表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【5位】異世界探偵ナラティブ・ヴェリタス  作者: り|20↑|札幌
アリア・フォン・クライフォルト/ARIA von CRYFAULT
54/75

第3話:Blue bird

主題歌:青い鳥

https://youtu.be/cjEzUKoAYyk?si=kGMK443L24Vfrpa-

アリアは語り終えた。

リビングには、重い沈黙が満ちていた。

時計の針の音だけが、静かに響いている。

ナラティブ・ヴェリタスは、震えていた。

漆黒のドレスの袖を握りしめ、俯いたまま動けない。

テーブルの上には、冷めきった紅茶。

だが、ナラには喉を通るものなど何一つない。


「……嘘」


ナラは、絞り出すように呟いた。


「嘘よ……。そんなの……」


ナラは顔を上げた。

その美しい顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。

彼女は知らなかった。

自分が「家族」だと思っていたこの人たちが、こんなにも壮絶な過去を背負っていたなんて。

アリアの優しさが、数多の命を奪った贖罪だったなんて。

ケンジの穏やかさが、狂気と隣り合わせの献身だったなんて。

そして、エラーラの明るさが、一度死んで蘇った「奇跡」そのものだったなんて。


「……ごめんなさい」


ナラの口から、謝罪が溢れ出した。

それは、今朝トーストに文句をつけたことへの謝罪ではない。

もっと根本的な、自分の浅はかさに対する慟哭だった。


「あたし……あたしは……!」


ナラは、自分の胸を拳で叩いた。


「自分のことばかり……!退屈だとか、理解者がいないとか……! 自分が一番不幸で、一番頑張ってる気になって……!」


ナラは、思い出す。

かつて、スラムで、泥水を啜って生きてきた自分。

それを「地獄」だと思っていた。

自分は被害者で、世界は加害者だと信じていた。

だから、幸せを手に入れても、どこか満たされなかった。

「もっと欲しい」「もっと認めろ」と、世界に要求ばかりしていた。

でも、目の前の三人は……

彼らは、ナラ以上の地獄を見てきた。

社会から抹殺され、命を削り、禁忌を犯し、血と泥にまみれて。

それでも、彼らは何も要求しない。

「世界を救った」と威張ることもなく、「辛かった」と嘆くこともなく。

ただ、この小さな獣医院で、日々の食事を笑って食べている。


「……恥ずかしい」


ナラは、テーブルに突っ伏して泣き叫んだ。


「恥ずかしい……! あたし、自分が恥ずかしい……!」


彼らの高潔さに比べて、自分はなんてちっぽけなんだろう。

「理解者がいない」?

とんでもない間違いだ。

世界で一番、痛みを理解している人たちが、すぐそばにいたのだ。

あたしを守り、育て、愛してくれていたのだ。

それなのに、あたしは「青い鳥」を探して、外ばかり見ていた。


「……ナラちゃん」


アリアが、そっとナラの背中に手を置いた。

その手は、かつて剣を握り、友を蘇らせるために血を流した手だ。

でも今は、ただひたすらに温かい、母親の手だった。


「泣かないで。……私たちは、あなたに負い目を感じてほしくて話したんじゃないのよ」


「でも……! でも……!」


ナラは、顔を上げられなかった。

この温もりに触れる資格なんて、自分にはない気がした。


「……ナラ君」


エラーラが、静かに声をかけた。

彼女は、いつものように白衣のポケットに手を入れ、少し困ったような顔で立っていた。


「……君が謝る必要性はないよ」


「……え?」


「君が生まれるか生まれないかの昔話さ。……君には関係ない」


エラーラは、ナラの頭に手を置いた。


「それにね。……私たちは、君が来てくれて、救われたんだよ」


「……救われた?」


「ああ。……私たちは、戦いすぎた。傷つきすぎた。……平和な日常というものが、どういうものか忘れかけていたんだ」


エラーラは、ケンジとアリアを見た。


「でも、君が空から降ってきて……。文句を言いながら掃除をして、美味しいご飯を要求して、騒がしく笑う。……その姿を見て、私たちは思ったんだ。『ああ、私たちはこの日常を守るために戦ったんだな』って」


エラーラは、ナラの涙を指で拭った。

その黄金の瞳には、深い慈愛が満ちていた。


「君は、私たちの『希望』の証明なんだよ。ナラ」


「……ッ!」


ナラの涙腺が、再び決壊した。

許された。肯定された。

この、傲慢で、未熟で、何も知らないあたしを。

彼らは、命がけで守り抜いた世界の「結晶」として、愛してくれているのだ。


「……ありがとう」


ナラは、立ち上がり、エラーラに抱きついた。

強く、強く。

骨が軋むほどに。


「ありがとう、お母様……! アリアさん……! ケンジさん……!」


「ありがとう」と「ごめんなさい」が、交互に溢れ出す。

感謝と、自責と、そして絶対的な愛。

ナラは、悟った。

あたしが探していたものは、金でも、美貌でも、名声でもなかった。

この「体温」だ。

どんなに傷ついても、どんなに汚れても、互いを想い合えるこの場所こそが、あたしの求めていた「世界」だったのだ。


「……大好き」


ナラは、泣きながら笑った。


「あたし……この家の子で、本当によかった……!」


アリアが、ナラとエラーラをまとめて抱きしめた。

ケンジも、大きな腕で三人を包み込んだ。

窓の外では、雨が上がり、雲間から光が差し込んでいた。

それは、あの日、彼らが見たかった「未来」の光だった。

しばらくして。

ナラは、目を腫らしたまま、台所へ立った。


「……お腹、空きましたわ」


「おや。泣いたら腹が減ったか?」


エラーラが笑う。


「ええ。……今日は、あたしが作りますわ」


ナラは、エプロンをつけた。

その背中は、いつもの高飛車な令嬢ではない。

家族のために尽くしたいと願う、一人の娘の背中だった。


「何を作るんだい?」


ケンジが聞く。

ナラは、振り返って、笑った。


「トーストよ。……今度は、焦げ目一つない、最高に美味しいやつをね!」


リビングに、笑い声が響く。

贖罪の食卓は、今、幸福の食卓へと変わった。

過去の傷は消えない。

でも、その傷跡の上には、陽だまりのような温かい日常が、確かに積み重なっている。

ナラティブ・ヴェリタス。

彼女はもう、青い鳥を探しに行かない。

ここにある幸せを、全力で守り、愛し抜くと決めたから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ