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【5位】異世界探偵ナラティブ・ヴェリタス  作者: 王牌リウ
普通の会社のつぶし方
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第2話:普通の会社のつぶし方(2)

王都の空は、分厚い雲に覆われていた。

「タカムラ商会」の事務所内もまた、外の天気以上に湿っぽい空気が沈殿している。

蛍光灯の魔導灯がチカチカと明滅し、コピー機の駆動音が虚しく響く午後。

その静寂を破るように、社長のケイスケが扉を開けた。


「……みんな! 聞いてくれ!」


彼の声は上ずっていた。顔は紅潮し、手には一枚の羊皮紙――契約書の草案が握りしめられている。


「『ゴウダ建設』との一次交渉、通ったよ! ……来週、正式契約だ!」


ゴウダ建設。

王都の再開発を一手に担う、超大手ゼネコンである。

そこの部長であるゴウダは、冷徹だが合理的な男だった。彼はケイスケの提案した「魔導在庫管理システムによるコスト削減案」を評価し、チャンスをくれたのだ。

この契約が決まれば、タカムラ商会はただの卸問屋から、王都のインフラを支えるパートナー企業へと飛躍できる。

倒産寸前の会社を救う、起死回生の一手だ。


「これでボーナスも出せるし、老朽化した倉庫の修繕もできる! ……みんな、頑張ろう!」


ケイスケは、満面の笑みで社員たちを見渡した。

彼は期待していたのだ。

共に苦労してきた社員たちが、喜んでくれることを。

だが。

返ってきたのは、気まずい沈黙だった。


「……ほぅん。すごいすね。」


サヤマが、魔導水晶から目を離さずに呟いた。

その声には、抑揚が全くない。


「で?それって……僕たちの仕事、増えるんですんすよね?」


「え?」


「大手と取引ってことは、納期の管理、厳しくなるんすよね?つーことは、今でも手一杯なのに、いやーーー。これ以上負担をかけられても……」


サヤマは、露骨に不機嫌な顔をした。

隣のオノデラも、眉を八の字にして溜息をつく。


「そうよねぇ。……ウチみたいな小さい会社が、そんな大きな山、狙って大丈夫なのかしら? 背伸びして転んだら、目も当てられないわよぉ。論理的に。」


「いやだから、いや、だからね?システムを導入して効率化を……」


「はいはい。機械のことは分かりませんから。できる自慢しないでくださいよ。庶民感覚身につけたほうがいいすよ?」


オノデラは遮った。


「んまあ、無理すると体に毒よぉ。社長はまだお若いからいいでしょうけど、私たちは、ねぇ……」


喜びがない。

希望がない。

そこにあるのは、強烈な「拒絶」と「足の引っ張り」だった。

ナラは、帳簿をつける手を止め、その光景を冷ややかに見ていた。


奴隷の、幸福。

彼らは、会社が良くなることを望んでいない。

会社が成長し、忙しくなり、自分たちに「能力」や「変化」が求められることを、死ぬほど恐れているのだ。

今のまま、ぬるま湯に浸かり、沈みゆく泥船の中で「社長が無能だから仕方ない」と愚痴を言っている状態が、彼らにとって一番心地よいのだ。

成功して忙しくなるより、失敗して「ほら見たことか」と社長を嘲笑う材料が増えることを、無意識に望んでいる。


「……分かった。負担はかけないように調整するよ」


ケイスケの笑顔が、引きつりながら消えていく。

彼はまた、一人で背負い込んだ。

その翌日から、奇妙な「事故」が相次いだ。


「……ない」


ケイスケが、青ざめた顔で書類棚を漁っている。

ゴウダ建設に提出するための、最終見積書がないのだ。

昨日、確かにサヤマに渡して、ファイリングを頼んだはずだった。


「サヤマ君! あの書類、どこにやったんだ!?」


「えぇ? ……あー。棚に入れましたすけど」


サヤマは、あくびを噛み殺しながら答えた。


「ないんだよ! ……本当にしまったのか?」


「しまいましたよ。……つか、社長なくしたんじゃないすか? 最近、焦ってるしさ」


サヤマは、ヘラヘラと笑った。

そこには「申し訳ない」という感情が欠落していた。

「俺は知らない」「俺のせいじゃない」。その鉄壁の自己防衛。

ナラは、無言で席を立った。

そして、ゴミ箱の方へ歩いていった。

雑誌の下に、クシャクシャになった羊皮紙が紛れ込んでいるのを見つけた。


「……これですわね」


ナラは、汚れた見積書を拾い上げた。

故意に捨てたのではないだろう。

ただ、整理するのが面倒で、適当に雑誌と一緒に積み重ね、そのまま滑り落ちたのに気づきもしなかったのだ。

「無関心」という名の、消極的な悪意。

ナラは、サヤマのデスクに書類を叩きつけた。


「……ゴミ箱にありましたわよ」


「あー、ありました?ま、よかったすね」


サヤマは悪びれもしない。


「……謝罪は?」


ナラが低い声で問うと、サヤマは不快そうに顔をしかめた。


「なんで僕が?わざとじゃないし。……それに、そんな大事な書類なら、社長が自分で管理すればいいじゃないですか。管理しようと頑張ろうと思ってたんだから僕、無罪じゃないすか?つかバイト風情が偉そうにさあ?」


「……」


ナラの手が、鉄扇に伸びかけた。

「頑張ろう」と頭の中で思い描いたら、「頑張った」ことと同義なのか。

こいつの指を一本ずつへし折って、「管理不足でした」と言わせてやりたい。

だが、ナラは堪えた。

ここで暴力を振るえば、彼は「被害者」になる。

「パワハラだ」「暴力会社だ」と騒ぎ立て、自分のミスを正当化する材料を与えるだけだ。


(……腐ってますわ)


ナラは、ギリギリと歯噛みした。

悪党なら倒せる。敵なら戦える。

だが、この「話の通じないスポンジ」のような相手には、打撃が通らない。

さらに、追い打ちがかかる。

その日の午後、労働基準監督署から電話が入ったのだ。


『タカムラ商会ですね? ……「社員に休憩を取らせていない」「サービス残業を強要している」という通報がありまして……。近々、調査に入ります』


「な、なんですって!?」


ケイスケが受話器を取り落とす。

事実は全くの潔白だ。この会社は「暇すぎて」、定時退社が基本だ。

休憩時間には、お茶を飲みながら一時間も無駄話をしている。


「……誰が、そんな通報を」


ナラは、視線を走らせた。

給湯室で、オノデラが満足げにお茶を啜っていた。


「あらぁ、社長。顔色、悪いわよぉ? ……やっぱり、無理な経営拡大なんてするから、バチが当たったんじゃない?」


彼女だ。

彼女の「正義感」だ。

彼女は、会社を良くしたいわけでも、仲間を守りたいわけでもない。

「弱い立場の労働者を守るために、権力を使って正義を執行した自分」に酔いたいだけなのだ。

その結果、調査対応で業務が停滞し、大事な契約が飛ぶことになろうとも、彼女の知ったことではない。

むしろ、「やっぱりウチの会社はブラックだった」という「物語(ナラティブ)」が補強され、彼女は悲劇のヒロインとしてさらに気持ちよくなれる。


「……なんで…」


ナラは吐き気を覚えた。

スラムの悪党の方が、まだマシだ。

彼らには「金を奪う」「生き残る」という明確な目的がある。

だが、こいつらには目的がない。

ただ、退屈しのぎに、自分たちの乗っている船の底に穴を開けているだけだ。



その夜。

残業していたナラとケイスケの耳に、倉庫の方から物音が聞こえた。

ガシャン、という何かが割れる音。


「……泥棒?」


ケイスケが震え上がる。


「下がっていてください。……あたしが見てきます」


ナラは、鉄扇を持って倉庫へ向かった。

ケイスケもおっかなびっくりついてくる。

倉庫の裏口がこじ開けられていた。

中には、数人の男たちが侵入し、高価な魔導触媒を袋に詰めているところだった。

リーダー格の男が振り返った。


「運が悪いな、社長さんよ。……見なかったことにして帰れば、命だけは助けてやるぜ?」


リーダーがナイフを取り出す。

明らかな殺意。暴力の匂い。

ケイスケは「ひっ」と悲鳴を上げ、腰を抜かした。

だが。

ナラは、深く息を吸い込み、そして――笑った。


「……ふふ。……そうでなくちゃ!」


「『そうでなくちゃ』だと?頭、おかしいのか?」


リーダーが怪訝な顔をする。

ナラは、ドレスの裾をまくり、鉄扇を開いた。


「金が欲しいから盗む。邪魔だから殺す。……理にかなっていますわ……『目的』が明確で、最高ですわ」


ナラは、心底嬉しそうだった。

昼間の、あの粘着質で、陰湿で、のらりくらりとした「社員たち」との、『目的』のないやり取り。

それに比べれば、この男たちの殺意は、なんと真っ直ぐで、清潔なことか。


「社員たちに比べれば……。あんたたち泥棒の悪意は、花の香りのようですわよ!」


ナラは地を蹴った。


「死ねぇッ!」


リーダーがナイフを突き出す。

ナラは、紙一重でそれを躱した。

肌を刺す風圧。命のやり取り。

血が滾る。


「ごめんあそばせッ!」


ナラは、リーダーの腕を鉄扇で打ち据え、ナイフを弾き飛ばした。

そのまま懐に入り込み、強烈な掌底を顎に叩き込む。

他の手下たちが鉄パイプで襲いかかる。

ナラは舞った。

優雅に、そして残酷に。


「一流のレディは……!退屈しのぎの暴力には容赦しませんのよ!」


数分後。

半グレたちは全員、倉庫の床に伸びていた。


「……くっ、そ……。覚えてろよ……!」


リーダー格の男が、這いずりながら逃げていく。

負け惜しみ。だが、そこには「負けた」という事実を認める潔さがあった。


「……ふぅ」


ナラは、乱れた髪をかき上げた。

汗をかいた。少しスッキリした。


「……大丈夫ですか、社長?」


ナラが振り返ると、ケイスケは資材の陰で震えていた。

だが、その表情は、昼間の絶望的な顔とは違っていた。


「あ、ああ……。ありがとう、ナラ君」


ケイスケは、立ち上がろうとして、よろめいた。


「……変だな」


彼は、自分の手の震えを見つめて言った。


「ナイフを突きつけられたのに……。殺されかけたのに……」


ケイスケは、事務所の方を――サヤマやオノデラのいる場所を振り返った。


「社内にいる時よりも……今の方が、息がしやすい気がするんだ」


ナラは、ケイスケに手を貸した。


「ええ。分かりますわ」


ナラは、暗い倉庫の天井を見上げた。


「強盗には、『文脈』がありますもの」


「金を稼いで、美味いものを食って、いい女を抱きたい」という、単純で力強い欲望の物語が。


だが、あの事務所にはない。

そこにあるのは、真空だ。


「……社長」


ナラは、真剣な目でケイスケを見た。


「契約の日まで、あと少しですわ。……お覚悟を決めてくださいまし」


「お覚悟?」


「ええ。……外の敵である強盗は追い払えます。でも、中の敵である無能な味方は……あなた自身が切り捨てない限り、一緒に沈むしか、ありませんのよ」


ケイスケは、黙り込んだ。

彼には、優しすぎた。

父から受け継いだ会社、古参の社員、彼らの生活。

それらを切り捨てる非情さが、彼にはなかった。


「……僕は、信じたいんだ」


ケイスケは、弱々しく笑った。


「会社が危機になれば……彼らも変わってくれるかと」


ナラは、何も言えなかった。

それは、破滅へ向かうという名の「甘え」だからだ。

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