第十一話「旗の見える距離」
翌朝、騎馬の正体がわかった。
エマが朝食の準備をしている最中に、使用人が駆け込んできた。
「坊ちゃま、王都からの使者が村の入口に」
「使者?」
「はい。旗印は――王家のものかと」
手が止まった。
(王家)
(王家の旗印が、この辺境の農村に来ている)
「……何の用だ」
「辺境の領地視察とのことです。村長にそう伝えたと」
(視察)
(辺境視察で、わざわざこの農村に来る理由があるとすれば)
心当たりは、1つだった。
ゲームの攻略対象。王太子。レオン・エルドリア。
(……来た)
麻衣の手紙が正しかった。「辺境の領地が話題に上った」。それは視察の布石だった。
俺は深呼吸をした。
(落ち着け。営業先で社長が突然来たようなものだ。よくある。よくないが、対処法はある)
対処法。つまり、目立たないこと。関わらないこと。王太子が村を見て回って、特に何もなく帰っていく。それが最善だ。
(問題は、ここが俺の別荘だということだ)
辺境の領地を視察する王太子が、その領地の当主に会わないわけがない。
*
フィオナが離れから出てきた。
「なんか騒がしいですね」
「……客が来る」
「客?」
「王都から。視察だそうだ」
フィオナの表情が変わった。驚きではなかった。どちらかというと、うんざりした顔だった。
「王都から……もしかして、学園関係者ですか」
「わからない。旗印は王家のものらしい」
「王家」
フィオナは少し黙った。
「……レオン殿下、ですかね」
(この人、王太子の名前を即座に出した)
(しかも「殿下」ではなく呼び捨てに近いトーンだ)
「知り合いか」
「学園で何度か。話したこともあります。……正直、苦手です」
「苦手」
「なんていうか、王子様すぎて疲れるんです」
(王子様すぎて疲れる)
(……わかる気がする。営業先のキラキラ社長タイプだ)
「あなたは? レオン殿下と面識はあるんですか」
「……ない。ランベルト・ヴェルツは没落貴族だ。王太子と接点はない」
(接点はない。少なくとも、ランベルトの記憶には)
(しかし、ゲームの中ではどうだったか)
(覚えていない。1周しかしていない。王太子の顔はなんとなく覚えているが、ランベルトとの関係は記憶にない)
(記憶にないということは、重要な関係ではなかったか、あるいは接点がなかったか)
(あるいは、当て馬が退場した後の話だったか)
*
昼前に、騎馬が屋敷の前に着いた。
3騎。先頭の馬に乗っているのは、金髪の青年だった。
端正な顔立ち。背筋が真っ直ぐ。マントの紋章は間違いなく王家のものだった。馬から降りる動作一つに、教育が行き届いている。
(……間違いない。ゲームの顔だ)
レオン・エルドリア。22歳。王太子。攻略対象の筆頭。
ゲームで見た顔だ。画面越しに何度か見た。麻衣が攻略しているのを横から見ていた。「このルート長いな」と思った記憶がある。
(そのルートの主人公が、今、俺の家の前にいる)
レオンは周囲を見回してから、俺を見た。
「ランベルト・ヴェルツ殿か」
「はい。ようこそおいでくださいました」
営業スマイルを全力で発動した。
(笑え。営業スマイルで乗り切れ)
(王太子に対して必要なのは、印象に残らないこと。当て馬は目立ってはいけない)
「辺境の領地を拝見している。ヴェルツ殿の別荘があると聞いてな」
「ええ。小さな屋敷ですが、どうぞご覧ください」
レオンは頷いた。そして、俺の横を通り過ぎようとして――
足を止めた。
「……ほう」
レオンの視線が、俺の後ろに向いていた。
振り返った。
畑だった。
大根が整然と並んでいた。間引きもしてある。葉が大きく育って、緑が鮮やかだった。
(大根を見ている……?)
「これは、お主が育てたのか」
「はい。趣味のようなものですが」
「貴族が自ら畑を耕すとは珍しいな」
「暇なもので」
レオンは畑をしばらく見ていた。表情は読めなかった。感心しているのか、呆れているのか。
そのとき、離れのほうからフィオナが出てきた。
修行用の魔力石を片付けているところだったらしい。布で石を包みながら、こちらに近づいてきた。
レオンがフィオナを見た。
「……フィオナ・エルストか」
「あ。レオン殿下」
フィオナの声は、驚きよりも面倒くささが勝っていた。
「学園以来だな。こんなところにいたのか」
「修行で。ここの空気が合うので」
「そうか。……ここに、滞在しているのか」
レオンの目が、俺とフィオナの間を行き来した。
(やめろ。何も見るな。関係性を推測するな)
「エルストは離れを使わせてもらっている。修行のためだ」
先に説明した。状況をコントロールするのは営業の基本だ。相手に推測させる前に、こちらから事実を提示する。
レオンは少し黙ってから、「なるほど」と言った。
「ヴェルツ殿は面倒見が良いのだな」
「そういうわけでは。離れが空いていただけです」
「謙遜か」
「事実です」
レオンは少し笑った。王太子の笑顔だった。きれいで、隙がなかった。
(この笑顔、営業先の重役と同じだ。何を考えているか読めない)
*
視察は昼過ぎまで続いた。
レオンは村の中を歩き、農家と話し、井戸の状態を確認し、道の整備状況を記録させた。真面目な視察だった。形式的なものではなく、実際に辺境の暮らしを見ようとしている。
(……真面目な王太子だな)
ゲームでは攻略対象として「完璧な王子様」として描かれていた。しかし目の前にいるレオンは、完璧というよりは「几帳面」だった。一つ一つ確認し、記録し、農家の話を最後まで聞く。
(攻略対象というより、仕事ができる上司だ)
昼時になった。
問題が発生した。
「ヴェルツ殿、この村に食事のできる場所はあるか」
「……ございません。辺境ですので」
「では、お主の屋敷で昼食を取っても構わないか」
(構わないか、と聞かれた)
(王太子に「構います」と言える人間はいない)
「もちろんです。ささやかなものですが、お出ししましょう」
(……俺は今、攻略対象に飯を作ろうとしている)
(当て馬が攻略対象に飯を作る展開は、ゲームにはなかったはずだ)
(なかったはずだが、確証はない。1周しかしていない)
*
台所で飯を作った。
根菜と干し肉の汁物。野菜の塩炒め。硬焼きパン。普段と変わらない献立だ。王太子だからといって特別なものは出せない。辺境の農村に高級食材はない。
フィオナが手伝いに来た。
「手伝います」
「……いい。客の前で恥をかくな」
「恥って何ですか。私の切り方のことですか」
「不揃いだと言っている」
「不揃いでも美味しいって言ったのあなたですよ」
(言ったか? 言ったかもしれない。言ってないかもしれない。覚えていない)
「……葉物を洗ってくれ。切らなくていい」
「はい」
フィオナは素直に葉物を洗い始めた。
二人で台所に立っていると、背後からレオンの声がした。
「なるほど。自ら料理もされるのか」
振り返ると、レオンが台所の入口に立っていた。腕を組んで、こちらを見ている。
「……恐れ入ります。使用人が少ないもので」
「いや。良いことだ。民の食を知らずして、領主は務まらぬ」
(領主として褒められている)
(当て馬として褒められているわけではない。それは安全だ。たぶん)
食事を出した。
レオンは一口食べて、箸を止めた。
「……これは」
「口に合いませんでしたか」
「いや。美味い」
レオンの声のトーンが、少しだけ変わった。王太子の声から、一人の人間の声に。
「この汁物、何を使っている」
「干し肉と根菜の出汁です。特別なものではありません」
「特別ではないと言うが、王宮の厨房でもこの味は出ない」
(……過大評価だ)
(しかし、王太子が料理を褒めている。これはフラグか。料理フラグというものがあるのか)
(わからない。ゲームに料理要素があったかどうか覚えていない)
フィオナが横から言った。
「この人の料理、おかしいんですよ。何作っても美味しいんです」
「おかしいとは何だ」
「褒めてます」
「褒め方が毎回雑だぞ」
レオンがこちらを見た。それからフィオナを見た。そして、少し笑った。
さっきの営業スマイルとは違う笑い方だった。
「……良い場所だな、ここは」
それだけ言って、レオンは汁物をもう一口飲んだ。
*
夕方、レオン一行が出発した。
馬に乗る前に、レオンが振り返った。
「ヴェルツ殿。また来ても良いか」
(また来る)
(王太子が「また来る」と言っている)
(これはフラグだ。間違いなくフラグだ)
「……もちろんです。いつでもお越しください」
(俺は今、何と言った)
営業スマイルが勝手に答えた。断れるはずがない。王太子に「来るな」とは言えない。
レオンは頷いて、馬を走らせた。王都の方角に向かって、3騎が遠ざかっていく。
フィオナが横に立っていた。
「……帰りましたね」
「ああ」
「また来るって言ってましたけど」
「ああ」
「面倒くさいですね」
「……面倒だな」
フィオナと意見が一致した。
珍しいことだった。この人と意見が一致するのは、料理の味付け以外ではほとんどなかった。
(レオン・エルドリア)
(攻略対象の筆頭が、この農村を「良い場所だ」と言った)
(俺の料理を「美味い」と言った)
(また来ると言った)
(これは、ゲームのシナリオが動き始めたということか)
(それとも、ただの辺境視察か)
わからなかった。1周しかしていないゲームの記憶では、判断できなかった。
エマが廊下に立っていた。いつものニコニコではなかった。少し考え込むような顔をしていた。
「エマさん」
「はい、坊ちゃま」
「……何が見えた」
エマは少し間を置いてから、穏やかに微笑んだ。
「糸が、増えておりました」
(増えた)
今度は、エマは「糸」と言い切った。はぐらかさなかった。
(レオンが来て、糸が増えた)
(縁の糸が)
窓の外では、離れの明かりが灯っていた。
大根は畑で黙っていた。
しかし、大根だけが黙っている農村は、もう終わったのかもしれなかった。




