第十話「野菜の切り方にも個性が出る」
フィオナが一人で汁物を作った。
朝、台所に入ったとき、鍋が既に火にかかっていた。干し肉の出汁の匂いがしていた。
フィオナが振り返った。
「おはようございます。今日は私が作りました」
「……見ればわかる」
「味見してもらっていいですか」
器に注いで、一口飲んだ。
悪くなかった。
3日前は味がしなかった出汁が、今日はちゃんと味がする。干し肉の量を覚えたらしい。根菜の皮も、前より薄く剥けている。完全ではないが、食べられる。それどころか、うまい。
「……合格だ」
「本当ですか」
「嘘は言わない」
フィオナは少し黙った。それから、小さく息を吐いた。
「……よかった」
その「よかった」には、いつもの遠慮のなさがなかった。素直に安堵している声だった。
(……この人は、合格と言ってほしかったのか)
(誰に合格と言ってほしかったのかは、考えないことにする)
*
午前中、使用人が手紙を持ってきた。
麻衣からの3通目だ。
書斎で封を切った。
「ランベルト様。ご丁重なお返事をいただき恐縮でございます」
(訳:手紙ありがとう。情報量が増えたな兄よ)
「お尋ねの件ですが、ヴェルツ家に関する記録を更に調べてみましたところ、以下の記述が見つかりました。同封いたしますのでご確認くださいませ」
(訳:縁の魔法について追加情報を見つけた。重要だから読め)
同封の紙を開いた。
「ヴェルツ家の『縁視』は、人と人の間に結ばれる縁を糸として視認する能力であった。色・太さ・揺れ方によって縁の性質を読み取れたとされるが、先代当主の死後、この力を持つ者は現れていない」
(縁視)
(人と人の縁を、糸として見る能力)
エマの顔が、また浮かんだ。
エマはいつも、俺の横あたりを見てニコニコしている。この前うっかり「糸が」と言いかけた。
(エマさんが見ているのは、縁の糸か)
(先代当主の死後、この力を持つ者は現れていない――いや、「現れていない」のではなく、「公に知られていない」だけではないのか)
確証はない。しかし、符合する点が多すぎた。
手紙の続きを読んだ。
「また、修行のためにご逗留されている方のお名前を伺ってもよろしいでしょうか。学友の中に旅に出た者がおりまして、もしやと思い確認させていただきたく存じます」
(訳:名前を教えろ。学園の人間かもしれない。ゲームのキャラかどうか調べてやる)
さすが麻衣だ。
俺がフィオナの名前を伏せていたことに気づいていた。そして「学友の中に旅に出た者がいる」という完璧な口実で名前を聞き出しに来ている。
(名前を教えれば、麻衣が調べてくれる)
(麻衣はゲームを全ルートコンプしている。フィオナがゲームのキャラかどうか、麻衣ならわかるかもしれない)
これは、ずっと保留していた問題に答えが出る可能性があった。
手紙にはもう一つ、追伸があった。
「なお、先日宮中の方との会話の折、辺境の領地について話題に上ることがございました。詳しくは控えますが、どうかお気をつけくださいませ」
(訳:誰かがお前の領地に興味を持っている。気をつけろ)
手紙を置いた。
(辺境の領地に興味を持っている人間)
心当たりがないわけではなかった。辺境に領地を持つ没落貴族。ゲームの中では退場するキャラ。普通なら誰も気にしない存在だ。
しかし、俺がいる。
(……逃げたはずの農村に、何かが近づいているのか)
*
返事を書いた。
今回は迷わなかった。
「リリア様。追加の記録、ありがたく拝読いたしました。大変興味深い内容です」
(訳:縁視の情報、ドンピシャだ。エマさんが怪しい)
「お尋ねの件ですが、ご逗留の方のお名前はフィオナ・エルストと申します。光の魔力の修行をされておられ、大変真面目な方です」
(訳:フィオナ・エルスト。光の魔力持ち。ゲームのキャラかどうか調べてくれ。頼む)
「大変真面目な方です」と書いてから、ペンを止めた。
この一文は必要だったか。
名前と属性だけ伝えれば十分だ。「真面目」という評価は、麻衣が求めている情報ではない。
(……消すか)
消さなかった。
事実だからだ。フィオナは真面目だ。修行も料理も、手を抜かない。それは事実の報告だ。
(事実の報告だ。それ以上の意味はない)
「追伸の件、承知いたしました。こちらも注意をいたします」
(訳:誰かが来るかもしれないのか。わかった。警戒する)
封をして、使用人に渡した。
これでフィオナの名前が麻衣に届く。早ければ5日後には返事が来る。
(5日後には、わかるかもしれない)
(フィオナがゲームのキャラかどうか)
それがわかったとして、何が変わるのか。
フィオナがゲームのキャラなら、関わるのは危険だ。物語に巻き込まれる可能性がある。距離を取るべきだ。
フィオナがゲームのキャラでないなら――
(……なら、どうなんだ)
その先を考えなかった。
*
昼飯は、フィオナと一緒に作った。
今日は炒め物と汁物の二品。汁物はフィオナが担当した。炒め物は俺が作って、フィオナが野菜を切った。
フィオナの野菜の切り方は、相変わらず不揃いだった。
ただ、3日前とは違う不揃いだった。
3日前は「大きすぎる」が問題だった。今日は「大きいのと小さいのが混在している」。失敗の質が変わっている。
「……不揃いだな」
「自覚はあります」
「前より良くなっている」
「本当ですか」
「不揃いの方向が変わった。大きすぎるのが減って、ばらつきが出ている。次の段階だ」
フィオナは包丁を止めて、こちらを見た。
「……あなた、褒めるの下手ですよね」
「事実を言っている」
「それが下手なんですよ」
フィオナは笑った。包丁を持ったまま笑った。
「でも、嬉しいです」
(……嬉しいのか)
「次は均一に切ることを意識しろ。大きさが揃えば火の通りが均一になる」
「はい」
フィオナは素直に頷いた。
二人で作った昼飯を、二人で食べた。
フィオナが切った不揃いの野菜は、味には問題なかった。むしろ、大きさが違うぶん食感に変化があって、悪くなかった。
(……不揃いのほうが美味い、ということはないだろう)
(ないだろうが、不味くはなかった)
*
午後、畑に出た。
大根が育っていた。種を蒔いてから随分経つ。葉が大きくなり、土の中で根が太くなっているのがわかる。
フィオナが隣にしゃがんで、葉を触っていた。
「大きくなりましたね」
「ああ。そろそろ間引きが必要だ」
「間引き?」
「密集していると育たない。一部を抜いて、残ったものに栄養を集中させる」
「……それ、抜かれるほうは可哀想じゃないですか」
「野菜に可哀想はない」
「でも」
「間引いたものも食べる。無駄にはしない」
フィオナは少し考えてから、「……それなら、まあ」と言った。
この人は、ときどき変なところで優しい。魔力石を平気で叩きつけるように制御するくせに、大根には感情移入する。
(……面白い人だ)
面白い、という感想が出てきたことに、少し驚いた。
フィオナのことを「面白い」と思ったのは、たぶん初めてだった。「変な人」とは思っていた。「不思議な人」とも思っていた。しかし「面白い」は、それとは少し違う。
(……何が違うんだ)
わからなかった。わからなかったが、大根の葉を触っているフィオナの横顔を、少し長く見ていた気がする。
(……大根の生育状況を確認していただけだ)
*
夕方、フィオナが離れに戻ったあと、エマが来た。
「坊ちゃま」
「なんだ」
「村の入口で、遠方からの騎馬を見たと申す者がおりまして」
「騎馬?」
「はい。王都の方角から。数騎のようです」
麻衣の手紙が頭をよぎった。「辺境の領地について話題に上ることがございました」。
(……もう来たのか)
「正体はわかっているのか」
「まだ確認が取れておりません。ただ、旗印が見えたという話もございます」
「旗印」
エマはいつもの穏やかな表情だったが、目の奥に、わずかな緊張があった。エマが緊張するのは珍しかった。
「……明日には、わかるだろう」
「はい。坊ちゃま」
エマは一礼して去っていった。
窓の外を見た。
夕暮れの空の下、離れの明かりが灯っていた。いつもと同じ光だ。
しかし今夜は、その光が少しだけ心もとなく見えた。
(この日常が、ずっと続くとは思っていなかった)
思っていなかった。最初から、いつか終わると知っていた。
しかし「いつか」が「明日」になるかもしれないと思うと、出汁の匂いが染みついた台所が、不揃いの野菜の切り口が、離れの小さな明かりが、急に輪郭を持った。
(考えるな)
考えなかった。
離れの明かりが消えた。
俺は自分の明かりを消した。
明日の朝、フィオナはまた「おはようございます」と言うだろう。俺は「おはよう」と返すだろう。
それがあと何回続くのか、数えないことにした。




