第1話:熱血の当事者(1)
今日は、ナラティブ・ヴェリタスの友人である獣人レオが率いる魔導ラグビーチーム『ワイルド・タスクス』の練習試合だ。
しかし、チームの雰囲気は最悪だった。
ベンチに、指揮官の姿がないのだ。
「……困りましたわね」
観客席の最前列で、漆黒のドレススーツを着たナラは、扇子を口元に当てて眉をひそめた。
「専属コーチが急病で欠席だなんて。これでは、彼らは頭のない鶏ですわ」
フィールド上のレオたちは、強豪チーム『アイアン・ゴーレムズ』の猛攻を前に、完全に浮足立っていた。
事前に決めていた作戦も忘れ、右往左往している。
このままでは、彼らは負ける。
ナラの胸の奥で、お節介な「善意」が鎌首をもたげた。
(……見ていられませんわ!友人が窮地に立たされているのを黙って見過ごすなんて、一流のレディではありません!)
ナラは立ち上がった。
彼女にラグビーの専門知識はない。だが、スラムで培った「喧嘩の勘」と、全体を見渡す目はある。
自分が代わりに指示を出してあげれば、彼らは救われる。
そう。「良かれと思って」しまったのだ。
「レオ!右翼が空いてますわよ!」
ナラは、身を乗り出して叫んだ。
その声はよく通る。そして、無駄なカリスマ性があった。
「えっ……? ナラさん?」
レオが振り返る。
「防御障壁を展開!」
「カウンターですわ!」
ナラは、軍師気取りで指示を飛ばした。
選手たちは戸惑った。
「でも、コーチの作戦じゃここは引くところだぞ?」
「いや、でもナラさんの言う通りにしたほうが……!」
混乱する彼らに、ナラは畳み掛けた。
「あたしを信じなさい!」
その自信満々な言葉に、選手たちは「思考」を放棄した。
苦しい状況で、他人の言葉に従うのは楽だからだ。
彼らは、コーチと積み上げた戦術を捨て、素人のナラの指示に従って動いた。
だが、それは悪手だった。
ナラの指示は、盤上の駒を動かすようなもので、現場の選手たちの疲労や魔力残量を無視していたからだ。
「いけぇッ!」
レオが無理に攻め込む。だが、魔力が続かない。
「ぐあぁっ!」
カウンターを食らい、吹き飛ばされる。
「違う! なんでそこで耐えられないのよ!」
ナラは叫び続けた。
結果、陣形は崩壊し、チームは蹂躙された。
試合終了。
スコアは、102対0。
歴史的大敗だった。
「……なんなんですの。あたしの完璧な作戦を遂行できないなんて」
ナラは、泥だらけで倒れ込むレオたちを見下ろし、不満げに鼻を鳴らした。
「三流ですわね。……明日の反省会で、みっちりと説教して差し上げますわ」
彼女は気づいていなかった。
自分が彼らの敗北を決定づけた元凶であることに。
翌日。
獣医院近くの広場。
レオたち『ワイルド・タスクス』のメンバーは、包帯だらけの体で整列させられていた。
その前で、ナラがホワイトボードを使って熱弁を振るっている。
「いいこと? 昨日の敗因は、あたしの指示への反応速度の遅さですわ!」
ナラは鉄扇でボードを叩いた。
「もっと死ぬ気で走りなさい!骨の一本や二本、勝利の代償としては安いものでしょう!?」
選手たちは俯いている。
言い返せない。彼らは負けたのだから。そして、ナラは強くて、賢くて、いつも彼らを助けてくれる「姉御」だから。
その時だった。
地面が揺れた。
地震ではない。何か、巨大で重いものが近づいてくる足音だ。
広場の入り口から、一つの影が現れた。
身長2メートルを優に超える巨体。
昨日、病欠していたはずのコーチ――ガンテツだ。
「……誰だ」
ガンテツが口を開いた。
その声は、地底のマグマが噴出するような重低音だった。
「昨日、グラウンドで、素人の戯言を垂れ流していた部外者は、どいつだ」
場の空気が凍りついた。
レオが震え上がる。
「コ、コーチ……!?」
ナラは、男を見上げた。
威圧感は凄まじい。だが、ナラティブ・ヴェリタスは退かない。
彼女は自分が「正しいことをした」と信じているからだ。
「あたしですわ!」
ナラは、優雅に鉄扇を閉じた。
「昨日はあなたが不在でしたから、あたしが代行して差し上げましたの。……彼らが負けたのは、彼らが未熟だったからですわ。感謝していただきたいくらいですけれど?」
「感…謝……?」
ガンテツは、ナラの目の前まで歩み寄った。
巨大な影が、ナラを飲み込む。
「貴様『が』グラウンドに立ったのか?」
「いいえ。観客席から全体を……」
「貴様『が』ボールを持ったのか?タックルの痛みを知っているのか?」
「まさか。野蛮な……」
「なら、黙れ。」
ガンテツは、右の拳を握りしめた。
その拳は、ナラの頭ほどの大きさがあった。
「責任も取れねえ、痛みも知らねえ……。安全圏から好き勝手に口を出す奴のことをな……」
ガンテツの瞳に、灼熱の怒りが灯った。
「世間じゃあ、『クレーマー』って言うんだよォッ!!」
「?」
ナラが反応するよりも早く。
ガンテツの拳が、ナラの顔面に炸裂した。
ドゴォォォォォォォォォォォォン!!!!!
爆音が響いた。
ナラの首が、ありえない角度に曲がった。
そして、彼女の体は、砲弾のように水平に吹き飛んだ。
ナラは広場を横切り、獣医院のレンガ造りの壁に激突した。
ズガァァァァン!!!
土煙が舞う。
煙が晴れた後。
そこには、壁に深くめり込み、白目を剥いてピクリとも動かないナラの姿があった。
「ナ、ナラさぁぁぁぁんッ!!!」
レオたちが絶叫する。
二階の窓がガラリと開いた。
白衣のエラーラ・ヴェリタスが、コーヒーカップ片手に顔を出した。
「おやぁ?……見事なエンボス加工だねぇ」
エラーラは、壁に埋まったナラを見て、感心したように頷いた。
「当事者なきアドバイスは騒音に等しい、という証明だね。当然の結果だ」
「先生!感心してる場合ですか!ナラさん死んじゃいますよ!」
ゴウ少年が泣き叫ぶ。
「安心したまえ。彼女は頑丈だ。……それより、次は彼らの番のようだぞ?」
エラーラが指差す先。
ガンテツは、まだ拳を下ろしていなかった。
その殺意に満ちた視線が、レオたちに向けられる。
「貴様らは人形か!なぜ俺との約束を捨てた!」
ガンテツが吠えた。
「苦しいからといって!安易な『天の声』にすがるな! ……他人が作った指示で動いて負けた奴に悔しがる資格はねえんだよッ!貴様らは条件反射で泣いているが、悲しみの当事者ですらないじゃねえかッ!」
ガンテツが、レオに掴みかかった。
「嘘の涙を流しやがって!死ねェッ!!」
レオの巨体が、ロケット花火のように垂直に空高く打ち上げられた。
「飛ばされるぅぅぅ~!」
キラーンと光って消えるレオ。
「次!」
ガンテツは、熊の獣人グリズの腹に、旋風脚を叩き込んだ。
グリズの巨体が、ペラペラの紙切れのように潰れ、ヒラヒラと舞い落ちる。
「次!」
逃げようとした兎のラビと猫のミューを、まとめてラリアットで薙ぎ払う。
二人は独楽のように高速回転し、地面にドリル状にめり込んでいった。
「次!次!次だァッ!!」
それは、暴力の嵐だった。
獣人たちがボールのようにあちこちへ弾き飛ばされる。
壁に埋まったナラは、薄れゆく意識の中でそれを見ていた。
(……な、なんて……デタラメな……)
広場は、瞬く間に更地となり、そこには死屍累々の山が築かれた。
立っているのは、湯気を立てるガンテツのみ。
「……全員、立て」
ガンテツが低く命じた。
「……う、うぅ……」
信じられないことに、ナラも、レオたちも、ヨロヨロと立ち上がった。
顔は腫れ上がり、骨は折れているかもしれないが、命に別状はない。
ナラは、壁からボロリと剥がれ落ち、ふらつく足でガンテツを睨みつけた。
「……何すんのよ、このゴリラ……!親切でやってあげたのに!」
「親切? ……それが一番タチが悪いんだよ」
ガンテツは、あぐらをかいて座った。
そして、ナラを指差した。
「お前は『良かれと思って』やったんだろう。……だがな。責任を取れない、経験したことのない人間が口を出すのは、現場にとっては『混乱』でしかねえんだよ」
ガンテツは、レオたちを見た。
「こいつらは未熟だ。だから迷う。……そこに、お前みたいな『声の大きな素人』がデカイ声で叫べば、そっちに流れるのは当たり前だ」
「……」
「お前は、こいつらの『悩む権利』と『失敗して学ぶ機会』を奪ったんだ。……それは『支配』だ。まったくもって、愛じゃねえ」
ナラは、言葉に詰まった。
愛だと思っていた。助けているつもりだった。
でも、それはこの分野で無能な自分の「有能さ」を示したかっただけなのかもしれない。
彼らの成長を信じず、自分の思い通りに動かそうとした、傲慢。
「……そして、お前らもだ!」
ガンテツは、レオたちを怒鳴った。
「言われた通りに動いて負けて、それで『ナラさんの指示が悪かった』と言い訳する気か? ……自分の足で立ってるなら、どっちに行くかは自分で決めろ!そのために、お前らはそこにいるんだろうが!」
レオが、ハッとして顔を上げた。
そうだ。
ナラに頼りきりだった。彼女の言う通りにすれば勝てると、負けても彼女のせいにできると、思考を放棄していた。
主役は自分たちなのに、ハンドルを他人に預けていた。
「……すいませんでしたッ!!」
レオが、地面に頭を擦り付けて土下座した。
他のメンバーも続く。
「俺たち……自分の力で、勝ちたいです!」
ガンテツは、フンと鼻を鳴らした。
「……いい声だ」
彼は立ち上がり、夕陽を背にした。
「一ヶ月後。……公式戦があるな」
「は、はい!」
「それまで、俺が鍛えてやる。……地獄を見る覚悟はあるか?」
「ありますッ!!」
「よし。……特訓開始だ!!」
「オオオオオッ!!」
選手たちが雄叫びを上げる。
その熱気に当てられ、ナラもふらりと前に出た。
「……待ちなさい」
ナラは、腫れた唇を拭った。
「あたしも……参加しますわ」
「ああ?お前は選手じゃねえだろ」
「ええ。……でも、このままじゃ終われませんわ」
ナラは、ガンテツを真っ直ぐに見据えた。
「あたしは……『当事者』にはなれません。でも、だからって、無責任な『野次馬』で終わるのも御免ですわ」
ナラは、泥だらけのドレスを払った。
「せめて、一番近くで泥を被る、最前列の『他人』になりますわ。……雑用を……何でもやってやりますわよ!」
ガンテツは、ナラをじろりと見た。
そして、ニヤリと笑った。
「……いい度胸だ。壁に埋まっただけのことはある」
ガンテツは、ナラの肩をバンと叩いた。
「認めよう。……ただし、口出しは無用だ。水とタオルだけ持って走り回れ。……ついてこれるか?」
「一流のレディは、雑用も超一流ですのよ!」
夕陽の下。
傷だらけの者たちの、熱い夏が始まった。
二階の窓から、エラーラが満足げにコーヒーを啜る。
「やれやれ。……失敗から学ぶとは、実に人間らしい。データ収集が捗りそうだ」




