第6話:妖怪大内戦!
その日、王都の空から太陽が消えた。
雲ではない。
空を埋め尽くしたのは、有史以来、この星で死んでいった「全人類の魂」だったからだ。
「……計算不能だ」
獣医院の屋上で、エラーラは、計測器を地面に叩きつけた。
「桁が違う。億? 兆? ……いいや、そんなレベルじゃない。過去数千年分の死者が一斉に蜂起したんだ。戦力差は1対1億どころの話じゃない。……アリの群れに、一匹のミジンコが挑むようなものだ」
「例えが悪いですわよ、お母様」
ナラは、震える手で鉄扇を構えた。
目の前には、地平線を埋め尽くす半透明の軍勢。
古代の戦士、中世の騎士、近代の兵士、そして無数の一般市民。
死者たちは、生者の領域を物理的に奪取するため、ついに宣戦布告したのだ。
『ドケ……! ソコハ、俺タチノ場所ダ……!』
『生キテル奴ハ、イイヨナァ……!』
怨嗟の声が、物理的な振動となって大気を揺らす。
生者が砲撃を開始するが、幽霊の波には何の効果もない。
撃っても撃っても、後ろから無限に湧いてくる。
これは戦争ではない。
「死」そのものによる、世界への圧殺だ。
「終わり、ですわね」
ナラは乾いた笑いを漏らした。
「あたしの鉄扇で、あと何億回扇げばいいのかしら?」
「無理だ。……熱力学法則の崩壊だ」
エラーラが頭を抱える。
世界中の誰もが、人類の滅亡を確信した。
もはや、逃げ場などどこにもないのだから。
さらに、地獄は内側からも始まった。
王都の広場で、奇妙な集団がデモ行進を始めたのだ。
彼らは生きている人間だ。だが、その目はトロンと濁り、手にはオバケを歓迎するプラカードを持っていた。
「オバケ様万歳! 肉体を捨てて、高次元へ!」
「死こそ救済! 我々はオバケ軍に味方する!」
『霊的反社会勢力』。
現実の辛さから逃避し、死後の世界やオバケという未知の存在に過剰な神秘性を感じてしまった、頭の痛い生者たちだ。
「私を憑依させて! あなたの器になりたいの!」
「生者の政府を倒せ! 霊界の王を迎え入れろ!」
彼らは防衛軍の邪魔をし、結界を内側から破壊し始めた。
「……バカなの?」
ナラは、裏切り者の集団を鉄扇で薙ぎ払いながら吐き捨てた。
「死んだら楽になれると思ってるの? ……死んでも家賃に苦しむのが、今の霊界のリアルですわよ!」
「言っても無駄だ、ナラ君。彼らは『物語』に酔っている。現実のオバケが、ただの『人口過密な難民』だという事実が見えていないんだ」
内憂外患。
生者の軍勢は混乱し、死者の波が城壁を乗り越えてくる。
カレル警部も、瓦礫の中でタバコをふかしていた。
「……ここまでか。まさか、死人の尻に敷かれて死ぬとはな」
先頭を切るオバケ軍団が、王都の中央広場に到達した。
指揮官である「古代の覇王霊」が、剣を掲げて勝利宣言をしようとした。
『我ガ軍ノ勝利ダ! 生者ドモヲ駆逐シ……』
覇王霊の首が、背後から飛び降りてきた別のオバケによって跳ね飛ばされた。
『……ハ?』
首を斬ったのは、ボロボロの服を着た「革命家の霊」だった。
彼は、数百年前、覇王に反逆して処刑された男だった。
『王政反対!! オバケ界に民主主義を!!』
革命家が叫ぶ。
すると、オバケ軍団の中で、どよめきが起こった。
『そうだ! 俺たちは死んでまで王様に仕えたくないぞ!』
『独裁打倒!』
『いや、俺は共産主義幽霊だ!供物を分配しろ!』
『私は無政府主義ゴーストよ! 全ての支配を否定する!』
オバケ軍団の足が止まる。
そして、互いに殴り合いを始めたのだ。
「……はあ?」
ナラが動きを止める。
当然の帰結だった。
オバケの人口は、全歴史の総和だ。
そこには、歴代の王もいれば、その王を殺した暗殺者もいる。
独裁者もいれば、革命家もいる。
敬虔な信徒もいれば、異教徒もいる。
彼らは「生者への攻撃」という目的で一時的に団結してはいたが、いざ勝利が目前になると、「誰が支配するか」「どんな国を作るか」という、生前からの因縁が爆発したのだ。
『右翼幽霊団、突撃!』
『左翼亡霊軍、迎撃せよ!』
『宗教戦争だ! 異教徒の霊を浄化しろ!』
オバケ同士が、呪いをぶつけ合い、エクトプラズムを引きちぎり合う。
生者を置き去りにして、凄まじい規模の「内ゲバ」が始まった。
さらに、カオスは加速する。
『へへっ。俺たちゃ生者の味方をするぜ!』
パンクな髪型をした「アナーキー・ゴースト」の集団が、ナラの前に現れた。
「……なんですの、あんたたち」
『俺たちは権力が嫌いなんだよ! オバケ政府なんて潰れりゃいいんだ! 混乱すれば何でもいいんだよ!』
彼らは、オバケ政府軍に火炎瓶(霊的な)を投げつけ始めた。
「……敵の敵は、味方……なのかしら?」
ナラは頭を抱えた。
一方、オバケ政府は大パニックに陥っていた。
『総理! 第4師団と第7師団が交戦を始めました! どっちも味方です!』
『現場からの報告書が多すぎて処理できません! サーバーがダウンしました!』
『過去の法律と現在の法律、どっちを適用するんですか!? 紀元前の霊が遡及処罰といって言うことを聞きません!』
オバケ総理は、青ざめていた。
『ええい!とりあえず増税だ!ただし香典代を出せ!』
『結局バラマキかよ!』
『暴動が悪化しました!』
統率など取れるわけがなかった。
数千年の歴史の中で培われた、あらゆる「対立」と「憎しみ」が、同じ場所に詰め込まれているのだ。
まとまるはずがない。
王都の広場。
生者たちは、ポカンと口を開けて見ていた。
目の前で、数億のオバケたちが、勝手に喧嘩し、勝手に消滅し、勝手に派閥を作って論争している。
「……帰っていいかしら?」
ナラが呟く。
「……そうだなあ。我々の出る幕はないようだ」
エラーラが答えた。
やがて。
ボロボロになったオバケ軍の代表が、ナラたちの元へやってきた。
彼は、深々と頭を下げた。
本当に、申し訳なさそうに。
『……あのぅ。すんません』
「……はい?」
『ウチの、若いのが……あと、年寄りが……その、揉めちゃいまして』
村長は、背後で繰り広げられる歴史上の偉人たちの取っ組み合いを指差した。
『戦争どころじゃ、なくなっちまって……。今日は、その、解散ってことで……』
「……さいですか」
『また、ほとぼりが冷めたら……戦争を、出直してきますんで。……へへ、すんません』
村長は、ペコペコと頭を下げながら、霧の中へ消えていった。
それを合図に、オバケたちも「あーあ、シラけた」「帰って寝よ」と、三々五々、廃校や近所の空き家や戸棚の中へと帰っていった。
スピリチュアルに傾倒していた生者の裏切り者たちも、呆然としていた。
「……なんか、思ってたのと違う……」
「オバケも、人間と変わんないんだな……」
彼らは、勝手に幻滅し、そそくさと家に帰っていった。
戦争は終わった。
死者はゼロ(元から死んでいる)。
被害は、精神的疲労と、大量の「気まずさ」だけ。
獣医院のリビング。
「……疲れましたわ」
ナラは、泥のように眠っていた。
「全くだ。……数は力だが、烏合の衆はただのノイズだね」
エラーラがコーヒーを淹れる。
テレビでは、緊急特番が流れていた。
今回の騒動を受けて、新たな議論が巻き起こっていたのだ。
『生きているものと、死んでいるもの。法律を分けるべきでしょうか?』
『死者にも選挙権を! いや、それは死者による独裁だ!』
『そもそも「死」とは何か? 肉体がないだけで、彼らも市民ではないか?』
『区別は差別か? 区別なき平等は混乱か?』
コメンテーターが、熱く、そして不毛な議論を戦わせている。
「……さては、解決しませんわね?これ」
ナラがテレビを消した。
「ああ。……人間が死んでも人間である限り、揉め事はなくならないさ」
エラーラが笑う。
「……ま、平和ならいいですわ」
ナラは、窓の外を見た。
庭では、ゴウ少年が、野良の幽霊犬とフリスビーをして遊んでいる。
ルルは、幽霊の老婆と編み物をしている。
カオスで、面倒くさくて、解決の糸口も見えない世界。
でも、そこには確かな「日常」があった。




