第2話:熱血の当事者(2)
一ヶ月後に行われる公式戦。
それに向けて、ガンテツが用意した特訓場所は、王都から遠く離れた「断崖絶壁の孤島」だった。
「ここなら、逃げ場はねえ。……死ぬ気でやれ」
目の前には、トレーニング用具として用意された「巨大な鉄球」や、「魔導ゴーレム」が並んでいる。
「さあ、始めようか。……まずは準備運動だ。あの山頂までダッシュだ」
ガンテツが指差したのは、雲を突き抜けるほどの絶壁だった。
「……正気ですの?」
ナラは、ジャージ姿で呆然とした。
彼女の背中には、選手全員分の水とタオル、そして救急箱が入った、総重量200キロはある巨大なリュックが背負われている。
「マネージャー! 遅れるなよ!」
ガンテツが怒鳴る。
「……言われなくても! 一流のレディは、荷運びだって優雅にこなしますわ!」
ナラは、スパイクで岩場を踏みしめた。
地獄の合宿が、幕を開けた。
訓練は、壮絶を極めた。
「タックルの練習だ!」と言って、ガンテツ自身が高速で突っ込んでくる。
選手たちはボウリングのピンのように宙を舞い、岩盤に叩きつけられる。
「スクラムの練習だ!」と言って、野生のベヒーモスと押し合いをさせられる。
血反吐が舞い、骨が軋む音が響く。
ナラは、戦場のようなグラウンドを走り回っていた。
「水よ! 飲みなさい!」
「テーピングを巻きますわ!じっとして!」
彼女の身体能力は高い。200キロの荷物を背負って走り回るくらい、造作もない。
だが、彼女を苦しめていたのは「肉体的な疲労」ではなかった。
「口を出せない」という精神的な拷問だった。
模擬戦。
レオたちは、連携が取れずに苦しんでいた。
敵役のゴーレムに翻弄され、陣形が崩れる。
(……違う! そこで右に開けばパスが通るのに!)
(バカね! そこで突っ込んだら囲まれるわ!)
ナラの目には、『ナラの正解』が見えていた。
彼女の戦術眼は、スラムでの実戦経験に裏打ちされた本物だ。
「右よ!」「引いて!」と叫べば、彼らはすぐに動けるだろう。
そうすれば、無駄に傷つかなくて済む。
ナラの喉まで、言葉が出かかった。
拡声器を構えそうになる。
その時、ガンテツの視線が刺さる。
無言の圧力。
『言うな』
「ぐぬぬぬぬ……ッ!」
ナラは、自分の口を両手で塞いだ。
言いたい。指示したい。動かしたい。
でも、それは彼らのためにならない。
分かっているけれど、目の前で仲間がボロボロになっていくのを見るのは……自分が殴られるよりも辛かった。
「……あぁっ!」
レオが判断を誤り、ゴーレムに吹き飛ばされる。
泥まみれになり、悔しそうに地面を叩くレオ。
ナラは、唇を噛み切った。
血の味が口に広がる。
これが、「見守る」ということの痛みなのか。
夜。
焚き火を囲んでの夕食。
メニューは、エラーラが差し入れで送ってきた「プロテイン・ブロック」だ。
選手たちは、泥のように眠っている。
起きているのは、ナラとガンテツだけだ。
「……辛そうだな、お嬢ちゃん」
ガンテツが、鉄骨のような太い薪を火にくべながら言った。
「……ええ。地獄ですわ」
ナラは膝を抱えた。
「あたしが指示すれば……あの子たちはもっと楽に勝てますのに」
「楽に勝って、何になる?」
「え……?」
ガンテツは、炎を見つめたまま言った。
「あいつらが戦っているのは、目の前の敵じゃねえ。『自分自身の弱さ』だ。」
ガンテツは、眠っているレオを指差した。
「あいつは、キャプテンだ。……判断の重圧、失敗の恐怖、仲間の期待。それら全部を背負って、フィールドに立っている」
「……」
「お前が答えを教えれば、成功するかもしれないだろうよ。……だがな、それは『お前の成功』だ。あいつの成功じゃねえ」
ガンテツは、ナラの方を向いた。
その顔は、鬼コーチのそれではなく、導く者の顔だった。
「失敗する権利を、奪うんじゃねえ。……迷って、間違えて、傷ついて。その果てに自分で掴んだ『答え』だけが、土壇場でそいつを支える『骨』になるんだ」
「……骨」
「そうだ。……お前は、あいつらの骨を抜いて、操り人形にしたいのか? それとも、自分の足で立つ戦士にしたいのか?」
ナラは、言葉を失った。
操り人形。
かつて、自分が最も嫌悪した存在。
「良かれと思って」やっていたことが、彼らをそうしてしまうことだったなんて。
「……あたしは……」
ナラは、眠るレオたちの顔を見た。
傷だらけで、泥だらけの顔。
でも、その寝顔は、以前よりもずっと逞しく見えた。
「……戦士に、したいですわ」
「なら、黙ってろ。……信じて、待て」
ガンテツは、笑った。
「待つのも、戦いだぞ」
合宿最終日。
仕上げの模擬戦が行われた。
相手は、ガンテツが召喚した「ケルベロス・チーム」。
本物の魔獣だ。手加減はない。
「行けェッ! ワイルド・タスクス!」
試合開始。
レオたちは、やはり苦戦していた。
パワーもスピードも、相手が上だ。
陣形が崩され、ゴールライン際まで押し込まれる。
(……右が空いてる!)
(そこを抜ければ、逆転できる!)
ナラには見えていた。
喉が熱くなる。叫びたい。教えてあげたい。
「……ッ!」
ナラは、タオルを握りしめ、自分の太ももをつねった。
我慢しろ。
耐えろ。
これは、あたしの戦いじゃない。彼らの戦いだ。
レオがボールを持って走る。
前にはケルベロス。後ろには味方のグリズ。
パスか? 突破か?
迷えば潰される。
「……」
ナラは、息を止めて見守った。
レオの脳裏に、これまでの特訓が走馬灯のように駆け巡る。
泥の味。痛み。そして、悔しさ。
『自分で考えろ!』
ガンテツの怒号が蘇る。
レオは、目を見開いた。
考えるな。感じろ。
俺たちの、野生を!
「……グリズッ!!」
レオは、パスを出さなかった。
叫びと共に、あえてケルベロスに突っ込んだ。
「ウオオオオオッ!!」
真正面からの激突。
ケルベロスが怯む。
その一瞬の隙に、レオは倒れ込みながら、背後へノールック・パスを放った。
そこには、誰もいない――ように見えた。
だが。
「もらったァッ!!」
ミューが、風のように走り込んでいた。
打ち合わせにない、即興の連携。
レオの意図を、ミューが感じ取ったのだ。
当事者だからこそ、できる判断。
言葉ではない。泥の中で培った「信頼」が、パスを繋いだ。
ミューがボールを受け取り、敵陣を独走する。
トライ!
「……やった」
ナラは、へなへなと座り込んだ。
あたしの指示じゃない。
あたしの想定すら超えた、彼らだけの「答え」。
「……見事だ」
ガンテツが腕組みをして頷く。
レオたちが抱き合って喜んでいる。
「見たか! 俺たちの連携!」
「最高だぜ!」
ナラは、涙がこぼれそうになるのを堪え、立ち上がった。
そして、満面の笑みで、タオルと水を抱えて走った。
「お疲れ様! ……最高に……一流のプレイでしたわよ!」
「ナラ姉ちゃん!」
レオが、泥だらけの体でナラに抱きついた。
「俺たち、やったよ!」
「ええ!」
ナラは、彼らを抱きしめ返した。
自分の思い通りに動く駒よりも。
自分の予想を裏切って成長する「人間」の方が、何倍も愛おしいと知ったから。
空には、飛行船が浮かんでいた。
エラーラが、望遠鏡で覗いている。
「ふむ。……変数を操作せずに、結果を見守る。……これこそが、愛だよ、ナラ君」
合宿は終わった。
だが、彼らの物語はこれからだ。
本番まであと数日。
ナラは、もう迷わない。
「軍師」ではなく、世界一熱い「応援団長」として、彼らの背中を押す覚悟が決まったのだ。
「さあ、帰りますわよ! ……ガンテツさんも、打ち上げに来るんでしょうね?」
「おう。……肉を食うぞ!」
「ええ。……アリアさんに言って、牛一頭用意させますわ!」
夕陽に向かって、傷だらけの一行が歩き出す。
その背中は、来るべき決戦に向けて、赤く、熱く燃え上がっていた。




