第1話:未来からきた黒い百合(1)
2010年、冬。東京、上野。
ガード下の雑踏は、年末特有の焦燥感と、煮詰まった醤油のような生活臭で満ちていた。
アタシ、レイナは、高架下のコンクリートに背中を預け、パカパカとガラケーを開閉させていた。
「……あーあ。つまんね」
画面に映る「圏外」の文字。
アタシの人生も、ここんとこずっと圏外だ。
学校はサボり気味。バイトはクビになったばかり。
背中に龍の刺繍が入ったお気に入りのジャージを羽織り、金髪の根本が黒くなってきた頭を掻きむしる。
この世界は、なんつーか、アタシには狭すぎる。もっとこう、ガツンとくる刺激が欲しい。
例えばそう……。
映画に出てくるような、黒髪で、強くて、ゾクッとするほどエロい「お姉さん」が、空から降ってこないかな、とか。
そんなバカな妄想をして、煙草を咥えた、その瞬間だった。
ズドォォォォォォォォォン!!!!!
雷が落ちたかと思った。
いや、違う。目の前のゴミ集積所に、何かが「着弾」したのだ。
爆風がアタシの前髪を吹き上げ、積まれていた段ボール箱が紙吹雪のように舞い散る。
鳩が一斉に飛び立ち、通行人たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「……はあ? マジか……」
アタシは腰を抜かしそうになりながらも、その爆心地を凝視した。
土煙の向こうで、何かが動いた。
「……痛っ! 痛いですわ! 座標計算が甘すぎますわよ!」
聞こえてきたのは、鈴を転がすような、でもドスの効いた声。
煙が晴れる。
そこにいたのは、アタシの妄想を、そのまんま物理法則を無視して具現化したような「女」だった。
漆黒のドレススーツ。
体に吸い付くようなその生地は、豊かな胸のラインと、くびれた腰、そしてスラリと伸びた脚の曲線を、いやらしいほど完璧に強調している。
艶やかな黒髪は、ゴミにまみれてもなお、濡羽色に輝いている。
そして、その瞳。
燃えるような、深紅の瞳。
「……うっそだろ」
アタシの喉が鳴った。
タイプだ。
どストライクなんてレベルじゃない。アタシの遺伝子が「ひれ伏せ」と叫んでる。
「……あら。ここはどこかしら?」
女がアタシを見た。
目が合った瞬間、心臓が跳ねた。
見下ろされている。完全に、値踏みされている。
でも、その視線は冷たいようでいて、どこか熱い。
獲物を見つけた肉食獣のような、あるいは、同類を探していた迷子のような。
アタシは、震える足で立ち上がり、精一杯の虚勢を張って声をかけた。
「……おいおい、マジかよ、宇宙のお姫様じゃん……」
「いいえ。……通りすがりの、一流のレディですわ」
女は、笑った。
その笑顔の破壊力たるや。
強さと、余裕と、そして隠しきれない「ヤバさ」が混在している。
「……ここ、上野だよ。……アンタすげー降り方したな。スタントマン?」
「スタント? ……ふん。あんな計算違いの射出ポッド、二度と御免ですわ」
女は、ボロボロになったヒールを気にすることもなく、アタシの方へ歩み寄ってきた。
近い。いい匂いがする。
濃厚な、大人の女の香り。
「ねえ、お嬢さん」
女は、アタシのジャージの襟首を、スッと指先でなぞった。
ゾクッとする。
「お腹が空いて死にそうですの。……この辺に、安くて早くて、生命力が湧いてくるような店、知りませんこと?」
その距離感。その厚かましさ。
普通ならキレるところだ。
でも、アタシは直感していた。
この人は、普通じゃない。
アタシは、ニヤリと笑い返した。
「……あるよ。とびきり『野蛮』な店がな」
アタシが連れて行ったのは、ガード下の迷路の奥にある大衆酒場『酔いどれ天国』。
昼間から赤ら顔のオッサンたちが管を巻いている、地元の吹き溜まりだ。
「……狭いですわね。人口密度がバグってますわ」
女――ナラと名乗った彼女は、文句を言いながらも、アタシの隣のパイプ椅子にドカッと座った。
その座り方がまた、男前すぎる。足を組み、背筋を伸ばし、それでいて、この薄汚い店をまるで王宮のサロンか何かのように支配している。
「ここなら、誰にも見つからないだろ」
「あら、誰に見つかるというの?」
「……空から降ってきた宇宙人を探す、黒服の男たちとか?」
アタシが軽口を叩くと、ナラはふふっと笑った。
「宇宙人……。まあ、当たらずとも遠からず、ですわね」
注文したのは、この店の名物「特製・牛モツ煮込み」と、大瓶のビール。
ナラは、運ばれてきた煮込みを見て、眉をひそめた。
「……内臓? 随分とグロテスクですわね」
「食ってみ」
ナラは、恐る恐る一口食べた。
その瞬間、彼女の目が見開かれた。
「……!」
「どよ?」
「……美味しい」
ナラは、ビールをコップに注ぐのも待ちきれず、瓶ごとラッパ飲みした。
豪快すぎる。
喉仏が動く様までが、芸術的に美しい。
「悪くありませんわ! ……この味噌の味、労働者の血と汗の味がしますわね!」
「どーんな食レポだよ」
アタシたちは笑い合った。
初対面なのに、まるで十年越しの「悪友」みたいな空気感。
ナラは、箸でモツをつつきながら、ポツリポツリと語り始めた。
「……あたしの故郷じゃ、こんな平和な食事、ありえませんでしたのよ」
「故郷? 遠いの?」
「ええ。……時間も、場所も、次元さえも違う場所よ」
ナラは、遠い目をした。
その瞳の奥に、アタシの知らない「地獄」と、そこを生き抜いてきた「強さ」が見えた気がした。
「空から落ちたのは……事故?」
「お母様の発明品の暴走よ。……あのマッドサイエンティスト、座標計算をミスりやがって……」
「お母様?」
「ええ。……世界最強の賢者にして、あたしの最愛のパートナーよ」
ナラが「最愛」と言った時、その顔が少しだけ緩んだ。
それを見て、アタシの胸がチクリとした。
ああ、やっぱり。
こんないい女が、フリーなわけがない。
しかも「パートナー」ってことは、そういうことだろ?
でも、ナラは続けた。
「……ま、今ははぐれちゃいましたけれど。迎えが来るまでは、この世界で『休暇』を楽しむしかありませんわね」
ナラは、アタシを見た。
熱っぽい、意味深な視線。
「ねえ、レイナ。……この街のこと、もっと教えてくださらない?」
「……いーけど」
アタシは、煮込みの汁を啜った。
断片的な情報が、アタシの中で繋がっていく。
彼女は、別の世界から来た。
事故で飛ばされて、帰る方法を探している。
普通なら「頭のおかしい人」認定だ。
でも、アタシは信じた。
彼女は、アタシの退屈な日常をぶっ壊しに来た、黒い彗星に違いないのだ。
「……アンタさあ」
アタシは、勇気を出して聞いた。
「休暇の相手……アタシでいい、の?」
ナラは、箸を置いた。
そして、テーブル越しに身を乗り出し、アタシの顎を指先で持ち上げた。
至近距離。
整いすぎた顔。赤い唇。
「……あら。何言ってるの?」
ナラは、妖艶に微笑んだ。
「あんたみたいな、強がりで、寂しがり屋の猫……。あたし、大好物ですのよ?」
アタシの心臓が、早鐘を打った。
完全に、ロックオンされた。
彼女も、アタシと同じだ。
女が好きで、強気な女が好きで、そして……この一瞬の火花を楽しんでいる。
「……ふん。口が上手いね」
アタシは顔を背け、照れ隠しにビールを飲んだ。
顔が熱い。
これ以上ここにいたら、アタシの理性が蒸発してしまう。
「……そろそろ、行くわ」
アタシは立ち上がった。
「買い物があるんだ。……『中田商店』でスカジャン買わなきゃなんねぇ」
「スカジャン? なんですのそれ?」
「派手な刺繍が入ったジャケットだよ。……アンタのそのドレスには合わねぇけどな」
「あら、ファッションには自信がありますわよ? 今度見立てていただきましょうか」
ナラも立ち上がった。
会計は、彼女が金貨一枚で済ませた。
店の外。
夕暮れのアメ横は、さらに人が増えていた。
「じゃあな、ナラ」
「ええ。……ごきげんよう、レイナ」
ナラは、スッと手を差し出した。
アタシは、その手を握った。
柔らかくて、でも芯のある、強い手。
「……また、会えるか?」
「……運命があれば、ね」
ナラはウィンクをして、人混みの中へと消えていった。
その背中は、どこまでも気高く、そして孤独に見えた。
アタシは、自分の手を握りしめた。
残っている体温。
そして、確信。
(……絶対、また会うわ)
だって、あんな目で見つめられたんだ。
「大好物」なんて言われたんだ。
このまま終わってたまるか。
アタシは、雑踏をかき分けて歩き出した。
退屈だった日常が、急に色鮮やかに見え始めた。
空から降ってきた、黒いドレスの女。
彼女との出会いが、アタシの17歳の冬を、熱く焦がそうとしていた。




