第2話:破滅を呼ぶ無知(2)
王都の中央広場は、休日の市民たちで賑わっていた。
広場の中央にそびえ立つ巨大な魔導給水塔。それは地下の魔力脈からエネルギーを汲み上げ、安全な濃度に希釈して街へ供給する心臓部だ。
その塔の上層部、制御バルブのあるデッキに、バルゴの姿があった。
「見たかナラちゃん! ここだ!このロックが魔力の流れを止めてるんだ!これを外せば、王都はエネルギーで満たされる!」
地上で見上げるナラは、手をメガホンの形にして叫んだ。
「頑張ってバルゴさーん!古い常識を壊して!」
バルゴは、全身の体重をかけてレンチを回した。
甲高い金属音が響き、安全弁が弾け飛んだ。
地鳴りが響いた。
地面が微動し、広場の鳩が一斉に飛び立つ。
ナラは期待に胸を膨らませた。さあ、見たこともないような素晴らしい光が、虹色のエネルギーが降り注ぐはずだ。
次の瞬間。
給水塔の噴出口から、水ではなく、ドス黒く濁ったヘドロのような奔流が噴出した。
「わあ、すごい勢い!……あれ?色が……」
ナラが呑気な声を上げた直後、世界は反転した。
噴出したのは、希釈される前の「原液の魔力」。生物が触れれば細胞レベルで変異・崩壊する、致死性の劇物エネルギーだった。
黒い霧が、毒ガスのように広場にいた市民たちを包み込んだ。
近くで焼き立てパンを売っていた屋台の主人が、破裂した。
血飛沫ではない。魔力許容量を瞬時に超えた肉体は、内側から細胞膜が崩壊し、グズグズの挽肉となって風船のように弾け飛んだのだ。
「ぎゃあああああ!!」
「熱い! 体が! 体が溶ける!」
悲鳴が連鎖する。
逃げようとした親子連れが、黒い霧に触れた瞬間、足から崩れ落ちた。
骨が溶け、皮膚が裏返り、ドロドロのスライムのような肉塊へと変わっていく。
目玉が飛び出し、内臓が膨張し、乾いた音を立てて破裂する。
美しい広場の噴水は、瞬く間に鮮血と臓物、そして溶けた人間のスープで満たされた。
それは、虐殺ではなかった。
屠殺だった。意思も尊厳もなく、ただ有機物が物理法則に従って破壊されていく、無機質な地獄。
ナラは、降り注ぐ血の雨の中で立ち尽くしていた。
理解できなかった。
なぜ? バルゴさんは天才のはずだ。
なのに、どうして目の前の少女が、いま破裂して、ナラのドレスに脳漿をぶちまけているのか?
「ひ……ひぃ……ッ!?」
ナラは腰を抜かし、血の海に尻餅をついた。
ちょうどそこへ、パトロール中のカレル警部が駆けつけた。
「な、何事だ!爆発……!?」
カレルは一目見るなり、白目を剥いて卒倒した。
歴戦の警部ですら、脳が理解を拒絶する光景だった。広場は、巨大なミキサーの中に放り込まれたかのような惨状だった。
そんな地獄の中心で。
給水塔の上のバルゴは、黒い魔力の奔流を全身に浴びながら、満面の笑みで叫んでいた。
「どうだ、見ろ!みんなエネルギッシュに弾けてるじゃないか!体の中から力が溢れ出して、喜びで踊り狂ってるぞ!これが『活性化』ってやつだ! 俺に感謝しろよー!」
彼は本気だった。
彼には、苦悶にのたうち回り、破裂して死んでいく人々が、「魔力を浴びて歓喜し、古い肉体を捨てて進化している」ように見えている。
そう思い込んでいる。
なぜなら、彼は天才であり、彼が間違うはずがないからだ。
無知ゆえの、純粋培養された悪意なき大量虐殺。
「……確保しろ」
地獄の底から響くような、冷徹な声がした。
獣病院の方角から、エラーラが歩いてきた。
彼女は結界を展開し、黒い霧を防ぎながら進んでくる。その表情は、氷点下のように冷たい。
「カレル!起きろ!今すぐあの馬鹿を拘束しろ!」
エラーラの魔力が込められた怒号に弾かれたように、カレルが飛び起きた。
彼は嘔吐感を堪え、塔へ駆け出し、バルゴを引きずり下ろした。
バルゴはカレルに銃床で殴られ、気絶した。
エラーラは、腰を抜かしているナラの前に立ち、その胸ぐらを掴んで無理やり立たせた。
乾いた音が響く。エラーラがナラの頬を全力で張ったのだ。
「お、お母様……?」
「聞け、ナラ」
エラーラはナラを睨みつけた。その瞳は、怒りで燃えながらも、深く悲しんでいた。
「馬鹿とは、知識がない者のことではない!自分が何を知らないかを知ろうともせず、自分の狭い経験則だけで世界を解釈し、他人の領域を犯す者のことだ!」
エラーラは、連行されていくバルゴを指差した。
「見ろ!あれが『無知の善意』の末路だ。悪意のある悪党より、信念を持った馬鹿の方が、遥かに多くの人間を殺す! 学びもせず、敬意も払わず、ただ『自分は賢い』と信じるだけの怪物が、世界を壊すんだ!」
「……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
ナラは泣きじゃくった。自分の愚かさが、この地獄を招いたのだ。
エラーラは荒い息を吐き、そして惨憺たる王都を見渡した。
数千人の死体。汚染された大地。
もはや、通常の魔法では修復不可能だ。
「……やるしか、ないか」
エラーラは静かに白衣を脱ぎ捨てた。
その身体から、青白い光が溢れ出す。それは魔力ではない。彼女の魂、生命力そのものだ。
「お母様? 何をする気?」
「因果律の、強制書き換えだ。……このエリアの時間を、バルゴがバルブを開ける前まで巻き戻す……!」
「そんなことしたら……!」
ナラは知っていた。時間を操る魔法は禁忌だ。その代償は、術者の「存在」そのもの。
「構わん。……天才の責任とはな、ナラ」
エラーラが宙に浮く。
彼女の銀髪が輝き、身体が透け始める。
「馬鹿が壊した世界を、命を削ってでも直すことなんだよ……!」
エラーラは、最後にナラを見て、優しく微笑んだ。
「生きるのだ!……賢く生きろ、ナラ。……さらばだ!」
王都が純白の光に包まれた。
時間は、逆流する。
飛び散った肉片は集まり、人の形を取り戻す。流れた血は血管へと戻り、死者の悲鳴は日常の喧騒へと変わっていく。
奇跡の代償として、空に浮かぶエラーラの光は小さく、儚く、そして────
消滅した。
・・・・・・・・・・
数日後。
獣病院の二階、ヴェリタス家の寝室。
カーテンの隙間から午後の日差しが差し込む中、カレル警部はベッドの脇で腕組みをし、複雑な表情を浮かべていた。
王都を救うために全魔力を使い果たし、生命力まで削って倒れた大魔導師エラーラ。彼女は時の彼方へと消滅した――はずだった。
「……なぁ、ナラ君。君のお母さん、本当に死にかけているのか?」
カレルが引きつった顔で尋ねるのも無理はなかった。
ベッドに横たわるエラーラの姿は、「聖女の最期」とは程遠かったからだ。
布団は蹴飛ばされ、床に落ちている。
エラーラの格好は、ヨレヨレの灰色のタンクトップに、飾り気のない灰色のパンツ一丁。
さらに、部屋が暑いのか、その肢体はびっしょりと汗で湿っていた。
銀髪は枕に乱れ散り、薄い布地が汗で肌に張り付いている。無防備に晒された太腿や、タンクトップから覗く胸元の谷間は、不謹慎なほどに艶かしく、そしてエロティックだった。
「むにゃ……あと5分……もう食べられないよ……」
「グォォォォ……スピィィィ……」
あろうことか、いびきをかいて寝言まで言っている。
どう見ても、ただの「休日のだらしない昼寝」である。
「……どう見ても爆睡しているだけに見えるんだが」
「何言ってるの警部! これは『死の淵での昏睡』よ!魂が肉体から離れかけているから、本能的に生命活動を維持しようとしているのよ!」
ナラは涙目で力説するが、カレルは半眼になった。
(いや、違うな。こいつ、「単に」寝てるだけだ。あの『命を削って』とかいうセリフ、ナラをビビらせるためのハッタリだったな……)
カレルが真実に気づいた、その時だった。
「でも大丈夫! あたし、今度こそ『本物』を見つけてきたから!」
ナラが勢いよく寝室のドアを開け放った。
「入りなさい!先生!」
ナラに招き入れられて入ってきたのは、全身にアルミホイルを巻き、頭にピラミッド型の帽子を乗せ、両手に乾燥したトカゲを持った男だった。
「へへへ……任せてくだせぇ。俺の『ギンギラ銀河』があれば、死人もタップダンス踊りだしますよ」
「さあ先生!お母様の魂を開いて!」
カレルは頭を抱えた。
アルミホイル男が、汚い裸足でペタペタとベッドに近づき、エラーラの顔の真上でトカゲを振り回し始めた。
「宇宙よ、このエロい母ちゃんにパワーを注げ!」
トカゲの乾いた尻尾が、エラーラの鼻先を掠めた。
その瞬間。
エラーラの眉が跳ね上がった。
閉じていた瞼が、カッ! と見開かれる。
その瞳は、寝起き特有の不機嫌さと、最強の魔導師としての殺意で満ちていた。
「……うるさい」
ドスの効いた低音が響く。
「ん?お、効いてきたかな?」
「お母様!?」
エラーラは上半身を起こした。
汗に濡れたタンクトップが張り付き、豊満なラインが露わになるが、そんな色気を吹き飛ばすほどの鬼の形相だ。
「人が……気持ちよく二度寝を楽しんでいたというのに……」
エラーラの周囲に、青白い魔力がバチバチと迸る。
「な、ナラちゃん? この母ちゃん、元気すぎない?」
「えっ?あれ?瀕死じゃ……」
「学習しない馬鹿娘と、インチキ野郎は……」
エラーラの手から放たれた衝撃波が、部屋を揺らした。
「出ていけえええッッッ!!」
「「ぎゃあああああああ!!」」
ナラとアルミホイル男は、衝撃波によって窓ガラスごと吹き飛ばされた。
二人は回転しながら、王都の青空へ向かって星のように飛んでいく。
キラリと光って消える二人。
エラーラは「ふん」と鼻を鳴らし、乱れたパンツのゴムを直すと、再びベッドに潜り込んだ。
「……カレル。窓、直しておいてくれ。隙間風が入る」
「……へいへい」
カレルは苦笑いしながら、割れた窓枠を拾い上げた。
最強の魔導師は死なず。そして、ナラの「変な人を連れてくる癖」も治らず。
獣病院には、今日も平和で騒がしい、懲りない日常が戻ってきたのだった。




