●第1話:私を助けた日(1)
世界地図の南端に位置する小国、ゼランディア。
かつては美しい密林と透き通る海に囲まれた楽園だったその国は今、世界で最も醜悪な「解剖台」となっていた。
地下に眠る膨大な「魔石オイル」が発見されたからだ。
「王都」は『独裁者からの解放』と『民主主義の定着』という美しい大義名分を掲げ、圧倒的な軍事力で介入。傀儡政権を樹立し、資源の採掘権を独占した。
これに対し、周辺諸国や武装勢力が反発。宗教対立、民族浄化、代理戦争など、ありとあらゆる災厄が入り乱れ、いまや、ゼランディアは「世界中の火薬庫」と化した。
ナラティブ・ヴェリタスがこの地を踏んだ理由は、金ではない。
王都の大学に通う女子学生、エレナの捜索依頼だった。
「平和活動」に憧れ、無防備に現地入りし、行方不明になった世間知らずの少女。
ナラは、胸ポケットに入れた「王都のパスポート」を指で弾いた。
この最強の身分証があれば、軍も、政府も、テロリストさえも、王都の報復を恐れて手出しはできない。これは外交特権に守られた、安全な人探し……のはずだった。
彼女が空港に降り立った瞬間、論理は死に、純粋な『暴力』が幕を開けた。
ゼランディア国際空港。
ナラがタラップを降りると、フェンスの向こうで現地の子供たちが花束を持って駆け寄ってきた。
平和的な歓迎。ナラが微笑みかけた、その時。
少年の肉体が内側から膨張し、弾け飛んだ。
自爆テロ。
ナラの体は爆風で木の葉のように吹き飛ばされ、コンクリートの壁に叩きつけられた。
次々と爆発が連鎖する。花束を持った少女が、アイスクリーム売りの老人が、次々と「人間花火」となって炸裂する。
空港は阿鼻叫喚の地獄と化した。
ここには、話の通じる相手など一人もいない。
ナラは、命からがら王都軍の駐留基地へと逃げ込んだ。
ゲートには、見慣れた王都の国旗が翻っている。
味方だ。ここなら安全だ。
「開けて!王都市民よ!テロに遭ったの!」
兵士たちがゲートを開ける。ナラは安堵の息をつき、医務室へ向かおうとした。
だが、基地の中庭で見た光景に、彼女は凍りついた。
そこでは、全裸にされた現地の捕虜たちが、ピラミッドのように積み上げられていた。
王都軍の兵士たちは、笑いながら彼らに電気ショックを与え、軍用犬をけしかけ、その様子を記念撮影していた。
拷問ではない。「娯楽」だ。
彼らにとって、現地人は人間ではない。ストレス発散の玩具だ。
そして、それを見たナラもまた、「敵」に認定された。
友軍であるはずの兵士たちが、一斉にライフルを構える。
ナラは鉄扇を展開し、銃弾を弾きながら、基地の裏門を破ってジャングルへと逃走した。
背中に、味方からの罵声と殺意を浴びながら。
湿気と熱気が体力を奪う。ナラは左腕を撃たれ、出血していた。
だが、休む暇はない。
ナラは小さな村に辿り着いた。
水が欲しい。治療が必要だ。
逃走の果て、ナラは廃校となった学校を見つけた。
そこには、依頼のターゲットであるエレナと、数人の子供たちが隠れていた。
「ヴェリタスさん! 助けに来てくれたんですね!」
「静かに!すぐに出るわよ!」
だが、遅かった。
校舎はすでに、反王都派の民兵組織によって包囲されていた。
彼らは突入してこない。
代わりに、窓の隙間からホースを差し込んできた。
無色無臭のガス。
睡眠ガスではない。神経ガスだ。
ナラの腕の中で、エレナが事切れた。
守るべき対象の、あまりにあっけない死。
ナラは、死体で埋め尽くされた教室で、声を殺して慟哭した。
ナラは死んだふりをして、死体回収に来た民兵を奇襲した。
喉を潰し、武器を奪う。
その時、ナラは民兵が持っていた魔導ライフルを見て、呼吸を止めた。
銃身に刻まれた紋章。
『Made in Royal Capital(王都製)』
それだけではない。
学校に撒かれた神経ガスのボンベにも、先ほどの自爆テロリストが使っていた爆薬にも、全て王都企業のロゴが入っていた。
「……嘘でしょ」
王都は、「民主化支援」と言いながら、敵対する両方の勢力に武器を売りつけ、戦争をわざと長引かせて利益を得ていたのだ。
ナラが払った税金が、この弾丸になり、エレナを殺し、私をも殺そうとしている。
精神の限界を迎えたナラは、圧倒的な数の民兵に包囲され、捕らえられた。
鉄扇は奪われ、手足は鎖で繋がれた。
「これから、正義の鉄槌を下す!」
男がナイフを取り出す。
英雄ナラティブ・ヴェリタスの、あまりに惨めな最期。
処刑のナイフが、ナラの首筋に触れた瞬間。
空が光った。
高高度から、王都軍の戦略爆撃機が飛来した。
投下されたのは、救出部隊ではない。
「戦略魔導核」。
一発で半径5キロを消滅させる、浄化の光。
証拠隠滅。
王都製の武器が民兵に渡っている証拠も、人質になったナラの存在も、テロリストも。
全てを消し去るための、究極の隠蔽工作。
「あ……」
ナラは空を見上げた。
覆面の男も、空を見上げた。
敵も味方も、被害者も加害者も関係ない。
圧倒的な「」が降り注ぐ。
音が消えた。
熱線が、ジャングルを、学校を、民兵を、そしてナラを飲み込んだ。
意識が浮上した瞬間、ナラティブ・ヴェリタスが感じたのは、強烈なアンモニアと腐敗した肉の臭いだった。
「……あ、ぐ……」
ナラは身じろぎしようとして、激痛に襲われた。
背骨が焼けるようだ。内臓がねじ切れるような感覚。
彼女の体は、瓦礫の下で一度「死んだ」も同然だった。それを、王都の友好国を名乗る現地NGOが発見し、この野戦病院へ運び込んだのだ。
処置は、暴力的だった。
麻酔はない。横流しされて市場で売られたからだ。
医師――と呼ぶにはあまりに薄汚れた男が、ナラの腹部を、太い釣り針のような針と、魔獣の腱で作った糸で無理やり縫い合わせていた。
消毒液の代わりに、度数の高い安酒が傷口にぶちまけられる。
それは治療ではない。「修繕」だった。
「生きてる……奇跡だねぇ」
男は血のついた手でナラの頬を叩き、去っていった。
ナラは、板切れの上に寝かされていた。
隣には、足のない男が転がっている。反対側には、黒く変色した子供が動かなくなっている。
死体回収係が来るまで、死者との同衾はここでは常識だ。




