第十二話「修繕って、誰が頼んだんですか」
レオンが帰った翌日、畑の柵が直っていた。
朝、畑に出たとき、最初は気づかなかった。大根の様子を確認して、水をやって、振り返ったときに目に入った。
柵の一部が新しい木材に変わっていた。
この柵は、俺がこの農村に来たときから傾いていた。直そうと思いながら後回しにしていたものだ。木が腐りかけていて、強い風が吹くと倒れそうだった。
それが、直っている。
(……誰が直した)
エマではない。エマは大工仕事をしない。使用人もいるが、指示した覚えがない。
「エマさん」
「はい、坊ちゃま」
「畑の柵が直っているんだが」
「ああ、あれでございますか。今朝早く、お客様が」
「客?」
「はい。大きな方でした。名乗らずに作業を始めて、終わったらどこかへ行かれました」
(大きな方)
(名乗らずに作業を始めた)
(……何者だ)
*
答えは昼前にわかった。
屋敷の裏手から、木を叩く音が聞こえてきた。
行ってみると、男がいた。
大きかった。
身長は俺より頭一つ以上高い。肩幅も広い。筋肉が服の上からでもわかる。金属の留め具がついた外套を着て、腰に剣を佩いている。剣を佩いたまま、屋敷の裏壁の板を釘で打ちつけていた。
「……」
「あ、お主がここの主か」
男が振り返った。日に焼けた顔。人懐こい笑顔。目に悪意が全くない。
「シャール・ベルネだ。よろしく」
「……ランベルト・ヴェルツです。あの」
「ここの壁、少し傷んでいてな。放っておくと雨漏りするぞ」
「それは、ありがたいんですが」
「遠慮するな。体を動かしたかっただけだ」
(体を動かしたかっただけで人の家の壁を直す人間がいるのか)
シャール・ベルネ。23歳。騎士団長候補。攻略対象の2番目。
レオンに続いて、2人目だ。
(2人目が来た)
(しかもこの人は、誰にも頼まれていないのに修繕を始めている)
(営業先で言えば、アポなしで来て勝手に社内清掃を始める取引先だ。対応に困るタイプの善意だ)
「昨日、レオンがここに来ただろう。帰ってから『面白い場所がある。良い畑だった』と言っていた」
「……王太子がそんなことを」
「あいつは畑が好きなんだ。領地経営に真面目でな。それで俺も来てみたんだが」
シャールは壁を見上げた。
「来てみたら、修繕すべき箇所が多くてな。朝から手が止まらん」
(朝から)
(この人、朝から俺の家を直している)
「柵もあなたが?」
「ああ。あれは腐りかけていたぞ。危ないから先に直した」
「……ありがとうございます」
「礼には及ばん。こういう作業は好きだ」
シャールは釘を口にくわえたまま、次の板に取りかかった。手際が良い。騎士なのに、大工仕事が妙に上手い。
(騎士団長候補が、なぜ修繕作業に熟練しているんだ)
*
フィオナが離れから出てきて、シャールを見た。
「……シャール先輩?」
「おう、フィオナか。こんなところにいたのか」
「修行です。……先輩こそ、なんでここに」
「修繕だ」
「修繕」
「壁が傷んでいた」
フィオナは俺を見た。俺は肩をすくめた。
「……頼んでない」
「頼んでないのに?」
「頼んでない」
フィオナはシャールをしばらく見て、それから小さく溜息をついた。
「この人、昔からこうなんです。学園でも誰も頼んでないのに訓練場の柵を直してました」
「性分か」
「性分です。止めても無駄です」
(止めても無駄か)
フィオナは諦めた顔をしていた。経験者の顔だった。
「シャール先輩って、悪い人じゃないんですけど……熱意が怖いんですよね」
(熱意が怖い)
(それはわかる。善意の圧力というやつだ)
*
昼になった。
シャールが壁の修繕を終えて、次は屋根の雨樋を見に行こうとしていた。
「シャール殿。昼飯を食べていかないか」
断るわけにはいかなかった。人の家を半日かけて直してくれた人間に、飯を出さないわけにはいかない。常識の問題だ。
「おう、いいのか。悪いな」
シャールは遠慮なく台所に来た。フィオナの隣に座った。
3人分の飯を作るのは、昨日のレオンのときに続いて2回目だった。
(2日連続で攻略対象に飯を作っている)
(当て馬が攻略対象の専属料理人になりつつある)
汁物と炒め物と、漬物。フィオナが汁物の出汁を取った。昨日の朝に一人で作れるようになった腕前で、もう味は安定している。
シャールが汁物を飲んで、目を見開いた。
「美味い」
「ありがとう」
「いや、これは本当に美味い。騎士団の飯とは比べ物にならん」
「騎士団の飯はそんなにまずいのか」
「不味くはない。ただ、味がない。栄養だけを詰め込んだ感じだ」
「……それは不味いと言うんだ」
シャールは豪快に笑った。声が大きい。台所が揺れた気がした。
「この汁物、誰が作ったんだ」
「フィオナだ」
シャールがフィオナを見た。フィオナは少し居心地悪そうにしていた。
「お前が? 料理できたのか」
「……最近覚えたんです。ここで」
「ここで。ランベルト殿に教わったのか」
「出汁の取り方だけです」
「出汁だけでこの味が出るのか。大したものだな」
フィオナは「はあ」と曖昧に答えた。褒められ慣れていない反応だ。
シャールは炒め物も完食して、漬物を追加で食べた。
「ランベルト殿、お主は料理の腕が立つな」
「趣味だ」
「趣味でこの味を出す貴族は初めてだ。レオンが感動していた理由がわかる」
(レオンが感動していたのか。感動していた様子はあったが、王太子として抑えていたのか)
「お主の飯を食べるためだけに、また来たいくらいだ」
(また来たい)
(レオンに続いて2人目の「また来る」宣言だ)
(これはフラグの連鎖だ。攻略対象が農村をリピートし始めている)
*
午後、シャールは屋根に上がった。
雨樋の修理を始めた。誰も頼んでいない。
俺は畑で大根の世話をしていた。フィオナが隣で葉の観察をしていた。
屋根の上からシャールの鼻歌が聞こえてきた。
「……楽しそうだな」
「楽しいんでしょうね。あの人、体動かしてるときが一番機嫌いいんです」
「騎士としては優秀なのか」
「優秀です。剣は学園で一番。でも、こういう作業のほうが好きみたいで」
「修繕が好きな騎士か」
「変でしょう」
「変だな」
フィオナは少し笑った。シャールの話をしているときのフィオナは、レオンの話をしているときより肩の力が抜けていた。
(苦手と言いつつ、嫌いではないらしい)
(攻略対象との関係性はそれぞれ違うのか)
屋根の上からシャールが叫んだ。
「おーい、ランベルト殿! ここの釘、もう3本くらいないか!」
「……倉庫に行ってくる」
「すまんな!」
全く悪びれていなかった。
倉庫で釘を探しながら、俺は考えた。
レオンは視察として来た。理由があった。目的があった。
シャールは修繕のために来た。理由は「壁が傷んでいたから」。目的は「体を動かしたかった」。
どちらも善意だ。どちらも悪意がない。
しかし結果として、俺の静かな農村生活に、攻略対象が2人出入りし始めている。
(……これ、止まるのか)
(レオンが「面白い場所がある」と言ったなら、他の攻略対象にも伝わるんじゃないのか)
その可能性を考えると、胃が重くなった。
*
夕方、シャールが帰っていった。
「屋根は直した。あと、裏口の扉の蝶番も緩んでいたから締め直しておいた」
「……ありがとう」
「また来る。井戸の滑車も少し錆びていた。あれは工具が要るから、次回持ってくる」
(次回)
(次回がある前提で話している)
「いつでも。……いつでも来てくれ」
また営業スマイルが答えた。
シャールは手を振って歩いていった。大きな背中だった。剣を佩いた背中なのに、どこか職人のようだった。
フィオナが横に立っていた。
「帰りましたね」
「ああ」
「……昨日はレオン殿下で、今日はシャール先輩ですか」
「ああ」
「明日も誰か来ます?」
「来ないでほしい」
「……来そうですけどね」
フィオナの予感は、たぶん正しかった。
台所を片付けた。3人分の食器を洗った。昨日も3人分だった。
(1人分が、2人分になり、3人分になった)
(次は何人分になるんだ)
窓の外を見た。離れの明かりが灯っていた。
屋根は直っている。柵も直っている。壁も直っている。
修繕されたのは建物だけだ。俺の生活が修繕されたわけではない。
むしろ、穴が増えている気がした。




