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第1話:まともな会社のつぶし方(1)

「……却下ですわッ!」


ナラティブ・ヴェリタスは、優雅に腕を組み、目の前の白衣の女性を睨みつけた。


「働きなさい。ナラ君?これは決定事項だ」


エラーラ・ヴェリタスは、領収書の束をテーブルに叩きつけた。


「君のエンゲル係数は、私の研究費を圧迫している。特に酒代だ! ……論理的に考えて、君が自分で稼ぐのが筋だろう?」


「ぐっ……。一流のレディには、社交が必要ですのよ」


「社交結構。どんどん社交してくれたまえよ。だが、先立つものがなければただの無銭飲食だ。……そこでだ!」


エラーラは、一枚の紹介状を取り出した。


「私の古い知人が、経営を手伝ってくれる人材を探していてね。場所は東地区の問屋街。『タカムラ商会』という魔導具を扱う専門商社だ。……君にはそこで、経理のバイトをしてもらう」


「はぁ?経理? ……あたしに計算なんて地味な仕事が務まると?」


「……行ってきなさい。社会勉強だ」


ナラは舌打ちをした。

だが、エラーラお母様の言うことには逆らえない。何より、このままでは愛するお酒が飲めなくなる。

ナラは不承不承、漆黒のドレススーツの裾を払い、立ち上がった。


「……分かりましたわ。少しばかり、社会の歯車になって差し上げます」


王都の東地区。

そこは、煌びやかな貴族街とも、混沌としたスラム街とも違う、独特の空気を持つ場所だった。

立ち並ぶのは、中小規模の商店や倉庫。

行き交う人々は、派手さも悲壮感もなく、ただ淡々と日常を消費している。

『タカムラ商会』。

従業員20名ほどの、古びたレンガ造りのビル。

ナラが扉を開けると、そこには「澱んだ空気」が充満していた。


「……いらっしゃい。君が、エラーラさんの紹介の?」


奥のデスクから立ち上がったのは、40代半ばの男だった。

ケイスケ。この商会の二代目社長だ。

仕立ての良いスーツを着ているが、その肩には見えない重りが乗っているように見えた。

かつては大手商社で辣腕を振るっていたというエリートだが、今は家業を継ぎ、泥臭い経営に追われている。


「ナラティブ・ヴェリタスですわ。……今日からお世話になります」


「ああ、よろしく頼むよ。……君のような優秀そうな人が来てくれて助かる。ここは今、猫の手も借りたい状況でね」


ケイスケは人懐っこい笑顔を見せたが、その瞳の奥は笑っていなかった。

疲労と、諦念。そして、微かな苛立ち。

ナラは、事務所を見渡した。

そこには――「粘度のある無関心」だけが渦巻いていた。


「……おい、サヤマ君。この伝票、日付が間違っているよ」


ケイスケが、一人の男性社員に声をかけた。

サヤマ(32歳)。

中肉中背、特徴のない顔立ち。デスクに頬杖をつき、気だるげに水晶端末をいじっている。


「あー、すんませんす。さんせんす。直しときます」


サヤマは、謝罪の言葉を口にしながらも、視線は端末から外さない。

反省の色など欠片もない。


「……それと、オノデラさん。給湯室の掃除当番、今週は君じゃなかったかな?」


「あらぁ、社長。私、腰が痛くてぇ。若い子に任せちゃいました……私みたいな年長者は、みんなの監督をすべきですよン」


パートのオノデラ(50代)。

お菓子を頬張りながら、悪びれもせずに答える。

彼女は、社内の些細な噂話や、他人の粗探しには熱心だが、自分の業務には驚くほどルーズだ。


「……そっか。無理はしないでくれ」


ケイスケは、力なく引き下がった。

ナラは、そのやり取りを見て、肌が粟立つのを感じた。

誰も、本気で働いていない。

かといって、サボり倒してクビになりたいわけでもない。

「言われたことだけを、最低限の労力でこなす」。

いや、それすら怪しい。「怒られないギリギリのラインで限界まで手を抜く」ことに、全精力を注いでいる。

ナラは、指定されたデスクに座り、帳簿の整理を始めた。

その耳に、休憩スペースからの話し声が聞こえてくる。


「ウチの社長、また大手時代の自慢話かよ。……ここが零細だって分あってねぇんかな」


サヤマの声だ。


「意識高いんだよね。痛々しいわ。……新しいこと始める前に、給料上げてほしいわ」


オノデラの同意する声。

彼らは、会社を、社長を、自分たちの職場を、徹底的に小馬鹿にしていた。

だが、そこには「改善しよう」という建設的な意志もなければ、「こんな会社辞めてやる」という気概もない。

ただ、安全な場所から石を投げ、冷笑することで、自分の小さなプライドを守っている。


「……気持ち悪いですわ」


ナラは呟いた。

かつて彼女がいた未来のスラム街には、こんな中途半端な人間はいなかった。

生きるか死ぬか。奪うか奪われるか。

そこには明確な「物語ナラティブ」があった。

自分の人生を、自分で背負う覚悟があった。

だが、ここには何もない。

衣食住は満たされ、戦争もなく、飢えもない。

だからこそ、彼らは退屈し、その退屈を埋めるために「不満」を消費しているのだ。

自分はここにいるべき人間ではない、もっと評価されるべきだ、という根拠のない幻想に浸りながら。

その午後。

事件は起きた。

ケイスケが、全社員を集めてミーティングを開いた。

議題は、新しい「魔導在庫管理システム」の導入について。

取引先の大手ゼネコン『ゴウダ建設』との大口契約を取り付けるための、必須条件だった。


「……というわけで、来月からこのシステムを導入する。今まで手書きだった台帳を、全て魔導データ化して共有するんだ。最初は大変かもしれないが、慣れれば業務効率は劇的に上がるし、ミスも減る」


ケイスケは、熱っぽく語った。

これは、父の代から続く古い体質を変え、会社を生き残らせるための決死の改革だ。

社員たちにとっても、残業が減り、業績が上がればボーナスも増える。悪い話ではないはずだ。

だが。

会議室の空気は、冷え切っていた。


「……社長?」


サヤマが、気だるげに手を挙げた。


「それさ、本当に必要ですか?」


「え?」


「今のやり方で、大きな問題は起きてないじゃないすか。……新しいことを覚えるの、負担なんですけど。全体のこと、考えてます?」


「でも、ゴウダ建設との取引には必要なんだ。それに、将来的には……」


「いや将来とか言われても」


サヤマは鼻で笑った。


「僕たち、現場の人間なんで。……管理されたくないんすよ。監視されてるみたいで気分悪いすわ。つかそんなに働きたいなら一人でやりゃいいじゃないすか。」


「そうよぉ」


オノデラが続く。


「機械に頼るなんて、温かみがないわぁ。手書きの文字には、魂がこもるものよ。……それに、機械が苦手な人もいるの。弱者切り捨てじゃない?エリートは頭いいけど、本当、仕事出来ないわよね」


「た、たましい……?」


ナラは、書類を握りつぶしそうになった。

手書きの台帳はミスだらけで、その修正に追われているのは果たして、一体、誰だと思っているのか。


「それに、そのシステムの操作研修、定時後ですよね?」


サヤマが畳み掛ける。


「残業代、出るんすか? ……強制参加なら、労基に相談しますよ?」


論理が、通じない。

メリットを提示しても、「生理的な嫌悪感」と「権利の主張」で返される。

彼らは、変化を恐れているのではない。

「自分が無能であることが可視化される」ことを恐れているのだ。

そして、新しいことを覚えるという「コスト」を払うくらいなら、会社が傾くリスクの方を選んでいる。

ケイスケの顔から、生気が吸い取られていくのが分かった。

彼は論理的な人間だ。だからこそ、論理の通じない壁にぶつかり、消耗している。


「……分かった。研修の時間については再考する。……だが、導入は決定事項だ。協力してくれ」


ケイスケは、頭を下げた。

社長が、社員に頭を下げる。

それは、リーダーシップの放棄ではなく、組織を維持するための悲しい妥協だった。

会議が終わった後。

給湯室で、サヤマとオノデラが笑い合っているのが聞こえた。


「見た? 社長のあの顔。……ウケるんだよね」


「必死よねぇ。……どうせウチみたいなレベルの会社には無理よ。つか、会社自体が腐りきってるのよ」


「ま、失敗したら社長のせいだし。社長って生き物は、責任感がないんだよな」


彼らは、会社が成功することを望んでいない。

成功して忙しくなるより、失敗して「ほら見たことか」と社長を笑う材料が増えることを、無意識に望んでいる。

彼らにとって、ケイスケは「経営者」ではなく、「サンドバッグ」なのだ。

彼を共有することで、自分たちの希薄な連帯感を維持している。


「……許せませんわ」


ナラは、給湯室の入り口に立った。

漆黒のドレススーツが、薄暗い廊下に溶け込む。


「あら、ナラさん。……何か用?」


オノデラが、愛想笑いを浮かべる。

ナラは、無表情で近づいた。

そして、サヤマが持っていたコーヒーカップを、横から指で弾いた。

ガシャン。

カップが床に落ち、割れる。


「あッ! 何すんだよ!」


サヤマが怒鳴る。


「あら、ごめんなさい。……手が滑りましたわ」


ナラは、冷徹な瞳で二人を見下ろした。


「あんたたち。……ここが嫌なら、辞めればいいんじゃなくて?」


「はぁ?」


「文句を言いながら居座って、給料だけはもらう。……随分、都合のいい生き方ですわね。」


ナラの言葉に、サヤマの顔が歪む。

痛いところを突かれたからだ。

彼らには、転職する能力も気概もない。

ここにしがみつくしかない「弱者」なのだ。


「……なんすか偉そうに?……あ!……あー。あーあーあーあー。分かった。社長の愛人か何かだ?」


サヤマが、卑しい笑みを浮かべる。


「いいよな女は。……体使えば、楽に生きられて」


「……」


ナラの中で、何かが弾けた。

スラムでの記憶。

体を使ってしか生きてこなかった自分の愚かさへの後悔と、体を使って生きるしかできなくなるように仕向けてきた男どもの悪意を。

この男は、それを侮辱した。

ナラの手が、鉄扇に伸びる。

物理的に教育してやろうか。

顎を砕けば、少しは静かになるだろうか。

いや──殺そうかな。

だが。

ナラは、手を止めた。


(……違う)


ナラは気づいた。

こいつらには、殺意すらない。

ナラを「敵」としてすら認識していない。

ただの「話題のネタ」「退屈しのぎのオモチャ」として消費しているだけだ。

ここで暴力を振るえば、彼らは喜ぶだろう。

「パワハラだ」「被害者だ」と騒ぎ立て、自分たちの正当性を補強する材料にするだろう。

彼らは「最強の弱者」だ。

弱者という立場を盾にして、安全圏から石を投げる、最もタチの悪い怪物。


「……哀れね」


ナラは、鉄扇から手を離した。

そして、憐れむような目で二人を見た。


「あんたたちの人生には……『物語』がないのね」


「は? 何言ってんコイツ」


「戦うことも、愛することも、何かを成し遂げることもない。……ただ、他人の足を引っ張って、溜飲を下げるだけの、人生」


ナラは、踵を返した。


「……まあ。せいぜい、そのぬるま湯の中で腐っていなさい」


「テメおい!待てよ!」


ナラは振り返らなかった。

背後から浴びせられる罵倒も、彼女の耳には届かない。

社長室。

ケイスケが、一人で頭を抱えていた。

机の上には、導入予定のシステムの資料と、積み上げられたクレームの山。


「……社長」


ナラは、コーヒーを置いた。

今度は、完璧な温度のコーヒーだ。


「……ああ、ナラ君。……すまないね、変な空気にしてしまって」


ケイスケは、力なく笑った。


「……なぜ、解雇しないんですの?」


ナラは尋ねた。


「彼らは、会社の癌ですわ。……切除すべきよ」


「……できないんだ」


ケイスケは、窓の外を見た。

夕暮れの空。


「彼らにも、生活がある。家族がいる。……それに、法律的にも簡単には切れない」


ケイスケは、拳を握りしめた。


「それに……僕は、証明したいんだ。……父さんが愛したこの会社を、彼らと一緒に良くしていけるってことを。」


彼は、逃げないことを選んでいた。

論理が通じない、感情と怠惰の泥沼の中で、それでも誠実であろうとあがいていた。

その姿は、滑稽で、そして痛々しいほどに高潔だった。


「……プライド?……バカな人」


ナラは、小さく呟いた。

でも、嫌いじゃ、なかった。

泥の中で必死にもがく人間を、ナラは知っている。自分もそうだったから。


「……手伝いますわ」


ナラは言った。


「経理だけじゃありません。……この会社の『膿』を出す手伝い、してあげますわよ」


「え?」


「あたしは、空気なんて読みませんから。……言いたいことは言わせてもらいますわ」


ナラは、笑った。

その笑顔は、スラムで生き抜いてきた「野良犬」の強さを秘めていた。


「お覚悟、しておいてくださいね、社長。……あたしのやり方は、少しばかり『刺激的』ですわよ?」

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