表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シズルとヤン  作者: 陽花紫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/5

ある日の衝撃

 人と獣人とが共存する世界で、シズルは生きていた。

 このたびめでたく就職することができた会社で、もこもことした白い毛並みに遭遇する。


 それは、羊獣人のヤンであった。

 雪のように白く、ほわほわとした柔らかな毛並み。頭部に角はなく、控え目な耳がわずかに揺れていた。

 その顔立ちも他の羊獣人と比べて整っており、首元のあたりにこんもりと生えた巻き毛は光が差すと銀色にきらめくほどに美しくもあったのだ。

 その毛並みは冬には暖かく、夏には思ったよりも涼しいのだと後に知る。

 人間のシズルにとって、そのもこもことした存在は、どこか癒しの象徴のようにも感じられていたのであった。


 仕事初日、シズルとヤンは同じ新人として入社を迎えていた。

 隣同士のデスクに座り、ありとあらゆる研修もすべて共に励んでいた。

 ヤンはいつでも澄ました顔をして、表情をほとんど変えない男でもあった。それゆえ、周囲からは落ち着きを通り越して、もはや貫禄がある男と称されていた。

 それに対してシズルは、思ったことがすぐ顔に出るタイプであった。

 嬉しい時はわかりやすく笑い、怒りをおぼえれば自然と眉間に皺が寄る。誰にでも好かれ、職場にもすぐに馴染んでいた。


「シズル。仕事終わり、飯でも行くか?」

 ヤンが珍しく声をかけた夜、シズルは思わずにんまりとした笑みを浮かべていた。

「いいね。奢ってくれるの?」

「……それは、財布に聞いてくれ」

「わかったわかった、割り勘でいいから!行こう」


 正反対な性格ではあったものの、二人の距離は自然と近づいていく。

 週に数回は共に食事をし、時には飲みに行くこともしばしば。

 ヤンは、どのような時でもその表情を崩さなかった。どのような話題であっても、淡々と、シズルの話を聞いていた。

 シズルはそのような静かな優しさを好ましく思い、気づけばヤンの隣にいる時間が増えていた。


 その日も、飲みすぎた帰り道であった。

 終電が過ぎてしまい、シズルはふらふらと倒れそうになっていた。

「ヤンの家、ここの近くだろ?泊めてよ」

「……いいけど、驚くなよ」

「うん?……何に?」

 その時はまだ、シズルは何も疑わなかった。

会社のデスク周りも整っているため、ヤンはさぞ綺麗な部屋に住んでいるのかと思い込んでいたのであったから。


 しかし扉が開いたその瞬間、軽く酔っていた頭は一気に醒めてしまう。


「……えっ、」


 ヤンの家は、足の踏み場もないゴミ屋敷であったのだ。

 床一面に積もり続けたゴミは山のように盛り上がり、どこからどこまでが地面なのかもわからなかった。

 散らばった書類、空の弁当の容器、ペットボトル。そして見なかったことにしたくなるほどの、生活の残骸の数々。

 極めつけは、奥に進むにつれ濃くなっていく鼻を突くような獣臭。

 それは汗と埃と、何年も洗われていない毛皮の匂いのようなものが混ざり合った、強烈な匂いであったのだ。

 恐る恐る、シズルは尋ねてみることにする。

「ヤン、風呂……入ってるよな?」

「ああ、四日前に」

 その言葉に、気絶しそうになってしまう。

 ヤンは、毛並みのためといってろくに風呂にも入らない不潔な男でもあったのだ。

「嘘だろ……」

 辛うじて会社でその匂いがしないのは、衣類はまともに洗濯をしている様子があるからであろうか。


 それにしても衝撃的な事実に、シズルはそそくさと家を出ようとする。

 しかしその腕を、ヤンは掴んでいた。


「待ってくれ、シズル」

「いや、ちょっと無理だって、これは……」

「好きなんだ」


 唐突に、静かな声が落ちる。


「……えっ?」

「シズルのことが、好きなんだ」

「ええええっ!?」


 シズルの心臓が、大きく跳ねた。

 それは酔いが完全に消えるほどの、セカンドインパクトでもあったのだ。


 もちろん、シズルも少なからずヤンに惹かれている節はあった。

 食事に行くたび、共に笑うたびに、穏やかに流れる時間が心地よく感じられていた。それが恋に近い感情であるのだと、薄々気づいていた。

 しかしこの状況を目の当たりにして、素直に頷くことができずにいた。


「これじゃ、返事もできないよ……」


 シズルはヤンの手を、そっと振りほどく。

「まずはこの部屋を、どうにかしよう?ヤン。……人として、終わってると思う」

「いや。俺、羊だし」

「羊としても、終わってると思うぞ?」


 シズルの説得により、ヤンは渋々部屋を片付けることを誓う。


 慌ててコンビニへと走り、大量のゴミ袋を購入した。

 そして二人は、夜通しゴミを袋に詰めていた。

 深夜の静かな部屋で、ただひたすらに物を捨て続ける作業はひどく孤独でもあった。

 ヤンはほとんど言葉を発さず、シズルも何も聞きはしなかった。


***


 一通り片付け終える頃には、空には朝陽が昇っていた。


「今日がゴミ回収の日で、よかったな」

「シズル、本当にありがとう。それと、ごめん」

「いいよ。少しでも綺麗なほうが、生活しやすいと思うからさ。じゃ、おやすみ」

「おやすみ」


 シズルはどっと疲れたまま、自宅に帰る。


 次の日である今日は、休日であったのだ。

 帰宅早々シャワーを浴び、ほかほかと心地の良いままベッドに入る。

 しばらく眠れば、時刻は昼を過ぎていた。

 しかしそのままごろごろと寝転がりながら、ふと、昨夜の告白を思い出す。


 確かに胸はときめいたものの、あの生活状態はいただけないと。

 おまけにゴミを拾っている時に、いろいろと見てしまったのだ。ヤンの過去の男なのか女なのかわからぬ、同じ羊獣人とのツーショット写真や、互いの蹄が押されたマグカップ。明らかに贈り物用の箱に入ったままのネクタイピン、などなど。


 シズルも、これまで初でいたわけではない。

 学生時代、人間や獣人とほどよく付き合っては別れていた。それは全て、男であったが。

 獣人は比較的性別にこだわりはないと聞いているものの、ヤンは本当に自らのことがそういった意味で好きなのかと疑わしく思えてしまう。

 しかしこれまでの楽しい日々は、決して嘘や偽りなどではないと信じられる。

 ヤンは誰よりも頼もしく、シズルのいま一番近くにいる男でもあったのだから。

「……でも、風呂に入らないのはなぁ」

 シズルは潔癖ではないものの、人並みに衛生観念はあるはずであると思っていた。


 そう悩みながら夕陽が沈む頃、ヤンからメッセージが届く。


『業者呼んで掃除した』

 そこには写真が添えられており、確かに昨晩よりかは床の面積がはっきりと見えていた。

「業者呼んだのか……、金持ちかよ」

 思わず笑ってしまうものの、同時にある不安も芽生えてしまう。

 どうせすぐ、元通りになってしまうのではないのかと。

『その調子』

 それだけを返信して、シズルは夕飯の準備にとりかかることにした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ