行錯誤だ。長い間、一人で作り続けた」
「長い間」
「暇が多いもので」
「なるほど」
クロードは「なるほど」と言って、笑った。
納得していない笑顔だった。しかし追及はしなかった。
(……この男は、保留した。今は追及せず、情報を溜めている)
(次に来たとき、もっと多くのデータを持って質問してくるだろう)
フィオナが横から言った。
「クロード先輩、食べないんですか」
「食べているよ。考えながら食べる癖があってね」
「行儀悪いですよ」
「すまない」
クロードは素直に謝って、炒め物に箸をつけた。
フィオナに対するクロードは、少しだけ柔らかかった。分析モードが緩む。フィオナの直球な物言いが、クロードの計算を乱しているように見えた。
(……フィオナは、こういう人間に対して自然にブレーキをかけられるのか)
それは、少しだけ心強かった。
*
食後、クロードは「村を少し歩いてきます」と言って出ていった。
フィオナと二人で食器を洗った。
「……疲れましたね」
「ああ」
「レオン殿下のときより疲れてません?」
「……わかるか」
「顔に出てます。あなた、普段は全然表情出ないのに、クロード先輩の前だとちょっと固くなってました」
(……バレていたのか)
「営業スマイルが同業者に通じなかっただけだ」
「営業スマイルって何ですか」
「……仕事用の笑顔だ」
「仕事用の笑顔。あなたの笑顔、全部仕事用ですよね」
(……)
「違うのか」
「知らないですけど。でも、最近たまに、仕事用じゃなさそうな顔してるときありますよ」
フィオナは食器を拭きながら、さらっと言った。
(仕事用じゃなさそうな顔)
(いつだ。どの場面だ。自覚がない)
「いつだ」
「教えません」
「なぜだ」
「自覚したら、やめるでしょう。もったいないです」
フィオナはそれ以上何も言わず、食器を棚に戻した。
(……何がもったいないんだ)
わからなかった。
*
夕方、クロードが戻ってきた。
「お邪魔しました。交易路の件は、また改めてご相談させてください」
「いつでもどうぞ」
「では、近いうちに」
クロードは馬車に乗り込んだ。窓から手を振った。
去り際に、一つだけ言った。
「ランベルト殿。あなたは面白い方ですね。辺境にいるのが、少しもったいない」
(もったいない)
(何がだ)
「……ありがとうございます」
営業スマイルで返した。もう何回目かわからない営業スマイルだ。
馬車が遠ざかっていった。
フィオナが横に立っていた。
「……3人目ですね」
「3人目だ」
「あと何人来るんですか」
「……わからない。たぶん、もう1人」
「もう1人」
「ゲーム――いや、学園にはあと1人、有名な人物がいるだろう」
「ファイン先輩ですか」
フィオナの声が少しだけ固くなった。
「ファイン先輩は……来ないんじゃないですか。あの人、農村に興味なさそうですし」
「そうだといいが」
そうだといい。
しかし、レオンが来て、シャールが来て、クロードが来た。残りの1人だけが来ない理由があるだろうか。
窓の外を見た。離れの明かりが灯っていた。
俺は食器を数えた。今日は3枚。明日も3枚だろう。
来週は、何枚になるんだろう。
数えるのはやめた。




