第2話:陰気な母性を取り戻せ(2)
王都の地下深く。
そこには、表の地図には載っていない巨大な空洞が広がっていた。
怪しげなネオンライトが照らし出すのは、秘密のランウェイ。
覆面をした貴族や富豪たちが、欲望に満ちた目でステージを見つめている。
「……趣味の悪い場所ですわね」
ナラは、物陰からその光景を睨みつけた。
彼女の頭には、未だにアンテナ付きのヘルメットが装着されている。
『……ナラさん……助けて……早く帰って、ナラさんから蔑んだ目で……み、見下されたいですぅ……』
スピーカーから垂れ流されるルルの心の声に、ナラはこめかみを押さえた。
「お母様……もう外していいかしら?あたしの精神衛生が限界ですの」
「ダメだね!信号強度が最高潮に達している!震源地はすぐそこだ!」
エラーラが、携帯端末を操作しながら叫ぶ。
カレル警部率いる警官隊も、突入の合図を待って待機している。
その時。
会場の照明が落ち、スポットライトが一本、ステージを照らした。
「レディース・エン・ジェントルメン!……そして我が同志たちよ!」
デザイナー、ウラジミール・トガッテルが、マイクを片手に現れた。
「今宵、ファッションの革命が起きる!……見よ!この世の深淵から掬い上げた、至高の美を!」
音楽が鳴り響く。
ステージの奥から、一人のモデルが歩いてきた。
「……?」
ナラは息を呑んだ。
そこにいたのは、ルルだった。
だが、いつものダンゴムシのような少女ではない。
身に纏っているのは、蜘蛛の巣を模した漆黒のレースと、宝石をちりばめた退廃的なドレス。
ボサボサだった髪は濡れたように艶やかにセットされ、顔を隠していた前髪は上げられている。
露わになったその顔立ちは、冷ややかで、憂いを帯び、そして誰もが振り返るほどの「魔性」を秘めた美貌だった。
豊かな肢体が、ドレスの隙間から悩ましく覗いている。
「……あれが、ルル?」
ゴウが顔を赤くして目を逸らす。
ルルが流し目を送ると、客席の男たちがため息を漏らし、陶然として座り込んだ。
「……ふん、かかったな!」
ウラジミールがニヤリと笑う。
「このドレスには、『服従魔法』が編み込まれている!彼女の美貌に魅了された者は、思考を奪われ、私の意のままになるのだ!」
ウラジミールは、裏で国を操るカルト教団の信奉者だったのだ。
美による洗脳。それが彼の目的。
「……服を、人を操る道具にするなんて!」
ナラは、ヘルメットを投げ捨てた。
「ファッションへの冒涜! そして何より、あたしの友人を着せ替え人形にした罪!……万死に値しますわッ!」
ナラは飛び出した。
「総員、突入ッ!」
カレル警部の号令と共に、警官隊が雪崩れ込む。
「な、何だ!」
「警察だ!」
会場はパニックになる。
「嗅ぎつけたか!……行け、私の作品たちよ!」
ウラジミールが指を鳴らすと、ルルの後ろから、同じように洗脳されたモデルたちが現れた。
彼女たちは無表情で、隠し持っていたナイフを構え、ナラたちに襲いかかる。
「ごめんあそばせッ!」
ナラは鉄扇を開き、モデルの攻撃を受け流した。
だが、反撃ができない。
彼女たちは一般人だ。服によって操られているだけなのだ。
「くっ……!傷つけられませんわ!」
「ナラ君!そのまま引きつけろ!」
エラーラが叫ぶ。
「ルル君!聞こえるか!君の武器を使うんだ!」
ステージ上のルルは、呆然と立ち尽くしていた。
ウラジミールに「笑え! 魅了しろ!」と命令されているが、彼女の目はナラを追っていた。
『……ナラさんが……戦ってる……美しい……』
(ヘルメットを外しても、なぜか声が聞こえる気がする……)
「ルル君!君はそんな煌びやかな世界が好きなのか?大勢の男たちに注目されるのが好きなのか?」
エラーラが問いかける。
ルルは震えた。
注目?
そんなもの、死ぬほど怖い。
私が欲しいのは、薄暗い部屋と、湿った空気と……ナラさんだけだ。
こんな、何百人もの他人の視線に晒されるなんて、拷問以外の何物でもない。
「……嫌だ」
ルルが呟いた。
「もっと大きな声で!君の『拒絶』を爆発させるんだ!そのドレスを否定しろ!」
「……嫌だぁぁぁぁぁぁッッッ!」
ルルが絶叫した。
その瞬間、彼女の体内から、どす黒いオーラが噴き出した。
それは、魔力ではない。
負の感情が極限まで圧縮された、質量を持った「拒絶の念」だ。
ルルが着ていた高級なドレスが、内側からの圧力に耐えきれず弾け飛んだ。
宝石が砕け、レースが引き裂かれる。
そして、その下から現れたのは、どういうわけか――ヨレヨレの毛玉だらけの、いつもの古着だった。
彼女がいつも着ている、最強の殻。
「私は……私は……!」
ルルは、その場にうずくまり、膝を抱えた。
ダンゴムシのポーズ。
だが、その体からは、物理的な衝撃波が発生していた。
「な、なんだ?私の洗脳魔法が……中和されていく?」
ウラジミールが悲鳴を上げる。
「解説しよう!」
エラーラが得意げに眼鏡を直した。
「あれは『拒絶結界』だ!彼女の持つ、世界を拒もうとする強烈な負のエネルギーが、干渉する精神魔法を全て無効化しているのだ!」
「あっち行ってくださいぃぃぃ!」
ルルが悲鳴を上げるたびに、会場のきらびやかな照明が割れ、洗脳装置がショートし、観客たちの正気が戻っていく。
「陽」による洗脳を、「陰」による拒絶が塗りつぶしたのだ。
「……やるじゃないの!」
ナラは、正気を取り戻したモデルたちを安全な場所へ逃がしながら、ステージ上のルルを見上げた。
ボサボサの髪。ヨレヨレの服。
さっきの美女とは似ても似つかない、いつものダンゴムシ。
でも。
「……そっちの方が、よっぽど輝いてますわよ!」
ナラは、ウラジミールに向き直った。
「さあ、デザイナーさん。……フィッティングの時間よ」
「ひぃッ!来るな!私は芸術家だぞ!美しくないものは消えろ!」
ウラジミールが後ずさる。
「美しさ?……笑わせないで」
ナラは、ルルの脱ぎ捨てたドレスの残骸を踏み越えた。
「着る人の心を無視した服なんて……ただの拘束具よ!」
ナラは、ウラジミールの顔面に、飛び蹴りを叩き込んだ。
「あんたには、薄汚い囚人服がお似合いよッ!」
ウラジミールは吹き飛び、ルルの足元に転がった。
ルルは、「ヒッ!ゴミが来ました!」と叫んで、無意識に彼を踏みつけた。
事件は、ルルの拒絶反応と共に幕を下ろした。
数日後。
獣医院のリビング。
ルルは、いつものピンク色の部屋着に身を包み、部屋の隅で体育座りをしていた。
膝を抱え、どんよりとしたオーラを放っている。
「あうぅ……あんな恥ずかしい姿を……。もうお嫁に行けません……ナラさんのお嫁になら行きたいけど……」
「……いつまで落ち込んでますの」
ナラは、淹れたてのコーヒーをテーブルに置いた。
そして、ルルの隣にドカッと座った。
「……だってぇ。あんな大勢の前で……ナラさんに、幻滅されちゃったかなって……」
「幻滅?」
ナラは、コーヒーを一口啜った。
「してないわ。……むしろ、悪くなかったわよ。一瞬だけね」
「えっ!?」
ルルが顔を上げる。
前髪の隙間から見える瞳が、期待に揺れている。
「あのドレス姿……。悔しいけれど、少しだけ見直しましたわ!」
「ほ、本当ですか?じゃあ、私、これからイメチェンして……!」
「でもね」
ナラは、カップを置いて、ルルの方を向いた。
「あんたには、その薄汚いボロ布がお似合いよ」
「……え?」
ルルが固まる。褒められたのか貶されたのか、分からない。
「無理して着飾って、誰かの真似をする必要なんてないわ」
ナラは、ルルのボサボサの頭に手を置いた。
「あたしはね、この部屋の隅っこで、ジメジメしてるあんたを見ると……安心するのよ」
「……安心?」
「ええ。……変わらなくていいわ。あんたは、あんたのままでいなさいな。」
ナラの言葉は、不器用だった。
でも、それは彼女なりの、最大の肯定だった。
華やかなドレスよりも、ありのままのルルを受け入れるという、友情の証。
「ナ、ナラさん……!」
ルルの目から、涙が溢れ出した。
彼女は感極まって、ナラに抱きついた。
「わぁぁぁん!ナラさぁぁぁん!好きですぅぅぅ!」
「ちょ、ちょっと! 暑苦しいですわよ!」
ナラは文句を言いながらも、拒絶はしなかった。
彼女もまた、ルルの体温に、戦いの疲れを癒やされていたからだ。
友情。信頼。
ナラは、そう思って、ルルの背中に腕を回し、抱きしめ返した。
「……よしよし。泣き止みなさい」
その時だった。
ルルの首筋から、甘く、そしてどこか懐かしい匂いが漂ってきた。
それは、お菓子のような甘さと、日向のような温かさが混じった、不思議な香り。
ナラは無意識に、その匂いを吸い込んだ。
ナラの心臓が、奇妙な跳ね方をした。
(……なに、この匂い?)
とても、落ち着く。
まるで、遠い昔に忘れてしまった、揺り籠の中にいるような。
あるいは、幼い子供が母親の胸に抱かれている時のような、絶対的な安心感。
(……お母様とは違う。でも、これは……『母性』?)
ナラは混乱した。
あたしにとっての母親は、エラーラだけだ。
命を救い、育ててくれた、唯一無二の存在。
なのに、どうしてこのダンゴムシ娘から、こんなにも包容力のある、濃厚な「母」の気配を感じるの?
「……ルル?」
ナラが顔を上げようとした時、異変に気づいた。
ルルの腕の力が、強い。
友情のハグにしては、あまりにも粘着質で、逃さないという意志を感じる強さ。
そして、ルルの吐息が、ナラの耳元にかかる。
熱い。湿っている。
「……ナラ、さん」
ルルの声が、低く、濡れていた。
「……いい匂い……ナラさんの中に……還りたい……」
「……ひッ!」
ナラは、背筋に悪寒――いや、得体の知れない電流が走るのを感じた。
これは、友情じゃない。
もっとドロドロした、深淵のような、執着と、欲望。
そして、それを包み隠すような、歪んだ母性愛。
あたしを「守りたい」んじゃない。あたしを「飲み込みたい」んだ。
「は、離れなさいッ!」
ナラは全力でルルを突き飛ばした。
ルルは部屋の反対側まで転がった。
ルルは正気に戻ったように目をパチクリさせている。
「あ、あんた今、変な空気出しましたわよね?」
ナラは顔を真っ赤にして、自分の体を抱きしめた。
心臓がバクバクしている。
あの「母性」を感じてしまった自分への動揺と、ルルの底知れない「湿度」への恐怖。
あたしのお母様はエラーラだけなのに。
今一瞬、この子に甘えそうになった。身を委ねそうになった。
「そ、そうですか?……ただ、ナラさんと溶けて一つになりたいなあって……」
「それが変だと言ってるのよッ!!」
そこへ、実験室からエラーラが出てきた。
手には測定器を持っている。
「やれやれ、騒がしいねぇ。……おや、ルル君の数値がまた上昇しているぞ?」
エラーラは、測定器を見ながらニヤリとした。
「やはり、彼女の『愛』は、科学で解明すべき重要なテーマだね。……ナラ君、これからも実験台として協力したまえよ?」
「お断りですわーーッ!」
ナラの絶叫が、獣医院に響き渡る。
窓の外では、今日も王都の太陽が眩しく輝いている。
「……お母様。あたし、今夜は一緒に寝ますわよ」
ナラがエラーラの白衣を掴む。
「珍しいね」
「……魔除けですわ!」
ナラは、ルルの方を警戒しながら、エラーラにへばりついた。
このマッドサイエンティストの隣だけが、今のナラにとって唯一の安全地帯なのだった。




