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【5位】異世界探偵ナラティブ・ヴェリタス  作者: り|20↑|札幌
グリッチ・ヴェリタス/GLITCH VERITAS
42/88

第3話:If I hadn't met you.

主題歌:夏雪ランデブー/あなたに出会わなければ〜夏雪冬花〜

https://youtu.be/RjNN66cSXYI?si=r-casm7Dna0HAWbs


王都の夜空を焦がす「星祭り」の日。

街中が提灯の明かりと屋台の煙に包まれるこの日、獣医院の二階は、別の意味で戦場と化していた。


「……じっとしてなさい、このバグ娘ッ!」


漆黒の浴衣を粋に着こなしたナラが、ピンク色の帯を両手で引っ張り、グリッチ・ヴェリタスを締め上げていた。


「ぐぇっ! 苦しいよナラちゃん! 内臓がはみ出ちゃう!」


「はみ出ませんわよ! ……浴衣というのは、こうして帯を締めて、背筋を伸ばして着るものですの!」


グリッチは、可愛らしいフリルのついたミニ浴衣を着せられていた。

だが、彼女は「動きにくい!」と言って裾を破こうとしたり、帯を縄跳び代わりにしようとしたりして、ナラの逆鱗に触れ続けている。


「もう! ……お母様もですわよ! 何ですのその格好は!」


ナラが振り返ると、白衣のマッドサイエンティスト、エラーラが、浴衣の上からいつもの白衣を羽織り、さらに背中には巨大なタンクを背負っていた。


「完璧だろう? これは『携帯式・屋台食品成分解析機』だ。焼きそばのソースの配合比率を!瞬時に暴く!」


「風情の欠片もありませんわね……。置いていきなさい!」


「ええっ!? 今年の綿あめは窒素ガス充填型だという噂があるのに!」


「行きませんわよ! ゴウ、ルル、先導なさい!」


「は、はいっ!」


浴衣姿のゴウ少年と、古着の素材の浴衣を着たルルが、苦笑いしながらドアを開ける。

ナラは、グリッチの襟首を掴んで引きずり出した。


「ほら、行くわよ! ……はぐれたら迷子センターに突き出しますからね!」


「わーい! お祭りだー! 焼きそば! 焼きそば!」


グリッチは、ナラに引きずられながらも、無邪気に笑っていた。

その笑顔には、微塵の陰りもなかった。

祭りの会場は、光と音の洪流だった。

太鼓の音。人々の笑い声。

そして、甘いお菓子の匂い。


「すっげー! キラキラしてる! これ全部、ポリゴンじゃないの!?」


グリッチが目を回す。


「現実ですわよ。……ほら、リンゴ飴」


ナラは、真っ赤なリンゴ飴をグリッチに渡した。

グリッチは、それを眺め、そして――。

ガリッ。ボリボリボリ。


「……し、芯まで食べたわね!」


「うん!棒も美味しかったよ! 繊維質だね!」


「…胃袋、一体どうなってますの」


一行は屋台を巡った。

金魚すくいでは、ゴウがポイを破りまくり、見かねたグリッチが「貸して!」と言って手刀で水面を切り裂き、衝撃波で金魚を気絶させて大量捕獲した。

射的では、エラーラが弾道の空気抵抗を計算しすぎて時間切れになり、ナラが鉄扇を投げて景品棚ごと倒しそうになった。


「……ふふ。騒がしいですわね」


ナラは、ベンチに座ってラムネを飲んだ。

隣には、遊び疲れたルルが座っている。


「ナラさん……浴衣、素敵です……。うなじが……国宝級です……」


「あんたは相変わらずね……」


少し離れたところで、グリッチがエラーラに綿あめを食べさせている。


「あーん! お姉ちゃん、甘い?」


「甘いねぇ。糖度が高すぎて脳が痺れるよ」


その光景を見ていると、ナラの胸に温かいものが満ちてくる。

地獄のような未来から来た自分が、こんなに穏やかな時間を過ごしている。

そして、正体不明のバグであるグリッチも、今はただの「家族」として笑っている。


「……ねえ、ナラちゃん」


いつの間にか、グリッチが隣に来ていた。

手には、イカ焼きを持っている。


「ん。一本あげる」


「あら、珍しい。食い意地の張ったあんたが」


「今日は特別。……楽しかったから」


グリッチは、イカ焼きをかじりながら、夜空を見上げた。

遠くで、打ち上げ花火の音がし始めた。

大輪の花が、夜空に咲く。

赤、青、緑。光の粒子が降り注ぐ。


「わぁ……。バグった空みたい」


「……情緒がないわね」


ナラは苦笑したが、グリッチの横顔を見て、ふと息を呑んだ。

花火の光に照らされた彼女の顔は、どこか透き通っているように見えた。

儚くて、今にも消えてしまいそうな。


「ねえ、ナラちゃん」


グリッチは、花火を見上げたままで言った。


「私ね、決めたよ」


「何を?」


「お姉ちゃんを殺すの……もう少し、待ってあげる」


ナラは、イカ焼きを取り落としそうになった。

この期に及んで、まだそんなことを言っているのか。


「……あら、気が変わったの?」


「うん。……だって、ナラちゃんと喧嘩するの、結構楽しいし。お姉ちゃんとこうやってご飯食べるのも、悪くないかなって」


グリッチは、ナラの方を向いた。

その瞳は、花火の光を反射して、万華鏡のように輝いていた。


「私が消えるまで……もう少しだけ、遊んであげてもいいよ」


「……生意気ね」


ナラは、グリッチの頭を乱暴に撫でた。


「あんたが消えるなんて、許しませんわよ。……あたしが、バグだろうが何だろうが、この世界に縫い付けておいてあげる」


「あはは! 痛いよナラちゃん!」


グリッチは笑った。


「……約束よ!グリッチ」


ナラは、グリッチの肩を抱き寄せた。


「お母様には、指一本触れさせない。……そして、あんたも消えさせない。ずっと、ここで馬鹿やってなさい」


「……うん」


グリッチは、ナラの肩に頭を預けた。


「約束。……ずっと一緒だよ、ナラちゃん」


花火が連発で打ち上がる。

光と音が、世界を包み込む。

その輝きの中で、二人は確かに「家族」だった。


・・・・・・・・・・


同時刻。王都警察署、地下資料室。

祭りの警備で出払っている署内は、静まり返っていた。

その一室で、カレル警部だけが、埃まみれの古いファイルと格闘していた。


「……おかしいな」


カレルは、眉間に皺を寄せて呟いた。

彼が調べているのは、ここ数週間の「未解決事件」ではない。

もっと古い、数年前の「事故」の記録だ。

きっかけは、先日グリッチがふと漏らした言葉だった。


『私、昔、お姉ちゃんと、ここにいた気がするんだ』


その言葉が気になり、カレルは過去の記録を洗っていたのだ。

エラーラ・ヴェリタス。大賢者である彼女の周辺で起きた、記録に残らない事故。


「……あった!」


カレルは、一枚の報告書を引き抜いた。

『王立魔導研究所・第3実験棟 魔力暴走事故』。

日付は、エラーラがまだ学生だった頃のものだ。

報告書には、こう記されていた。


『実験中の事故により、研究員一名が死亡。遺体は魔力分解され、消失』


被害者の名前は、黒く塗りつぶされていて読めない。

だが、カレルは添付されていた「魔力記録」を再生した。


ザザッ……ザザ……。


ノイズ混じりの音声。

爆発音。警報音。

そして、少女の悲痛な叫び声。


『助けて……! お姉ちゃん! 助けて!』


だが、その後に続く言葉は、今の天真爛漫な彼女からは想像もつかないほど、怨嗟に満ちていた。


『なんで逃げるの……?』


『置いていかないで……!』


『痛い……体が溶ける……!お姉ちゃん!助けて……!』


そして、録音にはもう一人の声が入っていた。


『……論理的に考えて、救助は不可能だ。この国そのものが消滅する……隔壁を、閉鎖する……本当に……すまない……』


重厚な扉が閉まる音。

その向こうで、少女の声が絶望に染まっていく。


『……許さない』


『見捨てたね……私のこと……捨てたね……』


『綺麗で、賢くて、大好きな、大好きな、私のお姉ちゃん……』


『……殺してやる!…………絶対に殺してやる!……大好きだよ……大好きだよ!お姉ちゃん!…………さようなら』


録音はそこで途切れていた。

カレルは、冷や汗が背中を伝うのを感じた。

資料の最後に、奇妙な記述があった。


『当該事故における被害者の存在は、不明』


誰も、覚えていない。

エラーラの妹なのかも、定かではない。

エラーラ自身でさえ、この事故の記憶を失っている可能性がある。

「見捨てられた」という絶望と、「姉貴分への愛」という執着だけが、世界のバグとして残り続け、形を成した。

それが……グリッチ・ヴェリタス?


「……彼女がエラーラ君に近づいたのは、憎悪……いや……」


彼女の明るさは、バグによる誤作動か。

それとも、殺意を隠すための仮面か。

それとも、本心なのか。

カレルは、震える手でファイルを閉じた。

窓の外では、最後の花火が上がっていた。


・・・・・・・・・・・・


平和な午後。陽だまり獣医院のリビングで、グリッチ・ヴェリタスは唐突にフォークを止めた。

大皿に乗ったプリンを食べている最中だった。だが、彼女の耳奥に、不快な「ノイズ」が響いたのだ。


『警告。不正データ検出。座標、地下水路。削除プログラム、起動』


グリッチは、直感した。

あれは、この世界の自浄作用。私という「バグ」を消し去るために遣わされた、絶対的な掃除屋だ。

ここにいたらダメだ。家にいれば、お姉ちゃんごと、この空間が「修正」されてしまうかもしれない。


(やだな。……まだ、お姉ちゃんに殺されてないのに)


訳のわからないプログラムなんかに、ゴミみたいに、お姉ちゃんが消去されるなんて、御免だ。

だから、私が、倒す。


「……ねえ、ナラちゃん」


グリッチは、ソファで本を読んでいたナラに声をかけた。

いつもの、無邪気な笑顔を貼り付けて。


「散歩ついでに、下水道に行かない?」


「は、はぁ? 汚いじゃありませんの。何しに?」


「変なワニがいるんだって! ……私ね、直感したの。あいつを倒して経験値を稼げば、今日こそお姉ちゃんを『最高の状態』で殺せるようになるって!」


嘘を、ついた。

ナラを巻き込んだのは、一人で消えるのが怖かったからか、それとも最期まで「日常」を演じたかったからか。


「あいつを倒せば、もっと長く、みんなと、いられる気がするんだ。」


小さな声で付け加えられた本音は、テレビの音にかき消された。


「……仕方ありませんわね?運動不足解消に付き合ってあげますわ」


ナラが立ち上がる。

グリッチは、震える指先を隠すように強く、強く握りしめて──笑った。


「うん! 行こう、ナラちゃん! ……大冒険だ!」


それは、迫りくる「消滅」に抗うための、彼女なりの、最後の防衛戦だった。

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