第1話:肝試し(1)
王都の夏は、粘り気のある熱気を孕んでいる。
昼間の暑さが引かないまま夜を迎え、生温い風が草木を揺らす時刻。
とある山奥の獣道で、場違いなほど華やかな一行が歩を進めていた。
「……虫が多すぎますわ」
先頭を歩くのは、漆黒のドレススーツに身を包んだ美女、ナラティブ・ヴェリタス。
彼女は手にした鉄扇で優雅に蚊を払い落としつつ、不満げに唇を尖らせた。
「なんであたしが、こんな夜中に山登りなんてしなきゃいけませんの? お母様の研究室で、優雅にアイスでも食べていたかったですわ」
「まあまあ、そう言わないでよナラちゃん!」
ナラを取り囲むように歩くのは、獣人やヒューマンの若者たち、計6人の「仲間」だ。
彼らは皆、楽しげに笑い、遠足気分で盛り上がっていた。
「今日は特別な日なんだぜ? 百年に一度、霊道が開くとか何とかって噂の廃屋に行けるんだから!」
犬の獣人の少年が、尻尾を振って言う。
「そうそう! ナラさんみたいな度胸のある人がいないと、怖くて行けないしね」
眼鏡をかけた人間の少女が、ナラをおだてる。
「……ふん。おだてても何も出ませんわよ」
ナラは顔を背けたが、満更でもない様子だった。
彼女は、頼られることと、褒められることに弱い。
特に、こうして「仲間」として囲まれ、中心にいるという状況は、かつて孤独なスラムで育った彼女にとって、むず痒くも心地よいものだった。
「一流のレディたるもの、オカルトへの造詣も深くなくてはなりませんものね。……付き合ってあげますわ」
ナラは、ヒールで木の根を踏み越え、さらに奥へと進んだ。
やがて、木々の隙間から、朽ち果てた建物が姿を現した。
それは、王都の建築様式とは異なる建築様式の古民家だった。
瓦屋根は崩れかけ、障子は破れ、縁側には蔦が絡まっている。
闇の中にぽつんと佇むその姿は、いかにも「出そう」な雰囲気を醸し出していた。
「うわぁ……雰囲気あるぅ……」
「マジでヤバそうじゃん……」
仲間たちが身を寄せ合う。
だが、ナラは冷徹な目で廃屋を見上げた。
「……メンテナンスが行き届いていませんわね。品性が感じられません」
ナラは、ボロボロの玄関の引き戸に手をかけた。
「ごめんあそばせ」
錆びついた蝶番が、悲鳴のような音を立てる。
カビと埃、そして湿った獣の臭いが鼻をついた。
「お邪魔しますよー……」
仲間たちが恐る恐る入っていく。
中は真っ暗だ。懐中電灯の明かりだけが頼り。
長い廊下。ギシギシと鳴る床板。
壁には、意味ありげなシミがいくつも浮き出ている。
「……さっさと済ませて帰りますわよ。お肌に悪いですわ」
ナラは、鉄扇を開き、先頭を切って歩き出した。
恐怖?
そんなもの、未来のスラムで見た地獄に比べれば、お遊戯のようなものだ。
彼女の背中には、「一流」の矜持という名の、最強の魔除けが張り付いていた。
最初の部屋は、畳敷きの和室だった。
ボロボロの畳が敷き詰められ、中央にはちゃぶ台がひっくり返っている。
そして、部屋の奥には「押し入れ」があった。
襖が、ほんの数センチだけ開いている。
「……ねえ、ナラちゃん」
仲間の一人が、震える声で指差した。
「あそこ……誰か、見てない?」
ナラが視線を向ける。
開いた襖の隙間。
暗闇の中から、充血した巨大な「目玉」が、ギョロリとこちらを覗いていた。
瞬きもしない。
白目の部分には無数の血管が走り、黒目は小刻みに震えている。
明確な悪意と、覗き見の快楽に満ちた視線。
「キャアッ!?」
仲間の女子が悲鳴を上げる。
だが、ナラは眉をひそめ、スタスタと押し入れに近づいた。
「……なんですの、その目は」
ナラは、隙間の目の前に立った。
「レディの部屋を……いいえ、他人のプライバシーを勝手に覗き見るなんて、マナー違反もいいところですわ!」
『……ミ……テ……ル……ゾ……』
隙間から、怨嗟の声が漏れる。
「だから見てるんじゃないわよ! 見られたくなかったら隠れなさい!」
ナラは、鉄扇を閉じた。
そして、その先端を、襖の隙間に迷いなく突き入れた。
「目潰しッ!!」
『ギャアアアアッ!?』
押し入れの中から、情けない悲鳴が響いた。
ナラはさらに追撃の手を緩めない。
「出てらっしゃい! 教育的指導ですわ!」
ナラは、腐った襖を回し蹴りで粉砕した。
中にいたのは、全身が毛むくじゃらの小男のような妖怪だった。
目を抑えて転げ回っている。
「ひぃッ! ごめんなさい! ちょっと驚かそうと思っただけで!」
「驚かすなら、もっとスマートになさい! 三流の演出ね!」
ナラは妖怪の首根っこを掴み、廊下の窓から外へ放り投げた。
「星になって反省なさい!」
妖怪は夜空の彼方へ消えていった。
「す、すげぇ……」
「物理で除霊した……」
仲間たちが呆然と呟く。
ナラは、鉄扇についた埃を払い、涼しい顔で言った。
「覗きは犯罪ですわ。……当然の処置よ」
次は、水回りだった。
タイル張りの、古びた風呂場。
浴槽には、なぜか黒く濁った水がなみなみと張られていた。
水面には、長い髪の毛のようなものが漂っている。
水面が揺れた。
濁った水の中から、蒼白い「女の手」がぬぅっと伸びてきた。
その手は濡れそぼり、爪は剥がれ、ナラの足首を掴もうと蠢く。
『……オイデ……。イッショニ……ハイロ……』
湿っぽい、女の囁き声。
お風呂場特有のエコーがかかり、不気味さを増幅させる。
「わぁ! 出た!」
仲間たちが後ずさる。
ナラは、伸びてきた手を見下ろし、深いため息をついた。
「……不潔」
ナラは、その手をバチンと払いのけた。
「あんた、いつから入ってますの? お湯が腐ってますわよ!」
『……サムイ……。アタタメテ……』
「温めるも何も、まずは掃除からでしょうが!」
ナラは、ドレスの袖をまくり、浴槽の栓の鎖を掴んだ。
「いいこと? お風呂というのは、一日の疲れを癒やす神聖な場所なの。……こんな汚いお湯で満足してるなんて、女として終わってますわよ!」
『ヤ、ヤメテ……』
「流れておしまいッ!!」
ナラは、力任せに栓を引き抜いた。
排水溝が、ものすごい勢いで水を吸い込み始める。
『アアアアッ!? 吸ワレル! 吸ワレルゥゥ!』
水流の渦に巻き込まれ、女の幽霊がぐるぐると回転しながら排水溝へ吸い込まれていく。
『チョット! 待ッテ! 詰マル! 詰マルカラァァァ!』
「詰まりませんわ! あたしが以前掃除した排水溝よりはマシよ!」
最後の一滴と共に、幽霊は排水溝の奥へと消え去った。
後には、空っぽになった汚い浴槽だけが残った。
「……ふぅ」
ナラは、ハンカチで手を拭いた。
「水回りのトラブルは、早めの対処が肝心ですわ」
「……ナラちゃん、業者呼んだほうが早くない?」
「いや、ナラちゃんが業者みたいなもんだろ……」
仲間たちがヒソヒソと称賛する。
ナラは、「当然ですわ」と胸を張った。
最後は、広間だった。
天井が高く、梁が剥き出しになっている広い和室。
ナラたちが部屋の中央に進んだ時だった。
天井から、埃が落ちてきた。
見上げると、梁の上に、何かが張り付いていた。
長い黒髪に覆われた、女の顔。
逆さまになった状態で、天井を這いずり回っている。
『……カカカカ……』
女は、蜘蛛のように手足を動かし、ナラの頭上へと移動してきた。
そして、その長い髪を、ナラに向かって垂らしてきた。
髪は生き物のように伸び、ナラの首を絞めようと迫る。
「キャアッ! 上! 上よナラちゃん!」
「……上?」
ナラは、頭上を見上げた。
目前まで迫る、脂ぎった黒髪の束。
「……チッ」
ナラは、舌打ちをした。
恐怖ではない。苛立ちだ。
「髪の手入れが……なってませんわねッ!!」
ナラは、迫りくる髪の束を、両手でガシッと掴んだ。
『……エ?』
「枝毛! 切れ毛! パサつき! ……キューティクルが死んでますわよ!」
ナラは、髪を掴んだまま、地面を踏みしめた。
そして、一本背負いの要領で、天井の女を強引に引きずり下ろした。
「トリートメントは毎日なさいッ!!!」
天井から引き剥がされた女の怪異が、畳の上に叩きつけられた。
ものすごい音と衝撃で、床板が抜ける。
『グェッ……』
女が白目を剥いて伸びる。
「髪は女の命ですのよ? ……そんなボサボサ頭で人前に出るなんて、恥を知りなさい!」
ナラは、倒れた女の髪を、持っていた鉄扇で綺麗に梳かしつけた。
ブチブチと音がするが、気にしない。
「……これで少しはマシになりましたわね」
『……アリガトウ……ゴザイマス……』
女は、あまりの衝撃と、ナラの謎の美容理論に洗脳されたのか、涙を流して成仏していった。
光の粒子となって消えていく。
「……解決、ですわね」
ナラは、乱れたドレスを直し、髪をかき上げた。
怪異三連戦。
全て、物理とマナー指導で完封してしまった。
「す、すごすぎる……」
「最強だよナラちゃん……」
仲間たちが、キラキラした目でナラを見ている。
恐怖の廃屋探検が、いつの間にか「ナラ無双」の鑑賞会になっていた。
「……まあ、これくらい、一流のレディなら嗜みですわ」
ナラは、少し照れくさそうに扇子で顔を仰いだ。
満更でもない。
やはり、あたしは頼りにされる存在なのだ。
「あ! 見て! 奥に何かあるよ!」
部屋の最奥。
床の間のところに、一つの古びた木箱が落ちていた。
桐の箱。表面には、何枚もの御札が貼られている。
「開けたら呪われる、とか?」
仲間たちが怯える。
だが、ナラはスタスタと近づいた。
「埃っぽいですわね?」
ナラは、御札をバリバリと剥がした。
「さ、開けますわよ」
ナラは、箱の蓋に手をかけ、一気に開いた。
パカッ。
全員が息を呑んで中を覗き込む。
……中には、何もなかった。
空っぽだった。
底板が見えるだけ。
「……はぁ?」
ナラは、箱を逆さにして振ってみた。
何も落ちてこない。
「空っぽじゃありませんの! ……期待させておいて、中身がないなんて! 詐欺ですわ!」
ナラは箱を放り投げた。
カランコロン、と乾いた音が響く。
「なんだよー。何もなしかよー」
「ビビって損したー」
仲間たちが、緊張の糸が切れたように笑い出した。
そして、リーダー格の獣人が、ナラの肩を叩いた。
「でもさ! ナラちゃんのおかげで助かったよ! あの箱までたどり着けたのは、ナラちゃんがいたからだ!」
「そうそう! あの怪異を投げ飛ばすところ、めっちゃカッコよかった!」
「さすがナラさん!」
6人の仲間たちが、一斉に拍手をした。
パチパチパチパチ……。
廃屋に、温かい拍手の音が響く。
「……もう。大袈裟ですわ」
ナラは、顔を赤くしてそっぽを向いた。
怪異を倒したことを褒められている。
頼りにされている。
その事実が、ナラの自尊心を満たし、心を温かくした。
「……帰りましょう。お母様が心配しますわ」




