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第2話:Lithium flower

主題歌:攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX/lithium flower

https://youtu.be/Wolcpa9s6NU?si=3NluSxzI408YT_-0

王都の夜は、死んでいた。

この街から、光と熱が奪われて三日目。

魔導インフラの停止により、暖房も、照明も、物流も途絶えた。

石造りの建物は冷蔵庫のように冷え込み、市民たちは家具を燃やして暖を取っている。

獣病院のリビング。

ナラティブ・ヴェリタスは、コートを着込んだまま、白い息を吐いた。

目の前には、冷え切ったスープ。


「……限界ね」


ナラは呟いた。

窓の外を見る。暗闇の中で、時折、怒号や悲鳴が聞こえる。

それは暴動ではない。寒さと飢えに耐えかねた人々が、わずかな食料や燃料を巡って争う、生存のための軋轢だった。

獣人排斥を叫んでいた人間たちも、今は声が小さい。

プライドやイデオロギーなど、凍える寒さの前では何の役にも立たないことを、誰もが骨身に沁みて理解し始めていた。


「……行くわよ、お母様」


ナラは立ち上がった。


「ハイルマンに会いに行く。……あのジジイの『目的』を、確かめにね」


エラーラ・ヴェリタスもまた、無言で立ち上がった。

彼女の手には、枯れたリチウムフラワーの蔓が握られていた。


「ああ。……彼の行動には矛盾がある。単なる差別主義者にしては、手が込みすぎている」


ナラとエラーラは、行政庁舎へと向かった。

道中、二人はこの国が直面している「現実」を目撃した。

下水が溢れていた。

浄化ポンプの停止により、汚物が逆流し、道路を黒く染めている。

その泥濘の中で、人間と獣人が、共に肩を並べて土嚢を積んでいた。

数日前まで石を投げ合っていた彼らが、今は無言で、互いに泥まみれになりながら作業をしている。


「おい、そっち頼む!」


「わかった、任せろ!」


人間の青年が、重い土嚢を持てずによろめいた時、熊の獣人がそれを支えた。

青年は一瞬ビクリとしたが、すぐに「……ありがとう」と小さく言った。

獣人は無言で頷き、また作業に戻る。

ナラはそれを見て、胸が詰まるような感覚を覚えた。

美しい和解ではない。

ただ、生きるために協力せざるを得ない、ギリギリの連帯。

だが、そこには確かに、ハイルマンが演説で煽ったような「憎悪」は存在しなかった。


「……皮肉なものね」


ナラは呟いた。

文明が死に、飾りが剥がれ落ちた時、最後に残ったのは、ただの「弱い生き物同士」という事実だけだった。


行政庁舎。

そこは特例措置により、唯一自家発電が許されている場所だった。

だが、その明かりは弱々しく、まるで墓守の灯火のようだった。

ナラたちは警備を突破し、最上階の議長室へと踏み込んだ。

重厚な扉を開けると、そこには冷気と、微かな花の香りが漂っていた。

ハイルマン議長は、デスクに座っていなかった。

彼は窓際に立ち、暗黒に沈んだ王都を見下ろしていた。

その背中は、以前会った時よりも一回り小さく、そして古木のように枯れて見えた。


「……ようこそ、ヴェリタスのお二人」


ハイルマンは、振り返らずに言った。

その声には、演説の時のような熱狂も、悪党の覇気もなかった。


「久しぶりね、お爺ちゃん」


ナラは、枯れた花の蔓をテーブルに置いた。


(ミーム)のお返しに来たわ。……あんたの望み通り……(くに)は枯れたわよ」


ハイルマンはゆっくりと振り返った。

その顔を見て、ナラは息を呑んだ。

彼は、泣いていたわけではない。

だが、その瞳は、涙が枯れ果てた後の砂漠のように、乾ききってひび割れていた。


「……そうか。枯れたか」


ハイルマンは、枯れた蔓を愛おしげに指でなぞった。


「美しい(くに)だっただろう? ……紫色は、高貴で、そして──哀しい色だ。」


「単刀直入に聞くわ」


ナラは一歩踏み出した。


「あんた一体、何がしたかったの? 獣人が憎いなら、軍を使って追放でもすればよかった。なぜ、インフラごと国を殺すような真似をしたの?」


ハイルマンは、力なく笑った。

そして、窓の外の闇を指差した。


「……憎い?私が、獣人を?」


彼は首を横に振った。


「違うよ、探偵さん。……私はかつて、誰よりも彼らを愛していた。誰よりも『平等』を信じ、種族の垣根を超えようとした、理想主義者だったんだよ」


・・・・・・・・・


ハイルマンが語り始めたのは、数十年前に起きた、ある遭難事故の話だった。

若き日のハイルマンは、植物学者だった。

彼は「種族間の融和」を掲げ、北都の山岳地帯へ調査隊を率いて入った。

メンバーは、人間のハイルマン、エルフの魔導師、そして二人の獣人のガイド。

彼らは手を取り合い、理想に燃えていた。

だが、自然は冷酷だった。

記録的な大吹雪が彼らを襲い、彼らは雪山で遭難した。

食料は尽き、通信も途絶え、魔力も枯渇した。

洞窟の中で、彼らは死を待つしかなかった。


「……寒かった。痛かった。手足の感覚がなくなり、意識が遠のいていった」


ハイルマンは、遠い目をして語る。


「その時だ。……残り少ない食料と、暖を取るための最後の魔石。それをどう配分するか、という話になった」


全員が瀕死だった。

平等に分ければ、全員が死ぬ。

誰か一人に集中させれば、その一人だけは生き残れるかもしれない。

ハイルマンは言った。『平等に分けよう。死ぬ時は一緒だ』と。

『平等』。

それが、彼の理想だった。

だが、獣人たちは首を振った。


『いいえ、ハイルマンさん。……貴方が生き残ってください』


『人間である貴方が生きて帰れば、私たちの家族に遺言を伝えてくれるでしょう』


・・・・・・・・・・・


「……なぜ?」


ナラが問う。

種族が違うから?人間が偉いから?


「……『差別』だよ」


ハイルマンの声が震えた。


「彼らは言ったんだ。『もし人間である貴方が死んで、獣人やエルフの我々だけが生き残ったら……世間は、被差別階級や特権階級が人間を見殺しにしたと非難するでしょう。我々の家族まで迫害されるかもしれない』と」


ナラは絶句した。

獣人たちは、自分たちの命よりも、「人間社会からの差別と報復」を恐れたのだ。

だから、最も合理的な生存戦略として、人間のハイルマンを生かすことを選んだ。

それは、愛ではない。

圧倒的な「不平等」という現実が強いた、悲しすぎる献身だった。


「やめろと言った!俺も一緒に死ぬと叫んだ! だが、彼らは笑って、俺に最後のスープを飲ませ、俺の体に自分の体温を移して……凍えていった」


・・・・・・・・・・


吹雪が明けた朝。

生き残ったのは、ハイルマン一人だった。

彼の周りには、彼を守るように折り重なって凍死した、エルフと獣人たちの遺体があった。


……そして。


その遺体の隙間、氷の大地に、一輪の花が咲いていた。

こんな極寒の地獄で、奇跡のように咲いた紫色の花。

リチウムフラワー。


花言葉は――『調和』。


・・・・・・・・・・


「……見た瞬間、吐いたよ」


ハイルマンは、顔を覆った。


「これが調和か?弱者が強者のために犠牲になり、強者だけが生き残る。差別があるからこそ成立した『自己犠牲』という美談。……そんなものが調和なら、世界なんて……」


彼は、生き残ってしまった自分を呪った。

自分を生かした「人間の特権」を呪った。

そして、自分を助けた獣人たちの「優しさ」という名の諦めを、何より憎んだ。


「だから私は、復讐を誓った。……こんな歪んだ世界なら、いっそ全員が等しく不幸になればいい」


ハイルマンは、ナラを見た。その目は涙で濡れていた。


「私は、王都を壊したかったわけじゃない。……ただ、証明したかったんだ。『人間も獣人も関係なく、極限状態になれば誰もが醜く争う』と。あの雪山のような『綺麗な自己犠牲』なんて嘘っぱちだと、泥沼を見せつけたかった!」


彼は、獣人を弾圧した。

それは、かつて自分を助けて死んだ彼らを、「聖人」の座から引きずり下ろし、一方で、自分を「醜い差別主義者」にしたかったからだ。

そうしなければ、彼らの死を受け入れられなかったからだ。


「……でも、違った」


ハイルマンは、窓の外を指差した。

泥の中で協力し合う、人間と獣人の姿。


「彼らは……泥の中でも、手を取り合っている。私なんかがいなくても、彼らは勝手に『調和』しようとしている」


ハイルマンは、その場に崩れ落ちた。

慟哭。

50年間、彼の中で凍りついていた雪解け水が、一気に溢れ出した。


「……俺は、助かりたい……死にたい……!俺はあそこで死ぬべきだったんだ!みんなと仲良くしたかった! 差別なんてない世界で、ただの友達として酒を飲みたかった! なのに……俺だけが……!」


彼は、悪の黒幕ではなかった。

ただ、雪山に心を置き去りにしたまま、罪悪感という猛吹雪の中を50年間彷徨い続けていた、一人の遭難者だったのだ。

ナラは、何も言えなかった。

彼を責める言葉が見つからなかった。

彼の狂気は、あまりにも純粋な「愛」と「悲しみ」から生まれていたからだ。

エラーラが、静かに目を閉じた。

論理では割り切れない、人の業の深さに。

部屋に、老人の泣き声だけが響く。


「ごめんなさい」「生きたい」「助けて」


それは、贖罪を求める子供の声だった。

ナラは、ゆっくりとハイルマンに近づいた。


「……助ける」


そして。


ドガッ!!


ナラは、ハイルマンの頬を、拳で殴り飛ばした。

鉄扇ではない。素手だ。

全力の、右ストレート。


「がはっ……!?」


ハイルマンが吹き飛び、床に転がる。

彼は呆然と、腫れ上がった頬を押さえてナラを見上げた。


「……な、なぜ……?」


「痛いでしょう?」


ナラは、拳を握りしめたまま言った。

その手もまた、痛みに震えていた。


「それが、いま『生きてる』ってことよ!」


ナラは、ハイルマンの胸ぐらを掴み、無理やり立たせた。

その瞳は、炎のように燃えていた。


「死にたい?ふざけるな。……あんたを生かすために、あの人たちがどれだけの想いで死んだと思ってるのよ!だがら……死ねッ!」


ナラの脳裏に、自分の過去が過る。

自分を生かすために、泥にまみれて死んでいった人々の顔。

生き残った者には、義務がある。

それは、死ぬことではない。

だからこそ、「死ね」と言ったのだ。

死者の分まで、泥水をすすってでも、無様に生き続けてから、「死ね」ということだ。


「差別だから助けた?そんな理屈や設定はどうでもいいわ!結果として、あんた『が』選ばれたの!託されたの!命というバトンを託されたのよ!」


ナラは叫んだ。


「それを『辛いから捨てます』なんて……。そんな甘えは、私が許さない!」


ハイルマンの瞳が揺れる。

ナラの言葉が、凍りついた心臓を直接殴りつけてくる。


「死んで逃げるなんて許さない!」


ナラは、ハイルマンを突き放した。


「生きなさい。生きて、償いなさい。……あの人たちが夢見た『調和』を、あんたの手で作り上げるのよ。それから死になさい!それが、生き残ったあんたの『呪い』であり『責任』よ!」


ハイルマンは、床に手をついた。

涙が、床に落ちる。

だが、その涙は、先ほどまでの絶望の色とは違っていた。


「……生きる……」


彼は、自分の手を見た。

皺だらけの、罪にまみれた手。

だが、まだ動く。まだ、何かを作ることができる手。


「……ああ。そうだ。私は……生かされたんだった」


ハイルマンは、よろめきながら立ち上がった。

その背中に、微かに力が戻っていた。


「ありがとう、探偵さん。……痛かったよ」


「当然よ。……請求書は高くつくわよ?」


ナラは、笑った。

その笑顔は、雨上がりの太陽のように眩しかった。



翌日。

王都のシステムが、奇跡的な速度で復旧した。

ハイルマン議長が、陣頭指揮を執ったからだ。

彼は、演説を行わなかった。

代わりに、獣人の技術者たち一人一人に頭を下げて回った。

「すまなかった。力を貸してくれ」と。

議長の変わりように、周囲は驚いた。

だが、彼が本気であることは、その必死な行動が証明していた。


数日後。

ライフラインは完全に復旧した。

王都に明かりが戻り、水が流れ、温かい食事が食卓に並んだ。

獣病院のベランダ。

ナラは、新しい鉢植えに水をやっていた。

そこには、再びリチウムフラワーの種が植えられている。

ハイルマンが、罪滅ぼしにと送ってきた種だ。


「……咲くかしら」


「咲くさ」


エラーラが、珈琲を飲みながら言った。


「彼が蒔いた種だ。……今度は、本当の意味での『調和』の花が咲くだろうよ」


ナラは、街を見下ろした。

通りには、人間と獣人が笑い合いながら歩く姿がある。

完全な平等なんてないかもしれない。差別も偏見もなくならないかもしれない。

けれど、この街の人々は、泥の中で手を取り合った記憶を、きっと忘れない。

あの雪山で死んだ彼らが夢見た未来が、50年の時を経て、ようやくこの街に芽吹き始めたのだ。


「……綺麗ね」


ナラは、空を見上げた。

王都の空は、突き抜けるように青く、澄み渡っていた。

かつての絶望は、希望の肥料となった。

ナラティブ・ヴェリタスは、大きく伸びをして、太陽の光を全身に浴びた。


「さあ、行きましょうお母様!今日は特大のステーキで、復興祝いよ!」


「やれやれ。君の胃袋だけは、どんな災害でも無傷だな」


二人の笑い声が、風に乗って空へ昇っていく。

それは、平和を取り戻した王都に響く、確かな「生」の音色だった。

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